10 お師匠さま
リフレのよく知る師匠は、40を過ぎた中年の女性だった。
正確な歳を意地でも教えてくれなかったため、外見からの判断ではあるが。
目の前の老婆を師匠だと判断できたのは、面影があったからだけではない。
自分と同じ技を使えるのは、それを教えた師匠だけ。
ましてや、地割れを起こすようなデタラメな威力で放てる人間など、この世に一人しかいないからだ。
「一目でアタシと見抜いたことだけは、ほめてやるよ」
小屋の屋根から身軽に飛び降りると、老婆は手を後ろに組みながら二人のもとへと歩み寄る。
「が、ほめられるべきはそれだけさ。状況は正しく冷静に見極めろ。教えたはずだよ」
「お、お師匠さま……。なぜご健在であられるのですか……?」
「アタシが生きてちゃ悪いのかい」
「め、滅相もありません!」
師の迫力を前に、思わず声を裏返してしまう。
108年も経っているのだ。
師匠が生きていることにはそれなりの理由があるはず。
当然の疑問だったのだが……。
(ま、まぁ師匠ですし……?)
それで一応の納得ができてしまうほど、この師匠は規格外。
老いてなお、技の冴えがまったく衰えていないのだから。
「やぁ、勇者の娘っ子。アンタとも久々だ」
「大聖母……。びっくりだよ、アンタが生きてたなんてさ」
「おちおち死んでいられなくてねぇ」
ライハにとっても、彼女の生存は想定外。
厄介極まりない相手を前に、出方をうかがうことしかできない。
「どうだい、ここはいったん手を引いてくれないかい? 魔王様ともあろうお方だ、何かとお忙しいだろ」
「おあいにくさま。リフレを連れ戻す以上の業務は今んとこ無いね」
「ほう……。つまり、このアタシと戦ろうってか」
ゴゥッ!
老婆の体からほとばしる殺気と闘気。
まるで暴風にさらされたかのような錯覚がライハを襲う。
一触即発、張りつめた空気がただよう中、
「……お師匠様。この魔族はわたくしの獲物です」
二人のやり取りをさえぎるように、リフレが一歩前へと進み出た。
「全ての魔族を殺す、根絶やしにするのがわたくしの使命。魔王ならばなおのこと」
「……アンタ、本当に理解してて言ってんのかい? そいつぁまぎれもなくライハ。アンタの大事な親友ご本人だよ」
「ちがいます! そんなはずない、あり得ない……! 憑魔となった者に元の人格など欠片も残っていないのです」
「思い込んでる……いや、そう思いたいだけだろう? ライハをライハとして殺す覚悟を決めたのなら止めやしないさ。けどねぇ、今のアンタは現実を見ていない。そんなんじゃ戦らせるわけにはいかないよ」
「ちがう、ちがうのです……! でなければ、でなければ父と母はなぜ――」
そこで言葉を区切ると、リフレは左右にはげしく首をふる。
そして、殺意を宿した瞳でライハをにらみつけた。
「止めないでください、お師匠。わたくしの想いと決意を存じているのなら」
「……はぁ、仕方ないねぇ」
了承、そう判断したのだろう。
師匠への警戒を解いたリフレは、ふたたび戦闘態勢をとる。
「お待たせしました。殺し合いを続けましょう」
「殺し合いじゃないよ、あたしに殺す気がないんだもの」
「あなたに無くとも――」
とんっ。
「あっ……」
首筋に落とされた手刀。
音もなく背後にまわった師の一撃が、リフレの意識を一撃で刈り取った。
大聖母は倒れこむ弟子の体を片手で支え、そのまま肩にかつぎ上げる。
「あらら、やっちった……」
「聞かん坊には実力行使さ」
「師匠やってくのも大変だねぇ。……で、このまま見逃すとでも?」
「当然、思っちゃいないね。っつーわけで、押し通らせてもらうよ」
余裕の笑みを浮かべたまま、法衣のふところに手を入れる大聖母。
何か仕掛けてくる、そう判断したライハが身がまえた瞬間。
カッ!!
強烈な光と耳鳴りをさそう甲高い音が、ライハの視覚と聴覚を奪い去った。
「しまっ……!」
目がくらむ直前に目にしたのは、老婆がふところから取り出した丸い玉を地面に叩きつけるシーン。
(おそらくは高音を発する閃光弾……! ごく少数の魔族兵にのみ配備されてるはずなのに、どうして持ってんだ……!)
一歩も動けないライハをよそに、大聖母は物影に隠れていたニナを拾い上げると、風のような速さで駆け出した。
「じゃあねぇ、縁があったらまた会おう。……と、聞こえてないか」
数秒後、ライハが視力を取り戻した時には、すでに三人の姿も気配もどこにも感じない。
「……チっ、逃げられたか」
完全に見失った。
軽くあたりを見回すと、小さく舌打ちしながら剣を背中のさやに納める。
「しかし、まいったなぁ……。あの婆さんが生きてたの、完全に想定外だ。いや、ホントにまいった……」
このままでは全てが狂ってしまう。
この108年が台無しになってしまう。
「それだけは、なんとしても避けなきゃね。あと、あたしのリフレもきちんと返してもらわなきゃ……」




