寺田一家の幸福 3
「晃? 彼女さんが呼んでるわよ。って、それよりも、あんたいつの間にこっちで彼女なんて作ったの?」
「ち、違う! 彼女じゃない! あいつは大学時代に所属していたサークルのマネージャーで、人をからかうのが好きなやつなんだ」
「ふーん。とりあえず夜も遅くなってきたし、家に上げてもいいわよね?」
「えっ! ま、まぁ、早めに帰るように言っておくよ」
まじかー、勘弁してくれよ母さん……。
にしたって、実体化までして何考えているんだアイツ!?
案内人とか言いながら、家族で食事をしようとした途端、何勝手に乱入しようとしていやがる!!
お前のせいで、さっきから兄貴が凄い形相で睨んでくるんだって!
あらぬ誤解をしているから、本当にやめてくれ……せっかく仲直りしたってのに、これじゃ逆戻りもありえるぞ!?
「お邪魔しまーす」
「お邪魔しまーす、じゃなくてだな……」
靴を脱ぎ出した案内人の侵入を阻むように、土間の前で仁王立ちする。
これ以上中に入れたら、絶対にろくなことにならない。
ずっとコイツから振り回されてきたんだ、それくらいはいい加減に学習しているっての。
「余計なことをしないからさ、中に入ってもいいでしょ?」
「既に余計なことをしている自覚はなかったのか……」
こいつは重症だ。無自覚で邪魔をしてくるとは、タチが悪いにも程があるぞ……?
「ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから!」
「あのなあ、そんなことを今になって急に言われても――――」
「……ちょっとだけ、暖かい団欒の輪に混ぜて欲しいな」
「…………」
そういえば、こいつの家族はどうしているのかなどは聞いたことがない。
もし、俺と同じように、若くして命を落としたのだとしたら、……家族の温もりを欲してしまうのも無理はないよな。
「……はぁ、しょうがないな。ただし、余計なことをしたら直ちに追い出すから覚悟しとけよ」
「――――わかった。ありがと」
土間の前から二、三歩ほど離れて、案内人が通れるようにしてやる。
くそ、こうやってお人好しになっちまう癖はいつになっても治らなかったか……。
まあ、やっぱりそうなるだろうなとは内心思っていたことだけど。
「夕御飯の最中に申し訳ありません。ちょっと家の人と喧嘩しちゃいまして、少しだけここにいさせてもらいませんか? ご迷惑をおかけしないようにしますから……」
「あらあら、そうだったの……。ちょっと狭いけど、うちで良かったら落ち着くまで休んでいきなさい。お父さん、朝日も、それで良いわよね?」
「もちろんさ。男所帯で申し訳ないけど、ゆっくりと休めばいいよ」
「親父がいいって言っている以上、俺も反対する気はない。……まあ、今から晩飯の時間だから、誰も相手出来ないことだけは理解して欲しい」
「兄貴が人を気遣ってる姿なんて、初めて見たぞ」
「お前は余計なことを言うな……!」
俺以外はどうだろうかと思ったが、みんな快諾してくれたみたいで良かったな。
にしても、まさか兄貴まで許可するとは思わなかった。
いや、いつも余裕がなさそうだったってのに、案内人に気遣いの言葉をかけたことが想像出来なくてだな……。
まさか、下心とか持っているわけじゃ――――いや、それだけはありえないか。
兄貴にそんな度胸があったら、とうの昔に恋人なんていそうなものだしな。
……なんて、度胸の無さに関しては、俺も大概人のことを言えないけど。
「そういえば、ユウキちゃんって晩御飯食べてないんじゃない? 良かったら一緒に食べましょうよ。あたしたちじゃ食べきれないくらい作ってしまったんだし」
「そっ、それは、流石に……!」
「謙遜なんてしなくていいよ。おれたちだけだと食べきれないほどの量だからね。遠慮なくどうぞ」
「けど、椅子は四つしかないから、悪いけどパイプ椅子に座ってもらうことになる。そこは少し我慢してもらいたい」
「じ、じゃあ、お言葉に甘えさせていただきますね」
俺が大して口出しする間もなく、話はとんとん拍子に進んで行き、パイプ椅子に座った案内人の前にはすぐに予備の茶碗が並べられた。
「それじゃ、改めて……いただきます」
「「「いただきます」」」
「い、いただき、ます……」
自分から乱入してきたくせに戸惑ってばかりの案内人はこの際無視して、純粋に食事を味わおう。
肉じゃがのジャガイモを小さく切り分けて口に含むと、染み込んだつゆの味とほろりと崩れる食感が口内に広がった。
ああ……、なんて美味しいんだろうか。
この味も香りももうすぐ消えて無くなってしまうのだと思ったら、やっぱり泣けてきてしまう。
「あら! どうかしたの!? 味付け辛かった!?」
俺に言われたのかと思って顔あげるが、目の前に座っていた母さんの目線の先にいたのは俺ではなく……。
「い、いえ、ほど良い辛さで凄く美味しいです!! 本当ですよ!?」
サバの味噌煮を口にしつつ、ぽろぽろと涙を零し続けていた案内人だった。
そうか、アイツも俺と同じように、昔を思い出して……。
「ただ、私もこんな感じで、家族に囲まれていたんだなぁと、思って……。すみません……っ!」
「そうだったのね……。いいの、いいのよ、泣いたって! ユウキちゃんのお母さんの代わりに、わたしが受け止めてあげるから」
「うぁ……、わぁぁぁん!!」
母さんに抱きしめられた案内人は、ついに声を上げて泣き始めた。
「どうしたんだよ、兄貴」
「いや……、お前の彼女――――」
「後 輩 な」
「あ、ああ。お前の後輩なんだけど、どこかで会ったような気がするんだよな」
……なんだそりゃ。
「他人の空似なんじゃないか? 会ったことがあるのなら、そんなあやふやな言葉にはならないだろ」
「それもそうか」
俺の言葉に納得したのか、兄貴は再びロールキャベツを冷ます作業に戻っていた。
相変わらず猫舌なんだな……。
とはいえ、兄貴が案内人から感じとったものは一体なんだったんだろうか?
*
「本当に一人で大丈夫?」
「はい! 励ましてくださって、本当にありがとうございました!」
結局食事が終わるまで、兄貴が感じていた既視感の正体について考えてしまった。
その後、案内人は洗い物をしている母さんの手伝いをし終えると、家に帰る、と言って玄関へと向かい、今に至る。
「豪華なお食事、ご馳走さまでした! 先輩もまたいつか会いましょうねー!」
「ああ、またな」
元気よく別れを告げた案内人が扉を閉めると、外から駆け出していく音が聞こえてきた。
空元気って客観的に見るとこうもわかりやすいんだな。……俺もこんな感じの顔していたのなら、そりゃあ色々なことを言われてもおかしくないな。
で、案内人だが、実際にどこか……おそらく人がいない場所へと向かっているんだと思う。
まあ、理由としては単純で――――。
「……ごめんなさい」
実体化を解除して俺の元へと戻ってくるからだった。
……他人の家族だったが、楽しめたか?
「うん。凄く幸せな気持ちになったよ。ありがとう」
まあ、思わず泣いてしまうほど優しくされていたもんな。
あーあ。本当はあの場で俺が泣きたいぐらいだったってのになー。
「もう! 根に持たないでよ!」
可愛らしくぷりぷり怒ったところで知ったこっちゃないな。
……なんて、からかいつつも本心から良かったなと思う。
今までずっと俺の案内しかしてこなかったんだ、一度くらい、こうやって労ってやるのも悪い気はしなかった。
*
それからの時間、俺たち一家は、社会人になって半年のうちに何かあったかの話題で盛り上がった。
兄貴が顔を真っ赤にしながら会社の愚痴を言い始めると、それに負けじとばかりに、父さんは会社の自慢をし始める。
あとは毎度のごとく、俺が止めに入っても無理矢理押し切られ、最終的に母さんからのカミナリが二人に落とされる、といった流れ。
そんな当たり前さえ、今の俺には切なく感じてしまう。
……本当に、残された時間はあっという間に過ぎていった。
「あら、もうこんな時間……! 明日もみんな朝早いんだから、もうそろそろ寝ましょ」
「あ、そのことなんだけど、さ……」
「どうした、晃? まさか、始発に乗って帰らなきゃいけないとかか?」
「いや、まあ、そんなに急いで行かなきゃいけないわけじゃないし。そうじゃなくて……」
むしろ、行きたくない場所へ向かわないといけないんだけどな。
離れ離れになってしまったら、どれほど望んだとしても、再開することは叶わない。
だからさ、これが俺の最期の願いだ。
「父さん、母さん、兄貴。今晩だけでいいから、昔みたいに家族一緒で寝たい。……駄目、かな?」
「おいおい、ガキじゃないんだぞ……」
めっちゃ嫌そうな顔して兄貴が俺を睨んでくる。
いいじゃねーか、こうやって一緒に寝られるのだって、これが最後の機会なんだから!
「まあまあ、たまにはいいじゃないか。なあ、母さん」
「ええ、久々にみんなで寝るのも悪くはないと思うわ」
「反対なのは俺だけってか。はあ……、仕方がない、今日だけだからな。次はないと思えよ?」
なんだよ、結局一緒に寝てくれるのかよ。
……ありがとな、兄貴。なんだかんだ言って俺のわがままに付き合ってくれて。
そうして狭いリビングに布団を四つ並べると、俺は玄関に一番近い布団の中に入る。
当然だが、俺は眠ることが出来ない。
疲れは感じたけれど、生命の維持に必要な食事や睡眠はいらないことは、最初の方から感覚的に悟っていた。
それでも、幼い頃のように川の字で寝たかった。
少年時代の『当然』に、最後まで浸っていたかったんだ。
「……それじゃあ、消すよ」
――――それも、今日で終わり。
明かりを消したら、もう声を聞くことすら出来ない。
……だからって、俺が自身の死を、みんなの今を否定してはいけない。
ここで一つの区切りをつけるんだ。生と死、続きと終わりの一線を。
「おやすみ」
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
「おやすみー」
――――そして、さよなら。
みんなの返事を聞き覚えて、泣きそうになる顔を隠しながら、入になっている電気のスイッチをゆっくりと、そしてしっかりと押し込んだ。
《『黄泉還り』終了まで あと6時間》
*
……深夜、みんなが寝静まった後、俺はこっそりと家を抜け出して、ある場所へと向かっていた。
「もう跡形も残っていないけど、それでもやっぱり行くんだね」
「当然だろ。俺にとって真の実家であり、終わりの始まりの場所でもあるんだからな」
舗装されてからあまり月日が経過してなさそうな坂を登り終え、角を右で曲がる。
俺が目指していた場所。それは、何を隠そう……。
「ここ、か……」
土砂崩れに遭った、自分の家があった場所だ。
当然だが瓦礫は撤去され、今はただ広い空き地が残されているだけで、面影なんてあったものじゃない。
――――それでも、家までの道は変わっていなかった。
坂道も舗装し直されていたけれど、傾斜や長さはそのままだし、古い家屋の駄菓子屋は一度取り壊されてはいたけど、古民家風の新築店に生まれ変わっていた。
「……満足してなさそうだけど、やっぱり、跡形も無くなっちゃったから?」
「いや? ここだけ見ても、やっぱり物足りないと思っただけだ。次は繁華街……いや、大橋の跡地でもいいかもなぁ」
「えぇ……? もしかして貴方、夜遅くになってから町の探索とか始めたわけじゃないよね?」
「何を言ってるんだ、その通りに決まってるだろ」
むしろ、その返事を聞いて頭を抱えているアンタに頭を抱えたいくらいなんだけどな?
日中は会いたい人に会おうとして、どうしても余裕がなかったけれど、夜の時間帯ならこうやって、今の町の姿をことが出来る。
大雨の影響で、町は半分以上が姿形を変えてしまった。
それでも変わっていないものだってあるし、失われたとしても、そこからまた前へと進み出しているものだってある。
それは、これから先俺が見ることが出来ないもので、当たり前を尊ぶには十分すぎるものだ。
だから俺は、この世からいなくなるまでの間に、復興し、再び栄えるこの町の姿を、みんながこれからも生活していくこの町の姿を、最後に目に焼き付けたかった。
そんな、大したことない理由なんだよ。
「けどまあ、ただ歩いているだけだと暇だからさ、何か話してくれよ。今なら下らないジョークにもちゃんと反応してやれるからさ」
「酷いなぁ。これでも私、クラスメイトのみんなを笑わせるのは得意な方だったんだよ?」
「いや、だからって一昔前のネタを言われたってなぁ……」
こうやって独り言を気兼ねなく話せるってのも、……まあ、悪くはないかもな。
アンタだってそうじゃないか? 案内人さんよ。
《『黄泉還り』終了まで あと2時間》
*
「……おはよう」
「ああ、時間か」
夜の散歩を終えて、家に戻ってきた頃には、もう日がだんだんと登り始めていた。
結局散歩中に時計は見なかったが、どうにか消えて無くなる前に帰ってこれたようだ。
最後にみんなの寝顔を見ずにいなくなるとかなったら、どうしようもなく未練が残ってしまうしな。
「うん。あなたの体はあと五分も持たずに、この世から消えてなくなる」
「そして、八月十三日に俺が居たという事実が失われる。消費したものも、動かしたものも。……そして、みんなの中にある記憶からも」
――――わかってる。この八月十三日は、俺たちこの世のものではない者しか覚えられない、空虚な仮初めの奇跡だってことくらい。
やりたいことは沢山あった。
会いたい人だって、まだまだたくさんいる。
それでも、生きている限り……いや、死んでいても、だな。
だから何者にだって、平等に時間は訪れる。
やりたいこと全てを叶えることなんて決して出来ない、有限で途轍もなく短い時間が。
「やっぱり、もっと長く居たいよね……?」
「いや、これでいいんだ。後悔はまだまだ残っているけれど、やれることは全てやったからな」
まだ眠っている両親と、兄貴の顔を覗き見る。
三人ともうなされている様子はなく、とてもいい寝顔をしていた。
――――父さんが言っていた通り、俺が居なくても皆大丈夫だと、そう思える。
だって、俺の周りの人たちは誰一人欠けることなく、未来への一歩を踏み出しているんだから。
「それじゃあ、行くか」
「ぐすっ……。うんっ!」
「また泣いてやがるし……」
「だって……、だって……っ!」
「いいから行くぞ。……何で俺が引率みたいになっているんだか」
「本当に、いいの?」
「アンタは本当にしつこいな……」
何回も言わせるなよ、いい加減煩わしいぞ?
あと一分切ったから、これが最後な。
「俺の命は終わったんだ。歩もうとしていた未来は既に閉じて、もう先へと歩むことは出来ない。……けど、俺のことを思ってくれた人たちが、無事今を生き、未来への道を歩んでいる。そして、俺のことを愛してくれていた、――――それを知ることが出来ただけでもう十分だ」
「……わかった。じゃあ、行くね」
「ああ、頼んだ」
案内人が伸ばした右手を手に取る。
すると、橙子ちゃんと同じように、足元から感覚と姿形がだんだんと消えていく。
――――いや、消えていくと言うよりも、溶けていくような感覚に近い。
たしかにこれなら怖くはない気がする。
……目の前で顔をぐしゃぐしゃにした案内人もいることだしな。
彼女に倣うように、大泣きしても良かったけど、やっぱりやめておこう。
俺にはいつだって笑顔が似合う。
みんなそう言うに決まっているから。
「じゃあな現世、そしてみんな。またいつか、会えたらいいな……」
三人の寝顔を瞳に焼き付けて、みんなとの思い出を振り返るように目を瞑る。
そうして、世界との境目が曖昧になったところで。
――――俺は現世から姿を消した。
***
「……晃?」
目を覚ました朝陽は、一年前に亡くなった弟が先ほどまで誰かとすぐ隣で話していた気がして、ぽつりと呟く。
もちろん、そこには元から誰もいない。ましてや晃がいるはずなどない。
ただ……、初盆の日だったから、家族全員で寝るために布団を敷いていたのだが……。
故人……寺田晃の布団だけが、奇麗にたたまれた状態で置かれていた。
《『黄泉還り』は、ただいまをもって終了しました》
***
こうして俺たちは、またあの真っ白な空間にいた。
てっきりそのままあの世行きだと思っていたから、ちょっと拍子抜けしているんだが。
「まあまあ、そんなこと考えなくても、すぐにあの世へと貴方を連れて行くよ。……でも、その前に、私から一つ話さないといけないことがあるんだよね」
「そりゃ奇遇だな。俺も、アンタにどうしても聞きたいことがあったんだ」
「え? ……スリーサイズとかは教えないよ?」
「どうしてこの場で聞く必要があるんだよ……」
もうすぐあの世に行くのに、スリーサイズを聞く必要なんてないだろ。
急になよなよするなっての、気持ち悪いな……。
白々しい視線を向け続けていたおかげか、真面目な話だと察したのか、案内人はつまらなさそうな表情で、姿勢を正した。
「はいはい、なんでしょうか?」
「……最初から、どこかで見たことがあると思ったんだ」
「お、愛の告白かな。わくわく」
「……」
「……はい、黙ります」
あのなぁ、ここまできて茶化すのはいい加減にしてくれよ……。
この世界に時間なんてあるのかわからないけど、あるのだとしたら、現時点でロスタイムのロスタイムに突入してるだろ。
俺がいつ消えてなくなるのかわからない以上、内心めっちゃひやひやしてんだからな。
……いや、こう言った真面目な空気が苦手だったってのは知っていたんだけど、それでも今くらいはちゃんとして欲しい。
仮初めの関係で、誤った態度で、貴女と接したくはないんだ。
「乱入騒ぎの時に名前を言ってくれたから、そこでようやく確信が持てたよ」
「ここまで案内してくれてありがとな、悠ねぇ」
「……気付くの遅いよ、晃」
一拍置いて振り向いた、寺田悠希こと悠ねぇは、少し寂しそうな顔をしたまま自虐的に笑っていた。
《『』まで あと『』時間》




