寺田晃の悲劇 2
『う……っ!』
暗転した視界に、急に眩い光が差し込んできて目がくらむ。
誰かがぶつぶつと、何かを言っている声も聞こえるけれど、その内容までははっきりと聞き取れない。
今度は一体なんだ!?
『あ……』
慣れてきた目に最初に見えてきたのは、極彩色と黒の色。
聞き取れなかった声は、お坊さんが発していたお経。
そして、辺りには線香の匂いが漂い、たくさんの花に囲まれて……。
―――俺の遺影が飾られていた。
『嘘だ……!』
俺はついさっき、自分が死んだということを確かに認めた。
けれど、こんな光景なんて……信じられるわけない!
―――自分の葬儀に参列するなんて、冗談としても認められるか!!
「それでは代表の方、弔辞奉読をお願い致します」
お坊さんのその一言で、参列者のうちの一部が動いた。
そこから前へと出てきたのは、見慣れた電動車椅子。
ゆっくりと参拝者の前まで移動し、ピタリと止まる。
右半分だけ喪服の裾が余っている彼は、少し前まで共に笑い合っていた人で。
どんな時も大人びているくせに、結構子供っぽいところもあって……。
そして、俺の親友だった男。
『―――健治』
久々に見た健治の姿は、まるで十歳以上年老いて見えた。
……きっと、疲れているんだ。
あの大雨でいつも以上に移動が大変だったはず。
それなのに、俺の葬儀に来てくれた。
そして、こうやって弔辞を読もうとしてくれている。
それだけで、俺の気力は悲壮感に押し潰されそうだった。
「晃君、謹んであなたの御霊前に、お別れの言葉を申し上げます」
『なんだよ……晃君って……』
俺の事なんて、そんな風に言ったことなかっただろ。
いつものように、呼んでくれよ。
晃って呼び捨てで、お前って雑な言い方で。
そんな言い方……しないでくれよ……!
「あまりに突然の悲報に接して、まだ気持ちの整理がついていません。こうしてあなたの遺影見上げ、お別れの言葉を述べなければならない。……そのことが、全く信じられません」
『俺だって信じられるかよ! こうやって目の前に立っているのに! 話しかけることもできないなんて!!』
いくら呼び掛けても、健治の元に俺の声が届くことはない。
それでも、俺は呼びかけ続けている。
いつか届くだろうと、そんな逃避した考え方で、ずっと語り続けていた。
「あなたとオレは、中学校で知り合い、高校まで共に学び、共に遊んだ仲でした。入学当初は友人なんていなかったオレですが、こんな体でいたオレに、あなたが当たり障りなく話しかけてくれたのは、今でも感謝しかありません」
『何言ってんだよ……。お前は確かに、自分から関わりに行くやつじゃないけど、それでも、人の事を考えてくれる……いい奴じゃないか……!』
「あなたはいつも、自分以外の人を気にかけていましたね。そんなあなたに助けられた人は、あなたが思っている以上にたくさんいます。オレや、クラスメイト達、そして……あなたが助けた男の子」
「あなたがいなければ、オレたちはきっと今以上に、数々の困難に直面していたでしょう」
『そんな……ことは……っ!』
きっと、そんなことはない!
俺がその場にいなかったとしても、きっとみんな乗り越えられた物ばかりだ。
だから、そんなぐしゃぐしゃな顔で、話さないでくれ……!
もう、十分だ……!
「あなたがオレたちに手を差し伸べてくれたから、こうしてあなたの死を惜しむことができることを、友人代表として誇りに思います」
『誇りなんて……俺は、そんな人間じゃない……』
「あなたの思いと志は、今もオレや……この場に参列された皆様の心の中に、しっかりと息づいているはずです」
『やめてくれ……やめてくれよ……』
「そして、あなたという良き友を得た幸せを、オレはこの先、忘れることなく生きていきます」
人に誇れるようなことなんて、これっぽっちも出来ていない。
人に勧められるような志なんて、一切持っていないんだ!
それなのに、そんな風に、素晴らしいとばかりに言わないでくれよ……!
「思い出をたくさん残してくれて本当にありがとう。どうぞ安らかにお休み下さい……! 友人代表っ、日比谷健治……!」
『―――』
堪えきれなくなった涙を流しながら、健治は大きく一礼する。
アイツが、俺の事をここまで考えていてくれていたなんて、思っていなかった。
俺の事なんて、忘れてくれて構わないのに……!
もう、健治の顔を見ることができない。
共に笑い合うことも、たまにある喧嘩も。
二人でやって来た事も。あいつの将来の夢も……!
―――もう、俺には何をすることだって、できやしないんだ。
「それでは、故人へのお焼香をお願い致します」
健治が元に位置に戻ってすぐに、椅子に座っていた人たちが、少しづつ立ち上がって、前へと歩いていく。
それは、言葉では言い表せないほど、苦しくて……!!
『やめろ……やめてくれ……!』
参列者が俺の遺影の前で、涙ぐみながらも香炉の中に扮香を入れて、合掌する。
その中にいたのは、ゼミのメンバーだけじゃない。
親友の健治や、サークルの先輩、ゼミの教授に、家庭教師をしていた子まで―――。
『嫌だ、嫌だ……! もう、見たくない! もう十分だ!!』
俺の遺体の前で、涙を流しながら手を合わせる姿を見続けるなんて!
何一つ出来ることなく、ただこの光景を見続けるなんて……!
気が狂ってしまいそうだ!!
できるなら、そっぽを向いて逃げ出したかった。
でも、足がまるで縫い付けられたかのように動かない。
目をつぶって、耳を塞ぎたかった。
そんな願いすら、金縛りにあったように固まった体では、叶えられない。
……駄目だ、何も考えられない。
目の前で起こっていることが事実だなんて、絶対に認めたくない!
でも、失ったはずの肉体が、俺の頭に訴えかけてくる。
耳に打ち付ける嗚咽や念仏は、やけに生々しい。
目に移り続けている光景は、どれも偽物とは思えない。
肌に感じられる、まとわりつくような熱い感覚は、参列者の悲壮感が外へと溢れかえったような、息苦しさを感じる。
そして、そんな感覚を覚えている自分の体は、やけに冷たかった。
―――お前は血も通っていない死体なんだと、全てが語り掛けてくるようだった。
「本日はお忙しい中をお集り頂きまして、まことに有難うございました」
『……父さん』
いつの間にか、最後の言葉まで時間が進んでいた。
途中から、何があったか、ほとんど覚えていない。
……でも、そんな気がするだけで、全部覚えている。
それらが記憶の片隅にちらつくだけで、一つ、また一つと、俺の瞳から涙がこぼれた。
「皆様から温かいお心づかいを頂戴し、感無量でございます。晃もさぞ喜んでいることでしょう」
『嬉しくなんてない……! みんなに迷惑をかけてばかりなのに、そんな事を思うわけないだろ……っ!』
「晃は困っている人を放っておけない子でしたから、今こうして葬儀をしているのに、「何か手伝えることがあったら言ってくれよ」と、すぐ近くで言われている気がします」
『う……っ!!』
―――その通りだ。
きっと、これが俺以外の誰かの葬儀だったら、きっと率先して手助けに向かっていただろう。
俺は、困った人を見過ごせない人間?
いいや、違う。
俺はただ、見返りが欲しくて救いの手を差し伸べていたんじゃないか……?
ただ、自分の欲を満たすだけに、手助けをしていただけじゃないか……!
「自分のことを後回しにしてばかりだったので、今になってようやく一息つけたのではないかと思います」
『そんなことない! 俺はまだ、生きていたかった! まだ、みんなに何も返せてないんだ!!』
今の俺が、どれだけ精一杯の叫び声をあげても、父さんの耳には聞こえない。
そんなこと、とうの昔に思い知っているのに。
瞳からは、とめどなく涙が零れ落ちていた。
この口からは、言葉にならない叫びが止まらなかった。
「故人に代わりまして、生前の皆様のご厚情に感謝申し上げますと共に、どうか今後も晃の事を覚えていただけたらと、お願い申し上げます」
父さんだって辛いはずなのに、顔は少し明るく見えた。
俺みたいに涙もろいはずなのに、この場で自分が泣くわけにはいかないとばかりに。
今泣いてしまったら、俺を悲しませてしまうと言わんばかりに……!
その顔は、とてもかっこよくて……っ!
「本日はご会葬まことにありがとうございました」
その言葉を聞くだけで、もう限界だった。
『わかった! 俺はもう死んでいるって、理解した!』
『……』
『だから、これ以上はやめてくれ!!』
『……』
『俺が……俺がっ! 全て悪いんだ! だから……頼むよ……!』
今も、きっとどこかで俺の事を見ているはずの案内人へ、喉が張り裂けんばかりに叫び続ける。
―――だが、案内人は黙ったままだった。
責めるでも、慰めるでもなく、ただ静かに、どこかから俺の事を見つめていた。
『うぅ……っ、なんで、だよ……っ! どうして、こんな……っ!!』
いくら嘆いたって、俺には何も出来やしない。
どれほど叫んだって、誰の耳にも届きやしない。
この慟哭は、きっと無意味だ。
【俺はすでに死んでいる】
そんな、終わらない苦しみに喘ぐしかない。
―――もう、終わってしまった命を、嘆いたところで遅すぎるんだ。
「俺は……死んだんだ。もう……みんなの、元へ……帰れないんだ……!」
いつの間にか、景色はもとの白塗りの空間へと戻っていた。
みんなが悲しみに暮れていた、あの静かな空間は。
俺を絶望に叩き落した、極彩色と黒に染められた空間は、もう存在しない。
―――けれど、涙は止まらなかった。
俺はもう死んでいるはずなのに。
この肉体に見える物も、きっと偽物に違いないのに。
この両目からは、とめどなく涙が流れ落ちていた。
そんな、残酷な現実を見せつけられて、悲嘆にくれる俺へ、ゆっくりと足音が近づいてくる。
きっと、案内人のものだろう。
脈絡のない言葉を言われて、気が動転していたのは確かだ。
でも……だからと言って、彼女に散々な言葉をかけるのはお門違いだった。
「……全部認めるよ。ここが死後の世界ってことも、俺が死んだこと―――」
無理やりに涙を拭って、少女へと頭を向けようとして……。
ようやく、その顔に浮かんでいる表情に気が付いた。
「何で……」
俺の事をじっと見つめていた少女の瞳にも、俺と同じように大粒の涙が零れ落ちていた。




