日比谷健治の心情 2
「……? 晃か?」
「俺以外に誰だと思うんだよ」
「そ、そうだよな、久しぶりすぎて驚いたぜ!」
少し焦ったような表情をする健治だが、俺の事を見て、怯える様子はない。
信じられないとばかりに驚いているわけでもないようだし、本当に俺は生きていることにされているのか……。
「おーい、声を掛けておいてぼーっとするなよ」
「あ、ああ。悪い」
軽口をたたきながら、丈がありすぎる右手の服で、俺の事をべしべし叩いてくる。
少し痛い。……でも、いつもだったらうざがるそれですら、今になると、とてもうれしく思ってしまう。
「それにしても、こんな朝早くにどうしたんだ?」
「ああ、勤務前、たまにここへ寄ってるんだよ。そういうお前は何でここに居るんだ?」
「あ、朝の散歩だ」
「朝の散歩ぉ!? それは流石に笑うわ」
「おう、好きなだけ笑え。お前はわかってないかもしれないが、朝の空気は気持ちよくて、とてもおいしいんだからな?」
「ちょ……す、ストップ! こ、これ以上は……」
必死でこみあげている笑いを抑えているのか、左手で口元を覆い、短い右手はその場でぶんぶん振っている。
ああ、懐かしいな。高校まではこんな生活をしていたっけ……。
なんてことを考えていたら、話は自然と昔のことになっていた。
二人でバカやっていたことや、必死に受験勉強をしたこと。
大喧嘩したことや、
どれもこれも懐かしくて。
でも、もう二度と味わうことが出来ないという事実だけ、どうしようもなく突き付けられて……。
気付けば、喉元から何かがせりあがってきそうだった。
「それにしても……。どうしたんだよ、花なんか持って」
これ以上話していたら泣いてしまう。
涙なんて見せたくないから、苦し紛れに話題を切り替えた。
花を持っている理由と、ここに来た理由はもうわかっているのに。
……けど、健治から帰って来た返事は予想外の者だった。
「これか? 何だったかな……。誰かに渡そうとしていたんだが、すっかり顔を忘れてしまった」
「顔を忘れた……?」
物覚えがいい健治が思い出せないなんて、明らかにおかしい。
それに、花を供えに来ているのに、目的すら怪しくなっているのはどういうことだろう。
……もしかして、思い出せないということは、記憶を改ざんされている、ということなのかもしれない。
―――まあ、それもそうか。
死んだはずの俺が平然と現れたら、それこそ、家族なんかは失神しかねないだろうし。
目の前にいる健治が、こうやって平然としているはずがないだろうからな。
「そうだなぁ。……お前にでもやろうか?」
「は?」
そう言って、左腕で俺の方へと花束を差し出してきた。
それは、贈り物の一つとしては悪くないほど、奇麗に飾られた花束だった。
だが、今の俺からして見ると、あまりいい物と思えない。
―――渡す相手が誰なのか、わかっているわけだしな。
「……いらねーよ」
「冗談だよ、冗談。そんな嫌そうな顔するなって」
「ったく……」
「これは、約束を果たせなかった、俺の償いみたいなもんだ」
「は……? 償い……?」
淡々と発せられたその言葉に、俺の声は蟠る。
冗談から、いきなり本音を言いだしたこともそうだけど、驚いたのはそれだけではなくて。
へらへらと笑っていた健治の顔が、突然、真剣になったからだ。
その変貌ぶりに、続けようとしていた言葉は、宙にさまよってしまう。
「ここで亡くなった人がいてな。この花は、そいつの手向けとして送ってやろうとしていたんだ」
「約束ってのは?」
「もう一度、一回だけ訪れた隠れ家で、二人一緒に空を見上げること」
「―――」
……健治は覚えていたのか、あの日の約束を。
「お前は知らないだろうけど……」
「いや、知ってる」
「あれ、どこかで話したか……?」
「ああ、聞いたことが、ある」
言葉を詰まらせながらも、泣かないように、落ち着いて答えた。
……聞いたことがある。なんて、嘘だ。
だって、その場にいたのは俺なんだから。
―――こんな俺にだって、反抗期ってものがあった。
とは言っても、大体はいつものように兄貴との喧嘩だったんだけど。
で、理由はもう覚えていないが、俺と兄貴は大喧嘩をした。
普通に暴力込みの、取っ組み合いの大喧嘩だった。
そこで、もう二度と顔も見たくないと、俺は兄貴に言い放って家を出ることになる。
もちろん、行く先なんてなかった。
ただひたすらに、家から遠い場所へ。
誰にも見つからないような、そんな場所へ。
そして、たどり着いた場所は、森の中にひっそりと佇んでいた、古い廃屋だった。
精魂尽き果てかけていた俺は、そこで一晩過ごした後、開いた天上から、空をじっと見上げていた。
……そんな時だったよな、お前は俺を見つけ出してくれたのは。
『よくもまあ、こんな場所を見つけたよな』
そう言って、呆れたように笑いながら。
車椅子で行けるような道じゃなかったのに、無我夢中で来て。
オレが半日かけた道を、泥だらけになりながら丸一日使ってまで踏破して。
そして、厭世的になっていた俺に、こんなことまで言ってくれた。
『辛いのはここで終わりにしよう』
『お前にはオレがいる。オレにはお前がいる』
『ここをスタート地点にして、立ち上がるんだ』
『そして、大人になってからここに戻ってきて、昔の自分を笑ってやろう』
『オレと晃、二人だけの約束だ』
―――その後は、本当に散々だった。
結局、車椅子がぶっ壊れていたのに、ここまでやって来た健治をおぶって森から出る。
その後は説教のオンパレードだ。
平日だったこともあり、両親だけじゃなく、教師にまで叱られるという酷い有様だった。
……けど、少しも辛くなかった。
俺たちの頭の中には、それを乗り越えられる約束をすでにしていたから。
―――でも、今の俺にはそんな約束すら、もう叶えられそうにない。
「そいつは、健治にとって大切な人だったんだろ?」
「ああ、お前と同じぐらい大切な人だったよ。つい最近まで顔も声も覚えていたんだけどな、今日になってから何故か思い出せなくなってしまった」
「……早く忘れてほしいんじゃないか?」
思わず、そんな言葉を口にしてしまった。
今の健治は俺以外の誰かの死を嘆いている状況なのに。
他人事ではないけれど、流石に不謹慎だ。
……でも、一度発した言葉は、そのまま続きを語ってしまう。
「自分なんかに未練なんて残さず、さっさと先に進めって言っているのかもしれないぞ」
「かもなぁ……。でも、忘れたくないんだ。俺が親友だって事を、あの世でも忘れないでいてほしいから」
「……そうか」
寂しそうに顔を伏せる健治の姿に、声が詰まる。
泣くな、落ち着け。
こんな所で泣いたって、どうしようもないだろ!
とりあえず、話題を別のものにしよう。
うん、そうするべきだ。
「なぁ……もし、俺が死んでいたらどうする?」
……っ! 何バカなこと言ってんだ、俺!?
気持ちを切り替えようと、とりあえず発した言葉は、ただ自分の本心を吐露しているだけだった。
こんなことを言ってしまったら、まるで自分がそこで死んだと伝えているようじゃないか。
「唐突だな」
「こ、こんな機会だしな」
「そうだなぁ……」
健治は目を閉じて、左手で顎を触りながら、うーんと唸り始める。
今のうちに深呼吸でもして、落ち着かないと……。
「(って、違う!)」
なんで、手を上へとあげようとしているんだ!
これじゃ、案内人の事をバカにできないだろ!
落ち着け、落ち着け……!
「……どうかしたか?」
「な、なんでもない! それよりも、どうなんだ?」
「オレだったら、だろ?」
健治はそう言いながら、外していた視線を前に戻す。
そして、少し寂しそうな顔で、俺の事を見つめた。
「―――泣くな。とにかく泣く」
「泣く、って……」
「だったらお前は、俺が死んだときに泣かないのか?」
「そりゃ、泣くけど」
「そういう事だよ。晃がいなくなることは悲しいし、ずっと泣いていてもおかしくはないとは思う。けど、その後どうするかなんて、その時にならないと分からない。違うか?」
確かにその通りだ。
俺だったら、悲しみを紛らわせるために、その場で出来ることを、ただひたすらにやっているに違いない。
それでも、結局泣いてしまうだろうし、その先の事なんて考えている余裕なんて無いだろう。
「いや、違わない。やっぱ健治はすげぇよな、昔から自分の考えをしっかりと持っていて」
初めて会った時だってそうだ。
上級生に対して少しも物怖じしないどころか、逆に噛みついているぐらいの勢いを持っていた。
それも、自分の体を当然の事と割り切って、自分が劣っているんだと承知したうえで。
そんな健治の姿を見て、弱いといえる人なんていないと思う。
けど、バカにするようなヤツがいたら、俺がコイツの強さを知らしめてやる。
―――なんて、思っていたんだけどな。
「そんな事ないさ。こんな体じゃなかったら、もっと救いようがないバカだっただろうし」
「少しも想像できないんだが」
「それに、これは単なる意地みたいなものなんだ」
「意地?」
「ああ、障がい者の漢字で揉めてた時、正直、オレはどんな字だって構わなかったけど、害って字は適して無いって理由は解せなかった。だから今でも『障害者』って言ってるって、前にも言ったよな?」
「そういえば、そうだったな」
確か高二の夏、これも原因は何だったか覚えていないが、珍しいぐらい大喧嘩をした時に言われたんだった。
……今思い返すと、俺って喧嘩ばかりしているな。
なあ健治。俺は、お前が弔辞で言っていたような人間じゃないって。
「オレたち障害者は、何と言われようが『障害を持つ者』、『世の中を生きていくには障害が多い者』、そして『健常者の障害となる者』だと思う。まあ、オレの持論だから、一概には言えないだろうけど」
「それについては、未だ納得できないところもあるんだけどな」
「まあ、結局、物は言いようなんだよ。嫌な奴や、悪意を持ったような言い方されたら流石に嫌だが、お前とか、家族に言われたところで否定できないし、特に気にならないからな」
「そうか……そうだよな」
やっぱり、俺は健治の凄さに、少しも敵いそうにない。
俺みたいな健常者よりも、比べ物にならないほど大変な人生を過ごしてきているんだと思う。
それなのに、ほんの少しも弱音を吐かずに、こうやって自分の意志をしっかりと持っている。
―――ああ、俺は運が良いヤツだったんだな。
お前が親友でいることが、本当に誇らしい。
「……なあ、なんか今日のお前おかしいぞ? 何というか、晃らしくない」
「そんな事はないって」
「―――そうだ、次に晃に会ったら、直接言おうとしていたことがあったんだ。今度はいつ会えるかわからないから、今日のうちに伝えておくぞ」
「お、おう」
相変わらず、真剣な表情で見つめてこられるので、正直気まずいんだけど……。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、大きく溜息を吐いて、健治は笑う。
その顔は呆れているようにも、寂しそうにも見えた。
「お前、最近悩み事があるだろ?」
「どうして、そんな事を……」
「人の様子はよく見てるからな。それに、お前の場合だと、思っている事が顔に出るから、特にわかりやすいし」
「……」
そうだ、健治はこんな奴だった。
いつも見えている視界は低いはずなのに、まるで上から全てを見ているかのように、なんでも核心を突いてくる。
そして、どれほど隠し事をしていても、俺の思考を読み取ってくれる。
そんな、とても凄い奴だった。




