96.平和の祭典2日目5(エレノア視点)
今日の夜も舞踏会が始まる。
昼間の馬上槍試合は見ていて生きた心地がしなかった。ウィルもルークもカイン様もお兄様も、皆無事で本当によかったわ。
誰かがライオンは演出だったなんて言っていたけれど、本当かしら?もしそうだとしたら悪趣味だわ。
この後の舞踏会では、何事も起こらなければよいのだけれど。
とにかく、私は王女としてしっかりと振る舞わなくてはいけない。
「エレン、顔が強ばっている。笑えとは言わないが、もう少し気を抜いた方がいい」
お兄様に言われて、自分がとても気を張り詰めていたのだと気づく。今日の舞踏会のエスコートはお兄様だ。当然だけど、カイン様といるよりも落ち着く。それなのに、今からこれじゃあ先が思いやられてしまう。
ぺしぺしと両頬を手でつねっていると、お兄様が私にウィルの話をふってきた。
「そういえばウィルとは話せたか?ウィルが気にしている風だったが」
ウィルは、私が話したいと言ったのを気にかけてくれていたんだ。
「まだだけど……。でも、もういいの」
ウィルは、私が他の男性といても平気。むしろ、そうあるべきだと思っていることがわかって。
ウィルは私のものじゃないのに、勝手に心が痛んだ。
昔から、お兄様には隠し事ができた試しがない。今の私の気持ちも見透かされているのだろう。
これ以上この話を続けたくなくて、私はずっと疑問に思っていたことをお兄様に問いかけた。
「そういうお兄様は平気なの?お兄様だって周りに色々言われて来ているでしょ?ライラさんの事はどうするの?」
気になっていたけど、何となく聞けなかった事。
自分でも、この質問をするのにこれ以上のタイミングはないように思われた。
私の婚姻よりも、お兄様の婚姻の方がアスティアーナ国に及ぼす影響は大きい。お兄様もそれがよく分かっているはずだ。
「ライラのことは大切に思っている。だからこそ、私は王子としてあらゆる場面で失敗できない。弱みを掴まれればそこから足元を掬われる。誰にも文句を言われないくらいに私が強ければ良いのだが」
お兄様がライラさんと仮に結ばれるとすれば、アスティアーナ国は政略結婚の恩恵を受けられない。その恩恵を補うだけの実力を備えた王になろうとお兄様は考えているのか。そもそもその前に、貴族と平民という身分差もあるのに……。
「……どうしてライラさんのためにそこまでできるの?」
私のさらなる疑問にお兄様が少し自嘲気味に言った。
「彼女の心も手に入っていないのに、と笑うかい?」
「いいえ!そんな――お兄様の真剣な気持ちを笑うなんて無いわ。でも……どうして?」
「今の私にとっては、王になるための努力も、ライラと結ばれるための努力も、同じ方向を向いているからかもしれないな。どちらかのためにどちらかを諦めなければならないとしたら―――……。そんな事が起きないように今から善処するだけだ」
「お兄様……」
お兄様の心には迷いはないようだった。
「そういう意味では今はエレンの方が悩ましい立場なのかもしれない。でも、悩んだ分だけ、後の後悔がないと思う」
そういって、お兄様は私を慰めるように私の手を握った。
私は、どうしたいのだろう。ウィルの事が好きなのは確か。
だけど、だからってどうしたら……。
思考がぐるぐると回っているまま、お兄様にエスコートされて舞踏会の広間に到着する。
広間でさっそくスチュアート国のスチュアート王子に声をかけられ、一緒にダンスを踊る。ダンスを踊りながら、会場の人々を眺める。ここにいる人たちも、皆何かしらの想いを抱えているのかしら―――取り留めもなくそんな事を考えていると、曲が終わった。
「……王女、エレノア王女?」
声に、はっと顔を上げる。どうやらスチュアート王子に話しかけられていたのに上の空だったようだ。
「すみません!私ったら……」
「いいんです。こちらこそ、少し激しく踊り過ぎてしまった。ダンスで頬を上気させて息を弾ませているあなたも素敵ですよ」
「まあ……」
言われて、少し顔が熱くなる。確かに息が切れて胸が弾んでいる。
「あちらで少し休みませんか?二人きりになれる所があるのです。……そこであなたとゆっくりお話したい」
言いながらスチュアート王子は私の腰に手を回してくる。触り方が何となくいやらしい気がすると思った直後、スチュアート王子は私の背後から身体をくっつけてきた。
「ちょっと……!」
「さあ、行きましょう」
距離が近い!
私は何とか腰の手を剥がしつつ、身体も離そうとがんばってみるのだけれど、離れない。
優男に見えるのに意外と力が強いのね。このままでは2人きりになれるという場所に連れていかれてしまう。私としては2人きりで話すことなどない。
「休むのであれば、ここでも構わないのでは無いですか?ここで、ゆっくりお話しましょう」
ここでを殊更に強調してみた。
「可愛い人。どうか恥ずかしがらないで」
⁉︎話が通じていないのかしら?
「恥ずかしい訳ではなくて……!」
押して、押されての攻防をしていると、思っても見ない方向から声をかけられた。
「スチュアート王子にエレノア様、今宵も豪華な舞踏会ですね」
「カイン様」
カイン様は自然な振る舞いで私を自分の方に寄せて、スチュアート王子と私の距離を取ってくれた。
「これはエンデンブルク王のカイン様、エレノア様は今私と話していたのです。いきなり何の用ですか?」
スチュアート王子はいきなりやってきて私を引き剥がしたカイン様のことを不快に思ったようだった。
「そろそろ次の曲が始まりますので。エレノア王女にダンスを申し込みに」
「!王女は私と時間を過ごしている」
「私かあなたか、どちらと過ごすか決めるのはエレノア王女でしょう。エレノア様、宜しければ私とも踊って頂けませんか?」
カイン様は微笑みながら私に向かって手を差し伸べる。この人、私とスチュアート王子が既に踊った後だということもわかって来ているのね。
「ええ、カイン様。喜んで。スチュアート王子、お話はまたいつかの機会に」
スチュアート王子は残念そうな顔をしたけれど、仕方ないと諦めたようで、私たちに挨拶をして行ってしまった。
「あの……ありがとうございました。少し困っていたので、助かりました」
「何のことかな?私はただ、あなたにダンスを申し込んだだけだよ」
冗談のようにとぼけて言うカイン様は、私の心をほぐそうと思っているみたいだった。私はカイン様の提案に頷くと、再び差し出されたその手をとった。
「今日の馬上槍試合……カイン様がご無事で良かったです」
踊りながら、カイン様に話しかける。
「私もライオンの登場は知らされてなくてね。本当に驚いたよ」
危険だったはずなのに、こうもサラリと冗談にしてしまうカイン様には驚いてしまう。
「彼のおかげで私はここでこうしてあなたと踊っていられる。神と彼に感謝するよ」
そういうと、カイン様は目線を会場の一角に向ける。そこには男達の群れができており、中心にはルークがいた。
その後も、カイン様は次々に私に話しかけた。好きな食べ物は、とか、好きな花はとか。全て答えやすい質問で、気がつくとそのままおしゃべりが弾んでしまう。ダンスが終わって、喉がカラカラに乾いてしまった。
「……何か飲み物を取りに行きましょう」
カイン様が少し申し訳なさそうな顔で言った。
「そんな顔をなさらないで下さい。確かに喉は乾きましたけど……お話できてとても楽しかったです」
楽しいおしゃべりに幾分心が軽くなったみたいだ。
そんな事を思っていると、ウィルとカトリーヌにばったりと会う。
ウィルとカイン様が楽しげに会話を始めた。
「いや、君なら仲良くなると初めから思っていたよ。信じてくれ」
「信じられないでしょうが、僕もそう思っていました」
信じられない気持ちでウィルの言葉を聞く。話題に登っているのは、ウィルの隣にいるカトリーヌの事だろう。
仲良くって何?もう大人だもの。「仲良く」が字面通りの意味じゃない事くらいわかる。
つまり、ウィルは彼女にデレデレしてたんだわ!昨日からあんなにくっついて、今だって、どうやらこれから喫茶室にでも行く所のようだ。あの娘、あんなにウィルをせっついて……。早く二人きりになりたいみたいだ。二人きりで何をするんだろう。
私が憂鬱なのも、全部ウィルのせいなのに!
ウィルたちと別れた後に、私達は飲み物が置かれているハイテーブルの所に行く。
「エレノア様?どうしました?さっきから雰囲気が違―――」
私は、苛立ちのまま、喉の乾きも手伝ってそこにあるグラスを掴むと一気飲みをした。王女としてあるまじき振る舞いであるにも関わらず。
カイン様が慌てている。
王女とは程遠い姿に、きっと呆れてらしてるのだわ―――そんな事を考えていると、視界が白くなって……
そのまま私は倒れていた。




