【幕間】鬼姫奇譚:第七章 わだかまり [改]
「門もすっかり元に戻りましたね」
「ええ。しかも驚異的な速さで」
聡文との一件から数日。相変わらず街は賑やかで、まるで不景気というものを知らないかの如き活気を帯びていた。
そんな街中を天野と八重千代は当て所もなく歩いていた。
「街が出来て以来、いつもこんな前向きな感じなんですかね」
人やそうでない姿をした者達が行き交う街路を歩きながら天野は呟く。
「さてどうでしょうか? 私にもさっぱり」
「ちょっと騒ぎ過ぎな気もするが、まあ昔からこんなもんさ」
二人の前に人影が降りてくる。
「あんたは」
「よう、お久しぶり。あの時は悪かったな」
声の主は山鳴らしをけしかけてきた耳の大きな男の妖怪だった。
「別に構わんさ。それに慣れてるしな」
「そう言ってくれると有り難い。ところでいつまで滞在する予定なんだ?」
「今日か明日かだ。俺もこの御仁も」
「そうか、それは残念だ。お前に少々興味があったのに」
「おいよしてくれよ。俺はそんな面白い男じゃあないぞ」
「そうでもないさ。お前さんは十分に面白い。儂が保証する」
「全く」
「しかし外か。案外捨てたもんじゃないかもしれんな。今度出張店でも出してみるか」
「あら、お店をやっているのですか?」
「ああ、そうさ。こんなんだが薬屋をやっている。見えるか?」
そう言って男の妖怪は楼閣の上を指し示す。そこには漢字で「内経庵」と書かれた看板が掲げられていた。
「まあ、ご立派な字」
「といっても、こんな場所だから俄然人間向けの薬は少なくなってくるがな。まあ今まで通りの妖怪向けに加えて、今度は人間向けにも両方やっていこうという魂胆だ」
「それでしたら、もしよろしければ知り合いを紹介しますよ。色々と用立ててくれる者がいるのです。決して悪し様にはいたしません故」
八重千代は持っていた巾着袋から人を象った紙を取り出す。
「こちらをどうぞ。使えば、私の居る所まで案内してくれます」
「そうか、それは助かる。伝手も出来たことだし、いよいよ考えてみるかなあ」
男は僥倖とばかりに天を仰いで呟いた。
「ところで八重千代殿。傷の方は大丈夫なんですか?」
男の妖怪と別れた後、また当て所もなく歩いていた天野は言った。
「ええ、お陰様でもうすっかり」
「そいつはよかった。なに、あの日から一日も経たない内に元気になってましたから、却って心配だったのです」
「ふふ、鬼というのは傷の治りが早いのです。でも、治りが早すぎるのもいささか考えものなのですよ。滅多なことでは誰も心配してくれないですし」
少し困ったように八重千代は言った。
「ところで先生。こちらも質問ですが」
「はい、何でしょう?」
「どうしてあそこが分かったのですか? 聞けばあそこは外に気配が漏れないように鬼道が施されていたということです。なればあのように迅速に到着するのは至難の業かと」
「なに、大したことじゃない。貴方と羽白さんに発信機を付けていただけさ。万が一のことがあってはいけないと思っていたのでね」
そう言って天野は人差し指を立てる。すると、そこから黒い文様のようなものが飛び出し宙を泳ぎだす。
「前も言いましたが、フミツカミ、というやつです。貴方の入った建物に羽白さんがほぼ同じくらいに向かったものだから、絶対に何かあると踏んだというわけです」
「私だけでなく羽白にも? いつの間に」
「ほら、別れ際に握手した時です」
「ああ、そういうことでしたか」
「気付かれないよう手伝いに探査用のフミツカミを憑かせました。まあ、進んで握手をするなんてガラじゃなかったので、微妙な神経を使ってしまいましたが」
「それであれば納得です。しかし羽白はともかく、女性の行動を監視するなんて破廉恥な」
「いえいえ、そんなやましい心などありませんよ。ただ単に貴方が心配だっただけです」
「ふふ、冗談ですよ」
そう言って朗らかに八重千代は笑みを浮かべる。
「え、はあ」
「おおーい」
天野が困惑していた所に男の呼び声がした。
「ここにいましたか。探すのに苦労しましたぞ」
呼びかけたのは羽白である。
「あら羽白。どうしたのかしら?」
「聡文殿がお呼びのようです」
「そうですか。それでは、参らないわけにはいきませんね」
「大丈夫なんですか。また謀でもしてるんじゃないんですかね」
天野は怪訝そうな顔をして羽白を見た。羽白はばつが悪そうな顔をする。
「天野殿。どうかそのことはご勘弁を。弁明のしようもありませんが、少なくとも今回はそんなつもりは毛頭ありませぬ。もはやそんなことをする手だてもありませんからな」
羽白は言った。後で判明したことだが、羽白も今回の騒動の一端を担っていた。「取るに足らない理由」と彼は頑としてその理由を語らないが、羽白も自分たちを捨てたのだという者に思うところはあったらしい。何故なら、百数十年前の抗争で彼も自分と近しい者を喪ってしまったからである。それが、聡文に協力する要因となった。
「大丈夫ですよ先生。いざとなったら暴れますから。それに羽白、私を刃を突き立てたこと、忘れていませんよ?」
八重千代はグッと拳に力を込めて言った。
「おお、ちょっと洒落になりませんな。ふむ。そうとなれば私はそろそろお暇しますかね」
その場を後にしようとした天野を羽白は慌てて引き止める。
「お待ちを、天野殿。貴君も来てくれとのことだ」
「はあ? 何故俺が」
「まあまあ先生。もしお時間が許すのでしたら、どうか一緒に来てはくれませんか?」
八重千代の頼みに天野は「ううむ」と頭を掻いて唸る。
「仕方ない。だがまさか、意趣返しとかじゃああるまいな」
それを聞いて羽白は笑う。
「ふはは。なるほど、千代君に付く悪い虫だから放っておけんということか! もしそうだったら愉快だ」
いや痛快だ痛快、などと羽白が面白可笑しそうに笑うのを見て天野は呆れ返る。
「こっちは一ミリも楽しくないんですがね」
聡文の家は宮城のほど近い所に構えられている。屋敷と呼ぶには少し質素で、そこの主人の性格をよく表しているようであった。
「聡文さん。千代様と、あの男が来たみたいだけど」
十畳一間ほどの応接間にひょいと呉葉が顔を出すと、聡文がそれに答える。
「分かった。呉葉君、すまないがこちらまで案内してやってくれないか。後おかしなことはしないように」
「はいはーい。安心めされよ、礼儀正しく案内いたします故」
呉葉がにやにやしながら仰々しくさがる。しかし、却って聡文は一層不安になった。
「いや、流石に考えすぎか」
聡文は目を閉じる。結局皆に、あの人に迷惑をかける結果になってしまった。
「全く、どうして私はこう。はあ」
「ため息はいけませんよ。色々といいものが体から抜け出ていってしまいます」
背後から耳元で囁かれる。しばらくの間、静寂がその空間を包み込んだ。
「わっ!?」
聡文は大きく体を反転してのけ反らせる。そこにいたのは紛れもなく八重千代であった。
「聡文。こうしてまた無事に会えたこと、嬉しく思います」
「驚かさないでください。さっき呉葉君に呼びに行かせたばかりではないですか。どうしてもうここにいるのですか!?」
聡文の問いに八重千代はクスクスと手を口に当てて笑う。
「それは呉葉ちゃんが一芝居を打ってくれたからよ」
その言葉で聡文は何が起きたかを理解した。そういえば、呉葉がさり際に自分の背後を見てほくそ笑んでいた気がする。
「ごめんね聡文さん。千代様に脅されたものだからつい~」
呉葉は両の手を合わせて謝罪の意を表するが、顔は相変わらず笑っている。
「まあ、呉葉ちゃん。そうやってすぐに嘘を付く。いけませんよ、もう」
「えー。でも、頼まれたのは事実だし」
おほん、聡文は咳払いをする。
「呉葉君もそうだが、貴方も本当に変わらないな。礼節も何もあったものではない」
「ごめんなさいね。でもこういうのは性というものですから、どうも変えられないものなのです」
「それは性ではなく悪癖というやつです。治そうという意志があればいつでも改善出来ます」
「まあ、まるで悪いものであるかのように言うのですね」
「当たり前です。悪戯が良い習慣である筈がない」
「もう真面目くさって。本当にお固いですこと。貴方も少しはユーモアというものを知った方がいいですよ」
「あの~。盛り上がってる所済まんのですが」
呉葉の後ろから天野がひょっこりと顔を出す。
「ああ、ごめんなさい先生。私ったらつい」
さっきまでとは打って変わって、八重千代はいかにも淑やかそうに手を合わせる。
「鬼の猫かぶり、か」
「何か言いました?」
「いいえ」
別に遠慮されてはいないがな、天野は二人のやり取りを聞きながら思った。
「体の方はどうかしら?」
「本調子ではありませんが、まあ日常生活には特に問題はないといった具合です」
「そうですか。それはよかった」
「といっても、調子が戻って業務に励むということもないのですが」
幸い八津鏡による被害は取り返しのつかないことにはならなかったものの、聡文は仙崖郷の有力者が集まる会合で当面の間謹慎処分ということになった。
「経緯はどうあれ、多方面に迷惑をかけてしまったのですから当然のことですが。むしろ、謹慎処分などと軽いものでよかっただろうかと」
「追放とかもあり得たよね。でも聡文さん。貴方がいないと困るからね。今回のことだって、手段はともかく、皆も納得してくれたのだし。っていうか、あんなうすら暗いこと普通公で言わないよね。聡文さんってホント真面目」
「こら、やめないか」
横から嬉々として口を挟む呉葉を、聡文は牽制する。
「それはそうと、なんだって俺まで呼ばれているんだ。言っちゃなんだが、君とは縁もゆかりもない筈だが」
「いえ、大いに関係がございます」
そう言うと、聡文は深々と頭を垂れた。
「数々のご無礼、弁明のしようもない。こんな頭をいくら下げたところで何の意味もないが」
「はあ。さっきも同じように謝罪されたが別に気にしちゃいないよ。もし申し訳ないと思うのなら、さっさと頭を上げてくれないか」
「しかし」
「聡文、頭を上げなさい。それとも、貴方は先生の意志を尊重しないと言うのですか」
「聡文君。俺より八重千代殿に詫びてやれ。まあ、あれだ。色々と心労をかけたんだ」
聡文は頭を上げて八重千代の方を見る。
「あ、あの」
「千方院秀明のことは調べました。貴方達にとっては憎むべき仇敵でしょうが、ただ、彼は単に貴方達を憎く思っていたわけではなかったみたいです」
「……ですが、私達を罠に嵌めて」
「ええ、千方院家を守るために」
「え」
聡文は目を見張った。
「彼は当時弓司庁にいました。そこで、微妙な立場にいたのだと思います。離反した聡文達はもとは千方院家とそれに近しいもの。もし貴方達が反乱でも起こせば、自分はおろか千方院家も影響があったことでしょう。彼は最悪の場合、千方院家がなくなってしまうことを恐れ、取引をもちかけたのだそうです。つまり、『離反した者達の元いた家はそのままにしてやってくれ。代わりに、離反した者達は大事になる前に自分が討ち取るから』などと」
「そうですか」
「ごめんなさい、こんなことを聞いたところで貴方達の怒りも気持ちも晴れないでしょうが、ただ、彼がどう考え、どう動いていたかは伝えておきたかったのです」
「いいえ、ありがとうございます。それが聞けて、よかったです」
「聡文」
多分、彼は秀明のことを許したわけではないのだろう。あの戦いで力尽きた者も少なくない筈だ。そんな言い訳を聞いたところで許せるものではない。
ただ、秀明のことだけは伝えておきたかった。それが何のわだかまりを消すことにはならないとしても。
「八重千代殿」
横にいた天野が八重千代に語りかける。
「はい、何でしょう、先生」
「あの、ですな、もう一つ言うことがあるでしょう」
「え、あ、はい。そうです。そうでした」
「は、言うこと、とは?」
聡文が怪訝な顔をして尋ねる。しかし、それは聡文が想定していたものとは異なるものだった。
「聡文。たまには家に顔を出してくださいな。人がいなくなって結構寂しいんですよ」
その言葉に一瞬聡文は言葉を詰まらせた。
「な。本当に、貴方という人は……」
「聡文?」
「まあ、気が向いたら伺わせていただきます」
聡文は決まりが悪そうに目をそらしながら言った。それを聞いて、八重千代は目を細めた。
「よかった。では、その時を楽しみにしていますわ」




