117.ライラとバレンタイン(アルベルト視点)
「お待たせ!どのくらい待った?」
「そんなには。……そのシャツ卸したてか?パリッとしていて爽やかでいい」
バレンタイン当日。
俺は学園の裏門で待ち合わせしていたライラと落ち合う。新しいシャツを着てくるあたり、ライラもこの日を楽しみにしていたのかと思うと心が弾む。白いレースのシャツにグレンチェックのサロペットを着たライラが軽く笑う。
「ふふ。ありがとう。こういう格好をしてると、アルベルトとルイの3人で遊び回ってた大昔を思い出すわ」
「ガキの頃か?あの頃は有り合わせで男物を着てただろう。今とは全然違う。今は、良く似合ってる」
昔――俺とルイとライラが遊び回っていた頃、ライラはしょっちゅう俺の古着を着ていた。フェラー家に遊びに来る時は女の子らしいワンピースを着てくるのだが、ギャングエイジよろしく飛び回るにはワンピースは動きづらいし汚れてしまう。そこで、ライラはいつしか家に来ると俺の母親から俺の古着に着替えさせられるようになっていた。そうして1日遊び回った後に、汚れることを免れたワンピースを着て帰るのである。
「今日はどこに行くの?」
「王都の外に出る。行こうか」
言いながら俺は馬の背に跨る。俺に続いて後ろにライラが乗るのを少し手助けすると、早速馬の腹を蹴って駆け出す。王都と外部の未開拓な平原との境目である城壁を超え、街道からも離れて暫く行くと、川沿いに立つ半ば瓦礫と化した建造物が見えてくる。俺はそこで馬を止めると地面に降りる。
「いい眺めね!……それにしてもここは何?」
ライラは馬から降りると辺りを興味深げに見回す。
「今は使われていない、関所の跡地。この辺りは昔は教皇領だったんだ。で、今の王都の西端の一部に町があって、そこから出入りする人間から教皇様が通行税を取っていた、と」
「今はどうして使われていないの?」
「これも古い話だが、王様は関所から上がる税収に目を付けたんだ。それで、この関所にほど近い自分の領地内に新しい関所と町を作った。町はどんどん発展して大きくなり、ついには今の王都になった。王都が発展し、教皇領の町まで拡大していったから、ついにはくっつけてしまう。だから今の王都は王領と教皇領が入り交じってるんだ」
「今じゃ教皇領は王都の中のほんの一部だけで独立性はまったく皆無だけれどね。5代前の王の時に遷都したって歴史の講義でやったけど……それ以外の話は初めて聞いたわ」
「教皇様も王様も、関所の話なんて一般に知られるとお互いちょっと気まずいしな。あえてやらないのかもな」
「元を正せばカネの話だものね。関所なんて、人が通る度にお金を落としてってくれる訳だから、うまく機能すればオイシイ商売よね」
「全くだ。俺も王都と親父のとこの往復で毎回払ってるし、フェラー商会全体になると、結構国の税収に貢献してるよな……」
「私も王立議員になったら、関所を増やそうかしら?」
ライラが悪戯っぽく言う。
「おいおい、俺を破産させる気かよ」
冗談よ、と笑って、ライラは旧時代の廃墟を探索し始めた。俺もライラの後に続いていく。
バレンタインデーは毎年ライラと過ごしている。
もっとロマンチックなデートにしようと迷走した時期もあったが、尽くライラには不評だった。こういう色気のない過ごし方の方がライラには合っているようだ。
「川が建物のすぐ隣まできてる!……定期的に船で荷物を運ぶには、ちょっと大きさが物足りないかしら?」
「それこそ昔は使われてたみたいだぞ。今は、王都に人も増えたし、昔に比べて水量が減っているのかもな」
「そうね、この川から生活用水を引いているものね」
ライラはそのまま近くに剥き出しとなっている階段を登っていく。階段の先は、屋根と壁が剥がれ落ちた廃墟の上階だ。
「崩れるかもしれないから、気をつけろよ」
「平気平気。あっ!アルベルトも来て!!風が気持ちいい!!」
「……はいはい」
急かされるまま階段を登っていくと、ライラは倒れた石版に腰掛けて遠くを眺めている。俺に気づくと、ライラはライラの隣、石版の空いているスペースをバシバシ手で打ち始めた。隣に座れ、と言うのだろう。俺は素直にライラに従って隣に腰掛けた。
「……風が気持ちいいし……思ったより見晴らしもいいな」
「遠くに王都が見えるわ。……城壁だけだけど」
暫くそよ風に身を任せてまどろんでいると、ライラがゴソゴソと彼女の鞄からなにやら取り出した。
「ケーキ作ったの。あげる」
そうして手渡された青いリボンの箱からは甘い匂いが漂っていた。
「甘い、美味しそうな良い香りだ。まさかライラ、今年はスパイスは入れてないのか?」
若干驚きながらライラを見やると、ライラは肩を竦めて言った。
「入れたかったんだけど、今年はウィルとギルと一緒に作ったから」
「……なるほどな」
大方、ウィリアム様が必死に阻止したのだろう。なんとなく想像できる。お陰で今年はライラの作った美味しいケーキが食べられる訳か。ウィリアム様には感謝しないとな。
「それにしても、ギルバート様か……」
ライラに聞こえないように小さく呟く。
ライラの言う、「恋愛イベント」を進めている訳でも、媚薬入りのアイテムを使っている訳でもないのに、ギルバート様はライラに関心があるようだ。
あんな、全てを持っている、将来は何だって自分の思い通りにできる立場になる御方が。
もっと良い女が周りに居るだろうに、何故ライラなのか……。人の事は言えないが、ギルバート様の女性の好みは変わっている。
将来政治を志しているライラにとっては喜ぶべき事だろうか。……当の本人はあまりピンときてないようだが。
俺は、思ったままを行動に移すライラの自由奔放な所が好きだ。ライラが自由でいられるように、俺なりに手助けしてやりたい。
たとえ、結果として彼女が手の届かない程遠くに行ってしまったとしても、自由な彼女を愛しているのだから仕方ない。
手に入らない程遠くに……。
「ま、そんな事、今から考えても仕方ないか」
「?何考えてたの?」
気づけばライラが俺の顔を見て、何やら知りたそうにしている。
「……秘密だ」
「何それ!!私にはアルベルトに秘密なんてないのに?駄目よそんなのずるい!」
「ずるい、じゃないだろう。それに、ライラが勝手に全部喋ってくるんだろ」
実際は俺に何でもあけすけに話してくるライラの性質に色々助けられているのは事実なのだが……そんな事は言わない。
「いいわよ。当ててみせる。……わかったわ!『恋人欲しい』とかそんな碌でもない事でしょう」
ライラが得意気にニヤニヤと笑っている。……本当にこいつはどうしょうもない。
「うるさい」
仏頂面で返しながら、ライラの両頬を両手でつまみながら引っ張る。
「はに(なに)!」
やられたのが悔しくて必死に俺の腕を払いのけるライラを見て、思わず笑みが零れる。ライラはこの後、俺の事をくすぐってこようと狙ってくるはずだ。
石版から勢いよく立ち上がると、そのままライラから逃げるように距離をとる。
「アルベルト待って!ずるい!」
ずるいのはどっちだよ……と思いながら、階段を大股で降りていく。天気もよく、日差しが降り注ぐからかこの時期にしては寒くない。もう少しこの辺りを見ながら、のどかな午後を満喫しようと決めて、後ろから追いかけてくるライラを待った。




