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太一の異界手帖  作者: 安住ひさ
【本編】太一の異界手帖
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【本編】太一の異界手帖:第十二章 多分、それは些細なきっかけだったけど

「たまき。君は本当によくやってくれたよ」

 日井は感心するように言った。

「日井さん。何故ここに?」

 望月が怪訝な顔をして日井に訪ねた。その手に握られた銃は既に撃鉄が起こされている。

「ああ、君達もご苦労だった。だがもう役目は終わったのだから、大人しく帰って祝賀会でも開くといい」

「質問に答えなさい」

 望月は日井に銃口を向けるが、日井は一向に意に介さない。

「さて。ではたまき。君の偉業の続きを私が引き継ぐとしよう」

「えっ?」

 望月が引き金を引く間もなく、日井は高舞台へと舞い上がった。そして、そのままたまきの胸ぐらを掴みあげる。

「日井、貴方最初からそのつもりだったのね」

「ああ、ご苦労だった。君には感謝している」

 天野達の方へ放り投げ、たまきは広場に打ち付けられた。

「いっ!」

「たまき!」

「ふん、何が魔人だ。こうなってしまっては最早人形も同然だな。おっと、何処へ行こうとする、太君」

 太はキッと日井を睨む。

「何のつもりですか? 何でこんなことを」

「不思議なことを言う。君達はそこの可愛い人形を止めにきたんだろう? いや、止めておこう。あまり巫山戯て君の神経を逆撫でさせても仕方がない」

 日井の雰囲気が変わる。その目つきを見た太は、背筋が凍りつくのを感じた。

「貴方は一体……?」

「何者なのか、かね? それは知っての通りかと思うが」

「貴方の上辺の経歴を聞いているんじゃないのよ。本性というやつを知りたいの」

 望月が言うと、日井は望月の方を振り返る。

「そんなことを知ってどうする? まさか、それを言ったら君のその獲物を取り下げてくれるわけではあるまい」

「さて、どうかしらね」

「ふん、まあいい。教えてやろう」

 日井は苦笑する。

「……私は、今でこそ弓司庁などという組織に身を置いているが、元来そんな所にいられるような者ではない。何故か? 答えは簡単だ。それは私が大禍を振りまく忌まわしき一族の末裔だからだ」

「忌まわしき一族?」

「そうだ、太一。かつて、とある神と女神がいた。この神々はまだ混沌としていた世界において、後世国産みと呼ばれるものを行った。しかし最初、”手順に不手際があったのだ”。結果、子は産まれこそしたが、異形であった。出来損ないの神をその二柱の神はどうしたか? 答えは言うまでもない。棄てたのだ。不出来の子だったからからな」

 全員が日井の話に耳を傾けつつも、その挙動を監視していた。しかし日井はそんなことを意にも介さずに、まるで悦に入ったかのように話を続ける。

「だが、話はこれで終わりではない。異形の神はとある場所に流れ着いた。そこで神は世界を慟哭に包み込まんほどに嘆いたという。そうして神は考えた。何故、自分は棄てられたのか? いや、分かっている。自分が棄てられたのは、ひとえに自分が醜悪で、不具の子だったからだ。ならば不出来な形ではなく、完全な形を持って相まみえれば、自分は愛されるかもしれない、いや、きっと愛されるだろう、と。故にその神は自分の欠損した部分を補うために活動を始めた。まずは手始めとして、自分の忌まわしき肉体を捨てた。そうして、その肉塊を使って二つのことをした。一つは自分が受肉するための完璧な器の用意。そしてもう一つは、子の創造。産み落としたのではなく、文字通り造られたその子は、少なくともその神の考えうる限り完璧な容姿、知性を備えていた。その子はとある使命を神から仕り、現世へと降った。だがどうしたことだ。子は現世に来るや、忌み嫌われ、腫れ物を見るような目で見られた。何故なら、その子は完璧であるが故に歪な所が何一つないという異常性を持っていたからだ。要するに気味が悪かった、ということだがそれは神としても、人間の在り方としても間違っていた。子はひたすら耐え続けた。そして僅かばかりの自分を信仰してくれる者達と各地を流れ、子を成し、幽世へと旅立った。使命は子孫へと受け継がれていった。時にエゾやサンカなどと呼ばれた者たちの中に紛れた子孫は、細々としかし絶えることなくその使命を受け継ぎながら今の今まで生きながらえた」

「その末裔が日井、つまりあんたか」

「そういうことだ、天野幸彦。と、ここまで説明すれば私の目的も分かるだろう。それは――」

「使命の達成。つまり、この開いた異界への門を以て原初の神を顕現させること。貴方は、そのためにずっと生きてきた」

 太の言葉に日井はニヤリと笑った。

「思えば、幸運がいくつも重なった。菅原市の生野なる人物が『真統記』を持っていることを掴んではいたものの、あやしの王に迂闊に手を出すわけにもいかず、目先の利益に目が眩んだ妖共をけしかけつつ手駒としていた天狗、豊前翁に彼を探らせて機会を窺うだけ。だがそこに幸運にも君達が現れ、そしてたまきが現れた。くく、何という偶然か。いいや、これは祖先の加護というやつか、あるいは、天津神々の思し召し、か」

 日井は太を人質に取る。その首筋に刃が付きつけられる。

「太君!」

「望月殿、どうか動かれませぬよう。なに、そのまま皆じっとしていれば全ては万事上手くいく」

「たまきを唆したのは貴方ですか」

「唆したとは、随分と人聞きが悪い。私は彼女に大江御前が『真統記』を持っていることを伝えただけだ」

「貴方分かってるの? ヒノコの顕現なんてしたら、この国は只じゃすまないのに」

 そう言って望月はハッとする。

「……貴方の目的って」

「何故そう邪推してくれる。だがまあ、大方君の察する通りだろうよ」

「どうしたんですか? 望月さん」

 弓納は日井の事に気を払いながらも、振り返って望月に尋ねた。

「彼の本当の目的は原初の神、つまりヒノコを顕現させた先にある。ヒノコは、本来であれば陽の神ともなる筈の存在。だけど、さっき彼自身が言ったように、不具の子として産まれ落ちた。もちろん、その時点で陽の神になんてなれようもない。だけど、もしヒノコがその欠損を克服したなら?」

「陽の神としての神性を持つことになりうる、のでしょうか?」

「そう。そして、それが異界から現世に降り立つことの意味はともすれば築き上げられた神話体系の修正。つまり、ヒノコを頂点とする神話に作り変え、この国の根本を作り直すつもりね」

「ふん、所詮虚飾にまみれた神話(つくりばなし)だ。何をそんなに有難がる? さあ、刮目するがいい。止まっていた神話は今再び動き出すのだ!」

 更に広くなった”門”から片手が突き出された。それから、ゆっくりと顔、肩、胸、胴体、足とその姿を顕にしていく。

 その姿はまるで幼子のようであった。

 日井はそれを仰ぎ見て、その喜びを顔一杯に浮かべた。

「やっと。やっとだ」

 日井は用済みとばかりに太を放す。望月はその機を逃さずに引き金を引いた。それは日井に命中したが、全く意に介する様子もなく、そのまま黒い靄に包まれて消えてしまった。

「太君、大丈夫?」

 望月が太に駆け寄る。

「え、ええ。なんとか」

「あれ、どうするよ」

 気だるげに天野が望月に言った。

「お前に神を降ろしてなんとかなったりしないものかね」

「そうね……ちょっと難しいと思うわよ。だって、あの神様と格を張り合えるようなものいないもの。それに、何でも降ろせるわけじゃないのよ」

「おっと、そうだったな」

「まあだから、今のところ万事休すね。弓司庁に何か要請するかしら。どうにか出来るか知らないけれど」

「私が、何とかします」

「え?」

 たまきが立ち上がって、太と望月の間に割って入る。

「止める方法ならあります」

「止めるって、どうするつもりかしら? いくら貴方でも、あれは手に負えないわよ」

 その返答に、たまきは首を振る。

「別に、倒そうとか、そんな事思ってるわけじゃないわ。ただ追い返せばいいだけなら、私にだって出来る」

 その意図するところをすぐに悟った太は高舞台に上がってきたたまきを見る。

「たまき、駄目だそれは」

「ごめんなさい。貴方の手で私がいたこと、語り継いでいってくれないかしら。早速言いつけを破ってしまうもの、せめて記録くらい残しておかないと申し訳が立たないわ」

 たまきは優しく微笑む。

「それと、はじめ。私と話をしてくれて、遊びに付き合ってくれてありがとう」

「たまき!」

 たまきは下の望月に目配せして太を弾き飛ばす。太は成す術もなく吹き飛ばされて、望月に綺麗に抱き留められた。

「そんなっ! それじゃ君が……」

 太が無事に受け止められたことを見届けると、たまきは門の方を向き手のひらを広げて前に突き出す。次第に門はその青白い光に混じって金色の光を帯び始めたかと思うと、そこから這い出ようとしていた神を押し戻し始める。

 辺りが光で明るさを増していく。

「どうしよう、何か、方法はないですか?」

 地面に降ろされた太が必死に望月に縋るが、望月はその訴えから目を逸らす。

「ごめんなさい。今は彼女しか止められない」

「そんな、こんな結末はあんまりだ」

「……そう、ね」

 望月は唇を噛みしめる。結を連れ帰ると坂上に約束したというのに、気が付けばこの体たらく。一体どんな顔をして彼に会えばいいというのか。

 その時、望月は視界の端に天野とは異なる男のシルエットを捉えた。その姿を確認して、思わず目を見開く。

「あんた達が立ち往生してるってんなら、俺は勝手にやらせてもらうぜ」

 男はそのまま高舞台に向かって駆け出した。一瞬呆気に取られていた客士達であったが、すぐに望月が引き留めようとする。

「待ちなさい、死ぬわよ!」

「姉ちゃん、忠告ありがとな。でも娘が頑張ってるってのに、止まれるわけないだろ!」


「く、うう」

 御しきれない程の光の奔流が襲い掛かってくる。立っているがやっとなくらいだ。

 もうどれくらいの時間が経ったのだろうか? 十分だろうか、それとも二十分だろうか。いや、それはあくまで自分の感覚でしかない。本当の所、十数秒くらいしか経っていないのであろう。

 怖い。自分というものが否定されていくようなこの感覚。多分、前にも味わったことがある気がする。ずっと大昔のことなのだけど、でも、あの時は皆がいた。だから、乗り越えることが出来た。

 でも、今は一人だ。誰も私を支えてくれる人はいないし、誰も助けてくれる人はいない。だけど、耐えないと。私が撒いた種なんだ。私がなんとかしないと。

 ……でも。

 ……でも、やっぱり誰か傍にいてくれないかしら。怖い、寂しい。負けてはいけないと分かっているのに、今にも押しつぶされてしまいそう。誰か、誰か。

「お姫さん。お待たせして申し訳ないね」

 少女の肩に大きな逞しい男の手が添えられる。少女は目を見開き、少しだけ俯いた。

 それまで我慢していた涙が堰を切ったように零れ落ちていく。

「何で、こんな所にいるのよ」

「それは当然だろう。娘が頑張ってるってのに呑気に畳の上で胡坐をかいてられるか。俺はこれでもやる時はやる男なんだよ」

「馬鹿ね、娘だなんて。あの時、あの竹林の祠の前で拾っただけじゃない」

「キッカケはそうだったさ。別に血のつながりもないけどよ。だけど、お前が娘でよかったって思ってる。ありがとな、俺の娘でいてくれて」

「私を娘にしたのは貴方じゃない。本当に変な人ね」

「変な人って、お前なあ」

「……ありがとう、お父さん」

「ああ」

「ねえ、お父さん」

「何だ?」

「我が儘、聞いてくれる?」

「ああ、勿論だ」

「このまま私のこと、支えていてくれないかしら?」

「何だ、そんな事か。お安い御用だ」

「ありがとう。愛してる、お父さん」

「俺もだ」

 少女は門へ閉じるために全身全霊の力を込める。

 相変わらず押しつぶされそうな光の奔流だけど、出来る。

 だって、私にはこの人が付いているのだから。


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