152.出口
ランタンを奪い、女性の腕を後ろで締め上げる。
ローザとは違って、女性には武術の心得はなく、ただの使用人らしかった。
「出口まで案内するんだ」
低い声で女性の耳元で凄むと、女性は首を大きく数回、縦に降った。
「行こう」
エレンに声をかける。片手で女性の両手を後ろで締め上げたまま、その女性を先頭に突き出して、1番前を歩かせていく。エレンは僕の後ろを。
これならエレンの顔が相手の女性に見られる可能性は低いだろう。
それにしても、止むを得ないとはいえ、エレンの前で女性に乱暴を働くことになるなんて。エレンは僕の事をどう思っただろう。
今まで築きあげてきたはずの優しい幼馴染のイメージが崩れてないか心配だ。
水路の中はいくつかの分岐があり、いずれにも分岐の先は侵入者を阻む鉄格子の柵があった。女性は水路の側道を真っ直ぐ行き、ある地点で水路に沿う整備された石畳をそれて、水路とは別に掘られたらしい洞窟に入った。
土の地面を行くと程なくして鉄格子の扉が現れた。
奥にも洞窟が続いているが、ほのかに光を放つ水晶が立ち並びこちら側よりも明るい。
「鍵を開ければここから出られます」
女性が震える声で告げた。
「鍵は?」
「ポケットに入っています」
女性はワンピースにポケットが2つついた前掛けをかけていた。
「どっちだ?」
「前掛けではなくて……服の方の……ポケットです」
女性の声は先ほどよりも一層震えていて途中で息継ぎをしながらようやく絞り出すようにして音を言葉にしていた。心臓が潰れて死んでしまうのではと思うほど恐怖に駆られている女性を見ると気の毒に思う。
僕はランタンをエレンに渡すと、女性の両手を拘束したまま、彼女のポケットをまさぐろうとした。
エレンの前でこんな事をするのか……。女性の服のポケットって、腰のくびれの下あたりだったっけ?
躊躇いが隙を生んだのだろうか。突然女性が両手の拘束を振りほどきながら、僕の急所に強烈な蹴りをお見舞した。
「ぐっ………」
反射的に身を屈めた僕を振り返りもせずに、女性は鉄格子の扉を開けるとそのまま一目散に走って行った。鍵は開いていたのだ。――――やられた。
「ウィル!大丈夫!?」
エレンが慌てて僕の背中をさする。背中はまったく関係ないけれど、純情なエレンには僕に今何が起きているのか分かってないのだろう。
痛い。ああ、痛い。こんなに痛かったんだ。か弱い女性が男性に対抗する手段を残しておくために、神様は男性の急所を強くはお創りにならなかったのだ。そうでなければ、どうして体の表面に鍛えることも出来ないこんな部位が存在するのかを、誰か僕に教えて欲しい。
思わずそう感じてしまう程に痛い。
「だ、大丈夫……」
「大丈夫そうには見えないわ。それに、ウィル、左腕も怪我してるのね。崖から落ちる時に私を庇ったから……」
ランタンの明かりで僕の身体を照らしながらエレンが僕を気遣ってくれた。
「あら?傷に何かついているわ?何かしら……」
「え?……っ、うわっ!!」
エレンに指摘されて、僕は初めて自分の左腕を見た。崖から落ちた時に擦った左腕、服が破れて所々裂傷を負っている上に、何やら黒色のプルプルした物体が……。
「ヒルがついてる。気持ち悪っ!」
水の中に漂っている時に、血の匂いに引き寄せられてきたのかな。右手でヒルを取っては捨て、取っては捨てる。最後のヒルを地面に叩きつけて足で踏み潰し、思わず身震いをする。
水から上がってだいぶ時間も経っている。濡れた洋服が身体を冷やして寒い。
「身体が冷えてきたね……。エレン、寒くない?」
「ええ、本当に寒いわ。凍えそう」
「だよね。とにかく先に行こう。ここから逃げないと」
鉄格子の扉を抜けると、そこは今までの洞窟とはガラッと様相が変わった。
曲がりくねった道を照らすように数多の水晶が光を放ち、この世のものとは言えない幻想的な景色が美しい。水晶というものは、自然のままでこうも密集して結晶化するものだろうか。それとも、ここは誰かが夢のような世界を再現したものなのだろうか。
「……あれ?ここって……」
洞窟が人の手で造られた可能性に思い立った時に気づく。
そういえばこの洞窟、見覚えがある。僕はここを知っている。
――――そうだ。幼い頃にギルと遊んだお城の洞窟だ。昔の王様が趣味で作らせた人工洞窟。王宮の裏手に入口があって、よくギルと冒険に来た場所だ。
「エレン!ここ、王宮の洞窟だ!!」
嬉しさに小躍りしたくなる。これで僕とエレンは大丈夫だ。
「良かったわ……。これで、お城に帰れる……」
エレンは力なく言うと、身を縮こませて震えていた。顔は青い。身体が冷え切っているんだ。
「そうだね。早く帰ろう」
エレンは返事をせず、代わりにぐったりと倒れ込むように僕に身体を預けた。
僕はエレンを抱き抱えるとできるだけ早足で歩き出した。寒くて歯を食いしばらないと歯のつけ根からガタガタと震えが止まらなそうだ。
洞窟を抜けると、久しぶりの空が天井に広がる。綺麗な月夜だ。空気までが自由なように感じた。
エレンは状態が悪化しているようで、時折苦しそうにあえいでいた。そして、その後には必ずギルと僕の名前をうわ言で呼ぶのだった。
エレンが僕の名前を呼んだこと、それに、カインの名前は出なかったことに奇妙な満足感を覚えながら、自分がなんでこんなに悪趣味な男になってしまったのかと自分に大してガッカリした。
エレンはこんなに具合が悪そうなのだから、その事に大して心配こそすれ、子どもっぽい独占欲を満たして喜んでるなんて。
王宮の中に入ると、何人かの小間使いがエレンを見て慌てて駆けて行った。少しの間をおいて執事のセグルスさんが慌ててやってきた。小間使いが全速力でセグルスさんを呼びに行ったのだろう。
エレンを引き渡す時に、エレンは僕の服を掴んで中々離そうとしなかった。
「エレン、傍にいるから大丈夫だよ」
僕はどこにも行かないから、と言うと、それが効果があったみたいでエレンの手は僕の服を離し、侍女達に委ねられていった。
また、1人の召使いが僕の前に出て言った。
「ウィリアム様もどうぞこちらへ。セグルス様からお世話を申しつかっております。お湯を沸かしておりますし、洋服のご用意もございますので」
すっかり冷え切っていて参っていたのでお湯の申し出は本当にありがたかった。
僕は自分の姿を見た。なるほど、ひどい格好をしている。服は破け、泥を被り、濡れているのだ。セグルスさんが気を利かせてくれる訳だ。それに、見た目以上に深刻なのは、濡れてしまった身体の凍えそうな寒さだ。
エレンの傍にいく前に、これらのことは何とかしなければならない。
だけど、僕にはもう1つしなければならない事があった。
「近衛隊のハンス隊長に言付けを頼みたいのだけど……」
そこまで言いかけて、諸々の事で限界を迎えていた僕の体が急に言うことを聞かなくなり、僕はそのままその場に倒れ伏してしまった。
新年なのに物騒な話ですが取り敢えず危機は脱出しました




