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太一の異界手帖  作者: 安住ひさ
【本編】太一の異界手帖
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【本編】太一の異界手帖:第二章 依頼②

 生野の屋敷は明治期に建てられた古風な西洋建築である。茶を基調とした屋敷の一部は一般開放されており、地元では観光雑誌に取り上げられるなど菅原市の名所として知られている。

「ようこそおいでくださいました」

 望月と太が玄関に入るなり、住み込みの家政婦と思しき女が深々とお辞儀をする。シュッとした切れ目の女性で、その立ち居振る舞いはまるで隙を感じさせない印象を見た者に与えた。

「望月といいます。こちらは助手の太です」

「話は伺っております。どうぞこちらへ」

 二人は女の後について通路を歩く。通路の壁のいくつかには有名な神話の一節を表した絵画が掛けられており、その価値を知らぬ太であっても、それが凡俗な作品ではないことが容易に伺えた。

「あれはヘラクレスの毒竜退治ね」

「ええ、凄い迫力です。絵が今にも動き出しそう」

 二人が話していると、女は二人を振り返った。

「屋敷と同様、この主の西洋趣味の賜物ですわ。何でも、その絵画は無名の画家によるもののようですが、何か光るものを感じたから買い取ったのだと伺っております。それにしても、申し訳ございません。客間は奥まった方にございまして、もう少しお歩きいただくことになります」

「いえいえ、こんな立派なお屋敷の中を歩けるだなんて、かえって有難いですわ」

「そう言っていただけると、嬉しい限りでございます。主も喜ぶでしょう」

 客間に案内されると、ほどなくしてお茶と茶菓子が出された。客間は中心にアンティーク調のソファとテーブルが配置されており、窓からは柔らかい光が差し込んでいる。

「ビックリです。こんな所に通されることなんてないと思ってました」

 壁にかけられた古めかしい時計の振り子がカチカチとゆっくり動くのを見ながら、太は感嘆したように言った。

「そう? むしろ私達の仕事ってこういう人達からの依頼だったりすることも多いわよ。理由は色々考えられるわね。例えば」

「名家になるための過程で人の恨みを買った、などですかな」

 キイ、と扉の開ける音と共に低い声がした。二人が扉の方を見ると、五十くらいの白髪交じりの男がゆったりとした様で立っている。着物に鈍色の羽織、整えられた口ひげ、丸眼鏡という出で立ちのその男は温和そうで、しかしどこか険しさを湛えるような顔をしていた。

「私も疑り深いものでしてね、名家や資産家、果ては偉人と呼ばれる者達が善行のみでその地位や名声を築いたというのは須く偽であると考えているのです。大なり小なり人に言えないことに手を染め人の恨みを買っている。無論、私の先祖もそうでしょう」

 おおっと、と言って男は深々とお辞儀をする。

「失礼、挨拶がまだでしたな。私は生野家当主の綱と申します。望月殿と助手の太殿ですな。ようこそおいでくださいました」

 そう言って男は深々とお辞儀をする。


「生野さん。単刀直入にお聞きしますが、この周辺で変わったことがあったとは具体的にどのようなことなのでしょうか?」

「実は家の者が夜に巨大な変な影を見たことがある、などと申しておりましてな」

 向かいに座った生野は顎をさすりながら望月の問いに答えた。

「巨大な影?」

「ええ。人影、ではなかったようです。どちらかというと、尾ひれのようなものが付いていたので、魚類の類ではなかったか」

「魚類ですか。姿はハッキリと見られていたのでしょうか?」

「生憎、その者は黒い影のようなものしか見ておりませなんだ。申し訳ない」

「そうですか」

「ああ、ですがお待ちください。実は家に古い言い伝えがありましてな」

「言い伝え、ですか。詳しく聞かせてください!」

 太が身を乗り出して綱に尋ねる。

「はは、好奇心旺盛で結構。だがまあ落ち着いて」

「ああ、申し訳ありません」

 太は決まりが悪そうに頬を染めながらゆっくりと席に着く。その様子を見ていた望月は目を細める。

「助手が失礼をしました。この子、物書きをしているものですから、そういう話を聞くと血が騒いでしまうみたいなんです」

「いえいえ、それはとてもいいこと。好奇心は人を動かす原動力です。私達の文明も、人間の好奇心というものなくしてはここまでは発展しなかったでしょう。そしてこの少年、太君は特に好奇心が人一倍強いようだ。将来何をしてくれるか楽しみですな」

「い、いえそんな」

 太は赤面していた顔を一層火照らせる。

「よかったわね太君」

 小声で望月が太に囁くと、太は少し困惑した顔で望月を見る。

「からかわないでください」

「ふふ。さて、少し話が脱線してしまいましたが、その言い伝えというものをお聞かせ願えないでしょうか?」

「ええ、もちろん。祖先は江戸の頃にここに移り住んだのですが、その移住間もない時、その大きな影を見たことがあるというのです。最初は実害はなかったから放っておいたものの、徐々に家財を壊すようになっていったとのことで、腕の立つ者を何人か雇ってそれを討ち取らせました。死体はすぐに消えてしまったそうですが、その時その姿を目撃した者の証言を元に描かれた絵がございます。少々お待ちを」

 綱は玄関で二人を出迎えた家政婦を呼び出して、布にくるまれた絵を持ってこさせた。

「これがそうです」

 絵を望月に渡すと、太はそれを覗き込む。

「これは、鯰、ですね」

「ええ、鯰ね。それもとても大きな」

「今回噂になっている大きな影はその大鯰ではないのかと考えているのですが、専門家の意見は如何でしょうか?」

「しかし、その大鯰は死んでしまったのでは?」

「消えてしまいましたからな。死んだというのは早とちりで、案外気絶していただけかもしれませぬ」

「つまり、傷ついていた大鯰が再び目を覚まして地上に現れたと」

「まあそのようなところではないかと」

「あの、ふと思ったのですが」

 太が手を挙げた。

「おや、どうしましたか?」

「大鯰とはいえ、魚ですよね。そもそも地上にいるのは不可思議です」

「うむ、確かにそうですな。言い伝えには特に記載はなかったのでなんとも言えんのですが、どうせ只の鯰ではないから足が付いていたか、鳥のように羽でも付いていて空中を漂っていたのではないでしょうか?」

「そうねえ。まあ他には化けることも出来たなんてこともあるでしょうし、妖怪鯰なんだったら地上を動ける理由なんていくつもこじつけ出来るわ。それより、この目で見た方が早いでしょう。生野さん、何か他に情報があればご提供をお願いできますか?」

「はい、もちろん。私としても、そういう訳の分からない者がいるのは気が気でなりませんから、出来る限り協力させていただきます」


       ○


「というわけなので、これから大鯰とやらの調査を開始します」

 社務所の一室にて天野、弓納、太の三人に向かって望月は宣言した。

「大鯰、ねえ」

「……何か不満そうね、天野君」

「いやなあ。見た感じいつも通りの依頼とお見受けするんだが、誰かが一人やればそれで事足りるんじゃないかね。なあ弓納、お前はどう思う」

 天野に促されて、弓納は少し考え込む。

「そうですね。ですが、最近頻発している怪事件との関連も気になります」

「たまたまじゃないのか? たまたまお出かけの日が雨だったのを強く記憶していて、やれ自分は雨男だ、やれ自分は雨女だ、なんて言っているのと同じくらいのこじつけを感じるんだがな、俺は」

「天野君。確かに貴方の意見は一理あるわ。でも私の所感だけど、これは大物が釣れそうな予感がするの」

「大鯰だけにー、おっと、いや何でもない聞き流してくれ」

 望月は半目で天野を見るが、天野は素知らぬふりをする。

「……それで、念のためなんだけど、これからはなるべく二人で行動するようにしたいわね。特に太君」

「はい?」

「貴方を一人にはしないようにしたい。なので、今回は小梅ちゃんと行動してもらうことにします。それで大丈夫、小梅ちゃん?」

「大丈夫です。問題ありません。テストも終わりましたので」

「ちなみに弓納にしたのは理由があるのか?」

「あまりさしたる理由はないわ。そして所憚らずに言うと勘よ。それでもあえて言うなら、小梅ちゃんならいざという時に太君を抱えて走るくらいなんてことないから、ね」

「そうか。で、そうなるなら俺は望月とか」

「そうなるわね。とりあえずなのだけど」

 望月はクリアファイルにまとめた資料を三人に渡す。

「大まかな方針と情報をまとめたので、目を通しておいて頂戴」


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