87.平和の祭典初日1
初日の舞踏会は宮殿の鏡の間で華やかに開催された。
オープニングはメールスブルク国の宰相の挨拶のみという簡素なもので、宰相の長い訓示が終わると、待ち構えていた指揮者がタクトを振り音楽が始まる。
男性は、広間までエスコートした女性とまずは一曲踊る者が大半だ。遠目にギルがこの何もかもが豪華な宮殿のメールスブルク国の王女―――濡れたような黒髪に、髪と同じ色の漆黒の瞳をした小柄な女性―――と踊り始めたのが見えた。エレンは、僕が見渡せる範囲の中では見つけることができなかったが、きっと同じように踊るだろう。
僕はというと―――
「さあ!私達も踊りましょう!体を密着させて!」
僕はうんざりした表情で隣にいる栗毛の巻き髪に鳶色の瞳のパートナーを見た。
***
「なるほど……。聞きしに勝る二枚目ですわね!」
部屋で夜会用の服を着込んだ後、僕はダンスカードに書かれた1人目の相手―――カトリーヌ・ドラッヘン公爵令嬢を迎えに行った。
カトリーヌとは初対面、僕の父とカテリーヌの父が書簡でやり取りして僕達がマッチングされたという間柄という訳だ。
先程の衝撃的なセリフは、自己紹介もそこそこにカトリーヌが僕に放った言葉である。
「……光栄です」
この場合、なんて返すのが正解なのだろう。正直不躾だと思ったが無下にはできない。一方のカトリーヌは、僕の微妙な返答にもどこ吹く風、僕の顔をしげしげと興味深げに見つめている。
見つめるだけで何も言わない相手に戸惑いながら、僕はカトリーヌに話しかけた。
「……まずは場所を変えませんか?ここでは落ち着かないし、別に軽食が用意された部屋があると聞いてますから」
この後は軽い夕食を共にした後に舞踏会の広間までカトリーヌをエスコートする段取りとなっていた。僕の提案にカトリーヌは軽く頷くと、差し出された僕の腕に柔らかい二の腕を絡ませる。
……が、通常のエスコートよりも距離が近い……!
「カトリーヌ嬢……その……ちょっと距離が近すぎやしませんか?」
「そうかしら?伴侶ともなれば当然の距離ですわ。今からイメージをつかもうと思いまして」
僕の指摘にしれっと答えるカトリーヌには何の躊躇いも恥じらいもなかった。
普通、男女が触れ合おうとするなら、そこには恥じらいとか躊躇いとか戸惑いがあって然るべきなんじゃないの?!
これが政略結婚というものなのか……?
前世では、それこそ性別を超えた恋愛至上主義者――腐女子(実戦経験ゼロ)――だった僕は、何とも言えない気分になってしまった。
その後の食事の時間、カトリーヌと僕はお互いについて紹介し合うような――まるでお見合いみたいな――会話をした。
「私、乗馬が趣味ですので、結婚しても乗馬を続けさせて頂ける相手と結婚したいのです」
「はあ」
「ウィリアム様は馬はお好きですか?」
「ええ」
「良かった!一緒に趣味を楽しめますね」
「はあ……」
「ところで、結婚してしばらくしても奥方に跡継ぎの男の子が産まれなかったら、ウィリアム様はどうされます?」
「ええと……」
嗚呼、とっても息苦しい!!!食事の時間が終わった時には心底ほっとした。
舞踏会へ向かう際にもカトリーヌが僕の腕に密着してくる。巨乳自慢だろうか、わざと胸まで押し付けてきているのが、あざと過ぎて嫌悪を感じる。
プライベートな間柄であればはっきり拒絶もできるが、悲しいことにこれも公務の一環。
一曲踊って最低限の礼を尽くしたら、理由をつけてさっさと退散してしまおう……。
そんな事を考えていると、広間に続く廊下の一角に奇妙な空間があるのに気づいた。舞踏会に参加する人々で賑わっている廊下だったが、その空間だけ人間がいない。いや、正確には、その空間の中心にいる1人を除いて誰もいない。あたかも、ぎゅうぎゅう詰めの終電列車で嘔吐した人を避けて円状に人々が距離を取っているかのような光景だ。
人々に避けられている人物は、ボロボロの服に黒いコートを羽織り、無精髭が生えた薄汚れた顔で広間に視線をやっている。赤みがかった茶髪も暫く切っていないのだろう。無造作に後ろで小さくゴムで一纏めにされている……。
しかし、その顔立ちには僕がよく知っている懐かしい面影が。
「……ルーク!!」
なんと、その薄汚い人物はルークだった。
思わず近寄って声をかける。
「ウィルか。久しぶり」
「そんな格好して、どうしたの?!」
良くみれば、ボロボロの服は所々破れてルークの鍛えられた筋肉が顔を覗かせている。
「うわっ、破れちゃってるじゃん。それ、セクハラだよ」
「セクハラ?どこの国の言葉だ?」
「あ、ごめん。破れてて、その、肌が見えてるよって事なんだけど」
「ああ。そうだよな。……俺だって、こんな格好でご婦人方の前に出てくるつもりなんてなかったんだが」
そう言って、ルークは実にバツが悪そうな顔をした。
「じゃあ何でここに?」
「それが……間違えたんだ。今日開催されるのは武闘会じゃなくて舞踏会だったんだな」
そういってルークは恥ずかしそうに顔を赤くした。
ルークが隣国の武闘会に参加すると言い残して2ヶ月―――
壮大な勘違いに僕は言葉を失った。隣にいるカトリーヌも、ルークに驚いているのか僕の腕を解放して茫然と立ちすくんでいる。僕はルークのお陰でカトリーヌと離れられた。
「しかし……どれだけ鍛えたんだ?何だか目付きまで鋭くなってるよ。ちょっと触っても良い?」
「ウィル!やめろよ……」
「ハハハ!堅い!岩みたい!」
ルークの腹筋は鋼のようだった。
「効率の良い鍛え方を見つけたから今度教えてやるよ」
「うわあ」
ルークと話していたら、広間入口で舞踏会参加者を仕切っていた官僚に、早く中に入るように促されてしまった。きっとこの官僚はルークが僕と気安く話しているのを見て安心して注意してきたに違いない。ルークといつまでも筋肉談義をしていたかったが、場所柄そういう訳にはいかなかった。
「ルークはどうするの?」
「流石にこの格好はまずい。今日はこれから身支度を整えて、明日から参加するよ。じゃあな」
颯爽と身を翻しルークは行ってしまった。
ボロボロの服を纏っているが、一分の隙もない身のこなしは只者ならぬ気配だ。ルークの向かう先、人々が自然と道を空けていく。
僕は名残惜しげにルークを見送っていたが、意を決するとカトリーヌの手を取って広間へ進んでいった。




