17 八区長・ジャージィ
憑魔。
男――ジャージィがそう名乗った瞬間、リフレの瞳に殺意が宿る。
すぐさま戦闘態勢をとり、ニルも駆け足で距離をとった。
「……だましていたのですか?」
「謝罪はしない。こうして名乗らぬまま、だまし討ちしても良かったのだからな」
「わたくしたちを、ではありません……!」
「……おふくろのことか」
ジャージィは顔を伏せ、小さくため息をつく。
「たしかに、だましているな。おふくろは俺が雲の上の地区で魔族に仕える仕事をしていると、そう信じている」
「そのこともですが、もっと大事なことです。息子さんがもういないと、あの人は知らない……!」
「……意味がわからないな。俺はここにいる」
「あなたは憑魔でしょう、あの人の子どもじゃない! 成り代わって図々しくもおふくろだなどと!」
「なにを勘違いしているのか……。まぁいい、始めよう」
鋭い眼光を返し、憑魔の男も臨戦態勢を取る。
にらみ合いのあと、先に動いたのはリフレだった。
「はぁっ!」
間合いをつめての拳の連打。
衝撃波が発生するほどの威力の拳を、ジャージィはクロスした腕でガード。
しかしその威力に、彼の巨体はかかとで土をめくりながらじわじわと後退していく。
「なるほど、この威力。モンデスが手も足も出ないわけだ」
「あの害虫のことですか……!」
「人の部下を害虫とは、ずいぶんな言い草だな」
「どの口がッ!!」
バシィっ!!
体をひねっての渾身の一撃が、ジャージィのガードを破り大きくのけぞらせた。
がら空きになった胴体へめがけ、胴体の貫通を狙う鋭い抜き手が繰り出される。
しかしジャージィは大きく体をそらし、ブリッジの体勢で回避。
そのままリフレのあごを狙って蹴り上げを仕掛けてきた。
ドガッ!
クリーンヒット。
あごをカチ上げられてのけぞったリフレに、起き上がったジャージィがニヤリと笑う。
が……、
「……この程度ですか?」
ガシッ!
その顔面がリフレにわしづかみされる。
彼女はまったく怯んでいなかった。
痛みに慣れきっている上に、オートヒールも常時発動している彼女に通常の打撃は通用しない。
「驚きだ……。話には聞いていたが……」
「このまま頭をねじり切ってあげましょう。あなたの部下、モンデスのように」
右腕で顔面を、左腕で後頭部をつかんだリフレが獰猛な笑みを浮かべる。
しかしジャージィも怯まない。
「丁重にお断りしよう……!」
シャキッ!
右腕のそでの下から飛び出した仕込み刃、その薄刃がリフレの両腕を切断し、ジャージィは拘束を逃れる。
が、すぐさま切り口からリフレの両腕が再生。
深く踏み込んでの正拳突きがジャージィのみぞおちに突き刺さった。
「がぼっ……!」
緑色の血を口からまき散らしながら、巨体が吹き飛ばされる。
相当に強烈な一撃だったのだろう。
何度も地面に激突しながら転がり、しかし足を震わせながらなんとか立ち上がった。
「……立ちましたか。人間なら即死だったはずの一撃です。その汚らわしい緑色の血といい、やはりあなたは憑魔。人から虫以下に堕ちた、哀れな存在です」
「ふ、ふふ……。人間を辞めているのはお互い様だ、と言いたいな」
「はて、どういう意味でしょう」
「腕を斬り落とされても眉一つ動かさぬその精神性、とうに人間のものではなくなっているのではないか?」
「身も心も人間を辞めた憑魔になにを言われようが、まったく響きませんね」
「たしかにこの身は魔に落ちたが、心根を人の頃から変えたつもりは毛頭ないさ」
「ざれごとを……。あなたが治めている北地区の惨状を、わたくしが知らないとでも?」
リフレがチラリと後方へ、物影から顔をのぞかせるニルへと視線をむける。
ギラついた瞳に殺意をみなぎらせてジャージィをにらみつける、幼い少女へと。
「彼女は北地区の出身。あなたに苦しめられた被害者の一人です」
「だろうな。北地区以外にあのような少女はいない」
ジャージィのつぶやきにリフレは首をかしげた。
この西地区以外も、特定の人間が集められる特殊な環境なのだろうか。
だが、今追求すべきはそこではない。
「……それだけですか?」
「あぁ、それだけだ」
「反吐が出ますね。あなたの統治によって、大勢の人が苦しめられているというのに。ただのそれだけですか」
「俺が方針を決めたわけじゃない。区長となるずっと前から、北地区はあのざまだった。俺も北地区の出身だからな、よく知っているさ」
「今度は責任転嫁。あきれてモノも言えませんね」
深くため息をつき、失望しきった表情で吐き捨てるリフレ。
もはや対話する価値もない。
そう言わんばかりに拳をかまえ、一気につめ寄る。
「現状を変えようともせず、悪習に従って同胞を苦しめ続ける。そんなあなたに――」
ベキィ!!
手刀を仕込み刃の側面にぶつけ、ジャージィの暗器を根本からへし折った。
その隙に間合いが離され、再び踏み込んで繰り出したハイキックはジャージィの鼻先をかすめるのみで、有効打に至らず。
「あなたに、憑魔に人の心など残っていない!」
攻撃を浴びせながらのリフレの叫びは、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。
「何とでも言え。所詮俺はドゥッカという巨大な島を動かす歯車のひとつ。俺ごときに仕組みを変える権限など、ハナから与えられていない」
「……ッ」
「――いや、そもそも変えるつもりなど、最初から持たなかったさ」
反撃の拳を突き出すジャージィ。
リフレは身をかがめてその腕を取り、背負うように投げ飛ばす。
しかしジャージィは空中でくるりと回転。
体勢を立て直して距離を取りつつ着地した。
「俺の目的は昔から――人間だった頃からひとつだけ。おふくろに楽をさせたい、ただそれだけだった」
「……どういう、意味です? 老いればこの地区に運ばれる。本質はどうあれ、楽な余生を過ごせるはずでは?」
「この地区で、活力のない老人の姿を見たか?」
「……いえ」
「そうだろう。病を得て余命いくばくもなくなった老人は、雲下南地区に送られる。苦痛をともなう延命治療を強制され、死ぬまで『病に侵される苦しみ』を搾取されるのさ」




