20 じいちゃん
リフレのもとから走り去り、息が切れるまで無我夢中で駆け続け、いつの間にかニルのまわりの風景は郊外から街中へと移っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
彼女の体力は人並み、歳並み。
体中に疲労がたまり、汗が服を体に貼り付け、息が乱れたまま整わない。
後先考えずに走ったツケに、その場へ座り込むしかなかった。
「はぁ、はぁ……、なんで……、どうして……ッ」
リフレなら理解してくれると思ったのに、どうして制止されたのか。
魔族を殺して回るというからついてきたのに。
アイツはアタシたちを苦しめた魔族なのに。
「アイツは死んで当然、当然だったんだ……!」
脳裏によみがえるのは高慢なモンデスの姿。
ジャージィの名を出し、権力を傘に人間を見下し、ののしり、へらへらと笑う下劣な魔族。
あの男をリフレが殺した時、生まれて初めて心の底からスカっとした。
モンデスの親玉であるジャージィも、リフレについていけばいつか殺してもらえるかもしれない。
もしジャージィが目の前で殺されれば、あの時以上にスカっとするはず。
――と、彼女はそう思っていた。
(……なのに、なんで……!)
何度目かの、『なんで』。
頭の中に残る、リフレに敗れたジャージィのどこか爽やかさ漂う姿。
彼の母親である老婦人の笑顔と、彼のために作った料理のあたたかさ、味。
ジャージィを撃ち殺したあとの自分を見る、悲しみにあふれたリフレの表情。
様々なことが頭の中を駆け巡り、そのたびに胸の奥がズキズキと痛む。
カタルシスとはほど遠い、頭のおかしくなりそうな行き場のない感情に、ニルは頭をかかえてその場にうずくまった。
と、その時。
「おい、嬢ちゃん。こんなとこでなにしてんだ」
耳にとどいた懐かしい声に、とっさに顔を上げると、
「お? お前、もしかしてとなりのチビか?」
「……じいちゃん?」
そこには懐かしい顔があった。
ニルの『じいちゃん』は、血のつながった祖父ではない。
物心ついたころ、一人きりだった彼女の面倒をよく見てくれた隣の小屋の初老の男性。
それが『じいちゃん』だった。
彼はニルに名前こそ付けてくれなかったが――もっとも、名前をつける文化そのものがあの場から途絶えて久しいのだが。
赤の他人である幼い少女に、言葉、人のぬくもり、そして何より、
『いいか、こんなことホントは言っちゃいけねぇんだけどな。魔族はクソだ』
『魔族はクソ……』
『そうだ、あんな奴らクソだ。クソ以下だ。悔しいよなぁ、俺らに力があればよ……』
『力……。アタシ、力つける。いつかクソどもを殺してやるんだ……!』
生きる活力と反骨心を植え付けてくれた人だった。
「ほら、上がんな」
『じいちゃん』の邸宅に案内されたニル。
彼の家はジャージィの母ほどの大きさではないにせよ、かつての王都において裕福な家庭が持つ一軒家とほぼ同じ規模の立派なものだった。
二階建ての広々とした家に、付き人の魔族との二人暮らし。
しかし今、魔族は家を空けているらしい。
「しかしどうした、なんで西地区にいるんだ? どうやってここまで来た」
「じいちゃん、じいちゃんあのね、聞いて」
混乱と悲しみの中にいた今のニルにとって、彼との再会はまさに救いとなっていた。
じいちゃんならわかってくれる。
そう心から信じて、ニルは誇らしげに伝える。
「アタシね、ジャージィ殺したんだよ! この手で、魔銃って武器で、脳天ブチ抜いてやったんだ!」
「……なにぃ?」
「ウソじゃないよ! 魔族のクソを殺せる力だ! じいちゃん、アタシとうとう――」
パァン!
「あう゛っ!!」
「バカ野郎! 魔族様になんてことしやがる!」
「え? え……?」
頬に走る衝撃と痛み。
耳をつんざく罵声。
何が起きたか理解できず、ニルは痛むほほをおさえたまま小さく震えて『じいちゃん』を見つめ返す。
「魔族様はな、こんないい暮らしを俺にくれた救い主だ! お前も年をとったらここに世話になる! それをなんだ、ジャージィ様っつったら区長だろうが! それを殺しただと!?」
「え、だって、じいちゃん言ってた……。魔族はクソだって……」
「忘れろ! あの頃の俺はなにも知らなかった、バカだったんだ!」
「な……、……え?」
「もう知らん、出てけ!」
「なんで、じいちゃん……」
「じいちゃんなんて呼ぶな! 元々お前とは赤の他人だ! 俺は死ぬまでここで楽しく暮らすんだ! ゴホッ、ゴホッ!!」
「じ、じいちゃん、体が……」
興奮し過ぎたのだろう、老人の口から血の混じったタンが咳と共に飛び出した。
よろめく体を支えようとするニルだが、無情にも振り払われてしまう。
「触るな! お前の助けなんざいらん! 病気になろうが魔族様が救ってくださる!」
「じいちゃん、ちがう……、ちがうの……。病気になったら南に送られて――」
「まだ俺をじいちゃんと呼ぶか! 出てけっつってんだろ!」
もはや聞く耳を持たない凄まじい剣幕の老人に首根っこをつかまれ、引きずられて玄関から放り出される。
「もう二度と面見せるな、ガキが!」
バタン!
怒声を残して勢いよくドアが閉まり、ニルは一人その場に取り残された。
しばらくその場に玄関を見つめたあと、
「……………………」
ニルはフラフラと歩き出す。
『あの老人』はもうすぐ南へ出荷されるのだろう。
そこで死ぬまで病に苦しみ、絶望を排出し続ける運命が待っている。
しかし、今のニルに彼のために何かをしてやろうという気持ちは起きなかった。
なぜなら『あの老人』はもう家族でもなんでもない、赤の他人なのだから。
家族を失ったニルは行く。
今や唯一の行く先となったリフレのところへ、彼女のいるロークの屋敷の方向へと。
〇〇〇
「ニル、戻ったのですね……」
そろそろ探しに出ようかというところで、ニルはロークの屋敷に戻ってきた。
涙で目元が腫れ、うつろな表情をしていたが、彼女はあえて深く事情を聴こうとしなかった。
「無事でよかったです」
「うん……」
小さく返事をして、それっきり。
黙りこくってしまった小さな少女にかける言葉が見つからず、その場にいた師匠も首を横にふる。
「……おや、もういいのかい? では話の続きをしようか」
ただ一人空気を読まないロークがリフレににらまれるも、彼はまったく意に介さず。
「で、リフレ君は雲上に出たい、と」
「えぇ。ライハは雲の下に来られないのでしょう?」
「そうだねぇ。この島を囲む結界は魔王城の頂点から出ている。これに定期的に魔力を供給しないと、結界が消えてしまうんだ」
「そして黒雲には、強力な魔力の遮断作用がある。あの時深追いしてこなかったのはそのためさ」
この情報を、リフレはつい先ほど二人から聞かされた。
なぜ結界が存在するのか、についてはロークも知らないらしい。
外に人間を逃がさないためではないか、との推測を立てている程度だった。
「しかし、僕としては行ってほしくないなぁ。しばらく滞在して僕に体を調べさせてほしいのに」
「どうしてもやらねばならない用事が出来ました。ライハに、彼女に会って確かめたいことがあるのです」
「……ほほう。魔王に、じゃなくてライハに、かい」
「えぇ。今なら、あの時師匠が止めた理由がわかります。彼女はまぎれもなくライハ。ライハである以上、こんな世界にした理由がきちんとあるはずです」
「で、会ってどうするんだい?」
「話します。話して理由を確かめます。その理由が納得の行くものでないのなら……彼女を、殺してでも止めます。大切な、友として」
 




