130.ウィル
「抑え込むと無理が出る。やめた方が良くないか?」
「確かに爆発でもされたら困るわね」
アルベルトとライラの何気ない会話の一節に僕は盛大に咳き込んでしまった。
「何?暇ならウィルも手伝わない?」
ライラが怪訝そうに僕の方を見やりながら言った。
「いや、暇じゃないし、やめとくよ」
昨日から悩みが尽きず頭を離れない。
咳き込んだ喉を抑えつつ、拡散される思考をライラの言葉に繋ぎ止め、何とかライラの依頼を断る。
抑え込んで爆発だなんて、まるで昨日の自分のことのようだが、ライラとアルベルトが話題にしているのは発酵前のパン生地の事だ。
パン生地が発酵することにはなんの問題もない。
しかし、抑え込んだ感情が爆発して他者を傷つけるのは大問題だ。昨日の僕の態度は明らかに問題だった。その事が昨日からずっと僕の頭を悩ませているのだ。
あの後、エレンに謝罪した。
言い過ぎた、と伝えた所、エレンも謝罪を受け入れた。
「王女らしくない考えだったのかもしれないけど、私には踏み出す勇気も力もないから安心して」
「ならいいけど……」
エレンは僕が王女らしくない振る舞いに怒ったと思っているようだ。
本当の理由は違うけど、僕は訂正しなかった。
誤解されていた方が都合がいい。単なる独占欲だなんて格好悪すぎるし、何よりもエレンへの想いを悟られる訳にはいかないのだから。
「政略結婚だけれども、カイン様は優しいわ。私は恵まれているわよね、わかっているの」
胸が痛んだ。
でも、こういう時どんな顔をして、どんなことを言えば良いのかは、わきまえている。
「そうだよ、カイン様と結婚したい女性は星の数ほどいると思うよ?贅沢!」
冗談っぽく微笑むと、エレンも「そうね」と頷いた。
これで、僕達はいつも通りの幼馴染に戻った。
表面上は。
しかし、持て余したこの気持ちはどうしよう。今までは目を逸らそうと、意識しまいと努めていたけれど、その結果昨日みたいに爆発してしまったら目も当てられない。
「少し外に出しておくか?不自然に詰めるから反動で爆発するんだろ」
「むしろ蓋を外しておく?布でも被せておけば蓋してないのバレないわよ」
ライラとアルベルトは相変わらずパン生地について話しているのだが、今の僕にはどうしても僕の心を言い当てているように聞こえてしまう。
やっぱりそれしかないか……。爆発しない分、誤魔化すのも容易いだろうし……。
僕は、まるでライラの言葉を否定するかのようなタイミングで、はあ、と大きく溜息を吐いた。たちまちライラからは「うるさい」と返事が返ってくる。
とりあえず、自分の気持ちを見ないフリして認めないのは無理だと実感させられた僕にとって、喫緊の問題は、そろそろ新入生歓迎パーティーの時期だということだ。
パーティーでのダンス。
エレンを好きだと気づく前の僕なら、間違いなく何も考えずにエレンと踊っているだろう。実際昨年は踊った。
つい昨日までの僕だったら、エレンとは踊らなかったかもしれない。ヨシュアに対抗して踊ったかもしれない。どっちだかわからない。
でも、今となっては……。
僕以外の人がエレンと踊るのは嫌だ。
特にヨシュアとなんて絶対踊らせたくない。
少なくとも、1番初めにエレンと踊るのは僕であってほしい。
エレンにとって1番近い異性の存在は、ギルを抜かせば誰がどうみたって僕であったし、その立場はヨシュアや学園の誰にも譲りたくない。
どうせ僕がエレンにダンスを申し込んだ所で、エレンが僕の気持ちに気づく訳はない。それは今までと同じ、いつも通りの行動だから。
だったら、いいか。
エレンをすぐにでも抱き寄せられるような距離で、一時の間だけ、誰にも秘密で甘い気分に浸っても。
今まで、ギルを抜かせばエレンの1番近い距離にいた異性は僕だ。
だけど、遠くない将来にそれは強制的に変わってしまう。
あと少しだけだから、もしかしたら最後かもしれないから、エレンと踊りたい。
そうして、それが終わったら自分の気持ちに折り合いをつけていこう。
ルークに言われたっけ。
「自覚がないならそのまま無かったことにするのも良いかもな。時間が解決する、良くも悪くも」
僕は気づいてしまった。良いのか悪いのか……。
ただはっきりしているのは、気づく前にはもう戻れないという事だけだ。




