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太一の異界手帖  作者: 安住ひさ
【本編】ロストミソロジー
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【本編】ロストミソロジー:第十一章 真統記の中②

「京介、いつから上がり込んでた」

 力の抜けたような表情で守屋はその不意の来訪者を見た。京介はその視線を意にも介さずに柔和な笑み彼女に投げかけた。

「ついさっきだ。あまりに返答がないからつい勝手に上がってきてしまった」

「インターホンがあるだろ、インターホンを押せ。はあ、相変わらず自由人だな」

「そう言うな。忙しいお前がいちいち応対する手間を減らしてやったのだ」

「ああ、もういいよ何でも。ほら用があるんだろ、座った座った」

 守屋は力なく手首を振って対面のソファに座るように促したので、京介は大人しく太の隣に腰を下ろした。

「爺ちゃん」

「やあ元気にしてたかな、一」

 小学校を卒業したあたりから会わなくなって久しい祖父。しかし、彼はまるで昨日会ったのかとでも言うような軽い挨拶であった。

「う、うん」

 太はその挨拶にぎこちなく答える。

「で、何だ京介」

「一に力を貸してやってくれないか」

「はあ?」

 友人の前置きもない唐突な一言に守屋は声が裏返る。何故か周りを飛んでいた折り紙の軌道もそれに呼応したかのようにおかしな軌道を描いた。

「おいおいまさか。君は自分達の壮大な事業に肉親の情を入れ込むつもりじゃあないんだろうな。それは美徳かもしれんが、今に限って言えば泥だよ。この偉業に泥を塗るつもりか」

「そんなつもりはない。むしろ逆だ」

「ぎゃくぅ?」

「ああ。こういう時のために『真統記』がある。あれはただ記録して伝えていくものではない。後世の役に立てるために記録していっているのだ」

「ああつまりどういうことだ。文脈が読めん」

「アマアシハラノヒルメが目覚めたのだよ」

 守屋は目を見張る。しかしその後、くくと腹を抱える。

「なあ京介。遂にネタが切れてしまったのか。お前はもう少し捻りの効いた冗談を言う男だった筈だが、どうやらそれは尽きぬ泉の如く溢れ出るものではなく、いつか底をついてしまう貯金であったらしい」

「春。冗談だと思うのならこれに触れてみるといい」

 尚も笑いの止まらない守屋の前に京介は和書を突き出した。

「おいおい、冗談は程々にしておいた方がいいぜ」

「いいから、触れてみなさい」

「……分かったよ」

 守屋はゆっくりとその和書へと手を伸ばした。そしてその紙に書かれた文字に触れた時、守屋の顔から汗が吹き出し、正常な軌道を取り戻しつつあった折り紙が砕け散ってしまった。

 やがて和書からすっかり強張ってしまった手を離し、その手をさすりながら守屋は京介の顔を見た。京介は当然の反応だとでも言うように平静な顔付きをしたままである。

「ここは菅原市か」

「ああ、孫の様子を見るついでに観光しようかと思ったんだがの、偶然にも彼女が一人歩いているのを見てしまったのだ」

「よく分かったよ。”個人的な理由でない”ってことは」

「待って。話が見えない」

 太が二人を制して話に割り込む。

「何だ知らないのか。君の爺さんは、自分の見たこと聞いたことをそのまま文字に書き留めて、他人に見せることが出来るんだ。それで確かに見たよ。”さやちゃん”を」

「そうなんですね」

「ようやく分かってくれたかな」

「はあ、やれやれ。分かったよ分かった。私も協力してやろう。だけど条件がある」


       ○


 守屋邸の近くには外周一キロメートル程度の池があり、その中心には古墳のような小高い山がそびえていた。池には生き物らしい生き物はおらず、山の林はどこか作為的に生えており綺麗に生え揃っていた。

「『真統記』へいたるための端末は一つじゃない。そして一つの端末からは一部の情報にしかアクセスすることしか出来ない。何故だと思う?」

 山へと繋がる石橋を渡る途中、真新しい真紅のトランクケースを手にしていた守屋は太に問いかける。

「それは分散していた方がいざという時に被害が一部ですむからだと思います」

「そうそう、その通りだよ。お利口さんだねえ」

 守屋は太の頭を撫でるが、太は少し顔を顰める。

「たった一つの端末で何もかもにアクセス出来ればそりゃ便利だよ。だけどね、その代わりそれが万が一盗まれちまったら何もかもお終いだ。だから分割する。セキュリティか利便性か、そうするとこの場合、満場一致でセキュリティだよ。どうせ滅多に利用するような代物じゃないんだからね」

 綺麗に整備されて枯れ葉一つない道を歩いていき、やがて麓に行きついた。太は眼前を見ると、そこには十数段程度の石階段があり、それを登った先には石扉があった。

 守屋は歩みを止めることなくその石段をゆったりと登っていく。

「とはいえ、どの端末からでもアクセス出来るものというのがある。それが外篇と呼ばれるもの。こっちはこっちで十分貴重なものだと私は思うけど、まあ見られても差し当たって問題のない部分だ。その証拠に鍵を必要としないし、複雑な手続きだって必要ない。といっても実はそれ、内篇の存在を知らない者から隠すためのカモフラージュでもあるんだけどね」

「カモフラージュ?」

「そうそう。外篇だけ読ませて満足して帰ってもらおうって話。仮に『真統記』の存在を知られてしまっても、内篇と鍵の存在まで気付く者は稀だろうから、大抵の者はこれで帰らせることが出来るー、って想定よ。ま、どっかの魔術師には意味がなかったけど」

 守屋は石段の前でピタと止まると、右の人差し指をクネクネと動かした。すると、重厚に締まり切っていた石扉が重機のような音を立てながら開いていく。

 中に入ると、そこは岩の空洞に作られた高台を思わせる祭壇であった。四方に灯りの灯ったそこの中央奥に神棚のようなものがあり、その前には玉手箱のようなものが置かれていた。

「さて、君がこれから暴こうとするのは間違いなく内篇に属する箇所だ。今回ここに安置されているものでさやに関する情報は手に出来るだろうけど、その前に君がおかしくなっちまわないかが心配でならない」

 守屋は祭壇の中央を過ぎたあたりで歩みを止め、踵を返して太の方を振り返る。

「一ちゃん。手を出して。右でも左でもどっちでもいい」

 太は言われた通りに手を差し出す。すると、守屋は着ていた上着から徐に紐を取り出して太の手首に巻き付けた。そしてまだ十分にある紐の余りを自分の腕に括り付けた。

「これは」

「恋愛的な運命の赤い糸じゃあないぜ。でもま、近い奴だな。魔力を込めて編んだ糸だ。君と私とを繋ぐためのもの。私とはぐれると君がどうなってしまうか分からん。それだけは絶対に避けなければならない」

「どういうことですか? 本の中身を読むだけなんじゃ」

「のんのん。違うねえ」

 守屋は人差し指を立てて左右に振る。

「詠子から受け取ったやつ、色々と悪用されちまったみたいなんで形を変えさせてもらった。んで、『真統記』へとアクセスするとはどういうことかと言うと、とある場所に行くことなのさ」

「それは」

「異界。打ち棄てられた神の住まう場所。この世の理の通じぬまさに魔界だ」

「な」

 太は守屋を見て目を見張る。その呆気に取られた表情を見て、守屋はニヤリと満足そうな笑みをこぼす。

「そう驚くことかな、考えてもみたまえ。神代からの膨大な秘術秘史が納められた代物だ。その情報量は口にするのも憚られるってやつさ。そんなもの、一体この世のどこに保存しておくっていうんだい。いいやそんな場所はないね、だから別の空間にその場所を確保するしかないんだ。それで選んだのが異界」

「そうだったんですね」

「さて、無駄話はここまでだ。最後にもう一回聞くけど、引き返すなら今の内だよ。極力私が君を守るとはいえ、百パーセントの保障は出来ない」

 守屋は太をじっと見る。しかし、やがて「やれやれ」と肩をすくめた。

「愚問です、っていう顔だね。よしよし、分かったよ。じゃあ私がするべき質問はこれだ。準備はいいかい」

「はい、バッチリです」

「よろしい。では、行くよ」

 守屋が呪文を唱えながら手をかざすと玉手箱がひとりでに開き、そこからもくもくと煙が上がっていった。


 気が付くと、そこは見覚えのある風景であった。大学生が道を行き交い、原付きを引いていく学生がいて、近隣の住民と思しき人がたまに闊歩している。

「あれ、僕は何でここに」

 さっきまで自分は石室の中にいて、異界? へと向かった筈。太は周りを見渡す。

 間違いなくここは菅原大学のキャンパスであった。

「太か」

 太が振り返る。そこには、大学の同級生が立っていた。

「み、しま?」

 太は唖然とした表情で歩み寄ってくる同級生を見た。同級生は怪訝な顔をする。

「なんだ、どうした。俺の顔に何か付いてるか?」

「いや、別に何も。それより三島、ここって大学だよね?」

 夢、にしてははっきりとした実感がある。あっちが夢だったのか、それともこっちが夢なのか。これではまるで胡蝶の夢だ。

「はあ、当たり前だろ。お前大丈夫か。疲れてるんなら無理すんなよ?」

 ……め。

 声が聞こえる。

「ううん、確かに疲れてるのかも」

 ……じめ。

 この声は確か。

「そっか。じゃあ送ってってやるよ。ちょうど今姉が来ててな、車があるんだ」

「なんだ大袈裟だな。気持ちは有り難いけどいいよ」

「無理すんな。大人しく乗ってけ」

「……分かったよ。じゃあお言葉に甘えて」

 はじめ!

 頬に刺すような熱い感覚が奔った。自分は頬をはたかれたのだと間もなく気付く。

「おい、一! 戻ってこい」

「えっ」

 気が付くと、目の前には守屋の顔があった。

「よかった。無事そうだ」

「えっと。守屋さん」

「ああそうだ。守屋だよ」

 ふう、と守屋は安堵の息を漏らす。

「すみません。夢を見てたみたいです」

「夢?」

「はい。大学の友人と会ってる夢です」

「いや、夢ですらないね」

「どういうことですか?」

「一、お前は早速惑わされたんだよ。『真統記』の防衛機能に」

「そんな。何の脈絡もなく」

「そんなもんだ。私は何ともなかったが、なるほど。鍵であっても手心なしか」

「ありがとうございます。早速再起不能に陥る所でした」

「何、礼を言われる程のことでもない」

 太はゆっくりと立ち上がって周りを見回す。

 下は板張りの広くて暗い空間で横を見回すと欄干、その奥は岩壁。天井は高かったが、やはりそこも岩壁である。洞窟の中に寝殿造りの建物がまるまる入っているようだ、と太は思った。

「ここが異界」

「正確には異界の中にある『真統記』の中だな。といっても、これだって『真統記』のごく一部の面にしか過ぎないんだけどさ」

「そうなんですね。守屋さん。これからどっちの道を行けばいいんでしょうか?」

 太が前方を見ると、道が二つに分かれている所があった。

「ふむ、そうだね」

 そう言うと、守屋は腰に提げていた巾着から徐に羅針盤のようなものを取り出した。

「ああ、そうだね。右の方みたいだ。早速行こう」

「はい」

「一応紐でくっつけてるけど、極力私から離れないようにしてくれよ」


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