11 両親の記憶
「さぁて、どこに逃げてったのかなぁ。木を隠すには森の中、婆さんが隠れるには――やっぱあそこに潜伏してると考えるのが自然かな」
目の前にそびえるカベを見上げ、つぶやくライハ。
現れたタイミングから考えても、このむこう側に拠点があると考えるのが自然。
なにせこの先のエリアは――。
「老人方のパラダイス、だからね」
なんにせよ、リフレの奪還が最優先。
大切な少女を取り戻すための方針を定めたその時。
「お戻りください、魔王様」
「……チっ。なんだよお前、ついてきてたのか」
背後に現れひざまずく腹心グフタークに、ライハは露骨に機嫌をそこねる。
「ジャマすんなっつったよねぇ、蹴り殺されたい?」
「ま、魔王様のおみ足で蹴り殺していただける……!? あ、あぁ、そのような至上の幸福……ッ! い、いえ、ですが魔王様、この雲の下にいては結界の維持が――」
「……まぁ、そうか」
天をふさぐぶ厚い黒雲には、抽出した人間の負のエネルギーを霧散させないため閉じ込めておく役割がある。
最下層に暮らす人間があまりにも多く、生み出す感情の量もあまりに膨大であるがために開発された、いわば巨大なフタ。
一方ライハは、とある理由からこの島を自ら張り巡らした結界で常におおっている。
しかしこの雲は魔力を遮断する性能も非常に高い。
そのため、ライハが長い間最下層にとどまれば、島をつつむ結界が消滅してしまう危険がある。
もしも、その結界が消えたなら――。
「……全部、パーになっちゃうね」
108年の努力も、リフレを封じた決断も、全てが水の泡。
「はぁ、わかった。帰るよ。帰ればいいんでしょ」
しぶしぶながら了承した主人に、グフタークが安堵の表情を浮かべる。
しかし彼女は蹴られなかったことに不満を覚えてもいた。
「しかたない。ひとまず戻ってから、最下層の八区長たち四人に連絡するかな。リフレ探して連れてきて、って」
〇〇〇
わたくしの生まれ育った家は、小さな村の中にあって一番裕福な家でした。
貴族から村の管理を任されている、地主のような家だったと記憶しています。
優しい父と母のもと、わたくしは6歳の頃までなに一つ不自由なく暮らしていました。
あの忌まわしい日が来るまでは。
その日の夜は、村の様子がおかしかったことを覚えています。
貴族の使いの方が来訪し、村人たちが大勢で屋敷の前に押しかける異様な雰囲気の中。
わたくしは自分の部屋のベッドの上で、大きなぬいぐるみをギュッと抱きしめていました。
不安でしかたない気持ちを押し殺しながら。
「心配ないよ、リフレ。いい子で待っていなさい」
「えぇ、大丈夫だから。そうだわ、明日晴れたらみんなでピクニックに行きましょう?」
両親はそんなわたくしに優しく声をかけ、明日の話までして安心させてくれました。
抱きしめられた腕のぬくもりは、今でも忘れません。
それから二人は屋敷の門まで出向き、村人たちに話をつけてなんとか帰らせると、使いの方と応接室へむかいました。
それから一時間ほどたった頃でしょうか。
屋敷中に断末魔の悲鳴がひびいたのは。
「な、なに……?」
幼いわたくしは、どうしようもない不安に襲われました。
いてもたってもいられず、大きなぬいぐるみを抱きしめたまま応接室へとむかいます。
そこで見た光景を、一生忘れることはないでしょう。
血まみれの死体の前に立つ、胸の切り傷から緑色の血を流した父の姿を。
真っ赤な返り血を浴びた母の姿を。
叫び声すら上げられずに立ち尽くすわたくしの顔をチラリと見ると、両親は窓から飛び出し、村人たちを皆殺しにしていきました。
そこから先のことは、よく覚えていません。
いつの間にかわたくしは保護され、憑魔となって逃亡した両親が討伐隊に討ち取られ、その中心にいた大聖母がわたくしを引き取ってくださった。
あの日起きた惨劇の原因が、なんだったのかはわかりません。
ただ一つはっきりしているのは、両親が憑魔となり貴族の使いの方を惨殺したことだけ、ただそれだけでした。
憑魔になるとは、きっとそういうことなのです。
人格そのものが変わってしまう。
優しかった両親を怪物に変貌させるほどに、別のなにかにしてしまう。
別のなにか――いえ、薄汚い生き物未満の魔族という存在に。
〇〇〇
「……ん」
目をひらくと、そこは知らない天井。
どこかの部屋のベッドの上に、リフレは寝かされていた。
「起きた」
「あ……、ニル……。ここは……?」
体を起こすと、ニルが水の入ったコップを差し出してきた。
冷たい水がのどをうるおし、ぼんやりとした思考をクリアにしていく。
「……そう、お師匠さまは――」
「アタシゃここだよ」
部屋の扉を開けて、法衣の老婆がやってきた。
「ずいぶん遅いお目覚めだねぇ、鍛え方が足りないんじゃないかい?」
「お師匠さま……! どうしてわたくしの邪魔をしたのですか!」
「説明したはずだよ。あのまま戦ってもアンタが後悔するだけさ」
「しかし――」
「うだうだ言うんじゃないよ!!」
バシン!!
「うぐっ……」
背中を思いっきり平手で叩かれ、のけぞるリフレ。
オートヒールが修復してくれたため、彼女の背中に赤い手形は残らなかった。
「ちったぁ頭を冷やしな」
「うぅ、は、はい……。と、ところでお師匠様。ここはいったい……」
「安全な場所さ。ひとまずは、ね」
「安全な場所……」
本当に安全なのか、部屋の中を見回してみる。
先ほどまでいたエリアには見当たらなかった、レンガ造りのしっかりとした建物のようだ。
ベッドの作りもしっかりしている。
「さ、もう動けるだろ。会わせたいヤツがいるんだ、ついてきな」
「会わせたいヤツとは?」
「ま、ここの責任者みたいなモンさ。ほら、ぐずぐずしないでさっさと立ちな!」
相変わらずの豪快で手厳しい師匠に苦笑いしつつ、リフレはベッドから立ち上がる。
歳をとってもまったく変わっていない、強さも性格もあの頃の師匠のままだ。
(全てが変わってしまった世界の中で、あなたは変わっていないのですね……)
彼女の存在が、疲れ果てたリフレの心の決して小さくない支えとなっていた。