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151.水路

暗闇の中、水の流れに身を任せてどのくらいたったのだろう。

しばらくの間、水中に沈んでしまわないよう足掻くように泳いでいると、ある地点で突然地面に足がついた。

単調な暗闇の中での変化を単純に嬉しく思う。


そのまま川下に向かっていくと水位は胸の高さ程度まで下がっていった。

洞窟の中は暖かいとはいえ、外気に晒された濡れた洋服は気持ちが悪い。


ひとまずは下流に向かってエレンを抱き抱えたまま歩き始める。

水位が下がっているので今までのように泳ぎながら引っ張るような運び方ができず、とっさにとった体勢は、いわゆるお姫様抱っこ。


ついに僕にも好きな子をお姫様抱っこするというシチュエーションが訪れた!


前世で漠然と思い描いていたような夢のようなシチュエーションとは程遠い。

しかしお姫様抱っこはお姫様抱っこだ。不覚にも嬉しくて少し疲労が和らいだ。

さらには、折角ならもっとロマンチックなシチュエーションだったら良いのに……などという緊急性の低い贅沢な悩みが一瞬頭の中によぎる。

こんな暗闇の中、自分たちのいる場所も定まらない不安の中なのに、僕は思わず自分自身に呆れてしまった。

だけれども、シチュエーション萌えのおかげで若干気持ちが上向いたのも事実だ。



体勢が少し変わったせいか、今まで気を失ったまま動かなかったエレンが少し身じろぎし始めた。ずっと気を失っていたエレンの意識が戻るのは嬉しい。

起きて周りの状況に打ちのめされないか少し心配だけど……。



「エレン、大丈夫?起きた?」

「ん……。ウィル?」


エレンに話しかけると、鈍いながらも返事が返ってきた。


「私……確か道から落ちて……。って、キャア!ウィル!?おっ…降ろして!」


僕にお姫様抱っこをされている事を認識したエレンが狼狽えている。


この反応……。

まあ、現実はこんなものだよな。心を強く持とう。


「僕じゃ嫌かもしれないけどさ。暗いし危ないから。我慢して」

宥めるように言う僕の言葉には答えずにエレンが言った。


「……重いでしょ?」

気にする所そこ?!!と思いつつも、前世を思い出して、まあ女の子なら気にするかと思い直す。


「別に重くない。水の中だし。でもできれば

もうちょっと体重預けて欲しいかな」

僕の話を聞いてエレンは素直に体を預けてくれたので、少し歩きやすくなった。


「ウィル、ここはどこ?……私、道から落ちたのよね。ウィルが助けてくれて……どうなったの?」


僕は川に落ちてからの事をエレンに話した。川に流されて、洞窟の途中まで戻って来たけれど、岸にはあがれなかったこと。そのまま光の入らないかなり暗い洞窟の中を流されているうちに、ここまで来たこと。

川の流れに逆らって進むのは難しいから下流に向かって歩いていること。

僕の話を聞いてエレンは少し気落ちしたかもしれなかった。


「あまり希望が見えなくてごめん。でも、暗いとはいえ、比べるとさっきの方がもっと暗闇が濃かったんだ。今は目を凝らせばまだ水と空間の境目くらいは分かるし。それに、足もつくしね」


実際に暗闇がましになったことは事実で、単に闇に目が慣れただけではないように思われた。

足がつくようになってからしばらく歩いているけれども、水底は平らで固く、まるで石畳のようだ。

もし、どこかの水路を歩いているとしたら、いずれ出口があるかもしれない。

エレンが気が付き、会話ができるということも僕を元気づけている。


「ううん、ウィルが謝ることじゃないわ。私が落ちてしまったのに、ウィルまで巻き込んでしまって、私の方こそごめんなさい」

「エレンこそ謝らないで。僕はエレンを守るためにいるから」

「……ありがとう。でも、ウィルはこんな事すべきじゃなかったのよ。落ちるのは私だけで十分だったのに」


エレンが僕の胸に顔を埋める。

エレンの声が掠れているから、少し泣きそうになっているのかもしれない。


「そんな事言わないで。エレンを守りたいって決めたのは僕自身なんだし。逆にエレン1人で落ちてしまっていたら、僕は一生後悔してるよ。今一緒にいれて、2人とも生きてる。それだけでも良かったよ」

「でも、こんなことにウィルを巻き込んでしまったわ。ウィルはいつかお兄様の傍でこの国を支えていくのでしょう?私は、今は王女かもしれないけど、いずれ……他国に嫁いだら、この国の人ではなくなる。そんな人のためにここまで犠牲を払うことなかったのに……」


エレンが今にも泣き出しそうな弱々しい声で言葉を零す。

やっぱりこの状況が相当堪えたのだろう。

僕はエレンを抱く腕に力をこめてなるべくゆっくりと落ち着いて聞こえるようにエレンに話しかける。


「エレンがアスティアーナ国の王女だから守るって言ったんじゃない。エレンだから、だよ。たぶん、それは僕が死ぬまで変わらないと思う。エレンがどこに行ったって」


死という言葉を出した途端に洞窟の闇が大きくなったように感じた。やめよう。弱気になるのは。


「……どうして、ウィルってそういう事言うのよ。そういうセリフはとっておきなさいよ。結婚相手に」


結婚?


自分で発した死という言葉につられて少し悲壮になっていた僕は、死という言葉とはあまりに反対の、平和な雰囲気漂う結婚という言葉をエレンが急に発したことに驚いた。

なんで僕の結婚相手がここで出てくる?

でもまあ、生死の切羽詰まった瀬戸際みたいな空気感よりかはいいか。

そうは思ったものの、よく考えてみれば結婚それ自体にも僕はあまり希望を見いだせない。


「……僕は、一生結婚はしないんじゃないかな」

「……え?」

「好きな人とじゃないと結婚したくない」


何故かいつの間にかエレンと恋愛トークになっている。こんな差し迫った状況で呑気なものだけど、エレンにとってみたら何だか気が紛れて悪くないのかもしれない。


「……ウィルなら大丈夫でしょう。大抵の女の子なら、ウィルに好きになられたら、ウィルの事を好きになると思うわ」


他人事と思って言ってくれるなあ。僕が好きなのは誰だと思ってるんだか。


「そうかな。でも好きな人がその“大抵の女の子”の中に入ってなかったら仕方ないよ」

「……ウィル、好きな人、いるの?」


エレンの問いかけに鼓動が大きく跳ねる。


同時に視線の先に、薄ぼんやりと鉄格子が立ちはだかるのが見えた。

僕が足を止めた理由に気づいたエレンがため息を漏らした。


「……行き止まり……」


よく目を凝らすと、鉄格子の先は人工的に整備されたような水路のような様相を呈していた。

僕達の今立っている水の中も水路の続きなのだろう。

水路の両脇は水位から何段か高くなっており、人が通るための側道になっているようだ。

その側道は鉄格子のこちら側の側面にも続いている。


「なんだ、しばらく前から濡れずに歩けたんだね」

「暗くてよく見えなかったから仕方ないわ。重かったのに、ありがとう」

「だから、重くないってば」


エレンとそんな会話をしながら水路の脇の側道に移動し、エレンを腕から降ろした。

水路の鉄格子は、人間の侵入者を排除する目的でここにあるのだろう。ということは、この先に進めさえすればどこかにたどり着くという事だけど……。暗闇で目がきくようになったのも、水路の先に光源があってそこから僅かに光が届いているからなのかもしれない。

水路の片方の脇には鉄格子から石柱をひとつ挟んで扉があった。


「ドアがある。水路の先に進めるね」

「普通に考えたら鍵がかかっているんじゃないかしら?」

「鉄格子を素手で曲げるよりはドアを壊す方が簡単かな?」


言いながらドアノブに手をかけて、思いっきり引いてみたら錆び付いた金属がギギィッと鈍い音を出してドアが開いた。


「………開いた……。鍵、かかってなかったみたい」

「良かったけれど、何で鍵があいていたのかしら?」

「さあ?」


僕とエレンは扉をくぐり抜けるとドアを閉めた。開いた時と同じ鈍い音を出してドアが閉まった。

水路の通路に立つと水の音に混じって今までは聞こえなかった足音やざわめきのようなものが微かに遠くの……天井の方で鳴っている。


「この上……何だろう?」


不思議に思っていると、水路の奥から急いだ足音が聞こえてくる。僕とエレンは通路の脇にあった柱の窪地に反射的に身を隠した。

足音は段々と近づいてくる。

人数は2人……。靴の踵の響く音が高いから、1人は女性らしい。

ランタンの明かりが近づき、そして通り過ぎていく。

ギギィッと扉の開く音が水路に響いた。



「私はここまでです。後は……道程お気をつけくださいますよう」

柔らかい女性の声が聞こえてくる。旅に送り出すような言葉をかけられたもう1人の相手はしばらく沈黙していたが、やがて口を開いた。


「……濡れています」

1人目の女性よりも少し低いが、やはり女性の声で、凛としているようにもヒステリックなようにも聞こえる。会話への応答ではない返事に初めの女性が戸惑ったようだった。

「は?」

「通路が濡れています。おかしいことだわ。何かが通ったとでも言うのかしら?」


通路が濡れているのは水から上がった僕とエレンが歩いたからだ。僕の中で緊張が高まる。


女性は周りの様子を窺うようにランタンの明かりを振りかざす。

光の様相が変わり僕とエレンは柱の陰の一層暗闇の濃い部分に身を引いて息を潜めた。


それにしても、この女の声、どこかで聞き覚えがあるような……。


「波かもしれませんし、野良犬かも。それかもっと馴染みのない夜行性の獣かも。つまりは、今となっては分からないし、考えても仕方ないことです。それよりも、何故か近衛隊が動いています。急がれた方がよろしいかと」


最初の女性が促すように言うと、逡巡の間の後に、返答があった。


「1対1なら私でも自信はありますけど。数に屈することほど無粋なことはありませんものね。急ぐことにしますわ。ごきげんよう」


―――思い出した。

この声、ローザ・ラビエールだ。たぶん、間違いない。

薬物による犯罪に王族の誘拐未遂で幽閉されてるんじゃなかったっけ!?

そもそも何故こんな場所に……?というか、ここは何処なんだろう。



ローザの足音が水路の奥に消えていく。

再び金属の擦れ合う鈍い音がして扉が閉じられると、続いて何かが嵌め込まれるような音がした。残されたもう1人の女性が扉の鍵を閉めたのだろう。

僕はエレンに身振りでその場から動かず音を立てないように伝えると、慎重に柱の陰から移動し、女性が横を通り過ぎる瞬間に襲いかかった。

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