25 不気味な静けさ
魔族の姿は、西地区方面の広場からすっかり姿を消していた。
他の場所を警備する者たちが救援に駆けつけてもいいものだが、怖気づいたのか、それとも無駄死にを避ける指令が出たのだろうか。
どちらにせよ好都合。
「さぁ、二人とも。行きましょう」
「リフレ、ここからはアタシも手を貸すよ」
「お師匠……、魔族のこと、きちんと殺してくれます?」
「……必要とあらば、だね」
「そうですか。ではお師匠さまはニルの警護をお願いします」
師匠が倒した魔族を殺さない可能性を考慮しての頼みだが、それだけではない。
戦えないニルに危険が及ばないためには、自分よりも上位の実力者に守ってもらうのがベスト。
その事は師匠もわかっているのだろう。
「……わかったよ。年寄りの出る幕じゃないってことさね」
しぶしぶながらも了承し、
「ニル、舌噛むんじゃないよ」
「か、噛まない……!」
小麦粉のつまった革袋のように、ニルを肩に担ぎ上げた。
荷物のように扱われたニルが不満そうな表情をしているものの、いつもの調子が戻ってきたことにリフレは安堵する。
「では改めて。塔の内部を押し通らせてもらいましょうか」
塔の入り口は自動ドアとなっていた。
内部に入ると、中央は上が見えないほどの高さの吹き抜け。
人間が三十人は並べそうな幅の巨大な螺旋階段が、壁際にそって天高く続いている。
そして何より異様なのが、
「……静かですね」
誰一人、魔族の気配が感じられない。
時おり聞こえる機械の駆動音の他は、不気味なほどに静まり返っていた。
「用心しな。待ち伏せされてる可能性大だ」
格上の敵と戦う際に小細工を弄するのは定石。
中でも奇襲はもっともシンプルで、かつ効果的なもの。
表でのリフレの戦いぶりは、まず間違いなく監視されていただろう。
もちろん、怖気づいて逃げ出した可能性も考えられるが。
「えぇ、わかっています」
リフレが先頭に立って、ゆっくりと、慎重に階段をのぼりはじめる。
わずかな異変にも反応できるように、細心の注意を払いながら。
そうして数時間ほど登ってきただろうか。
「うわ、高い……」
マザーの肩にかつがれているニルからは、下の景色がよく見える。
地表の高さとほぼ同じ一階の床ははるか下方、かすんで見えないほど。
反対に、かすんでいた天井はもう目の前。
雲上へと続いてるだろう出口も、すぐそこに見えていた。
「お師匠、ゴールが見えましたが……」
「妙だねぇ。ここまで警備ゼロ、待ち伏せゼロ。どうぞお通りになってください、と言わんばかりだ」
「……最後まで油断せず行きましょう」
警戒を怠らないまま、リフレたちは長かった螺旋階段を昇りきる。
最後に待っていたのは、中央の吹き抜けを通って出口へと続く一本の橋。
ここを渡れば雲の上へと出られるはずだが……。
「お師匠さま、まずはわたくしが一人で渡ります。かまいませんか?」
「賢明だね。アンタが言い出さなきゃアタシが指示してた」
地形からしても、この橋が敵が仕掛けてくる可能性の最も高い場所。
師匠もそのことは重々承知している。
ニルを背負っている以上、文字通りの危険な橋は迂闊には渡れない。
「……では、行きます」
コツ、コツ、コツ。
不気味なほど静まり返った橋の上を一歩ずつ、ゆっくりと進む。
そうして橋の中ほどまでやってきた、その時。
ピシっ。
「……!」
小さなきしみをきっかけに、またたく間に橋全体へと亀裂が走り、
「リフレ!」
ドガァァァァッ!!
一瞬にして、粉々に四散した。
「わたくしは大丈夫です! それよりニルを――」
リフレの声が、姿が、遠ざかっていく。
真っ逆さまに、はるか奈落の底へと落ちていく。
いくら彼女でも、足場のない空中に投げ出されては成す術がない。
落下ダメージも甚大なものとなり、死にはせずとも確実に意識を失うだろう。
魔王城から落ちた時のように。
「お師匠……、リフレを助けなきゃ……!」
「言われずともわかってるよ……、と。そうは問屋が卸さないか」
ウィィン。
螺旋階段の壁面に隠されていたのだろう大量のスライドドアがいっせいに開かれ、中からゾロゾロと姿を見せる魔族兵たち。
この塔の警備に当たっている連中だろう。
視界を埋め尽くすほどの大群、その数は千人近い。
「へへ、ババアとガキが相手かよ」
「安い仕事だぜ。あのおっかねぇ女はゴメンだが、こいつらなら楽勝だな」
「ヒヒヒ……、楽しませてもらうぜぇ」
弱者をいたぶれると思っているのだろう。
余裕と慢心を隠そうともしない三下を前に、師匠は深いため息をつく。
「ニル、ちょっと激しめに揺れるよ。舌噛まないように」
「だから噛まない……!」
「そうだったね。じゃ、さっさと片づけさせてもらうよ」
〇〇〇
真っ逆さまに落下していく浮遊感の中、リフレの心は落ち着いていた。
敵が仕掛けてくるという心の準備が出来ていたからだ。
「落下を狙ってくるのも、まぁ予想の範囲内ですね」
殺さず意識を刈り取って行動不能にするには一番の手段。
魔王城から落下して意識を失った前例もある。
「……これを持ってて助かりました」
先端に鉤爪がついたロープを、荷物から引っぱり出す。
いざという時のためにと、忍ばせていた道具のひとつ。
魔王城から落下した教訓を生かして、ロークに調達してもらった物だ。
あの魔族のおかげで助かるのは癪にさわるが仕方ない。
軽く振り回して勢いをつけ、螺旋階段へと投擲する――が、しかし。
ズバァッ!
「な……っ」
鉤爪が引っかかる直前、鳥のようなシルエットが横切りロープを切断。
リフレの体は引き続き、地表へ落下することとなる。
「今の剣閃は――あなたですか」
リフレがにらむ先には、翼を生やした魔族の背に乗り、リフレを追って急降下する魔族の女。
騎士然としたその恰好、その顔には見覚えがある。
「またお会いしましたね。えーっと……何さん、でしたっけ?」
「我が名はグフターク、魔王様の忠実なる右腕だ」




