93.平和の祭典2日目2
木槍がけたたましいい音を出し、ぶつかり合う。
わっと会場から歓声が沸いた。
試合は一騎討ちで行う。真っ正面から、馬に乗って槍を持って突撃し、相手を馬から落とすと勝ち。どちらも落馬しなかった場合は、腹、腕など槍が当たった場所でポイント換算してポイントが高かった方が勝ち。
僕の最初の相手はバランスを崩し、馬から弧を描くように放り出され転がった。
うわぁ、痛そう。
馬の手綱を引き、ドウドウと落ち着かせながら振り返ると、転がった相手の後ろの客席にエレンを見つけた。こちらを見て泣きそうになりながら、握り締めたハンカチを引きちぎりたいのかってくらいに引っ張っている。
心配してくれているのだろうか。昨日から碌に話せていないけど、僕がいるって事は認識してくれてるみたいだな。
ハウンスカルを持ち上げ、声をかけようと近づこうとすると、目の前に影が落ちた。
「ヴォルフ公のご子息のウィリアム殿だね。私はカイン・ナーサ=エンデンブルグ、君の次の試合の相手だよ」
「…エンデンブルグ国王陛下、お初にお目に掛かります。ウィリアム・ヴォルフと申します。対戦相手にご指名頂き光栄です」
「なるほど、父君によく似ていらっしゃる。昨日はご挨拶できずに失礼した。実は舞踏会で何回も君の事を見かけてはいたんだが……。昨日のご令嬢とは仲良く出来そうかい?随分と困ってそうだったね」
そう言われて、僕は乾いた笑いしか出てこなかった。
昨日の舞踏会、僕の様子を見ていれば“昨日のご令嬢”に対して僕がどんな感想を持っているかは聞くまでもない事だった。僕の気持ちをわかってるくせにそんな事をいうとは。
次の試合前に動揺を誘うよう揺さぶりをかけられてるのか?いや、きっとそうに違いない。
「エレノア様の目線を追っていると良く君がいてね。興味を持ったんだ」
カインはそう言うと、妖艶な笑みを称えてスタートラインへ向かっていった。
黄色い歓声が飛んでいる。スタートラインに着く途中でエレンの前で止まり、エレンの手を取って騎士の忠誠を示すポーズをしていた。エレンのあの顔を見る限り満更でも無いのか……。僕は頭を振って、父が今朝ほども僕に言った、僕のお役目という言葉を思い出す。
エンデンブルグはアスティアーナ国とメールスブルク国に挟まれた小国であり、先の100年戦争のきっかけにもなった金脈を有している。金鉱の3国共同統治という講和条件は、エンデンブルグ側からしたらさぞ悔しかっただろう。今も、金鉱の統治条件について交渉は続けられている。
エンデンブルグ王、王に相応しい堂々とした態度、周囲を惹きつける魅力は十分といったところか。ギルのが魅力的だけどね!
「お手並みを見させて貰いますか」
準備を整えてスタートラインに着き、お互い見合った。
始め!の掛け声と共に一気に距離を詰める。
頭を低くし、槍を突き出し腹を狙う。カインも同じ体勢を取りぶつかりにくる。すれ違う瞬間、少し槍を持ち上げ軌道を変えて打ちに出たが、それにもカインは合わせてきた。2つの槍はぶつかり合い呆気なく、折れた。互いに倒れることなく逆サイドに駆け抜け、新しい槍を受け取り反転して打ち合いに戻る。
交差する瞬間、カインの槍が僕の脇辺りを捉えたのが見えた。咄嗟に斜め後ろに身体を引き、自分の身体に槍を引きつける。真っ直ぐ打ち込んできたカインのバランスがわずかに崩れたところを狙ってその真下から掬うように打ち込んだ。カインはそのままバランスを崩して、地面に落ちた。
「参った。やっぱり若さには叶わなかった!」
膝をバシッと叩き、起き上がるカインを見て、僕は安堵した。怪我はして無いようだ。馬上から降りて、手を差し伸べる。
「お疲れ様です。お見事でした」
年齢なんて言うほど僕と変わらないけれど、僕は学生で馬術も含め授業で日常的に体を動かしている。かたや、一国の国王陛下。鍛錬なんてする時間はないだろうに、これだけの実力があるとは素直に感服した。
「見事なのは君だろう。面白かったよ。またいつか手合わせ願おう。次は負けない」
カインは軽口を叩きながら僕の手をとって自身の体を起こした。
「ええ、またお願いいたします」
握手を交わすと、カインが兜を脱いだ。僕達2人に周りから歓声が上がる。その歓声に答えるように手を振るカインを見て思った。
申し分ない、と。
エレンの隣に並ぶのが彼ならば、誰からも文句は出ないだろう。
試合には勝ったというのに、何故だか負けた気分になる。
アリーナの端で馬を降りて観客席に戻ろうとすると僕はすごい数の女性に囲まれた。
「……え?」
一瞬何でだろうと思ったが、試合に勝ったからか。健闘を讃え、勝利を祝うために集まってくれたみたいだ。ありがとう、と礼を述べると歓声が飛ぶ。これでは中々席のある場所に戻れない。少し困っていると、カトリーヌが全員追い払ってくれた。
「……カトリーヌ嬢、君ってすごいね」
呆れ半分、感心半分でカトリーヌに言ったら、カトリーヌはまるで事務的な口調で返事を返してきた。
「未来の伴侶なら当然ですわ」
そうしてカトリーヌにグイグイ腕を取られ、観客席に向かおうとした時。
「ウィル、見事だったな!連勝するとこ見てたぞ」
目の前に赤みがかった茶髪の大男――ルークが立ちはだかった。
「ルーク!ありがとう。僕も今日調子が良いみたいだ」
「ウィルともやりたかった。学園に帰ったら手合わせ願おう」
「いいけど、この身体見ちゃうとなあ。ま、善戦するさ」
ルークは試合前の準備をしていた所のようで、ラフに羽織った白シャツからは鍛え抜かれた胸筋と上腕二頭筋、背筋がはっきりと見て取れる。後方では、ルークと試合に当たった男が十字を切っているのが見えた。
「人間と試合をするのは久しぶりで緊張する」
何だかすごい事を言っているな。
「……お手柔らかにね」
「ああ」
ルークが試合の準備に戻っていく。ルークを見送った後、観客席に向けて体の重心を傾ける。すると、さっきから僕にべったりともたれかかっているカトリーヌが、僕の動きに合わせられずにそのまま地面に向かって倒れていく。慌ててカトリーヌが地面に激突する前に受け止めたが、見ればカトリーヌは失神しているじゃないか。さっきからやたら体重かけてくるなと思ってはいたが、こういう事か!
「カトリーヌ嬢!?どうしましたか?しっかり!」
カトリーヌを揺さぶると、少し意識が戻ったようだ。
「ああ、もうダメ……神様……」
なにやらうわ言を言っている。とりあえずもう一度揺さぶろうと思った時だった。
「カトリーヌお嬢様!!」
簡素な服を着た女性がどこからともなく慌ててやってきて、予め用意してきたらしい水に濡れたハンカチでカトリーヌの介抱をはじめた。
「えっと、あなたは……」
「カトリーヌお嬢様の侍女でございます。こうなるような予感がして今日は物陰からずっと見ておりました。というのも、お嬢様は3度の飯よりも筋肉が大好きで」
「……え?」
この、突然現れたカトリーヌの侍女とやらは急に何を言い出しているんだろう。
筋肉だって?
目の前で展開する不思議な光景と、介抱の手際だけはテキパキとしているが、どことなく僕に哀願するような侍女の態度に面食らった僕は、自分でも顔が引きつっているのがわかった。
侍女はカトリーヌの介抱を続けながら独り言とも言えるような調子で僕に話し続ける。
「カトリーヌお嬢様があんな筋肉を見て、正常で居られる訳が無かったのです。あなたはウィリアム様ですね。カトリーヌお嬢様からは、婚約者候補の中ではとりあえずは1番筋肉がついているけど細マッチョで物足りないと伺っておりました。しかし、好きになれるよう努力してみると。カトリーヌ様は頑張っていましたが……。それがこんな事になってしまい誠に申し訳ございません!!」
カトリーヌお嬢様の侍女とやらは、話の最後の方にはついに涙を浮かべ僕に謝りだした。
えっと、この場はどうやって収めれば良いんだろう。
それに、何かよくわからないけれど、僕はまさか筋肉が足らないと非難されているのか?
「……ナーシャ、喋りすぎよ」
困っていたら、カトリーヌが気がついたようだ。上半身を起こし、真っ赤な顔で侍女を諌めている。
「ウィリアム様、ごめんなさい」
カトリーヌは僕に顔を向けると決まりの悪い顔で謝罪した。
僕はカトリーヌを助け起こしながら返事をする。
「ちょっと驚いたけど……怪我がなくて良かったよ。ルークほどじゃないけど、僕にも君を地面との激突から守るくらいの力はあったみたい」
冗談めかして言ってみたけれど、カトリーヌには通じなかったみたいで、かえって恐縮させてしまった。
「ウィリアム様は、そのままで本当に素敵な方です。ナーシャの言うことはどうか気になさらないで。ああ、あなたを好きになれればよかったのに……!」
好きになれれば……。ん?過去形?
カトリーヌの言葉の違和感をどう受け止めるべきか迷っている間にもカトリーヌの言葉は続いた。
「どうか不実な私をお許しください。あなたを好きになれれば良かったのに……そう思ったのは本当なのですが。それは無理だとはっきりと思い知らされました」
突然の告白に僕は完全に固まってしまった。
何これ……。
これって、僕は振られてるのか?僕は無理だと?告白してないのにこんなにはっきりと振られてる?
それに、不実と言われても……。こっちにも気持ちは無いし、将来の約束もしていない状態で許すも何もないと思うのだけど。
「ウィリアム様、ごめんなさい。自分に嘘はつけません。私は1目見た時からあの方に心を奪われてしまっていたのです。その心を無理矢理押し込めるだなんて、できる訳がなかったんだわ」
そこまで言うと、カトリーヌは口を噤み、ナーシャと呼ばれた侍女と抱き合った。
「お嬢様……!」
「ああ、ナーシャ……!」
頭の中が白紙になった僕だけど、やっとの事で一言カトリーヌに聞くことができた。
「“あの方”……って、ルークの事?」
カトリーヌは頬を染めて頷いた。
……。
…………。
昨日の僕って、一体何だったんだろう……。
カトリーヌの返答に1分ほど茫然自失となってしまったが、一度落ち着きを取り戻して良く考えよう。驚きの新事実は僕としては歓迎すべき事だ。うまくやれば今後カトリーヌに付きまとわられる事がなくなるのだから。
僕は努めて笑顔をつくりながらカトリーヌに手を差し伸べた。
「ルークに一目惚れしたって事かな?まったく問題ないよ」
「えっ。でも……」
「君は将来の伴侶と恋愛したいって言っていたよね?」
「はい。その信条を曲げるつもりはありません。ですからウィリアム様には申し訳ありません」
いちいち謝ってくるの、本当に余計だよなあ。別に僕はカトリーヌのことは好きじゃないんだから謝らないで欲しい。
内心で文句を言いつつも、僕はカトリーヌにある提案をした。
カトリーヌも僕も幸せになれる素晴らしい提案だ。
「謝らないで。伴侶と恋愛したいっていう君の姿勢を僕は評価しているんだ。ルークと挨拶は済ませたかな?良ければ紹介しよう」
途端にカトリーヌの顔が首まで茹でたこのように真っ赤になった。
「いいいいです……!いえ、また後で!ここ心の準備が整ってからお願いします」
全力で否定するカトリーヌ。
……。
………………。
絶対に食いつくと思ったのに。
「僕には胸とか押し付けてきたくせに、本命には挨拶すらできないって、何だよそれ」
思わず本音が出てしまった。
「か、考えただけでまた倒れてしまいそう……胸が苦しいわ……ああああ」
「お嬢様―――!」
再び意識を手放しかけるカトリーヌ。
女の子って難しい。そもそも恋が難しい。
軽く頭痛を覚えながら、今日の舞踏会はどうなるんだろうと僕の中に不安がよぎった。




