19 小さな変化
「ニル……、あなた……」
ニルがジャージィを射殺した。
思いもよらない光景を前に、リフレは言葉を失う。
「アタシのついてきた理由、覚えてる?」
「え、えぇ……。わたくしが魔族を殺すところを見たい、と……」
「なんだ、覚えてたんだ」
小さくため息をつくニル。
その瞳はこの上なく冷酷に、ジャージィの死体へむけられていた。
「よかった。魔族を殺す気、失せたのかと思った」
「……なぜ、撃ったのですか?」
「……?」
リフレの問いかけに対し、少女は心底不思議そうな表情を浮かべる。
質問の内容も質問された理由も、何もかもがわからない――そんな表情を。
「逆にこっちが聞きたい。リフレはなぜ、そいつを見逃そうとしたの」
「……この方のお母様を思うと、手を下せませんでした。それと……、心までは魔族に変わっていない。そう感じたのです」
「わかんない……。わかんない。どうしてそれが理由になるのかわかんない!」
タァン、タンタンタァン!!
物言わぬ屍に、何度も銃弾が撃ち込まれる。
少女が引き金を引くたびに死体がビクンビクンと跳ね、弾痕から緑色の血が噴き出し、しかし何発銃弾を浴びても、その死体は魔族のように塵となって消えはしない。
「コイツはアタシの地区を仕切ってた魔族……! コイツのせいでアタシたちがどんなに苦しめられたか……、リフレは知らないんだ! なにも知らないくせに!!」
感情の希薄な――希薄と思っていたニルの、感情をむき出しにした姿。
魔族が憎くて仕方ない、やり場のない怒りをぶつけ、それでも心が晴れることは決して無いのだろう。
それが証拠に、少女の瞳からはポロポロと大粒の涙が流れ続けている。
その姿が、リフレには自らの姿と重なって見えた。
あまりに痛ましく、目をそむけたくなるような少女の姿を前に、
「ニル……、もう、もうやめてください……!」
気づけばニルを後ろから抱きしめていた。
銃声が止み、少女の銃を持つ手が力なくだらりと下がる。
「リフレ……。止めないでよ……。どうして止めるの……。だってコイツ、まだ塵になってない……」
「彼は憑魔……。魔族であると同時に人です、人なのです……!」
「ちがう……。コイツはアタシたちを苦しめてた魔族……」
「もう、もういいのです……。もう十分です……」
「ちがうよ……、だってそんなの……。そんな……、……ッ、離してッ!!!」
叫びとともにリフレの腕を振りほどき、走り去るニル。
遠ざかる小さな背中を追いかけられず、リフレはしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
それから数分の後。
「リフレ、こんな辺鄙な場所にいたのかい」
「あ、お師匠……」
その場に音もなく、降ってわいたように大聖母が現れる。
「探したんだよ。まったく、年寄りの貴重な残り時間をこんなに使わせて……」
ライハからロークへ指令が届いてからというもの、彼女は街のすみずみまでリフレの姿を探していた。
しかし一向に見つからず、郊外の壁際まで足を延ばしたところ、ようやく発見できたらしい。
「しかし、こりゃまたハデに殺したモンだねぇ」
まるでハチの巣のような全身穴だらけの死体を前に、口元を覆いながらリフレの顔をうかがうが、
「……アンタじゃないのかい?」
弟子の沈んだ表情を目にして、なにかを察したのだろう。
リフレはうなずき、小さな声で答える。
「ニル、です……。決着がついたあと、ロークの渡した魔銃で……」
「……あの子もかなり根が深いねぇ。で、どこ行った?」
「わかりません……。どこかへ走り去ってしまいました……」
「そうかい。ローク管理下のエリアだ、まず危険はないだろうから後で探しに行くとして、リフレ。いったん戻らないかい?」
「……そう、ですね。少々疲れましたし、いろいろと話したいこともありますから。ですがその前に、この方の弔いだけでもさせていただけますか?」
「……かまわないよ」
弟子の小さな、けれど確かな心情の変化に、老婆のしわくちゃの頬はほんのわずかわずか、ゆるんだ。
〇〇〇
屋敷にもどったリフレは、師匠をともなってロークの部屋へと直行。
「おぉ、戻ったかい! いやはや無事でなによりごぼぉ!!」
ドガシャァァァッ!!
上機嫌で出迎える軽薄な魔族につかつかと歩み寄り、その顔面に拳を叩き込む。
棚を倒して転がりながら、ロークは意味がわからないといった様子で顔を上げた。
「い、痛いじゃないか……。僕がなにをしたと言うんだい……」
「聞きたいことがあります。ジャージィにわたくしを襲うよう仕向けたのは、あなたですね?」
「正解。無線で通話してね、君の母をどうこうされたくなかったら一人っきりでキミを襲え、と。ナイスアシストだったろグボぉッ!!」
ドボォ!!
転がったままのロークの腹に、さらに蹴り。
緑色の血が混じった反吐がまき散らされる。
「ぐ……、り、理解できないね……。あやうくキミは四区長に同時に襲撃されるところだったんだ……。それを単独で相手できるようにサポートしてやったのに……」
「理屈はわかります。たしかに単独なら勝てる相手でした。しかし感情面で許せません」
「感情面……。なるほど、ヒトの感情か。じつに興味深い。僕の求めるテーマのひとつだからね……。勉強になったよ」
「それともうひとつ」
「まだ何かあるのかい?」
服についたほこりをはらいつつ、立ち上がるローク。
また殴られるのかと若干身がまえるが、今度は拳も蹴りも飛んでこなかった。
「ジャージィのお母さまを……、もし彼女が病に侵されても南地区へ送らないと約束してください」
「彼の母を? キミが? なぜ? それと、南地区のこと知ってるんだね。キミのことだから老人全員南に送るな、と言い出しそうなものだが」
「巨大なシステムなのでしょう。あなたの力でもどうにもならない、巨大な力で動くシステム」
「わかってるじゃないか。そう、老人の南送りは僕の力でもどうにもならない。けれど一人くらいなら、なんとかムリは通せるね」
「それで、返事は?」
「あぁ、了解した。今度は腹に風穴開けられそうだからね」
 




