日比谷健治の心情
雨の日は……うん、普通だな。
特に何とも思わない。
そもそも天候にこだわる必要がある日には、大体悪党のような扱いを受けているけど。
雨が降らなかったら飲み水にも困るし、飢饉だって起こるかもしれない。
そう考えると、雨は必要な物であって、要らないものではない。
……好きか嫌いかとは、また違うだろうけれどもな。
―――まあ、オレにとっても最近では悪党か。
親友を奪われたことだけは、絶対に許さない。
「……目を開けてもいいよ」
「うっ……!」
「あ、眩しくて眩むと思うから、ゆっくりとね」
「言うのが、遅い!」
遠くから、案内人の声がこもったように聞こえてくる。
どうやら、まだ五感が完全に馴染んではいないようだった。
ちくしょう、ちゃんと動けるようになったら、こいつの事はとことん無視してやる……!
そんな事を思いながら、じわじわと目を開いてみると、だんだんと、光に馴染んできた。
それと同じぐらいに、体の感覚も戻ってくる。
蒸し暑い熱気が、服の上から肌を包み込んだ。
アスファルトの焼けた臭いと、蝉のうるさい鳴き声が、確かに感じられる。
あの白い空間にいた時の浮遊感は消えて、確かに足の裏で土を踏みしめている感覚があった。
あいつの言う通り、ちゃんと現世に戻って来たのか……。
散々泣いたはずなのに、そう思うだけで、目頭が熱くなってしまう。
気を紛らわせようと辺りを見渡すと、少しおかしなことに気が付いた。
「ここは……?」
「ああ、あなたは知らないないかもしれないね」
「わっ!」
「……ねぇ、今の驚く必要ある?」
遠くから聞こえていたはずの声が、すぐ隣から聞こえたら、誰だって驚く。
もしかしたら、最初からすぐ隣にいたのかもしれない。
それにしても、見覚えが無い公園だった。
土地は結構広いのに、遊具と言ったら、滑り台とジャングルジムしか見当たらない。
あとは、新しめのベンチと、端の方に集められた大量のゴミくらいか……。
とにかく、閑散としていて、面白みがない公園だった。
「ここは……公園だよな?」
「公園だよ?」
「どうしてここなんだ?」
「今いるこの場所がどこなのか、理解できないのは、仕方がないと思う。でも、ここが始まりだから」
「は? 説明になってないだろ」
「どうしても聞きたい?」
「……そりゃ、聞きたいよ」
なにか、都合が悪いことがあったのか、案内人はもごもごとつぶやく。
詳しく聞こうとするけれど、彼女はどうしても話したくなさそうだった。
そこをなんとか! と言いくるめると、案内人は嫌そうな顔をしながらも、俺へときっぱりと告げる。
「ここはあなたが見つかった場所……。つまり、あなたが息絶えて、死体として発見された場所だから」
「……ここが、そうなのか」
「うん。正確に言うと、あなたが流された翌日の午前六時十二分に、死体が発見されたの。だから、『黄泉還り』が始められる時間も、午前六時からなんだ」
「……なるほどな」
この場所も、あの濁流に飲み込まれていて、そこに俺が流されてきたのか。
道理で遊具が少ないわけだ。
きっと、洪水に押し流されたことで、撤去することになったのだろう。
隅の方に積まれていたゴミも、きっと洪水で流されてきたものだ。
街や家を優先して復興しているはずだから、撤去が遅れているのも無理はない。
それに、公園以外だってそうだった。
田舎かと勘違いしていたけど、家々の間にある平坦な土地に、雑草しか生えていないなんて、明らかにおかしい。
それなのに、俺は全く気づくことが出来なかった。
こんな様子だと、繁華街はもっと酷い有様に違いない。
俺の葬儀が終わった後、みんなは一体どうなったんだ。
家族、友達、俺と関わってくれた人たちは、今、何をしているのか……。
「このジャングルジムが、そうだろ」
「うん。天辺付近に座っているようだった」
「そうか……」
ジャングルジムの近くには、一房の花が供えられていた。
俺が死んで、どれくらいの日時が立っているのかはわからない。
けど、まだ花を供えてくれる人がいるんだと思うと、自然と込み上げてくるものがあった。
……でも、俺を見つけた人は、きっとろくなものを見たんじゃないと思う。
頭は砕けていただろうし、こんな暑い季節だ。
きっと、見ることすら耐えられないほど、酷い有様だったはず……。
「やっぱり、人に見せられないぐらい、相当な死に様だったんだろうな」
「そんなことはない!」
「え……っ?」
無意識につぶやいた言葉に、過剰ともいえる反応した案内人は、俺の服を引っ掴んだ。
その姿はまるであの時の―――。
俺の事を止めてくれた、あの雨合羽の人みたいだった。
「あなたは死んでもなお、このジャングルジムにしがみついていたの! それも、丸一日以上! 流木から頭を守った時に折れた左腕を引っ掛けて、右手もしっかりとジャングルジムを握りしめて……!」
「お、おい……」
「最期まで……意識がほとんどない瀕死の状態でも、決して生きることを諦めなかった! そんな執念と、それを成し遂げられなかった無念がっ、あなたの遺体には、あったん、だから……!!」
「あ、ありがとう……」
「ぐすっ……早死にしてしまったからって、自分を卑下しないでよ……!」
あの時の事を思い出した俺の瞳から涙が溢れるよりも、先に案内人の方が泣き出してしまった。
だけど、先に泣いてくれたおかげで、またもや目から出かけていた涙が引っ込んでくれたので、まあ、よしとしよう。
それにしても、コイツは涙もろすぎやしないだろうか。
「俺よりも泣き虫なのに、『黄泉還り』の案内人になるのはどうかと……」
「ふ、不向きなのは知っているから! だ、大丈夫! 泣いていても、あなたのサポートはばっちり出来るって!」
「ちょっと不安なんだが……。けど、一度乗った話だし、後悔しないような一日にしないとな」
「結構……ポジティブだね。先ほどみたいに泣かないの?」
「ずっと泣いているわけにもいかないからな。それに、泣いている暇があったら、感謝を伝えられる人が減ってしまう」
そうなってしまったら、今度こそ後悔のあまり、死んでも死にきれないだろう。
せめて、別れを言えなかった人たちに別れを告げてから、この世を去る。
そのために、俺はこうやって『黄泉還り』をすると、選択したんだから。
よし、と気合を入れるために両頬をパンパンと叩く。
偽りの肉体だけども、その音と痛みはちゃんと体に伝わってきた。
本気で取り組む前にやっていたいつもの癖は、死んでもなお、俺の体にしっかりと刻み込まれているようだった。
「それで、まず誰だったら会えるんだ? 両親と兄貴は、今頃仕事だから会えるわけがないし……。って、平日の午前中に会える人なんているのか……?」
「あ、その辺は心配ないよ。『黄泉還り』で現世に戻って来る場所は、すぐ近くに目的が存在するから」
「それって―――っ!」
「わっ!」
会話の途中で、公園の入り口に誰かがいることに気が付いた。
驚いている案内人の手を引っ張って、近くの草むらに慌てて身を隠す。
……って、隠れる必要なんて、少しも無いけれど。
でも、心の準備をしないまま会うなんて、今の俺には出来そうにない。
案内人までとは言わないが、俺も涙もろい分類だからな……。
公園へとはいってきたそいつは、実際に会うのはだいぶ久しぶりで……。
でも、あの雨の日にチャットしていたから、言葉を交わすのはそこまで昔ではないのか。
それに、あの映像でもはっきりとその姿を見たじゃないか。
そう考えると、すぐにでも側に駆け寄って、話しかけることだってできそうだ。
……なんて考えてはいるのに、声を掛けることをためらってしまう。
それは、俺が死んでしまっているからとか、そんな理由なんかじゃなくて―――。
「日比谷健治さんだね。太ももの上に乗せているのは、あなたへの花束だよ」
「……あいつは、俺が死んだ場所を知っているんだな」
「うん。ひと月に一度ほど、今日のように花束をジャングルジムの前に置いているから」
「そうか……」
ひと月に一度なら、最初に置かれていた花は、また別の人のものだろう。
もしかしたら、俺に当てて送っているわけではないのかもしれない。
「……どうしたの? 早く行きなよ!」
「ち、ちょっと待ってくれ!」
「あなたは生きている扱いなんだから、臆する必要ないでしょ!」
「んなこと言ってもだな!」
まだ、心の準備が出来ていない。
生者は俺が死んだことを覚えていないと、案内人は念を押すように言っていたけど。
そんな事を信じたところで、俺が死んでいる事実は消えやしない。
もし、今花を手向けているあいつが、俺を見て幽霊だと怯えたらどうする?
……その時は、もう『黄泉還り』を続けられる気力が尽きていると思う。
だが、苦悩している俺の事なんかお構いなしに、案内人は体を揺さぶってくる。
そんな、真剣な顔で俺を見るな。
俺だって真剣に考えているんだっての!
「いいんですか! 行っちゃいますよ!」
「そんなこと、言われなくてもわかってる! けど……!」
「時間は有限なんですよね?」
「……うっ!」
「彼に話しかけるだけに、ここまで時間をかけていたら、先が思いやられますよ?」
「……くっ!」
ああもう、わかったよ!
話しかければいいんだろ!
だから、泣きそうな目で俺を見るなって!
ああクソっ! ほんと、後で覚えてろよ!
案内人に否応なく背中を押された俺は、草むらから勢いよく飛び出し、あいつの元へと駆けよる。
そして、俯いている顔を上げるタイミングで、その隙だらけな背中をパシンと叩いた。
「よ、よう。久々だな、健治」
驚いて目を白黒させている日比谷健治に、俺は意を決して話しかける。
―――今度こそ、ちゃんとした別れを告げるんだ。




