【本編】ロストミソロジー:第四章 影、暗雲①
「はあ、何でまたこんな下らないことするのかねえ」
穏やかな昼下がり。駅近くの駐輪場で、坂上はぼやいた。
最近多発しているのは殺人事件でも強盗事件でもない。目的の読めない窃盗事件であった。
市内各地の駐輪場で自転車からペダルやサドルが抜き取られるという、なんとも他愛のない事件。盗まれた本人には申し訳ないが、こんなことをして一体何が面白いのか、坂上は依然理解に苦しんでいた。
事の発端は最早分からない。そもそも、以前にもペダルやサドルが抜き取られるようなことはたびたび起きていたから、そこを追求することに大した意味はないであろう。個人でやっているのか、集団でやっているのか分からないが、現行犯で抑えてしまい洗いざらい白状させればいいだけなのだ。
「ああ、もしかして金にでもなるのか?」
坂上はあまりそういったことは分からない。警務にあたる者としては是非ともそうした社会の事情に精通しておくべきなのであろうが、それにしても、ペダルやサドルといった部品単位で営まれる市場にまでは手を出したことなどなかった。売るならば、普通は自転車単位でだろう、坂上はそう思っていたし、だからこそこの不可解な現象を理解できないでいた。
見張りの警官が戻って来たのを見ると、坂上は警官に特に何もなかったことを伝え、調査事項をまとめたメモをコートの内ポケットにしまってその場を後にした。
世の中にたまに起きる珍妙な事件。多くはやはり人間の過ぎた悪戯が原因であるが、いくつかは未だその謎を解明出来ていない。
だが、坂上は思うことがある。そういった事件はひょっとして”妖怪”なぞの仕業なのではなかろうかと。馬鹿馬鹿しいとは思うが、実際にそういった類の連中と関わってきたことのある今から考えると、それも現実的な範疇として考えられた。
「っといけね。あんまそういうことに染まっちゃいけねえか」
坂上は頭からそれを振り払い、ロータリーの前まで来た。平日の昼、そこをゆく人々は少なく、営業で動き回っているらしい壮年の男性や、暇を持て余しているらしい大学生らしき若者をちらほら見かける程度であった。
何の変哲もない日常。そんな中、一つだけいつもと違う者がそこを歩いていた。
外国人と一目で分かる程に綺麗なブロンドと顔立ち、そして透き通るような白い肌。ピンとした背筋に長身、そしてその洗練された無駄のない歩き方からおそらくモデルなのだろうと思われたその女性は、背にコントラバスがまるまる入りそうな程の大きなケースを背負っていた。
観光客か、坂上は思わず目を奪われてしまった。しかし、あんなごついケースを背負って、一体何処に行こうというのか。
「え、エクスキューズミー」
坂上は思わず話しかけていた。典型的な日本人よろしく英語はほとんど話せない。しかし、ケースの中身が不安になって仕方がなかった。この目で中身を確かめるまでは安心出来ない。
「はい、何でしょう?」
返ってきた返事は日本語。それも、外国人特有の訛りがないネイティブ並のレベル。坂上は頭の中で必死に英文を組み立てていたのを止め、日本語で話しかけた。
「申し訳ありませんが、捜査の一環で、差し支えなければその背に背負っているケースを確認させていただけないでしょうか?」
一体自分は何をやっているんだろうと思いながらも、どうしても中身を確かめなければという思いに囚われた坂上は迷わず警察手帳を取り出した。
少しの沈黙の後、女は徐ろにケースを取り出し、坂上にそれを渡した。
「はい、どうぞ」
ケースを受け取ると、慎重に中身を開いた。
詳しく検分するまでもなかった。中にはこれと言って変哲もないコントラバスと思しき楽器があるだけ。弓やその他楽器に必要なものらしい道具以外に何か目ぼしいものがあるわけではない。コントラバスの中身は気になったが、暴いたところで何もあるまい。
坂上は道具を元のように丁寧にしまってケースを閉め、元の持ち主に返した。
「ご迷惑をおかけしました。大変失礼ながら何か中に入っているのではないかと疑ってしまったのですが、それは間違いでした。度重なるご無礼、どうかお許しください」
坂上は罪悪感に駆られながら深々と頭を下げる。
「いいえ、気にしてませんわ。横柄な態度で来られたらちょっと抗議でもしてやろうかと考えたけど、徹頭徹尾礼儀正しく丁重にしてくれたから、何も言い返せませんね」
女は踵を返して手を振った。
「それじゃあね、刑事さん。お勤めご苦労様」
「ああ、どうもありがとうございます。お気をつけて」
そうして男からすっかり離れてしまった後、女はボソリと呟いた。
「全く、勘がいい刑事さんね。少し背筋がひやりとしたわ」
○
女はベイシティの外れにポツンと立つ七階建ての雑居ビルの中に入っていき、灰色の殺風景な階段を登っていく。そして、一番上の七階まで登りきるとすぐ目の前には自動販売機、その横手に中が見えないガラス張りのドアがあった。女は廊下の脇にそっけなく置かれている電話機には目もくれずそのドアを開け放って中に入っていく。
中は長方形の空間。乳白色の壁紙が貼られた部屋の真ん中にはこれといって特徴のないソファとテーブル。奥には質素なテーブルとオフィスチェア、そして老成しきったかのような雰囲気をまとった中年の男が座っていた。
「久しぶりだな。バルバラ」
「ええ、久しぶりデスね。ショウイチ」
「わざとったらしい訛りはしなくてもいいよ」
「たまにしたくなるのよ。いかにも外国人っぽくていいじゃない」
バルバラと呼ばれた女は言った。
「それで、久しぶりに故郷の土を踏んだ気分はどうかな?」
ショウイチと呼ばれた男がバルバラに問うと、バルバラは「さあ」と曖昧な返事を返す。
「故郷といっても、自分の祖先のってだけで、私の故郷じゃないもの。そういう感慨はわかないわ。今回のことだって、義務感みたいなものだし」
「そうか、それは残念だ」
「ところで、そこにいる彼を紹介してくれないのかしら?」
バルバラは壁際にいつの間にか立っていたそれを見ながらいった。バルバラは彼といったが、それは黒衣を纏っており、実際の所その中身が男であるのか女であるのか判別することは出来なかった。
「ああ、彼は今回協力してくれることになった者だ。私は彼を勝手にファントムと呼んでいる」
黒衣のそれは、バルバラの方を向くと軽く会釈をした。バルバラはそのフードの中身を垣間見たが、それは劇場で使われるような仮面を着けており、その顔を窺い知ることは出来なかった。
「ファントムと呼んでいる? どういう意味かしら」
「そこの御仁は自分の名を明かしたくはないということだ。好きに呼んでほしいと言われたので、仮にファントムと呼ばせてもらっている。まあ、見たままの印象で付けた名だがな」
「ふうん、そう。じゃあ私もそう呼ばせてもらうわ。よろしくね、ファントム」
その挨拶にファントムは軽い会釈で返し、また元のように置物の如くそこに佇んだ。
「それで、ショウイチ」
「何だね」
「貴方はそれでいいのかしら?」
「というのは?」
「折角築いた地位、名誉、信頼。得たものは一杯あるでしょうに。酔狂なものね」
来客用と思しきソファに深々と腰を下ろしながらバルバラが言うと、男は口元に微かに笑みを浮かべる。
「構わないさ。そんなものは、この目的の前には取るに足らないものだ。いやそもそも、この永い年月は全てそのための布石であった」
「へえ。凄いわね、その根性、というか忍耐力。あるいは執念?」
「別に大したことじゃない。目的のために今は我慢するというのは誰もがやってきたことだ。単に私の場合はそれを代を重ねてやってきたに過ぎない」
「ふうん、まあいいわ。それにしてもまあ、これから大事になるというのに随分と少人数よね。本当に大丈夫?」
バルバラは辺りを見回しながら言った。
「私達は戦をしにきたわけではないのだから、このくらいの人数が丁度いいんだ。人数を増やすと”彼ら”に勘付かれてしまうからな。それに、一度事が成功すれば難色を示していた者達も呼応するだろう」
「その根拠は?」
「実際に行脚しての感触だ」
「あら何それ、貴方にしては適当じゃない?」
「いいや、適当でない。確信がある」
「まあそれもいいわ。どうせ私はこの件が済んだら降りさせてもらうつもりだし」
「先ずは儀式の成功。全てはそれからだ」
そうして、窓の景色を見やりながら男は「さや」と呟いた。
○
「おかしい」
望月は呟いた。ここ数日、天野からの連絡が一切ない。元々、連絡をこまめに入れるような男ではなかったが、珍しく積極的にさやのことを調査し始めたのだ。そろそろ何かしらの調査を入れる頃合いの筈。
望月は社務所の入り口付近にある電話機に手をかけた。天野の電話番号を押していき、電話がかかるのを待つ。しばらく待つと、「はい、もしもし。天野だ」という呑気な返事が帰ってきた。
「天野君、今何処で何をしているの?」
「何だ、いきなりどうしたんだ」
「何も連絡をよこさないから心配したんじゃない」
「そうは言ってもな、いつもそんなに連絡なんかしてないじゃないか」
「まあ、それはそうだけど。いいえ、そんなことより貴方今何処で何をしているの?」
「何処って、市内某所でお茶を啜ってるよ」
「はあ、そう。ねえ、ところで何で神社に顔を出さないの?」
「今ちょっと立て込んでて忙しいんだ。落ち着いたらまた顔を出すさ。それより、さやちゃんの様子はどうなんだ」
「特に変わったところはないわ。いつも通りよ」
事実さやは相変わらずであった。最近は家事に励んでおり、望月は全部はしなくてもいいと言ったが、さやは「いえ、居候の身なのですから、これくらいはやります」と言って聞かない。彼女はどうやらこれまで家事らしい家事はやってこなかったのだろうと思われ、何をするにも最初はぎこちなかったが、要領がいいのか、あっという間にコツを掴み、やり方を覚えていった。
「もしここで引き取るようなことになったら、ちゃんとした教育を受けさせてあげないといけないけど。それにしてもあの子ね、驚くほど頭いいわよ。将来が楽しみね」
「ああ、そうか。何もないようで何よりだ」
「え? どういうこと?」
「じゃあまたな。その内また顔を出すから、こっちから連絡する」
そう言うや否や、望月が取り付く島もなく天野は電話を切ってしまった。
ツーツーと相手不在の信号が鳴る中、望月は天野の態度が妙に引っかかっていた。
何もないとは一体どういうことなのか? それについて考えるよりも早く、インターホンが鳴った。
「はい、どちら様でしょうか?」
望月が玄関に降りて引き戸を開ける。そこに居たのは、スーツを来た若い青年であった。長身かつスーツの上からでも分かる程均整の取れてた体つきをしていて、いかにも日本男児という言葉がしっくり来る男である。
「突然の訪問、失礼いたします。私は弓司庁の日向宗一郎という者です。この度、とある人物を探しにこちらに参りました次第です」
堅苦しい挨拶と共に頭を下げる。望月はその男の容姿に一瞬目を奪われてしまったが、すぐに我に帰った。
弓司庁。異界騒ぎに対して、特にその影響が深刻であると認識されたものに対処するための機関。国に半ば召し抱えられているとはいえ、客士があくまで民間団体であるのに対し、ここは純粋な国の組織として担われている。ただし、”怪異”などという世間的にあやふやな存在に対処するための組織であるという性質上、世間には公にはされておらず、その存在を知っている者もごく一部である。
「これはどうも丁寧に。日向さん、立ち話でもなんですから、とりあえず上がってください」
「いえ、急な訪問で申し訳ありません。ここで結構でございます」
「遠慮なさらずに。むしろそこに立っていらっしゃったままでは私も困ってしまいます」
「は、失礼いたしました。それでは、お言葉に甘えて」
○
「それで、わざわざ弓司庁から来られたということですが、人探し、ですか?」
十畳程の広さの応接間にて、日向にお茶菓子とお茶を用意し望月は切り出した。
「はい。恐れながら詳細な内容を話すことは出来ないのですが、とある女の子を探しているのです」
「はあ、女の子。特徴は?」
「そうですね。一番目立った特徴と言えば、髪の白いことでしょうか」
さやのことだろうか? 望月は考えた。しかし、さやでない可能性も十二分に考えられる。
「髪の白い女の子、ですか。もし、写真などはお持ちでないでしょうか?」
「写真でしたら、一応こちらにございます」
そうして差し出された写真に写っていたのはやはり髪の白い女の子であった。そして、少々遠くからの写真のため確証はないが、振り向きざまの顔はさやのように見えなくもない。
「写真を撮ったのは一週間前以上の話ですが、部下の報告によればこの辺りで彼女らしき人物を見たとのこと。これはその時の写真です。と言いましても、この写真の女の子が本当に私達の探している女の子かどうかはまだ確証がないのですが」
「遠目ですが、これはまた随分と綺麗そうな女の子ですね」
「ええ、それはもう。それで望月さん、この少女について何か心当たりはないでしょうか?」
「その前にお聞きしたいのですが、何故この子を探し出したいのでしょうか? 聞く限り、この女の子が貴方達の誰かの親戚、ということでもないようですが」
「それは、申し訳ございません。今は事情を話すわけにはいけません。これは機密事項にあたりますから」
「そうですか、分かりました。その女の子ですが、少なくともここにはおりませんし、心当たりもございません」
半分事実、半分嘘であった。半分事実というのはさやは今現在、弓納の下宿先に行っており、神社には確かにいなかったからである。弓納とさやはすっかり打ち解けて仲良くなっており、今回、弓納の下宿先にまで遊びに行ったのも、そんな仲の良さの表れであった。そして今日、さやはこの神社には帰ってこない。さやは弓納の下宿先に一晩お世話になるからである。
しかし望月はそのことを伝えず、あくまで今ここにはいないという事実だけを伝えた。
「そうですか。それは残念です」
そう言ってスーツの内ポケットから名刺のような小奇麗な紙片を取り出すと、それを望月に手渡した。
「私の連絡先と滞在場所です。もし私達の探し人と特徴が一致する者がいましたら、こちらの方に連絡をお願いします」
「あら、もう帰られるのですか?」
そう望月が尋ねると、日向は微かに笑みを浮かべながら言った。
「最近は色々と立て込んでいまして、今日もこれから行かなければいけない所があるんです。折角中にあげていただいたというのに申し訳ございません」
「いいえ、別に構いませんよ。それに私が無理やり上げただけですし」
「そう言っていただけると助かります」
「お見送りしましょう」
望月が立ち上がると、日向も合わせて立ち上がった。
応接間から出た後、社務所の玄関口にて手入れの行き届いた革靴を履いた日向は振り返り、望月に頭を下げた。
「では失礼いたします。また機会でもございましたら、その時はよろしくお願いします」
「ええ、お気をつけて」
日向はカラカラと引き戸を開けて行ってしまった。そして、その洗練された瀟洒な靴音とは別に少し浮かれたような子供のような足取りの音が聞こえてきた。
カラカラと引き戸が開いた。
「望月さん」
そこにいたのは太だった。青年は後ろをチラと振り返る。
「あら、太君。こんにちは」
「はい、こんにちは! あの、先程すれ違った人は」
「ああ、日向さんというの。折角だから、さっきのこと話しておくわ」
「望月さん、何故さやのことを話さなかったのでしょうか?」
相変わらず開け放たれた広間にて、日向のことについての話を聞いた太は望月に尋ねた。
「単純な話よ。弓司庁が必ずしも信頼出来る所ではないから」
「そんな、国の組織なのでしょう? それなら、そんなに警戒することはないのではないでしょうか?」
その問いに、望月は首を振った。
「いいえ、太君。警戒すべきよ。少なくとも、全面的に信頼なんてできないわ」
「何故そんなに」
「太君、日井さんの件を忘れたのかしら」
「あ」
日井。以前弓司庁に所属していたが、今は行方不明扱いとなってしまった男。しかし、彼は……
「あの件以来、弓司庁も一筋縄ではいかない所なのだということを学んだわ。だから、迂闊に伝えるのは控えておこうと思ったのよ」
「でも、さっきすれ違っただけですがあの人は何か裏があるような人じゃないと思います」
まさに日本男児を絵に描いたかのような男の顔を思い出しながら、太は言った。
「そうね。私もそうは思ったわ。でも、じゃあ日井さんはあんなことをしそうな人に見えたかしら?」
「あ、それは、ですね」
しどろもどろになり、やがて太は押し黙ってしまった。
そう、単純に信頼してはいけないのだ。例え相手が神の祝福を全面に受けたような印象の男であっても。望月はそんなことを考えながら、太を中に入れた。




