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それは唐突に訪れる、逃れられない別れだった。 2

「はあっ、はあっ……。おい! 誰か居たら、返事しろ!!」


荒い呼吸を整えながら、俺は何処かにいるはずの二人へと声を掛け続ける。

実は、二人がいると思う場所が、少しだけわかる。

俺が通って来た道には、人らしき姿は一切なかった。

それに、雨合羽の人が駆けていった方角……二人の家は海方面だった。

だとすれば、行方不明者がいる可能性があるのは、俺が渡って来た橋よりも海方面で、男性が向かっていない場所……。

水没しかけている繁華街にいる可能性が高い。

だから、こうして声を掛けながら、辺りを走り回っているのだけど―――。


「全然分からねぇ! 雨のせいで視界が見えない!!」


雨の勢いは、俺が学校を出た時よりも、さらに強くなっていた。

この勢いが続くのなら、繁華街の水没する速度は、更に早くなってしまう。

そうなる前に、早く二人を見つけないと……!


なんてことを思っていたら、いつの間にか、繁華街入り口付近の交差点までたどり着いていた。

その、交差点には巨大な長いものが横倒しになっている。


「あれは、トラック? スリップしてビルにぶつかったのか……って、今のは?」


大型トラックすら横転させる、大自然の強さを痛感していると、荷台に変なものが見えた。

走るのをいったん中断し、そこへと近づいてみる。

本能的に近づくを止めろと、頭が語りかけてくるけれど、なぜか歩みを止めることは出来なかった。

そして、荷台の違和感がはっきりと見える場所に来て、初めて後悔する。


―――トラックと衝突している建物の間から、人の腕が不自然に飛び出していた。


「うっ―――!!」


あまりにも酷い様子に堪えきれなくなって、その場で胃の中身をぶちまけてしまった。

それでも、潰されてしまったのが誰なのか、確認しないと……。

やけに小さくて細い腕……おそらく子供のものが、力なく垂れ下がっている。

その指先はまるで、助けを求めているかのように、伸ばされていて―――。


「あ……っ、ピンクのネイル―――!」


『女の子はピンクのネイル』

さっき、男性が言っていたばかりじゃないか。

どうして、よりにもよって彼女が……!!


「だれか、助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

「! この声は……!?」


女の子の亡骸を見ていた俺の耳に、泣き叫んでいる子供のような悲鳴が、どこからか聞こえてきた。

子供と言えば、小学生の男の子が行方不明のはず!


「くそっ! どこだ!!」


思わず、声が聞こえてくる方向へと駆け出しそうになった。

……けど、そしたら彼女はどうする?

もう生きてはいないだろうけれど、救い出してから、ちゃんと弔ってやるべきじゃないのか?

ここで若い命を潰されてしまった彼女へ、何もせずに見捨てるのか?


「……ちくしょう」


一人その場に取り残された彼女を、ただ置いて行くことしか出来ない自分に腹が立つ。

助けられなくて、本当にごめん。

でも、まだ、助けを求めている子がいるんだ。

絶対に戻ってくる、だから、今は俺を行かせてくれ。

心の中で少女に謝りながら、ひび割れたビルの外壁にスマホを差し込む。

もし、戻ってこれなかったとしても、家族のだれかがこのスマホの位置情報から、彼女を見つけてくれるはずだ。

そして、彼女へ手を合わせた後、助けを求めている男の子の声が聞こえた方向へ、俺は駆けだした。


「はあっ、はあっ、ここは……!!」


数分足らずでたどり着いたそこは、すでに氾濫した川に飲み込まれ、濁流に沈んでいた地区だった。

辺りはすっかりと押し流されて、一部の家屋が残っている程度しかない。

俺の足元にも、だんだんと、茶色く濁った水が押し寄せていた。


「クソッ! どこだ、どこにいるんだ! 確かに、ここから声が聞こえたはずなのに……!」


必死に辺りを見渡してみるが、どこに少年がいるのか、全く見当がつかない。

泥水はすでに、家屋の一階部分を完全に飲み込んでいる。

小学生の男の子は水泳が得意か知らないけれど、いかに水泳が得意だったとしても、ここまで水位が上がってしまっていたら、数分も持たずに溺れてしまう!


「おーい!! どこだ! どこにいる!!」

「兄ちゃん、こっちだ! こっちの近くで、電信柱にしがみついてる!」

「! ありがとうございます!」


右側前方にあったアパートのベランダ、その二階部分から、中年の男性が呼びかけてくれた。

彼が指さした左手の方向には、確かに小学生ぐらいの男の子が、濁流に流されないよう、電信柱に必死にしがみついている姿が見える。

おそらく、あの子が避難し損ねている男の子で間違いない。のだけど……。


「119番は!?」

「もう伝えてるんだが、まだ来てくれてねぇ!!」

「わかりました!! ―――チッ! どうする……!?」


やっぱりこんな状況じゃ、消防もろくに動けていないか。

だとしたら、あの子を助けられるのは俺しかいない。

本当は浮きになりそうなものを、男の子の近くに投げられたら良かった。

けど、俺の近くには、浮きになりそうなものが無い。

アパートの男性がいる位置から投げたとしても、強い雨風に煽られて届かないと思う。

だからと言って、ただ無策でこの流れへと飛び込むなんてことをしてしまったら、自分の安全すら保障できない。

それでも、もしこのまま放っておいて、彼が流されでもしたら―――。


「待ってろ! 今行くからな!!」


そう考えると、躊躇している暇なんてなかった。

少しでもこの時間を、男の子を救助するための時間に使いたい!

そう考えると、俺にやれることはただ一つだけだ!

上着と恐怖心を脱ぎ棄てて、泥水の中へと足を踏み入れる。


「うわ、やっぱ冷たいし、多少流れがあるな……」


七月にはなっているけれど、気温が低いからか、水温もまだまだ冷たい。

それに、進むにつれて、だんだんと流れが強くなっていく。

……けど、この程度なら、まだ海で泳ぐよりも全然マシだ。

男の子がいる場所は、ここよりもはるかに流れが強いだろうけど、下流にアパートよりも流れが上だから、彼を救助した後は、体を流れに任せてしまえばいい。


「もう少しだ! 頑張れ!」


とうとう、足が地面に着かない深さになったので、立ち泳ぎで進む。

洪水の流れもだいぶ強くなっていた。

体が引っ張られそうだけど、ここで気を緩めるわけにはいかない!

電信柱から今にも手が離れそうな男の子へと、全力で手を伸ばす。


「助け―――」


男の子の悲痛な叫び声は、もう聞こえない。

小さな体と共に、濁流へと飲み込まれてしまった。


……けれども、ああ、良かった。


「―――っぶねぇ!! もう大丈夫だからな!」


この子が流されてしまう寸前に、伸ばした手が届いて!

あとは、流れを読みながらアパートまで流れるだけだ。

捕まえた男の子に、クロスチェストキャリー(溺れた人のアゴを持ちながら、胸を片手で抱えたような格好で泳ぐ、水泳法)を使いながら、アパートのベランダへと泳いでいく。

強い流れに乗りすぎて、通り過ぎないように、慎重に……。


「やるじゃねぇか、兄ちゃん! 勲章モノの働きだぞ!!」

「それは後で! 先に、この子を引き上げてください!」

「おうよ!」


上手い事調整できたようで、無事、ベランダの金網に捕まれた。

泥水を呑んでいる男の子は、苦しそうだけどまだ意識もあるし、そこまで水を飲む前に掬い上げているから、安静にしておけばよくなるはず。

かといって、ぐったりとしているその子を引き上げる力は、流れを堪えることに精一杯の俺には出来なかった。


「安心しろよ、もう大丈夫だからな」


男の子を抱え上げ、ベランダの壁面にもたれかからせたおじさんを見て、ようやく安心できた。

不格好だったけどこの子の命を救うことができたのは、俺にとって一生の誇りになると思う。


「おい兄ちゃん、お前さんもさっさと上がれ!」

「……すみません、ちょっと力が抜けて―――」

「おいおい、しっかりしろよ!」


おっさんの叱咤の声すら、危うく聞き逃しそうだった。

そりゃそうか。思い出してみると、全然休憩してないもんな。

大学から向かい風の中、自宅まで駆け抜けて。

自宅から逃げ遅れた二人を助けるために、繁華街までまた走って。

繁華街からここまで走った後に、男の子を助けて濁流を泳いできたんだ。

腕が持ち上がらないほど、疲れるのも当然だよなぁ。


「もうひと踏ん張りだ! 上がるのを手伝ってやっから、諦めんじゃねぇぞ!!」

「ええ、まだ死ぬわけにはいきませんから!」


おっさんから伸ばされた手が、とても大きく感じる。

ああ、俺はこんな風に、人を助けられる人間になりたいと思って、高度救助隊に就職先を決めたんだ。

伸ばされた手を握りしめた時、瞳の端から大きな何かが動いて見えた。


「……っ! 危ない!!」


おっさんが掴んでくれていた手を振り払い、その体を強く押した。

俺はその反動で、濁流へとまた飲み込まれていく。


―――その真横まで、巨大な木の幹が迫っていた。


しりもちをついたおっさんの驚いている顔と、まだ苦しそうな男の子の虚ろな目が、まるでスローモーションのように、ゆっくりと見え隠れする。


悪ぃな、おっさん。

助けようとしてくれたのに、無駄にしてしまって。

手を伸ばしてくれて、ありがとう。

その子の事は、頼んだぞ。


その言葉のうち、たった一言でも発せたら、どれほど良かっただろう。

けれど、残酷な時間は、俺の願いを許してはくれない。



頭に強い衝撃を感じたかと思う間もなく、視界は一瞬にして暗黒へと染まった。

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