128.勧誘(エレノア視点)
「へえ……エレノア様って、勉強熱心なんですね」
図書室で修辞学の文献を読んでいた所をヨシュアに話しかけられた。
「ヨシュア。これでもね、一応知識欲はある方なのよ」
「そういうの、いいですよね。僕も学園に来るまでは修道院に居ましたので。周りは皆、何らかの専門家で日々実践と読書で研鑽を積んでいました。エレノア様を見ていると、それを思い出します」
ヨシュアが懐かしそうにふんわりと笑う。
「そんな、私なんて修道僧の方々になんて比べられないわ。あの方々は本当に知識が豊富でいらっしゃるもの」
「慎ましく謙遜される所も、貴女が素晴らしい心をお持ちなことをかえって僕に確信させる。……実際、この学園に来てから、学生達の勉学に対する態度にはうんざりしてましたから」
ヨシュアが言おうとしている事に、私は心当たりがあった。貴族の子女や市民でも金持ちしか通えないこの学園は、学びよりもコネづくりとステイタスを求めて通う生徒が多い。特に女生徒の大多数は、将来の夫探しのために学園に通っている。
「……しょうがないのよ。ここで勉強することが将来の生活に結びつくとは限らないから、やる気が出ないのだと思うわ。特に、女性は結婚してしまえば、教科の大部分は必要ないもの」
学園では、学年が上がるにつれ女生徒の数が減っていく。婚約や結婚が決まると、大抵の女生徒は夫となる男性の領地に行って暮らすからだ。一方、男子生徒は結婚が決まっても学園に卒業までいるケースが多い。卒業生に開かれている官吏の職やコネづくりのためである。
「エレノア様も……いずれ何処かの貴族の元に行ってしまわれるのですか」
ヨシュアの声がどことなく慰留をはらんでいるように聞こえた。
「どうかしら?決めるのは私じゃなくてお父様や宰相達だわ」
私は頭を振って答えた。ヨシュアはそんな私を憂いた。
「勿体ない……ですね」
「え?」
「エレノア様は、個人としてこんなに努力しておられるのに。生まれだけで人生が決まるなんて。あなたが生まれてきてからしてきた事柄は、あなたの未来を選ぶためのものではないのでしょうか?」
ヨシュアが小首を傾げてさも不思議だと私に問いかける。
どうしてだか、ヨシュアの言葉は甘い綿菓子のように私を惹きつけた。あどけない顔とまだ幼さの残る声が語る言葉は、幼い子どもが純粋なゆえに時折世界の真実をついて大人を驚かせるような印象を私に与える。
ヨシュアを見て幼い子どもを思い出すなんて、ヨシュアは気分を害するだろうけど……。
「仕方ないわ。立場をわきまえないといけないもの。王女に生まれた私には……」
好きな未来は選べない。
私の道は……カイン様に続いているのだろうか。
「王女でも市民でも、神の前では平等です」
ヨシュアが優しく私に微笑んだ。
「それは……信仰に限った事でしょう?」
「神の事柄と世俗の事柄を切り離すのは、意外と難しいですよ。例えば、ほら。名のある貴族しか入れない騎士団の中には、全員が神に身を捧げて一生独身で奉仕活動を行うものもあります。彼らの多くは自らの意思でそこに入ったのです」
「その人たちは……どんな思いでそこに入ったのかしら?」
「それこそ様々だと思いますが……。僕の知っている人だと……」
「気になるわ。お願い、教えてヨシュア」
「いいですよ。……笑わないで聞いてください。実は僕、前々からエレノア様は聖女のようだと思っていたのです。清廉で気高く、その知性で衆を導ける人だと。僕はあなたが周りに流されて政略結婚の道具にされるのも、くだらない貴族の愛人になるのも見たくない。少なくともご自身で未来を選びとって欲しい。そのためにも知ることは大事ですから」
私が漠然と望んでいた未来は……ウィルと一緒にいる事だったけど。それが叶わないのなら?ただ流されてしまってよいの?
自分の力で選ぶ未来……。
ヨシュアの言葉は人生に諦観しかけていた私を、そうじゃないんだと引き戻してくれているかのよう。
ヨシュアの話に耳を傾ける。
勇敢な人の話。最後まで自分の意志を貫いた人の話。どれもすごいけれど、ヨシュアに言わせれば、どれも普通の人の話なんだとか。
「……レン。エレン!」
すっかり夢中になっていると、ウィルが私を呼ぶ声が聞こえた。
「ウィル!御機嫌よう。どうしたの?」
見れば、ウィルの顔には若干困惑が広がっていた。
「話しかけても聞こえてないみたいだから、少し心配になって。ん、大丈夫そうだね」
そう言ってウィルは安心したように息をついた。
「大丈夫よ、話に夢中になって気づかなかったのね。あら、もうこんな時間だわ。ヨシュア、ありがとう。またお話しましょう」
「ええ、いつでも。ウィリアム様も、あまり僕達の邪魔をしないでくださいね?」
ヨシュアが悪戯天使みたいに笑う。
途端にウィルの顔が険しいものに変わった。
「ヨシュア、あまり王女に変な話を吹き込まないように」
「待って!そんな事ないわ、ヨシュアは……」
「いいんです、ウィリアム様には理解されなくても」
ヨシュアが打たれた子犬のようにしょげてしまう。
「ウィル!」
「エレン。ギルが呼んでるし、もう行こう」
ウィルに促されるまま、後ろ髪を引かれながら立ち上がる。
「ごめんなさい、ヨシュア。また今度」
ウィルは再び眉間に皺を寄せたが、私を咎めることは無かった。
「ええ、エレノア様。また」
ヨシュアがその眉尻を下げながら微笑んでくれた。




