【本編】ロストミソロジー:第十章 ムーンチャイルド③
「とまあ、こんな所かしら。どうかしら?」
望月は対面に座って聞き入っていた太に語りかけた。太はハッとして顎に手を当てる。
「どうかしら、と言われましても」
「あら、あんまり面白くはなかった? 残念ね。話のネタの役くらいには立つかと思ったのに」
「いえ、そんなことはないです。そんなことはないのですが、ちょっと頭が追い付かないというか」
「ごめんなさい。あまり話は上手くないから、ちょっと唐突過ぎる所があったのね」
「いえ、話は分かりやすかったです。頭が追い付かないというのは、そういったものではなくて、何といいますか、浮世離れしていて」
「ふふ、まあ今無理に理解しなくてもいいのよ。こういうのは時間が経てば少しずつ頭に入ってくるものだから」
さやは一体どこまで知っていたのであろうか。太は考えた。さやが何を考えているのかは知らないが、事実だけ追っていけば、望月は月の人達に思う所があって、そのためにさやについていくということも考えられないではない。だからこそ望月に誘いをかけたのであろう。しかし、話を聞く限りでも望月が殊更何かを企んでいるとは思えなかった。たとえ、今の話に偽りが含まれていたとしても彼女はそんなことをするような人ではない。太はこれまで見てきた望月の人となりを反芻しながらそう思った。
翌日、深夜に帰宅した太は北宮神社へと足を運んだ。昨日の今日で望月が心配であったためだ。
社務所の戸をくぐって中に入り、太は望月の名を呼んだ。
しかし、返答がない。その後も何度か呼んでみたが、返答はなかった。ひょっとして、何処かに出かけてしまったのだろうか。太は広間への戸を開けた。
「あれ」
広間の机に白い紙切れが置かれていた。特にこれといって変哲もない、据え置きの電話機の横にでも置かれているような正方形のメモ書き用の紙。
太はそれを手に取ってそこに書かれていた文字を見た。
「望月さん」
太は少しの間、そこに書かれていた文字を何度も追いながらそこに立ち尽くしていた。
○
「太さん! 詠子さんがいなくなったってどういうことですか!?」
神社に着くなり、広間へとそそくさと入っていった弓納はまくし立てるように太に詰め寄った。
「弓納さん。近い近い」
「あ、すみません」
弓納はきまりが悪そうにそっと引き下がる。
「本当にいなくなっちゃったんですか?」
「ごめん、ちょっと大げさだったね。実はこんな書置きがあったんだ」
太はポケットに入れていた紙切れを弓納に渡した。弓納はそれを広げて中に書かれている文字を見た。
ごめんなさい。ちょっと神社空けます。泥棒とか入らないようにしてるから、そこら辺は安心して頂戴
「まさかこんな時期に旅行に行くなんてことは考えられないから、ちょっと不安になったんだ」
「そう、ですね。旅行に行く時はいつも代理を誰かに頼んでもらってましたし」
「こんなことは前にもあったのかな」
「いえ、私は初めてです、それでしたら――」
「前にもないことはなかったな」
閉め切った障子の向こうから男の声がした。障子が開かれると、そこには天野が立っていた。
天野はいつものように気だるげそうに部屋の中に入ってきて自分の定位置へ「よっこいしょ」と腰を下ろした。
「天野さん。今まで何処に行ってたんですか!?」
今度は太が天野に詰め寄った。天野は慌てて手を振る。
「ああ、すまんすまん。ちょっと望月と気まずくなっちまってな。ほとぼりが冷めるまで神社に寄らないようにしてたんだ。そしたらこれだ」
天野は弓納の方を見た。弓納はじーっとしった目で天野を見ている。
「あのな、何十回も電話をかけないでくれよ。流石にまいっちまった」
「いつまでも引きずって来ないからいけないんです。貴方のような人はこうして無理やり来させないと来てくれませんから」
「あ~、もしかして怒ってるか?」
「いいえ、別に」
しかし、その声の奥には怒気がこもっているのを感じた天野は思わずたじろぐ。
「いや、本当に悪かったよ」
「そうですか、分かればいいのです」
少しだけ弓納が機嫌を取り戻したようで、天野はホッと安堵した。
「いくらか事情は分かりました。それで、前に望月さんがいなくなったというのは」
「そうだな。前は仕事の時だ。何ていうのか、詳しく聞いてないこともあるんだがあれは神職としての仕事のような、客士としての仕事のような、どちらともいえない感じの仕事だったな」
「それが何故ここを空ける理由があったのでしょうか?」
「何故ならそれは珍しく遠方からの依頼だったからだ」
「遠方?」
「ああ。これも理由はもうよく覚えていないんだが、その地方には前から怨霊だか神様だかを鎮めるための神事があったみたいなんだ。が、それを取り扱うための神職の人が立て続けに事故や病気で亡くなってしまって、正しいやり方が途絶えてしまってたとか。それで誰かそのやり方を知っているのがいないか探していたらちょうど望月がその方法を知ってたんだとよ。まあ今思えば不思議なことだったが、その時に今みたいな書き置きを残していったな」
「そうだったんですね」
「でもま、こんな時に姿を消すのは妙だな。さやちゃん、か。あの子が絡んでるとしか思えないが」
さや、という単語を天野が発した瞬間、場の雰囲気に微妙な緊張感が走るのを天野は感じた。天野は後ろ髪をかきながら、「ああ、なんだ」と二人に語り掛ける。
「これからどうするかを考えよう。望月だって考えなしに動く奴じゃないんだ。さやだって、なんかやばいことのために目覚めたとは限らんだろう。ほれ、もっと前向きになろうぜ」
「ふ、ふふ」
弓納から笑みがこぼれた。天野がそれを見て困惑する。
「な、何が可笑しいんだ、弓納」
「いえ、天野さんがそんなことを言うなんて珍しいな、って思っただけです」
「あ、あのな。俺だって人の心を持ってるつもりなんだ。はあ、変な気遣いなんか見せるんじゃなかった」
「いいえ、ありがとうございます。元気出ました」
「へいへい、どういたしまして。それで、これからどうするかね」
ふと天野は太を見た。すると、太は顎に手をあてて下の畳をじっと見つめていた。
「どうしたんだ、太君」
言われてハッとした太は顔を上げる。
「いえ、何でもない」
「ってわけじゃないんだろう」
「えっと、はい。まあちょっと考え事です」
「何だ。話せないことなら別にいいが」
「さやのことについて、ちょっと調べてみようかと思いまして」
天野は首を傾げる。
「ん、調べるったって心当たりがあるのか」
「ええ。調べられるかどうか分からないのですが、もしかしたらさやについての手がかりが掴めるかもしれません。さやが何をしようとしているのか、あるいはさやを利用しようとしている者が何を企んでいるのか。さやを、どうすれば止められるのか。僕の出来ることも少ないですし、そっちの方をあたってみようと思います」




