115.バレンタインデー2
エレンからバレンタインの贈り物を貰えた!
てっきり貰えないと思っていたのに……。
思わぬ出来事に心が軽くなる。
冷静に考えてみれば、お世話になった人に贈る義理チョコのようなものだし、エレンの言う通り「今年だけやめる理由がない」のでくれただけで、ライラが僕によこしたケーキと意味合いはどっこいどっこいで大差なのだけれど、ライラのものよりも有難味を感じるのは、ライラのあのやる気のない態度を見たせいだろうか。
エレンは真面目だから、やめる理由がない限りは律儀にくれるのだろう。それでも、エレンがバレンタインに贈り物をする相手は僕とギルと国王陛下の3人。特別扱いであることには変わりない。
エレンは僕にバレンタインの贈り物を渡すと、そのまま僕の隣に座って一緒に講義を受ける。
うん、今まで通りだ。
平和の祭典以来、ちょっと距離が開いた気もしていたけど、僕が何となくエレンを避けてただけで、エレンの方では特に気にしてなかったんだ。
ふと、真剣に講師の話に耳を傾けているエレンの横顔を見る。
今まで気がつけば当たり前に隣にいることの多かったエレンだけど、そういった時間もそのうち終わりを迎える。
人って、どうして、失いそうにならないとその価値に気づかないんだろう……。
今更、かな。それとも、今気づけてよかった、のかな。
いずれ別れの時は訪れる。頭では分かっていたけれど、感覚として終わりを予感することは今までなかった。
「じゃあ、ウィルまたね」
授業が終わり、エレンが僕の元を立ち去る。
名残惜しい気もしたけれど、呼びとめる理由もない。何か気の利いた言葉でもかけたかったけれど、思いつかないまま、あっという間に僕は再び女生徒に囲まれる。
女生徒たちからのバレンタインタインの贈り物、有難いとはいえ、量が多いと少々疲れてもくる……。
そうだ、生徒会室に避難しよう!あそこなら普通の生徒は近づかない。
そう決めると、僕は大事なエレンからの贈り物を鞄の奥にしまった。後は貰った贈り物のいくつかを適当に鞄に入るだけ放りこみ、持てるだけを持って生徒会室に向かうのだった。
***
「ない……。おかしい!」
僕は生徒会室の前で足をとめた。生徒会室から声がする。
「…ない、ない」
……やっぱり、中から声が聞こえる。
変だな。この時間、生徒なんて誰も来ないだろうに……。
一体誰が?
それに、ないって何がないというんだろう?
そっとドアから中を窺い見ると、室内をうろつき回っているルノワール先生の姿が見えた。
ルノワール先生は生徒会室のあらゆる机や棚を覗きながら「ない。ない」と繰り返している。特に昨日ライラが用意していったバレンタイン用のケーキが入った籠は何度も見ては首を振っている。ルノワール先生がついに椅子の下を確認する動作に差し掛かった時、僕は思わず我慢していた声を漏らしてしまった。
「こっわっ!」
「誰ですか?」
先生は鋭い目を生徒会室入口の扉に向けると、僅かに開いたドアを全開にした。ドアの前にいた僕だが、咄嗟のことにその場に立ちすくんでしまったため、思いっきりルノワール先生と目があってしまった。驚いた僕とルノワール先生は、そのまま数秒の間、互いの顔を凝視しあう。ルノワール先生にとっても、僕が目の前に急に現れたことは驚きだったに違いない。
しかしルノワール先生は、急に優しい趣になり、姿勢を正してもじもじしながら僕に話しかけてきた。
「こんにちは、ウィリアム君。もしかして、先生に用ですか?」
「あっ、えっと、いや……ここにはただ休息するために寄っただけでして……」
「そうでしたか」
未だに動揺したまま返答する僕の様子を見て、ルノワール先生はすぐに冷めた顔つきに戻り、部屋の中へ戻ろうとする様子を見せたが―――その途中で視線を落とし、僕が持っている大量のバレンタインの贈り物に目をとめた。
「ウィリアム君……。それは何ですか?」
何だか嫌な予感がするが、答えない訳にも行かない。
「……貰いました。中身はまだわかりません」
先生の顔が途端に厳しいものへと変わる。
「フーン。モテる者は幸いですね。君のような生徒はバレンタインデーには出席停止にすべきだと思うのですがね。君にとっても先生にとってもそれが最善だと思いませんか?」
何だ?急に先生が嫌味っぽい。
僕のバレンタインが先生に何の関係があるのだろう。
答えに困って黙っていると、ルノワール先生はそのまま独り言ともつかぬ様子で言葉を続けた。
「給与を貰ってるから休む訳にも行かず、出勤したらしたで職務とは関係ない部分で精神に堪えるような出来事の連続……!!」
「あの、先生?……大丈夫ですか?」
少し心配になってルノワール先生に声をかける。
「そういえば、ウィリアム君は昨日ライラさんと生徒会室にいましたよね?ライラさんが皆にバレンタインデーのお菓子を作っていたはずなのですが、私の分が見当たりません。何か知りませんか?」
「えっ」
まさか、先生がない、ない、と探していたのって、ライラからのバレンタインケーキ?!
やっぱり無いのはマズかったんだ!昨日、ライラに指摘したのに!
「まさか、『皆』に私だけ入ってないなんて事があるでしょうかね……」
先生の言葉には不満と疑心とある種の切なさが鬱積されている。
「僕にはわからないですが……ちょっと、確認してきます」
ルノワール先生の切迫した様子に圧倒され、僕には先生の分は無いですと正直に伝えることが出来なかった。
とにかくここから逃げよう。
僕は本能的にルノワール先生に背中を向けないように注意しながら手に持った荷物を近くの棚に載せると、鞄だけを持って、全速力で生徒会室を後にした。
「ライラ!ライラ!!」
こんなにライラの事を探した事があっただろうか?ライラは食堂でのんきに軽食を食べていた。
「どうしたの?」
「ルノワール先生の事だけど……」
僕は今あった事を震えながら、ライラに語った。
「ルノワール先生待ってるよ!バレンタインのケーキ!!何とかした方が良いと思うけど」
「まさか。私のバレンタインケーキなんて貰わなくたって先生がそんなに気にするとは思えないけど」
「そんな事ないよ!ない、って生徒会室中を探し回ってるのを僕は今見ちゃったんだ!」
「そう?でも、無いものは無いし。別にいいわよ。むしろ嫌われたい相手なんだし。それにもう時間もないわ、アルベルトと約束してるって言ったでしょ」
「ちょっと、見てきなよ。そんな事言えなくなるくらい怖いんだから」
「大丈夫、大丈夫」
「何にも大丈夫な気がしないよ。あの顔見てきなよ」
「そんな事してたら遅れちゃうわ。じゃ、私はもう行くわね!」
僕の忠告を意に介さずそのまま学食を後にしたライラ。
どうしよう、これ……。
バレンタイン―――というよりもルノワール先生―――の深過ぎる闇を見て、生徒会室にはもう戻りたくない。でも、確認するって言ってしまったしな……。
「……そういう事ですか」
僕の背後から声がかかる。
この声は……。振り返って声の主を確かめなくてはならないけれど、とても振り返るのが怖い。
意を決してゆっくりと後ろを振り向くと、そこには無表情のルノワール先生が佇んでいた。
「“嫌われたい”……ね。上等じゃないですか。私を敵に回すと高くつきますよ」
「……」
ルノワール先生はライラが出ていった学食のドアを凝視したまま静かに言った。
一人称まで変わる口振りは、ルノワール先生の言葉が口からの出任せではない事を感じさせて僕を戦慄させる。
ルノワール先生は、震える僕などまるでその場にいないかのように一瞥すらくれず、ライラとは違うドアを通って学食を後にした。
ライラ・スペンサー、生涯の政敵の誕生であった。




