108.バレンタイン
期末テストが終われば学園の生徒達が浮き足立ちはじめる。
乙女のイベント、バレンタインデーまで後1週間。生徒会室にライラが差し入れを持ってきた。
「お菓子をどうぞ」
「どういう風の吹き回し?まさか何か変なもの入れてないだろうな」
ライラに疑いの目を向ける僕に気分を害することもなく――特に気にする風でもなく――ライラが答える。
「失礼ね。私だってたまには乙女ゲームのヒロインらしい事くらいするわよ。日頃の感謝を込めて皆さんに」
見れば丸く形を整えられたチョコレートが並んでいる。
チョコレートなんて、そういえばいつぶりだっけな?
「美味しそうだね。いただこうかな」
「どうぞどうぞ!」
ライラに勧められて1つ口にすると、途端に独特の味と香りが喉いっぱいに広がった。苦いのだけど、それだけじゃない何とも不思議な風味。さらには後からチョコレートの苦味と共に強烈なミントの清涼感がやってくる。
「ゲホッゴホッ!!ゴファッ!……何これ?」
思わず咳き込んでしまった。
「ハーブを数種類混ぜたのよ。アニスにミントにその他諸々選りすぐりをね。その他にもチョコを固形にするために、色々試行錯誤したから、何を混ぜたか全部は覚えてないわ」
得意気に微笑むライラであった。
「ゴホッ!……普通に作れば美味しいのに、何でそんな余計なことするかな」
「どうせなら食べて体に良いものにしようと思って!消化不良に効き、抗酸化作用と食欲増進作用もあるの。紅茶持ってくるわね!」
ライラが紅茶を取りに部屋を出ていき、残されたチョコレートを眺める。
まだ喉に残る強烈な味をなんとか消し去りたい。
「食欲増進?食欲減退の間違いじゃないか……」
喉がやられて僕の声が枯れている。
とてもじゃないが2つ目は食べる気になれない。視界に入っているだけで口の中に先程のチョコレート(のようなもの)の味が広がるようで僕は顔をそむけた。
生徒会室のドアが開き、ディーノがやってきた。僕と、僕の目の前にあるチョコレートに目を止める。
「ウィリアム、ドルチェか?気の利いた差し入れだな。1つ貰おう」
そうしてディーノはチョコレートを1つ摘んで……悶絶した。
「ゲホッゴホッ……何の嫌がらせだ!?ウィリアム!お前、菓子の趣味もどうかしているな!!」
気管支のあたりを落ち着かせるように叩きながら、ディーノは水を探す仕草をする。
「それ作ったのライラだよ。僕だって被害者だ」
ディーノに犯人を教えてやる。ディーノは少しの逡巡の後、ライラならやりそうだと思った思ったらしかった。
「ライラか……。今の僕の発言は訂正する。ホットミルクやハーブティーとは合いそうだ」
「何それ!!」
ここまで鮮やかな掌返しを見たことがない。ディーノはライラに忠誠でも誓っているのか?!
そこに紅茶を入れたライラがやってきた。
「ディーノも来たのね!誰かしら来ると思って紅茶を多めに持ってきて良かった。私が作ったチョコ、ぜひ食べて!」
ライラはティーカップに紅茶を注いでいく。
「ああ、頂いた。あなたと同じで刺激的な味がした」
ディーノはそう言いながらライラの手をとって優雅に礼をした。女王様への服従の礼か!
「沢山あるのでもっと食べて良いわよ」
「残念ながら……ここには書類を取りに来ただけなんだ。ありがとう」
ライラに返答するやいなや、ディーノはライラが僕に出してくれたティーカップから紅茶を一気飲みするとそのまま生徒会室を出ていってしまった。
「……ディーノ、逃げたな」
「……ウィルと一緒は嫌だったかしら?」
「違う。チョコが不味いからでしょ」
「失礼ね。ルークは美味しいって食べてくれたのに」
ここ1ヶ月のルークの食生活を思い出す。自給自足で野草食べてたって言ってなかったか?そりゃあ、何だって美味しく食べられるだろう。ルークなら。
そこでふと僕は1つの可能性に思い至った。
「……まさか、そのチョコ、ギルにもあげた?!」
「まだだけど……皆に作ったのだから当然ギルにも勧めるけど」
「駄目だよ。絶対にギルの舌には合わない」
「でも、1人だけ貰えないなんて、嫌じゃないかしら?」
確かに1人だけライラのチョコを食べてないとギルが知ったらとても落ち込みそうだ……。相手が友人でもショックなのに、ましてや好きな子。
「作り直しなよ。ギルだけで良いから」
「嫌よ。わざわざギルだけの為に?そんなことして勘違いされたくない」
言外に、ギルの攻略は止めたのだから、と匂わせてライラは言い切った。
困ったな。恋愛(?)絡みだと、ライラのギルへの態度は途端に硬化してしまう。いい加減、ライラにはギルのことを攻略対象者じゃなくて異性の一個人として認識してもらいたい。
友情は感じているようではあるけれど……。
とりあえず今はギルのバレンタインだ!ギルのバレンタインを守れるのは僕しかいない!
「……じゃあ、全員分作り直しは?」
「面倒。これで今年のバレンタインは終わりよ」
「終わり?!本番はまだ一週間後だよ!?」
「思ったより手間だったもの。一週間前後なんて誤差範囲でしょ」
毎年この時期は色んな女の子から色んな物を貰ってた。その子たちは皆キラキラ輝いていて、贈り物を用意する過程すら楽しんでいるように見えていた。そんな様子を見る度に、バレンタインデーは僕達男ではなく、乙女のための日だと僕は思っていたけど、この目の前の乙女(?)ときたら……。枯れたススキの如しじゃないか。
「グダグダ言わないの。ギルだけチョコ無しも、このチョコをあげるのも両方無しだ。全員分作ろうよ。材料は用意するし、僕も手伝うからさ」
「ウィルが作る?ギルに?」
“僕も”と“全員分”という言葉をスルーして、ライラは見事に自分の都合の良いように解釈した。
「それはとても美味し……いえ、楽しそうね!」
先程とは打って変わってライラが生き生きとやる気をみなぎらせている。
こうして僕とライラは一緒にバレンタインデーのお菓子作りをすることになり、この日は2人で材料の調達に向かったのだった。




