122.挫折
「駄目だわ……全然だめ」
ライラが生徒会室で頭を抱えている。
進級後に気合を入れて再開した乙女ゲームの攻略――新キャラのヨシュア攻略――が上手くいっていないのだ。
「朝に昼に挨拶は欠かしていないのに、親密度が上がる気配がまるでないわ……。全ての会話が軽くあしらわれて終わり。取り付く島もなし。ヨシュアって、こんなに難易度高かった?!」
僕の前世のゲーマーとしての印象では、ヨシュアが他の攻略キャラクターに比べて特別に難易度が高いという事はなかったはずだ。
ライラの悩みは、前世でゲームとして主人公を操作してプレイしていた「ときプリ」と、現在に生きて存在している乙女ゲームの世界との隔たり、ということに尽きると思う。
つまり―――
「ライラ、ヨシュア攻略に重要な主人公の能力パラメータが何だったか覚えてる?」
「もちろん。“品行方正”でしょ」
「男同士を脳内でカップリングさせて妄想に萌え、鼻血を出し、萌えシチュエーションの再現のためには労苦を厭わず、嫌がる友人にイラストを強要する、そんな人は品行方正と言えますか!」
「言えないわね!」
つまり、これが答えである。
「困ったわ……。生まれ変わらない限り、私にはヨシュア攻略が難しい……!」
「大体、すでに1回生まれ変わり済みだろ。もう1回生まれ変わった所でどうにかなるものなの?」
うーん、と唸り出す顔色の冴えないライラ。
「進級してからというもの、脳内のMAP機能を立ち上げっぱなし。疲れるし、ストーカーになった気分。昨年ウィルを追っかけ回してた頃を思い出すわ」
ライラには学園入学と共に、1度出会った攻略キャラクターの位置がわかるMAP機能がその脳に搭載されている。
そうとは知らずに抗って、ライラから必死で逃げていた一年前を僕は思い出した。
「あれにはゾッとした……」
あの頃は、終いには鶏の顔すらライラに見えるほど精神的に追い詰められてしまった。
「でも、会う頻度をあげるしかないのよね。質の悪さを量でカバーしないと!」
「……やり過ぎると怖がられるよ」
僕の心配を他所に、ライラはヨシュアとどうやって会うかの算段をし始める。
「本当は放課後もヨシュアに接触したいのだけど、エレノア様の社交クラブに入り浸ってるから、近づき辛いのよね。あの社交クラブ、昨年エレノア様に誘われたけど面倒くさくて逃げ回ってたから、今更顔なんて出せないし」
そういえば、エレンはほとんどライラのためにあのクラブを立ち上げたようなものじゃなかったっけ?
社交クラブでエレンに鍛えてもらったら少しは品行方正になるんじゃないの……と思うと同時に、大きな違和感が沸き起こる。
「エレンの社交クラブに入り浸ってる?ヨシュアが?」
前世でプレイしていた「ときプリ」では、エレンとヨシュアはほとんど接点が無かったはずだけど。
「ええ、ほぼ毎日。今もそうね」
ライラがその瞳だけをあらぬ方向に動かして言った。ほぼ白目を剥いていてかなり怖いけど、そうか、マップ機能使ってるんだ……。って、そんなことより!
「エレンの社交クラブは女生徒のためのものだろ?」
「細かいことは知らないわよ。いずれ聖職者だから性別関係ないんじゃないの?」
「本当に行ってるの?」
「ヨシュアを毎日脳内ストーキングしてる私が言うのだから間違いないわ。トイレのタイミングまで知ってしまって忘れたい……って、ウィル?どこ行くのよ?」
反射的にライラに真偽を聞くも、その答えを待つことなく僕はそのまま生徒会室を飛び出した。
***
学園内のとある角部屋がエレンの社交クラブのサロンだ。
思わず勢いのまま部屋の前まで来てしまったけれど、この後どうしよう。
部屋の中からは、さざ波のような人の笑い声が聞こえてくる。そして、部屋の中から入口のドアに向かってくる誰かの足音も。僕は思わずドアから少し離れて廊下を戻り、壁の死角に身を潜めた。それとほぼ同時に社交クラブのドアが開いて中からエレンとヨシュアが出てくる。
「ヨシュアは本当に覚えが早くて優秀な生徒だわ」
「エレノア様の教え方が上手だからです。今まで礼儀作法を習う機会がなかったので感謝しています。……また明日も来て良いですか?」
「ええ、いつでも。歓迎するわ」
どうやらヨシュアは本当に頻繁に社交クラブに出入りしているらしい。こうしてヨシュアと別れの挨拶をすませ、エレンは再び部屋の中へ戻ろうと体を傾ける。しかし、それを遮るかのようにヨシュアがエレンに再び声をかけた。
「それと、一つ教えて頂けますか」
「ええ」
ヨシュアに再び視線を戻して微笑んだエレン。まだあどけなさの残る幼い顔立ちのヨシュアは、その大きな瞳でエレンを見つめる。2人の身長はほぼ同じかエレンの方が高いくらい。ヨシュアの次の言葉を待つエレンに、ヨシュアは2人の距離を1歩詰める。
「親密になりたい女性との別れ際―――その女性の心に残る気の利いたマナーが知りたい」
「……っ」
思わず動揺して視線を泳がせるエレンに、瞳を潤ませたヨシュアが何かを言おうとした時。
「……一国の王女に対して、距離が近すぎないか?ヨシュア・リンド」
僕は思わずヨシュアの腕をとって2人の間に割って入っていた。
「ウィル!?」
驚いて僕を見上げるエレン。一瞬で佇まいを直し、エレンと僕から一歩引くヨシュア。
「……ごめんなさい。僕、失礼でしたね……」
見ればヨシュアは泣きそうになっている。
しまった。私情が入って少し怖い顔になってしまったかもしれない。
「ウィル、ヨシュアは悪くないわ。普通にお話してただけ」
エレンもしょんぼりしたヨシュアを気遣って言い訳を始める。一方のヨシュアは下を向いて俯いてしまった。
「……本当にごめんなさい」
僕の足元を見ながらポツリ、と謝罪するヨシュア。そうだった、ヨシュアはこういう、ちょっと気弱な可愛い系のキャラクターだった。
「いや、僕も言い過ぎた……」
ヨシュアの腕を離しながら、やりすぎたと反省をする。
「ところで、ウィルはどうしてここにいるの?」
ふいに、エレンが僕に尋ねた。
「……たっ、たまたまだよ!ほら、室内でクラブのメンバーがエレンを待っているんだろ?行った方がいいよ」
エレンの言葉に我に返った僕は、慌ててエレンの背中を押して社交クラブの室内に戻るように促す。訝しがりながらもエレンは社交クラブに戻っていった。
そして、ドアが閉まるその瞬間。
「……距離が近いって、どの口が言うんだか。恋人でもないくせにね」
「……ッ!!」
声のした方を振り返ると、言うだけ言ったヨシュアが既に僕に背を向けてスタスタ歩き出していた。
可愛い系の……年下キャラ……?
あれ?ヨシュアって、あんな性格だったっけ……。
それとも今のは空耳だろうか。
それに、何よりもエレンに対するあの態度は―――
言い知れぬ不安が僕の胸によぎるのだった。




