95.平和の祭典2日目4
闘技場のアリーナでは、ライオンがその生命を終えたことがはっきりとわかると、VIP観客席にて一部始終を見ていたメールスブルク国王がルークの元に歩み寄り、
「本日のMVPはアスティアーナ王国バレンヴォイム領伯爵家のルーク・バレンヴォイムである!本日の健闘、みな大義であった!」と高らかに宣言した。
会場から歓声がわっと沸き起こり、大盛り上がりのうちに今日の馬上槍試合の競技は終了となったのだった。
元々、競技の最後にその日のMVPを発表する予定になっていたし、ルークとカインの試合の後は、誰と誰が戦うかはその場のノリと時間を考慮して決められることになっていたから、馬上槍試合の中止にそれほどの違和感は感じなかった。
お陰でライオンの出現それ自体も今回のイベントで予め計画されていた粋な演出だと見る面々も出てきている。そして、そういった考えはメールスブルク国にとっては都合の良いものだった。
メールスブルク国は、大多数の事情を知らない参加者のために演出という噂を否定せず、ルークなどライオンの出現が演出でない事を知っている一部の参加者たちに対しては、ライオンの出現を事故として処理をしたいようだ。
事故だとしても国が管理責任を問われるのは必至なのだけれど、貴族を狙った犯行と思われるのはもっとまずい。
壊された南京錠という、事故ではなく恣意的な事件だという決定的証拠を見ているギルの元には、メールスブルク国側から口止めの依頼が入っていた。ギルはいくつかの国家間の通商に関する要求を立てて取引をするつもりだ。事を穏便に済ませつつ、アスティアーナ国の利益を図る。
「事故だとしても、アスティアーナ国の伯爵とエンデンブルグの王が襲われているんだ。メールスブルク国にとっては痛手だな。逆に私達は表向きにも交渉で有利に立てる。ルーク、お手柄だ」
ギルがメールスブルクの王宮内の一室で紅茶片手に、向かいに座っている僕とディーノとルークに話している。
ルークはギルの言葉に照れて頭をかいた。
「よくライオンなんて倒せたね。修行の成果じゃない?」
「そうだと思う。役に立ってよかった」
「その前に、猛獣相手に無事でよかった、だろう」
ルークの相変わらずのズレっぷりに笑いが起こって場が和んだ。
「それにしても、犯人の目的は何だろう……」
「大方メールスブルク国内にいる反乱分子の仕業じゃないか。闘技場に入り込めたのだから、内通者も居るだろう。メールスブルク国の方でも犯人を追うだろうが…見つけるのは難しいかもな。どのみち僕達に公表する訳はない。近々、鍵の管理を任されていた哀れな官僚が見せしめに処刑されて終わりさ」
僕のつぶやきに、ディーノがどことなく陰鬱な表情で言う。
僕は、さっきから頭の中で考えていた可能性を口に出してみた。
「犯人にしても、まさかルークがろくな武器も無い中でライオンを倒すとは思って無かったと思うんだ。競技用の木槍なんて、切っ先をわざわざ鈍らせてるのに、ルークったらあれを突き立てるなんてさ。ライオンだって、本来夜行性なのに、背中を向けてたとはいえあんな風にエンデンブルグ王に向かっていくなんて……。エンデンブルグ王の命を狙ってたような気がするんだけど……」
「ライオンを操って特定の人を襲わせる……か。出来なくは無さそうだ」
「古代では薬物を使ってそういう事をしていたと文献で読んだことがあるぞ」
ギルとルークが僕の話に真面目に答える中、ディーノだけは何故か沈黙している。しばらく黙った後に、ようやく不思議そうな顔でディーノが僕に聞いてきた。
「ライオンは……夜行性なのか」
「そうでしょ。だってネコ科だし……」
そこまで言いかけて気づく。そういえば、この世界では動物園は一般的ではないのだった。動物の習性とか、知る機会はあまり無いか。ネコ科とか、生物の分類体系は前世と同じだったっけ?
「ネコ科?」
ディーノが怪訝な表情で僕を問いただした。
「ほら、動きとか少し猫っぽいでしょ。ネコの仲間なんだよ」
慌てて付け足した僕の強引なセリフに、ふいにディーノの表情が緩む。
「……猫か。そう言われると、百獣の王も少し可愛いく思えてくるな」
ディーノにしてはふんわりとした優しい微笑みを浮かべている……。
今は猛獣の話をしていてそんな顔をするような状況じゃないだろう。イベントスチル並のその微笑みは、どう考えても今この場にはそぐわない。顔が間違ってますよ!
……まさかディーノって動物好き?
話が逸れたところを、ギルが軌道修正する。
「エンデンブルグ王を襲うように何か仕掛けをされていたとしても、それも私達の知るところにはならないな。しかし、そういう事であれば、ライオン騒ぎは陽動ではない。別の事件が同時に起きているという事はないだろう。それそろ今夜の舞踏会も始まる。この話はこれで終わりにしようか」
ギルの言葉を最後に、僕達は椅子から立ち上がり部屋を後にした。
***
僕達3人の会話内容とは裏腹に、今夜の舞踏会の雰囲気は陽気で、そこには一種の戦勝祝いのような空気があった。
舞踏会にルークが顔を出すやいなや、昼の馬上槍試合で一躍スターになったルークの周りを大勢の人が取り囲む。
性別は、見渡す限り全員男だった。
「凄すぎます!左手を自ら獣に突っ込んで退治するなんて、聞いた事ありません!」
「ライオンが口を閉じる前に棒を立てる素早さと正確さ……痺れました!」
「師匠とお呼びしてついて行きたいです!」
一方の女性陣は、遠巻きにルークの噂をしている。
「あなた、あの方とお話していらしたら?」
「私には、野性味が強すぎてちょっと……」
「私も、こう見えて繊細ですの。あの方にうっかりでも抱きしめられたら壊れてしまいますわ」
「それに、あの目……!見つめられたら、ときめきじゃなくて死の恐怖がよぎりそう」
勝手に散々な言われようである。ルークだって君たちには興味ないと言ってやりたい!
しかし、人は強すぎても女性にはモテないようだ。おかしいな。「ときプリ」ファンの間では、ルークも結構人気あったんだけど……。確かに若干色物扱いだったけど、「野生のマッスル」と呼ばれて愛されていたっけ。
そんな事を考えながら、僕は隣でルークに熱っぽい視線を送っているカトリーヌに視線を移した。
「で?君はどうしてまた僕の隣にいるの?」
「ルーク様をご紹介くださるのでしょう?」
昼間は心の準備がうんたらかんたら言っていたけど、やっぱり紹介はしてもらいたいんだ。
しかし……。
「確かに約束したけど……あの人だかりを見てよ。とてもじゃないけど近づけない。そのうち空くさ。その時に紹介するから、それまではどこかで時間を潰してなよ」
そう促したら、ガシッとカトリーヌに腕をつかまれた。
「いいえ……それまではどうか、ルーク様の事をお聞かせください!ダンスも、5曲目一杯、ウィリアム様に予約入れときました!」
「なんでだよ!」
……カトリーヌとは離れられない運命なのだろうか。
思わずカトリーヌにツッコミをいれてしまったけど、ここはひとつ気を取り直して、と。
「仕方ないな。良いけど、その代わり僕も聞きたいことがあるんだ。交換条件だよ」
「私に答えられる事ならいいですわ。あっ、でも、胸のサイズは秘密です。好きな人にしか教えないって決めてるので」
カトリーヌが上半身を揺らし、その胸がゆさっと揺れた。
「バカ!メールスブルク国の官職に就いている貴族たちの情報だよ。君の胸になんか興味あるか」
「喫茶室に行きましょう。ここよりゆっくり話せます」
カトリーヌは、胸に興味がないって主張する僕の話には何の興味もないのか一言のコメントもよこさずに喫茶室に向けて歩き出す。僕も慌ててカトリーヌの後をついていく。
すると、ちょうど反対側からやってきたカインと、カインにエスコートされているエレンとばったりと出くわしたのだった。
カインは僕達2人を見ると、気さくにも大袈裟に驚いた素振りで話しかけてきた。
「まさか、本当に親しくなったのかい?」
「まさかとはどういうことでしょうか」
「いや、君なら仲良くなると初めから思っていたよ。信じてくれ」
身振りがいちいちわざとらしいので、冗談で言っているとわかる。昼間、困っていそうだと話していた事を受けて、皮肉まじりの冗談で本音と逆の事を言っているのだ。こういう会話は、貴族らしいといえばらしいのかも。
「信じられないでしょうが、僕もそう思っていました」
冗談めかした言いぶりで相手の冗談に冗談を返す。
会話のキリがついたので、昼間の例の事件について触れてみる。
「しかし、まさか槍試合で猛獣が出てくるなんて……。……お怪我は無かったですか」
「ああ。君の友人のおかげでね。私は運がいい」
……本当に、カインの元気そうな素振りに僕は安堵した。
僕はそれからカインの隣にいるエレンに目線を移してみるけれど、エレンとは視線がかっちりとは合わない。
何か怒ってる……訳はないか。タイミングが悪かったかな。……後で話せる時間、取れるといいけど。
先程から、カトリーヌが微妙に僕の服の裾を引っ張っている。早く行こうと催促しているのだろう。
「……ご令嬢とのお時間を邪魔して済まなかったね」
カインはカトリーヌの催促に気がついたようだった。カトリーヌ的にはバレないようにやっていたつもりだったらしい。カインに指摘されて、流石に失礼だと感じたのか顔を赤くしている。
お互いに社交辞令の別れの挨拶を交わし、カインは優雅な所作でエレンを広間の奥へ向けてエスコートしていった。
別れ際、エレンがふっと僕の名前を呟いたような気がしたけれど、カインが歩き出すのを見るやいなやグイグイ服を引っ張ってくるカトリーヌに、僕はそのまま引き連られていく。
「エレン、また後で」
聞こえるとも思われないけれど、エレンの背中に向かって僕は声をかけた。




