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太一の異界手帖  作者: 安住ひさ
【本編】ロストミソロジー
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【本編】ロストミソロジー:第六章 炎の巨人②

「は~む。うんうん、よい、よい!」

 中心駅である菅原駅から北に広がる旧市街、その一角にある喫茶店「あんくる」にて、勘解由小路は呑気にイチゴの載ったショートケーキを頬張っていた。

「労働の後のご褒美は格別ね。これだからお勤めは楽しい」

 横にあるコーヒーに角砂糖を二つ入れ、カップを口に持っていく。

「さてさて」

 勘解由小路はメモ帳を広げてそこにペンを走らせる。

 自分の縄張りで天野を逃してしまった後、勘解由小路は市内散策を満喫しつつ、さやを置いて天野の探索を優先していた。先ずは可能性の高い大学を当たってみたが、流石に昨日の今日だからか大学には顔を出していなかった。次に一般人を装って北宮神社なる場所に足を踏み入れてみたが、どうやらそこにもいないようだった。

 すぐに万策尽きてしまったが、勘解由小路は特にそれを気にしてはおらず、むしろ、その状況を喜々として受け入れていた。

 探偵ごっこ、その言葉は単純明快な彼女の胸を熱くした。何気ない痕跡が何処かに在るはず。その手がかりを探し出して、あぶり出してやろう、勘解由小路は心に誓っていた。

「はー、エネルギーよし。さて、再開しますかね」

 勘解由小路晴は店を後にして夕暮れに染まる通りを歩き出す。

 関東の高校に通う高校生である。よって、平日である本来は学業に励むべき時であるが、彼女は高校に家庭の都合ということで少しの間休学届けを出していた。実際の所、当たらずも遠からずといった所であったが、彼女は仕事とはいえ息抜きも兼ねてと折を見てはしょっちゅう街の散策に興じていた。

「おや」

 前方の通り沿いにある小さな広場。そこのベンチに小学校低学年程度の女の子が泣いていた。

 勘解由小路は栗色の髪をした少女の傍へと歩いていく。

「どうしたの、お嬢さん」

「ひっく、ひっく。あのね。お父さんに会いに来たのだけど、迷っちゃって」

「ああ、それは不味いね。お嬢ちゃん、名前は?」

「さかしたゆき」

「じゃあゆきちゃん、携帯とか持ってないかな?」

 少女は首を横に振る。この頃は安全のために子供に携帯電話を持たせる家庭も増えてきたが、どうやらこの子は持ってはいないらしい、と勘解由小路は一人納得した。

「さてさて、どうしたものか」

 うーん、と唸る。そうして考えあぐねていると、少女が勘解由小路の袖を弱々しく引っ張った。

「あの、大学」

「へ、大学?」

 勘解由小路が言うと、少女は「うん」と小さく頷いた。

「すがわら大学、に行きたいの。そこでお父さんきっと待ってるから」

 すがわら大学、勘解由小路は自分の知識を総動員させる。確か、市内にある大学だった筈。

「菅原大学ね。それって海の方と山の方、あと街中にもあると思うのだけど、何処に行きなさいってお父さん言ってたかな? 分かる?」

 菅原大学のキャンパスは市内に点在しており、海岸沿いと山の手、そして街中の三つが存在する、と勘解由小路の知識は訴えていた。どこかに間違えて行ってしまうと多大な時間の無駄になるので、出来れば、どれかは絞り込んでおきたい。キャンパスまで行ってしまえば、駐在している守衛の人なりに伝えれば自ずと父親と落ち合えるだろう、勘解由小路はそんなことを頭の中で巡らせる。

 少女は少し弱々しい口調で言った。

「えさきキャンパスって言ってた」

「ふむふむ、えさきキャンパスね」

 確かそこは海に面したキャンパスで研究施設ばかりの所だった筈、と勘解由小路は自らの知識を再び手繰り寄せる。

「よし、そこまで来れば分かるかも。お姉さんに任せなさい。菅原大学よね。そこまで連れてってあげるわ」

「い、いいの? お姉ちゃん」

「大丈夫大丈夫。大船に乗った気でいなさいな」

「うん、ありがとう!」

 少女は満面の笑みをその顔に浮かべた。


       ○


 市内に三つある菅原大学の江崎キャンパスに着いた頃には夕日はとうに落ちてしまっており、辺りはすっかり暗い夜の色に染まっていた。門から見えるキャンパスの中は夜ということもあってか所々電気は付いているがまるで人気はなく、まるで廃墟一歩手前のような寂しさに包まれている。

「さ、着いたよ。お父さんがどの建物にいるか分かる?」

 キャンパス内に悠然と聳え立つヤシの木と思しきものを尻目に勘解由小路は手を繋いでいた少女に語りかけた。もしかしたら以前キャンパス自体には連れてきてもらっている可能性があるから、父親が建物の中の何処にいるのかは把握しているかもしれない。

 すると少女は手を離し、静かにキャンパス中へ小走りに入っていった。勘解由小路も慌てて後を追って入っていく。

「ちょ、ちょっと待って、ゆきちゃん。ここってそれなりに広いだろうから、迷子になっちゃうかも」

 整備された石畳を少女は迷う事無く進んでいく。その様子を見て、勘解由小路は場所は分かっているようだと走りながら少し胸を撫で下ろした。

 しかし、その安堵も束の間、何故か少女は建物ではなく、運動場と思しき広場に入っていった。勘解由小路は怪訝な顔をして運動場に足を踏み入れた。

「ゆきちゃん。何でこんな所に?」

 まさかここで父親と落ち合うという算段ではあるまい。疑惑の晴れぬまま広場の中心に立ったまま微動だにしない少女に手を伸ばそうとする。

 あれ?

 こんなにこの子大きかったっけ?

 少女の方に伸ばそうとした手はその肩のあたりに触れようとした。しかし、その少女が一歩前に進んだことでその手は空を掴むことになった。

「残念だけど、ここに私のお父さんはいないわ」

 その少女は振り返って言った。勘解由小路は目を見張る。

 それは、小学校高学年か中学校初学年程の長い黒髪をなびかせた美少女だった。

「騙してしまってごめんなさいね。これは簡単な幻術よ」

「ああ、そういうこと。すっかり油断してたよ、ゆきちゃん。これは誰の差し金かな?」

「それもごめんなさい。私の名前は坂上結。さかしたゆきではないわ」

「あちゃー、色々騙されてたわけね。穴があったら入りたいよ」

 そう行って勘解由小路は少し誇張気味に頭を抱える。

「それで、改めて聞くけど誰の差し金なのかな?」

「俺だよ、勘解由小路さん」

 勘解由小路は振り向いた。そこにはいつからいたのか、天野が立っていた。

「ご苦労様だ、結ちゃん」

「いえいえ、困った時はお互い様」

「なるほど。飛んで火に入る夏の虫、っていうのかな。これは」

「さてと。一応聞いてみるが、俺のことを放っといてくれる気はないかな?」

「断じてない」

 勘解由小路は人差し指で天野を指差す。

「嬢ちゃん。ここにはあんたの陣もない。そんな状態で一体どうするつもりだ」

「別にどうということもないです。それでも貴方をのすくらい造作もない」

 そう言うと、少女はその人差し指で空に何かを書くような仕草を見せた。すると、その書いた場所に文字のようなものが浮き出て、それは目に見えるような空気の塊へと形を変えていった。

「ルーン魔術の真似事か」

「まさか陣がなくなったら何も出来ないなんて思ってないでしょう。行くよ!」

 生成された空気の塊をデコピンで弾いた。その空気の塊は弾け、豪風となって目の前の的目掛けて襲いかかった。

 天野はすかさず手を前に翳す。

 フミツカミ。呪力のこもった文字によって超自然的現象を起こす力。天野はそれを翳した手の平から解き放ち、自分の目の前に結界を作った。

 相手の体を砕かんとする程の豪風は結界によって脆くも雲散霧消し、周囲に砂嵐を巻き散らした。

 勘解由小路は既に次なる行動に移っていた。彼女は天野が結界で第一撃を防いでいる間に後ろに回り込み、内に忍ばせていた伝説の獣を象った紙を投げつける。紙はみるみる内にその形を変え、本物となんら変わりない形となって天野に襲いかかった。

「偽神の法ってやつよ。防いでみなさい!」

 グリフォン。古くはギリシャ神話にも登場する伝説の獣。それが、今まさに天野の上に覆い被さろうとしていた。

「ふんっ!」

 しかしそれは次の瞬間、首元を両断され、その勢いで横に吹き飛ばされてしまった。それは血飛沫を上げることもなく、やがて首元が千切れた紙へと戻っていった。

「張りぼてじゃ、いくら獰猛な獣でも役に立たんぜ」

 天野は手に斧を持っていた。

 それを見た勘解由小路は歯ぎしりをしながら笑う。

「フミツカミ、とかいうやつね。それは私が受け継いだライブラリには存在しない。まあ当然よね、千年以上前にはもう”無くなった技術”、なんだもの」

「教えてやってもいいぜ。ただし」

「諦めたら、とか言っちゃうのでしょう?」

「察しがいいな」

「断固拒否です。第一、教えてもらって使えるようなものとは思えない」

「そうか、残念だ。じゃああんたには痛い目にあって反省してもらうだけだ」

「……構えなさい」

 勘解由小路は内ポケットから二つのペンを取り出して投げた。放たれたペンは一人出に動き始め、彼女を中心にあっという間にグランドに紋様を刻んでいった。

 紋様は刻まれていった先から赤白く光っていく。

「なんだ、今度は何をするんだ」

「我が名は勘解由小路の晴。この身は塵芥の如き極小の点なれど、いやしくも大命を拝しジンムが兵。覚悟せよ、人身やつす神の徒よ」

 赤白く光っている紋様から巨大な剣を持った大きな右手が這い出てきた。次いで左手、顔、ヴァイキング風の鎧を纏った胴体と腰、そして足。

 それは、三メートルを優に超える炎の巨人であった。

「まじかよ」

「ここからが本番よ。行きなさい、ムスペルヘイムの巨人よ」

 巨人は跳躍して天野の目の前に着地したかと思うと、手に持っていた大剣を振りかざし、天野目掛けて振り下ろした。天野は手にしていた斧で真正面からそれを受け止める。

 地面はまるでアップルパイの生地の如くに砕け、上空高くまで砂塵が舞い上がった。

「ちっ、今度は張りぼてじゃねえな」

 これは式神だ。”ちゃんと元がある”。だが、元が規格外だと、天野は瞬時に悟った。

「神霊だよ。神様に式を施した。巨人の式だから結果あり方が真反対になっちゃったけどね」

「へえそうかよ」

 巨人は刀を振り上げ、横に薙いだ。天野は自分の得物でそれを防ごうとしたが、その剣圧に足の踏ん張りが効く筈もなく、豪速球の速さで吹き飛ばされてしまった。

「やれやれ、色々と無茶苦茶するから、本体の良さが活かせていないようだな。お陰で助かったぜ」

 天野は斧を構えていた。巨人は様子を窺っていたが、間もなく天野目掛けて突進する。

 辺りに静寂を打ち破る剣戟が響き渡る。勘解由小路は、そんな彼らの攻防をまるで他人の如く眺めつつ、横目に近づいてきた少女へと意識を集中する。

「神霊である素体に相反する存在、しかも異なる神話体系である巨人の式神を降ろすなんて馬鹿なことをしたものね。貴方あれを十分に制御出来ないんじゃなくて?」

「結ちゃん、だっけ。グランド包み込んでるこのやんわりとした結界貼ったの貴方ね」

「そうよ。こんな所で派手に暴れられたら近所迷惑ですから」

「お気遣い痛み入るわ。ついでに言っておくと、傷付かない内に大人しく帰りなさい」

「貴方は今あの巨人に自分の(リソース)のほとんどを割いている。それなら」

「それなら、何かしら」

 確かに、あの巨人を稼働させるために力の大部分を割いてしまっている。だが、それが何だというのだ。

「お嬢ちゃんじゃ私に傷一つ付けられないわよ。さ、いい子だから大人しくお家に帰りなさいな」

「そうね。もう少し観戦してから帰ることにするわ」


       ○


 十数分が経過した。

 依然、巨人からの猛攻を天野は防ぎ続けていた。

 天野から巨人に対しての反撃は殆どない。傍から見れば、いずれ天野が蹴散らされてしまうのは明白であった。しかし、勘解由小路は時間の経過と共にその表情を徐々に固くしていった。

 うっそでしょ、勘解由小路はポツリと呟いた。背筋を嫌な汗が伝っていく。

「ここまで保つなんて、信じらんない」

 勘解由小路は歯ぎしりする。自分の見立てでは、とっくにこの戦いに決着は着いている筈だった。なのに、目の前の光景は自分のその見立てを嘲っているかのよう。

「どうしたのかしら?」

 結と名乗った少女の声がした。勘解由小路はハッとして横を振り向く。

 少女はラグビー用のポールに寄りかかって本を読んでいる。本を殆ど横に傾けているので、何を読んでいるのかは判然としない。

「別に、何でもないよ。それにしてもさ、結ちゃん。まだ帰ってなかったのね」

「ええ、折角だから終わりまで居ることにしたわ」

「止めといた方がいいよ。おじさんの非道い姿を見るかもしれないからさ」

「さて、それはどうかしら」

「そう。じゃあもう止めないよ」

 高い金属音が響いた。天野が持っていた斧が中高く舞い上がっている。

 とった、勘解由小路は確信した。

「Zerquetsch≪叩き潰せ≫!」

 巨人がその巨大な剣を大きく振り上げ、天野目掛けて振り下ろす。

 終わった! 勘解由小路はホッと息をつこうとした。

 しかし、勘解由小路は目の前の光景に目を丸くした。

 墨状の鎖。それは炎を纏う魔人に絡み付き、その自由を封じてしまっていた。鎖の元は天野。彼は額から血を流し片腕を抑えながら地面に膝を付くという、いかにも満身創痍といった様子であったが、手から伸びた怪物を押さえつけるその鎖を力強く握りしめていた。

「な、何で」

「ありがとよ、嬢ちゃん」

「え」

「これを待ってたんだよ。あんたが勝利を焦ってこいつに命令する時を」

「は、どういうこと」

「俺は姑息なんでな、少しずつこの鎖を地面に仕掛けてたんだ。で、あんたが命令した途端大振りと来た。こういうやつは命令されたらその作業が終了するまで別の動き出来ないだろ。だからそこで一気に巻き付けてやったんだよ」

「巫山戯てる。無茶苦茶だ」

 勘解由小路はその様子に困惑しながらも、相手の様子を窺った。どうやら、あれで精一杯らしい、そう彼女は確信する。

 ではどうするべきか、勘解由小路は迷った。自陣の中ならいざ知らず、こんな空間内ではいつまでもあの巨人を出し続けられない。

 今もこうして確実に自分の魔力は枯渇へと近づいていっている。では天野はどうなのか? 見たところ今にも力尽きそうな状態だ。ならば根比べといくべきか。勘解由小路は内ポケットに戻していたペンを地面に差す。

 性質探査(スキミング)。相手の基本ステータスを調べるためのこの技術は有用性が低いことから殆ど使われなくなってしまったが、こういう身動きが取れない相手のスタミナを図る時には役に立つ。

「……は、嘘でしょ」

 勘解由小路は戦慄した。やはり自分の見立て通りだ。この男、許されるなら後一ヶ月でも、いや、下手をすれば一年でもこの膠着状態を続けられるだろう。

 待っているんだ、私が力尽きるのを。今は、私が力尽きた後の事後処理でも考えてるんだろう。

「そうはさせない」

 思い通りになってたまるか。勘解由小路は巨人に割いていた力のいくらかを自分に戻し、足元に魔力を集中させる。

 直接天野を叩く。何かを隠し持ってるかもしれないが、そんなことは関係ない。むしろ危険なのはこのまま事の推移を見守ることだ。それは、確実に勘解由小路を敗北へと導く。

 やらなければ。決心を胸にふと勘解由小路は横目で黒髪の少女を見る。そして、少女が何か言っているのが分かった。

 足元に気をつけなさい。

 何の意味か理解出来なかった。いや、理解する必要もないのだろう。どうせ自分を混乱させるための意味のない情報なのだから。

「Flieg≪翔べ≫!」

 彼女は真横に跳躍した。それはさながら、ハヤブサの如き速度であった。

 天野はそんな勘解由小路を一顧だにしない。彼女はこの状況においてまるで自分が軽んじられているかのような感覚を覚え、そして苛立たしく感じた。

 上等じゃないの。だったら、痛い目見るといいわ。勘解由小路は拳に魔力を集中させ、天野の目の前に着地してその渾身の一撃を男に叩き込もうとする。

 覚悟しろ! 勘解由小路は拳を前に突き出した、筈だった。

「あれ」

 勘解由小路の視界は上空を向いていた。何で? 勘解由小路はその意味が解せなかったが、視界の端に捉えた黒髪の少女の本が光っているのを見て、ようやく理解した。

 だから、言ったじゃない。

「謀ったな、この美少女め」

 勘解由小路は口惜しそうにぼそりとそう呟いた。


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