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太一の異界手帖  作者: 安住ひさ
【幕間】鬼姫奇譚
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【幕間】鬼姫奇譚:第四章 羽白

 平日昼過ぎの菅原公園内はがらりとしていた。年配の男女が園内を歩いている他はランニングに興じている若者がちらほら混じっているくらいであり、慌ただしい都会に佇む閑静な公園は一層、その静寂さを深めている。

「彼は、羽白は昔からの私の友人です。腰は低い方なのですが、飄々として少々掴み所がない男でした」

「ほお」

 天野と八重千代は菅原公園内をゆっくりと歩く。すれ違う人が時折八重千代を見て振り向くが、八重千代は特にそれを気にする様子もない。

「その一方で、物事を洞察するのは人一倍長けていたように思われます。実際に彼の判断でこれまで何度も助けられてきましたから。ただ、維新を境に彼とは音信不通になってしまっておりました」

「そうですか、それは気の毒に」

「いえ、お気になさらずに」

 八重千代はばつが悪そうに天野に言った。

「ふむ。しかしなんだってその男が今更貴方に?」

「真意のほどは定かではありません、そもそも私に会いに来たとも限りませんし。ただ、彼が誰かに会いに来たというのは現在仙涯境にいることと関係があるかもしれませんね」

「どちらにせよ、会ってみないと何も分からないというわけか」

「ええ。ですが、こんなに簡単にことが運ぶとは思ってもいませんでした。私は容易に羽白に会えるだなんて思ってはいませんでしたから。これは店主さんに感謝しなければなりませんね」

 一葉の店主は羽白の連絡先を掴んでおり、彼と連絡を付けてくれた。天野と八重千代が菅原公園に来たのは、彼との待ち合わせ場所としてここを指定されたからである。

「別に感謝することのものでもないですよ。それは彼女の仕事の一環ですから」

「どういうことですか?」

「単純な話です。そうやって人の役に立つ情報や仲介をすることで人の信頼を得る。そうすると、その評判が別の人にも伝わり、情報や伝手を求めて新しい客が店に来るようになる。客が増えると売り上げも増える。そうして結果的に自分も得するというわけです。どうです、単純な図式でしょう」

「そうだったのですね。ですがそれでも、あの方には感謝をしなければなりません」

「律儀ですねえ」

「いいのです。家の者に愚直だとか、浅薄だとか言われることもありますが、私は人の誠実さというものを信じていたいのです」

 例え人に裏切られても? と天野は問おうとしたが、八重千代のどこか寂しそうな顔を見て即座に口をつぐんだ。何を馬鹿なことを聞こうとしたんだ、天野は自分の浅はかさが少し嫌になった。

「いやしかし、こんな所に白昼堂々といるものかね。鬼なんでしょう?」

「それはきっと大丈夫ですわ」

「と、言いますと」

「私を見てください」

 言われるままに天野は八重千代を見た。物腰は控え目ではあるが、ゆったりとした着物と丈の短い羽織を着込んでいる彼女は、容姿と相まってその存在感の強さを一層際立たせている。

「どうでしょう」

 八重千代は軽やかに一回転する。

「どうって言われましても」

「私は鬼に見えますか?」

「まあ見えませんな」

「ですよね。そういうことです」

「えっと、どういうことですか?」

「彼も人の姿をしているということですよ」

「なるほど。化けているか、元から人の姿ということか。考えてみればそうだ。人に化ける妖怪、人の姿をした妖怪なんてそんなに珍しいものでもない。いやしかし」

「しかし?」

「ふと気になったのですが、貴方のその姿は化けているので?」

 言われて、八重千代は考え込むように目を閉じた。

「そうですねえ。確かに私にも化生の姿というものがあります。ですが、化けているというのは少し語弊がありますね」

「そうなんですか?」

「今のこの姿も本当の姿なんです。”ヒト”である私とでもいいますか。あ、だからといって転身しても理性がなくなるわけではありませんよ」

 少し気分は高揚状態にはなりますが、彼女は付け加える。

「それは是非とも拝見したいような、そうでもないような」

「いずれ機会がありましたら。ただ、あまり近いうちにはなってほしくないかも」

「え?」

「ささ、早く行きましょう、先生」

「いや、その必要はない」

 突如低い男の声がした。その言葉が終わらない内に八重千代は状況を理解し、咄嗟に天野をかばう。

「なっ!?」

 天野は唐突の出来事に思わずよろけてしまう。

 しかし、”その矛先”は元から八重千代に向けられていた。

「ふんっ!」

「やあ!」

 八重千代は声を張り上げると同時に得物と思しき物を叩き落とす。

「なんだ、これは」

 後ろに引いて構えていた天野は自分の目の前にころがっていた得物を見下ろす。

 それはプラスチックのようなもので出来た玩具の剣だった。

「ご無沙汰しております、千代君」

 小刀を喉元に突きつけられ、両手を挙げて降参の意を表しながらも曲者の男は愉快そうに笑う。

「ご無沙汰ではありません。何がおかしいんですか」

「そう言われると、何がおかしいのか私もさっぱり分かりません」

 八重千代は小刀をさらに深く押し付けて微笑む。

「刃を突き立てられたくなかったら、これからする質問に正直に答えてください、羽白」

「や、やや。その前に、その物騒なものをおしまいくださいませ」


「ふう。軽い冗談のつもりが、まさか刃物まで向けられるとは思いませんでした」

 羽白と呼ばれた中年の男はそう言いながら優雅に顎髭を擦るが、それを一緒にベンチに座っていた八重千代が睨め付ける。

「当たり前です。いきなり襲われたら誰であってもそう対応しますとも。全く、昔から貴方はそうでした。その軽々しい所は治らないのですか」

「それはどうでしょうなあ。人の性は性である故に治すのは困難かと思いますが。だが待てよ、もしその性を矯正出来てしまったとしたらそれは果たして私だろうか。ううん、気になるところではある」

「禅問答は結構です」

「あの、お二人さん」

「おお、そういえば。こちらの偉丈夫は何処のどなた?」

「ああ、申し訳ありません先生。すっかり忘れておりました」

 何の衒いもなく八重千代はきっぱりと言った。自分は存在感がないのかねー、天野は心の中で思わずつぶやく。

「このお方は天野先生。大学の先生をやっておられる博識な方です」

「ほほーう、つまりインテリ。それにしてはガタイがよい。まるで漁師か、大工のようだ」

 天野を羽白はまじまじと見つめながら言った。

「それはどうも。そういうあんたは噂に聞く羽白さんかい」

「いかにも。昔はそれなりだったのだがなあ、今はこんなざまさ。だから懲らしめても財宝なんぞ出てこないよ。もちろん、打ち出の小槌も」

「へえ、そうですかい」

「羽白。積もる話もありますが、今は何より聞きたいことがございます」

「それは僥倖。実のところ私も貴方に会うためにこうして人里に降ってきたのですから。まあ最初は、少し物見遊山程度に町を歩き回ってしまいましたが」

「単刀直入に聞きます。羽白、仙涯境への行き方を教えてください」

「……そのことを知っているということは、もう彼らは来ていたということかな?」

「ええ。そして、八津鏡を持って行かれました」

「そうですか。やはり」

 羽白は束の間目を閉じて眉根を寄せる。そして、再び口を開いた。

「私はそれを千代君に知らせるために、ここまで参ったのです。ですが」

「聡文君が先に千方院家に到達してしまったというわけか」

「ええ。今となっては後の祭りだ」

「いいえ、まだ終わっていません。すぐにでも取り返せばいいだけの話です」

 八重千代は座っていたベンチからゆっくりと立ち上がる。

「あの、どうしても行かれるつもりで」

「それはどういう意味ですか?」

「聡文殿もアレのことは心得ておりましょう。分別のつかぬ稚児が刀を得たわけではないのです。どうぞその行く末を見ては」

「羽白、本気でそう思っているのですか? もはや過ぎてしまった過去の報復を良しとすると」

「いえ、私は」

「……あの子は何も知らない。知らないからこそアレを屋敷から持ち出そうなんて馬鹿げたことを思ったのよ」

「これはこれは、出過ぎたことを申しました」

「そうと決まれば場所を教えてください。すぐにでも向かいましょう」

「話に水を差すようで悪いんですが、そんな大事なものなら、彼らはそこそこ厳重で警備している筈だ。あー、なんだな、その、慎重にはなった方がいいと思うが」

「先生、たとえそうだとしても関係ありません。これまでだってそれくらいの困難は幾度とありましたが、その度に乗り越えてきたので――」

「落ち着きなさい、姫さん」

 低くて腹の底に響く声。束の間の間、辺りを静寂が包み込んだ。

「もうあれから数日経ってるんだ。一時間や二時間遅れたところでそう変わりはせんよ」

「そう、ですね。すみません、先生」

「まあですが、確かにあまり悠長なことを言って事態を悪くするわけにもいきませんな。羽白さん、あんた、道案内くらいしてくれるだろう」

「分かりました。まあ元はといえば、彼らを止められなかった私に責任があるようなものですからね。罪滅ぼしといっちゃなんですが、可能なかぎり助力しましょう」

「それは有り難い。まあ色々あるでしょうが、可能な限りお願いしますよ」

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