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寺田一家の幸福

「よし……、遂に到着したぞ……!」


 公園から車で10分ほどの距離に仮設住宅地域はあった。

 住宅の付近になると車は進入出来ないため、敦さんに駐車場で降ろしてもらい、そこから案内人の指示に従って歩くこと3分。

 随分と遅くなってしまったが、ようやく家族が暮らしている仮設住宅までたどり着くことが出来た。


 三人暮らしということもあってか、家屋の大きさはそこまで広いとは言えないし、きっと部屋なんてものも二つか三つぐらいしかないんじゃないだろうか。

 二階建てで何の窮屈もなかった昔の家と比べたら、圧倒的に狭いこんな環境で、丸一年も過ごしていると考えると、みんなにかかっている心労はどれほどのものなんだろうか……。


「それって、玄関の前で考えないといけないこと?」

「いや、別に考えるようなことでもないとは思うけど」

「家に帰って来たんだから、早く入ってしまえばいいのに。それとも、まだ誰も帰ってなさそうだとか?」

「いや、この時間帯になったら、いい加減帰ってきてるとは思う」


 おまけに今立っている場所からでも、室内から漏れる明かりは見えるし、料理のいい香りが漂ってくる。

 まず間違いなく母さんは居るはずだ。


「じゃあ、何で入らないの?」

「……何でだろうな。凄く会いたいはずなのに、怖くて足が竦んでしまうんだ」

「怖い?」

「ああ。今更になって、『黄泉還り』に後悔しているくらいに怖い」


 俺が居なくなってしまったことで、両親や兄貴は自分のことを責めて、やつれたりはしていないだろうか。

 それとも、お互いに相手のせいにしあって、常に喧嘩が絶えないなんて状況に陥ったりしないだろうか。

 ……それに、変わってしまった家族を見てしまったら、きっと俺自身が耐えきれないと思う。


「もし、『黄泉還り』の期限が来てしまった時、俺は後悔なくあの世に行けるのか? この世にとどまりたいと願って逃げ続けるんじゃないのか? ……男の癖に決心もろくに出来ないなんて、本当に馬鹿だよなぁ」

「……そんなことないよ。誰だってきっとそう思うはずだから」


 寂しげな面持ちで、誰に告げるでもなく独り言を語っているかのように案内人はぽつりと呟く。

 どう言った意味なのか聞こうとして、やめた。

 俺に近い感情を抱いた者を案内したのかもしれないけど、その人と俺の動機が合致するとは限らない。

 それに、聞いたところで俺が前に踏み出せるとも言えないしな……。


「覚悟が決まらないのは仕方がないけど、私はあなたの背中を押してあげられない。……だから一旦離れておくね。あなたは家族とのひと時をめいいっぱい楽しんで!」

「あ、おい!」


 遊園地の時と同じように、案内人の姿は一瞬にして掻き消えていた。

 なんだよ、その無神経さは。案内人を名乗る以上、最初から最後まで俺を導いてくれたっていいだろうが。


 ……なんてな。

 わかってる、わかってるさ。

 案内人は俺にきっかけをくれているだけで、一度として強制的に導いて来たことがないことぐらい。

 なんだかんだ言って、アイツのことを頼ろうとしてしまっていたことぐらい。


 わからないのは、明らかに歳下の案内人を頼ろうとしていた俺自身。

 無意識のうちに、傷付くことを覚悟したくせに、逃避する先を探してばかりいる。

 その事を今になってようやく自覚できた。


 ………………いや、ガキじゃあるまいし、何弱気になっているんだか。

 俺はあの日、冬弥くんを助けるために川に入り、紛れもなく命を落とした。

 その事実は変わらない。いくら逃避したところで、逃れようのない現実だ。

 そんな俺に奇跡が訪れた。時間制限のある別れのための奇跡が。


 俺は今までどうしてきた?

 親友と、安室教授と、先輩と、克正と、舞と、橙子ちゃんと、爺ちゃんと、文乃と、結実と、冬弥くんと、何を話してきた?

 今更になって残された時間を後悔に当ててしまう必要なんてあるのか?


『私のようになったら、絶対にダメだからね……!』


 ……ああ、アンタみたいに立ち止まってしまうような後悔だけはしない。

 幻聴だとしても、ずっと励ましてくれてありがとな。俺ならもう大丈夫だから。


『……うん。じゃあ、ガンバレ!』


 なんて、都合のいい涙声の激励の言葉が聞こえたような気がした。

 たとえ幻聴だとしても、せっかく応援してくれたんだ。その声に応えられるように、頑張ってみるよ。


「――――よし! 行ってやるか!!」


 両頬を力強くたたき、玄関のドアノブに手をかける。

 覚悟は決まった。あとは限られた時間の中で俺が出来ることをやるのみ。

 この世に一つとして未練を残さないために、扉を開いた。


「た、ただいま……」


 なんて意気込んでおいて、早速尻込みするんじゃねぇよ! 俺!!

 さっき決めた覚悟は一体どこに消えたんだよ!?


「あら、おかえりなさい。……って、晃じゃない! 珍しいわね、半年ぶりぐらいかしら?」

「ああ、うん……。久しぶり、母さん」


 一瞬だけ台所から顔を覗かせた母さんは、俺だと気づいた途端に、煮詰めていた鍋の日を消して慌てて玄関まで飛び出して来ていた。

 大きめのエプロンを身につけているせいか、少しだけ痩せたように見える。

 けど、それ以外には大きく変わったようなところは見当たらない。

 とにかく、元気そうでよかった……!


「もう! 帰ってくるなら、前もってそう言ってくれたらよかったのに。少し待ってなさい、今からお買い物に行ってくるから!」

「いやいや、夕飯を作っている途中だったんだろ? わざわざ買いに行かなくても……」

「何言ってるの。久々に帰ってきた息子に余り物を食べさせるわけにはいかないでしょ!」

「母さん……」


 普通だったらそうするよなって思うことですら、今はどこか新鮮で、でも懐かしくて、心底からなんとも形容しがたい感情が溢れ出してきた。

 当たり前の出来事へ関心を持たなかったことに、今ほど後悔したことはないと思う。

 当然のように感じていた幸せは、失って二度と手にすることが出来なくなってから、初めて幸せだと気づくなんて……、なんて悔しくて苦しいんだろう。


「そうね……、晃は帰ってくる間にお兄さんと仲直りしなさいよ。大人になっても喧嘩ばかりじゃ、いつまでたってもお母さんもお父さんも気が気でならないんだから」

「……兄貴がいるのか?」

「今日は定時で帰ってこれたみたいよ。奥の部屋が汚くなってきたから、いい加減に掃除するように言ってるの」

「そっか……」


 俺よりも断然几帳面だった兄貴の部屋が汚いなんて考えられない。

 けど、やっぱり兄貴は俺と喧嘩したことを後悔して、苦しんでいるんじゃないか……?

 そんな兄貴に俺はどんな顔して会えばいいんだ……。


「じゃあ、行ってくるわね。社会人になってから今まで以上に話す機会なんてなかったでしょ? 今のうちにちゃんと話しなさいよ」

「……わかった。しっかりと話しておくよ」


 なるはやで戻ってくるから、と慣れた手つきで脱ぎ捨てたエプロンをたたむと、長財布とエコバッグを持って母さんは早々と買い物に出かけてしまった。

 まあ、薄々そうなるだろうなとは思ったけど、兄貴と話すのは出来れば最後が良かったなぁ……。

 なんて文句も言ってられないか、時間だって限られているんだしな。


「久しぶり、兄貴」

「ああ、帰ってきていたのか」


 母さんの言う通り、兄貴は一番奥の部屋で掃除をしていた。

 そして、部屋の有様は綺麗好きな兄貴からは想像付かないくらい、だいぶ散らかったままだった。

 顔もどことなくやつれているように見えるし、体も痩せ細って、健康的だった肉体も見る影もない。


「……どうしたんだよ、その姿」

「ああ? 仕事が忙しくてな、色々と時間がないんだ。お前はそうでもなさそうだな」

「ああ……、救助隊員が健康的じゃないと、いざという時はどうしようもないしな」


 ここまで変わり果ててしまっている原因は、今勤めている会社の仕事が立て込んでいるかららしい。

 ――――けど、決してそれだけじゃないだろ?


「相変わらず不愛想な顔しているけど、家にいるときぐらいもう少し気楽でいたらいいんじゃないか?」

「うるせぇ、晃みたいに楽天家じゃねーんだよ、俺は」

「知ってるさ。何年兄弟をやって来たと思ってんだよ」

「ああ、そうだな。お前が家から出てったおかげで、ようやく肩の荷が下りた気がするぐらいだ」


 いつもと同じ、喧嘩を売っているかのような適当な発言だ。

 けど、今日のそれはどことなくぎこちないような、そんな気がした。


「……無理してないよな?」

「別に? 絶好調だけど?」

「片付けなら手伝うぞ」

「いい、いい。お前はそこらへんの椅子にでも座ってろ」


 そう言って兄貴は半ば強引に俺を椅子へと座らせた。

 ……やっぱり、兄貴は今までとは違って、どこか俺のことを強く意識している気がする。


「兄貴、何かあったのか?」

「別に、変わったことはない……いや、お前に一つだけ聞いておきたいことがある」

「聞いておきたいこと?」

「……どうして高度救助隊なんかになったんだ?」

「そんなの決まっているだろ、助けを求めている人を救いたいからだ」

「ああ、確かにお前はすぐにそう言うヤツだったな」

「なんだそれ?」


 俺の問いかけに、兄貴は片付けの手を止めると、こっちを振り向き顔色を変えることなく悪態を吐く。


「言葉通りの意味だ。お前はいつも人の事ばかり考えてばかりで、自分のことなんて後回しだろ」

「そんなことはない」

「いいや、ある。俺が何かやらかしたら、何もやっていないくせして俺の手助けをしようとするだろ」

「気付いていたのか」

「当たり前だ。……兄弟、だからな」

「……」

「だからお前が嫌いなんだ。わざわざ首を突っ込んで、余計な事ばかりやって……そのくせして、自分の事に対しては全く見向きもしない。あの雨の日だってそうだっただろ!」

「それは……」


 ああ、そうか。

 俺は兄貴にずっと嫌われているだけと思っていたんだけど、それだけじゃなかったのか。

 もちろん、ずっと手を出そうとする俺を煩わしく感じていたのも事実だと思う。

 でも、それと同時に俺のことを心配してくれていたんだ。

 他でもない、たった一人の弟として……。


「最初はお前が何を考えているか理解できなかった。だからただ邪魔されないように距離を取って、お前としっかりと向き合えていなかった。……けどな、最近になって漸く理解できたんだ。俺がいろいろと間違えていたことに」


 へたりと未だ散らかったままの床に座り込む。

 顔を下に向けているせいで、伸びた前髪が目元を隠して暗い印象を受けるけど、その顔は決して怒っているわけでも、ましてや苦しんでいるわけでもなくて……。


「俺は、頑張っている自分のことが大好きで、不器用な自分が大嫌いだった。そのくせ、周りから愛されているお前に、醜く嫉妬していたんだ。……その点、お前は俺とは真逆だ。お前が他人のことばかり見て、じぶんのことを見なかったように、俺は自分のことばかりで、人のことを考えていなかった」

「兄貴……」

「素直になれずに、迷惑ばかりかけて本当にすまなかったな。……晃」

「……いや、俺こそ、ごめん。兄貴のことを考えているつもりでいて、逆に余計な手を出して」

「わかったらいーんだよ。ほら、手伝ってくれるんだろ? だったら手を動かせ。このままのペースじゃ朝になっちまうぞ!」

「ああ……! 朝まで片付けは流石に嫌だな!」


 片付けを再開した兄貴に習い、少し離れた手をつけられていない場所の清掃に着手する。

 兄貴からようやく認められた。……そんな安堵からか、気付いた時には頬には涙が伝っていた。

 片付けに没頭しているフリをして、なるべくしゃくり上げないように、そして兄貴に気づかれないように服の裾で涙を拭う。

 ……けど、きっと兄貴からはお見通しなんだろうな。

 だって、俺たちは兄弟なんだから……!


 *


 掃除に精を出しておよそ15分くらいで、部屋は見違えるほど綺麗になった。

 てか、やっぱり兄貴は掃除が上手いな。俺なんてゴミの分別と埃取りで精一杯だったぞ?


「ただいまー。晃ぁ、料理手伝ってー!」


 などと思っているうちに母さんが帰ってきたようで、俺を台所へと来るように呼んでいた。

 しょうがないな、母さんとも話したいことがあるし、さっさと――――。


「母さん。今日はオレが手伝うよ」

「え……!」

「あら、珍しい。じゃあお願いするわね」

「あ、兄貴?」

「久々に帰って疲れてるだろ? 今日くらいゆっくり休めよ」

「お、おう……」


 いや、兄貴は元から気分屋の気があったけど、掃除が早く済んだからって、ここまで俺に優しくしてくれるものか!?

 いや、どうにか止まった涙がまた出てきそうなんだが……。

 なんて、冗談はさておき。


「さて、俺はどうするか……」

「ただいま。って晃じゃないか、久々だな」

「ひ、久しぶり、父さん」


 台所付近まで出てきた俺は、ちょうどいいタイミングで帰ってきた父さんとばったり出くわした。

 父さんも父さんで変わりない……いや、ちょっとだけ髪に白髪が混じり始めているか。

 でも変わりない様子で良かった……。これで家族全員揃ったわけだし、ようやく安堵できるってものだ。


「ん? どうかしたか?」

「い、いや、なんでもない」

「母さんと朝陽は……夕食の準備か。朝陽が夕食を作るなんて、明日は槍でも降りそうだな」

「はは……」


 普段手伝うとしたら俺ばっかりだったもんな。

 兄貴は手伝わないわけじゃなかったけど、料理があまり上手くないから、率先してやりたがらなかっただけだし。


「てことは、晃は今手持ち無沙汰で、暇だったってことだな。よし! ちょっと部屋まで来てくれ」

「え、ちょっと、マジかよ」

「マジマジ。久々なんだから、男同士の話をしようぜ」

「わかった! わかったから引っ張るなって!」


 ズボンのベルトを引っ張り始めた父さんからどうにか逃れる。

 いや、男同士の話ならさっき兄貴と話したし。

 そもそもあの部屋はちょっとな……。


「ほらほら、早く来い」

「子供じゃないんだからさ……」


 部屋に戻った父さんからキラキラした目で手招きされるため、渋々兄貴の部屋とは向かいの部屋へと入る。


「……やっぱり、いつ見ても凄い有様だな」


 なんて、父親の部屋を見て悪態を吐いてしまうのはどうか許してほしい。


 ――――だって、部屋中に船の模型が展示されていたら、誰だって圧倒されると思う。

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