18 人か魔族か
「南地区とは、そのようなところなのですか……?」
この世の地獄のさらなる地獄。
底にさらなる底があると聞かされて、リフレは目に見えて動揺する。
離れた場所から戦局をうかがうニルも同じく、老人の楽園に送られた者の末路に言葉を失っていた。
「北で生まれた人間は自らの生を否定され、否定しながら絶望を生み、西に送られて年老いた自分を呪い、死期を迎えると南に送られる。最期まで魔族に絶望を供給し、その生涯を終えるんだ。とことんまで無駄のない家畜だろう?」
「また……、人間を家畜などと……ッ!」
「俺も家畜だった」
「……!」
自嘲混じりの笑みを浮かべ、ジャージィが吐き捨てるようにつぶやく。
「魔王様が生み出した大いなるシステムによって循環する、生まれた意味すらわからないままに生かされる、ただの家畜」
「魔王……」
魔王、つまりライハ。
正義を愛し、明るく素直で、自分じゃない誰かを守れる太陽のような少女。
そんな彼女が人々を苦しめる魔王となってしまったことを、リフレは未だ受け入れられずにいた。
「そんな俺にも、ようやく生きる意味が見つかった。憑魔となって雲下の仕組みを知った時、俺はおふくろを南に行かせたくないと強く思った。そのために権力を得て、区長にまで上り詰めた」
両親も、ライハも、憑魔となった時に死んでしまった、別のなにかになってしまった。
そう思い込まなければ、心が壊れてしまいそうになる。
絶対に認めたくない、それなのに。
「死んだ目をした、生きる意味もわからないまま、生きるためだけに生きる連中。そんな奴らの中で、おふくろは俺に優しかった。名前なんてモノまでくれたんだ」
なぜこの男は人間だった頃のことを、自分のことのように語るのか。
なぜ魔王は、自分とライハの思い出を自分のモノのように語るのか。
「区長としての権力とコネで、俺はロークに契約を交わさせた。俺のおふくろだけは南に送るな、死ぬまで西で裕福な暮らしをさせろ、と。もちろん交換条件は飲まされたが――」
なぜ師匠は今さらになってあんなことを語って聞かせたのか。
――傷ついてほしくなかったと言うのなら、最初に聞かせてくれていれば、今こんなにも傷つかなくて済んだのに。
「――と、余計なことまでペラペラとしゃべりすぎたな」
「……えぇ、本当に。おしゃべりな殿方ですこと」
「そう言うな。これから最後の勝負に出るんだ。戦う理由を再確認し、己を奮い立たせる程度はさせてくれ」
ジャージィが両足をふんばり、両腕を交差させて力を溜め始める。
力の高まりに空気が震え、ピリピリと肌を刺す。
やがて腕の、上半身の筋肉が盛り上がり、彼の上着は弾け飛んだ。
「剛氣招来……!!」
魔力を筋力へと変え、自らの肉体に宿す戦技。
パワー、スピード共に5倍以上のアップが見込める自己強化技だ。
かつて人間の戦士の中にも奥の手として習得している者はいた。
しかし。
「ずいぶんと負担の大きな技を選択したのですね」
肉体の限界を超えて強化してしまうため、肉体への負荷が非常に大きい。
使用後は行動不能になることもザラな、まさに諸刃の剣。
「これでなければお前は仕留められん……! 話している時間も惜しい、行くぞ……ッ!」
体のあちこちから緑色の血を流しながら、ジャージィが決死の突撃をしかけた。
対するリフレはカウンター狙い。
拳を腰にかまえ、じっと攻撃をみすえる。
「ぬおおおぉぉぉぉぉぉおッ!!」
ドボォッ!!!
音すら置き去りにするほどの拳速。
全体重と助走の勢いを乗せた正拳に、リフレはまったく反応できなかったように、ニルには見えた。
「リフレ……!」
腹から背中まで貫通したジャージィの拳。
赤い血がしたたり落ち、誰が見ても勝負は決まったように思えた。
しかし。
「……俺の、負けか」
「えぇ、あなたの負けです」
涼やかなリフレの声。
直後、強烈な拳の乱打がジャージィの腹部に叩き込まれる。
「がっ、ごっ、ぐっ、ごあっ!!!」
ズドドドドドドドドッ!!
嵐のような連撃によろめき、たまらず後ずさるジャージィ。
その拍子に拳がリフレの腹から抜け、オートヒールで一瞬にして傷口がふさがった。
「終わりです。飛燕流星」
天高く舞い上がり、一回転してからの脳天へのかかと落とし。
頭部への強烈な一撃を受け、ジャージィの巨体は大の字に倒れる。
「が……はッ!」
脳天から血を流し、起き上がろうともがくも体に力が入らない。
勝負は決した。
「あらあら、死んでないんですね。つくづく人間辞めてます」
「その言葉……、そっくり返そう……。腹部を貫通されて、顔色ひとつ変えぬとは……」
「……そうですね。きっとあなたよりわたくしの方がずっと――」
そこで言葉を切り、小さく首を横に振るリフレ。
ジャージィの剛氣招来は、その効果が終わり、異常膨張していた筋肉がしぼんでいった。
「……頭部や心臓を狙わなかったのは、ライハからの命令が生け捕りだからでしょう。あの子がわたくしを始末しろなど、命令を出すはずがありませんもの」
「あ、あぁ、その通りだ……。だから意識を刈り取ろうと、急所を外したが……」
「急所を狙われたとしても、あの程度の速さなら軽く避けられます」
「ふ、ふはは……! ハナから勝ち目など無かったか……。し、しかし……、今の言葉……。魔王様を、自らの友のように語ったが……」
「……えぇ。あなたの言動を見て、ようやく悟りました。あの子は、あの子はやはり、まぎれもなくわたくしの――」
そこまで口にして、リフレは視線を落とす。
現実を認めたとしても、受け入れるにはまだ少し時間が必要なのだろう。
「……しかし、なぜ単独でわたくしを襲ったのです。力の差を理解しているならばなおのこと」
「魔王様からは、他の区長たちと協力するように命令が下されていた……。しかし、ロークから連絡があってな……」
「協力はできない、と?」
「そこまで大っぴらじゃないさ……。おふくろ絡みで、暗に脅されただけだ……」
ロークのニヤケ面が脳裏によぎり、リフレの中にほのかな殺意が芽生える。
自分のためにやってくれたのだろうが、それでもやはりあの男のやり口は気に入らない。
「そうですか。あなたの代わりに殴っておきます。では帰るとしますか」
「待て……。言っておくが、……俺は命あるかぎり魔王様の指令を遂行する。生かしておけば、またお前の前に現れる……。他の区長たちと協力して、今度こそ必ず捕らえるぞ……」
「どうぞご自由に。三人がかりでも跳ねのけますから」
「な、なぜ見逃す……」
「さぁ?」
はぐらかしたものの、リフレはジャージィにトドメを刺す気が起きなかった。
憑魔は人間の変異したもの。
しかしその変化が起こるのは身体的な部分のみであると悟ってしまったから。
「ただし、今度会ったらこんなもんじゃ済ましません。もっともっと痛めつけますので、そのつもりで」
「ふ、ふふ……。甘いな……。だが、こちらとて容赦は――」
タァン!!
突如としてひびく乾いた銃声。
ジャージィの額に小さな穴が空き、彼は白目をむいて動かなくなる。
驚きに目を見開くリフレ。
とっさに振り向くと、その視線の先に、かまえた魔銃の銃口から煙を登らせるニルの姿があった。
「ニル、あなた……」
「ねぇ、リフレ。どうして殺さなかったの? そいつ、魔族だよね。魔族殺すんじゃなかったの?」




