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西村文乃の厭世 3

「もしかして、彼女からの連絡だったりした?」

「違う違う! 友人からの連絡だよ。明日には戻らないといけないから、今日中に会えないかと聞いていたんだ」

「ふぅん……。本当に?」

「本当だって」


 訝しげな視線を向けられても、事実は事実なんだから困るんだが……。

 連絡をくれた舞は当然のこと、結実だって高校からの同級生ってだけだ。

 そもそも、恋人の話題なんて出てないってのに、どうしてそんな話になったってんだよ。


「自慢に出来ない話だけど、俺は生まれてこのかた恋人が出来たことがない。それよりも優先したいことが多かったしな」

「でも、先生ってば、通知を見た瞬間から明らかにテンション上がってるじゃん」

「そりゃあ、会えなかった友人と久しぶり会えるからだ。当然だろ?」

「……そこまで言うなら、その通りだと思うけど……」


 俺がそう返事すると、文乃は何だかんだ納得してくれたのか、渋々と食い下がることをやめてくれた。

 ……とはいえ俺としても、冷静になって考えてみると、通知を受け取った時にあれほどまでテンションが跳ね上がったのはよくわからない。

 アイツと会えることがそんなに嬉しかったとか?

 いやいや、そんなわけ……。


「先生って教えるのは上手いけど、人の気持ちを察するのはどちらかといえば下手だよね」

「……そうなのか?」

「そうだよ! 本当は先生にエスコートしてもらいたかったんだから」

「下調べが出来ない当日にそう言われてもな、流石に無茶振りすぎるぞ……」


 克正が舞をデートに誘った後、下調べとエスコートのマナーについて必死に学んでいるところを見たことあったが、あんな情報量をほんの短時間で覚えるにはまず無理がある。

 それに、先生と生徒という関係としては十分な対応を取ることが出来たのでは、と俺は思っていたが、どうやら文乃からしてみれば不満足だったようだ。

 仕方がないだろ、恋人なんて作ったことないんだから。


「それで、今から会いに行くって?」

「ああ。悪いけど、もうそろそろ行かなきゃいけない」

「それって、この観覧車で最後ってことだよね」

「そうなるな」

「そっか……。まあ、そうだよね。…………よし」


 文乃は何かを決心したかのように胸に手を当てて、ゆっくりと息を吐き出した。


「――――あたしにとって、先生はあこがれの人だった……ううん、いつからか先生のことが好きになってたの。だから、その、恋人として……、付き合ってください」


 ――――一瞬、何を言われたのかよくわからなかった。

 文乃は……、俺のことが好きだという。

 その言葉を今一度反芻して、ようやく我に帰った。


「……え! う、嘘だろ!?」


 正確に言うと、めちゃくちゃ驚いた。

 いや、ちょっと待て、何かの冗談じゃないよな?

 好意を持たれる理由は何となく察しがつくけれど、まさか直接告白するほどの恋心を持っているなんて……。

 だが、俺の反応は流石に良くなかった。はっと我に帰ると、涙目で拳を振りかぶる文乃が目の前に迫っていた。


「先生ってば酷くない!? せっかくあたしが勇気を振り絞って告白したのに」

「痛い痛い! いや、本当、悪かった! だからゴンドラ内で暴れるのはやめてくれ!!」

「……もう、マジで頭にきたんだから」

「いや、本当にすまなかった。けど、どうして今になって急に……」

「だって、フリーって言ってた割に、通知を見て喜んでいたし……。ほら、ギャルゲーのシナリオだったらだいたい女性から来た連絡に、主人公って凄く喜ぶじゃん」

「いや、ゲームの主人公と俺を一緒くたにしないでくれよ」


 とはいえ、女性からの連絡で喜んだということはあながち間違えていないわけだから恐ろしい。

 これからはゲームだからって色々と侮らないようにしないとな。

 まあ、そんな機会が訪れることはないだろうが。


「あはは、ごめんごめん。でもね、ずっと恥ずかしくて言えなかったけど、今伝えられなかったら、きっとこの先後悔し続けると思った。それだけは冗談とかゲームとか関係ない本心だよ」

「――――そうか」


「で、返事は? もちろん、フリーだからOKだよね?」

「う……」

「何でそんな反応なの!?」

「いや、だって、なあ……」


 まさか、こんな展開になるなんて、一体誰が考えつくって……。

 いや、あいつなら! あのムカつく案内人はこれを予見して、自分は物見遊山を決め込みやがったな……!

 とにかく、この場でOKなんて言ったあかつきには、『黄泉還り』の間中案内人に冷やかされるに違いない。

 それに……。


「高度救助隊員はな、入隊前からの関係を除く5年目まで恋愛を禁止されているんだ」

「それって聞いたことないけど、作り話じゃないよね?」

「新人は経験が浅いから、訓練や本番に支障をきたさないためにも結構禁欲的にされるんだ。他の部署はわからないが、少なくとも、俺が配属されたところはそう規制されている」

「……そっか」


 当然ながら、嘘ではない。

 そもそも研修中だと場合によっては外出すら禁じられるくらいだ。

 中には密かに恋人を作る者もいるが、そういった者たちは教官に気付かれた途端、即懲戒解雇のリスクを背負うことになり、だいぶ割に合わない。

 ……などと理由をつけているけれど、本当は死人である俺のことを恋人にして欲しくないから、の一点なんだけどな。


「じゃあさ先生、あたしこの一年間すっごく頑張ったから、ご褒美として一つだけお願いを聞いてくれない?」

「お願い? 俺に出来ることなら――――」

「もちろん、先生にしか出来なくて、簡単に済むことだよ」


 そう言いながら文乃は立ち上がると、俺のすぐ隣に座りなおす。

 あまりにも唐突だったから、つい固まってしまったけど、一体何を考えているんだ?

 ゴンドラから降りるまで手を繋いで欲しいとかか?

 それとも、まさか――――。


 そんな嫌な予感をに答えるように、顔を近づけてきた文乃はそっと耳元で囁いた。


「あたしとキスしてほしいの」

「キス、って――――」

「もちろん口と口で、だよ」


 いや、まさかとは思ったが、本当にキスを迫ってくるとは思わなかった。それもまさにギャルゲーみたいな感じで……。

 ――――ああ、なるほど。文乃はその知識しか持っていないのか。

 人との関わりが薄かったこともあって、きっと恋バナなんてしたことすらないんだろう。

 だから、ゲーム内での知識を総動員した。その結果が今日のデートということか。


 冷静になって文乃の顔を見ると、赤面しているのか、ただ夕日に照らされてそう見えるのかわからないが、額から頬まで真っ赤に染まっていた。

 可愛らしくて実に初々しいその姿に頬が緩みそうになる。

 ずっと昔から秘め続けた思いを吐露するのは、とても勇気がいることだったと思う。

 俺だってそこまでのことをされると、生徒としてじゃなく、一人の少女として文乃に愛おしさを感じてしまう。


「それは、魅力的なお願いだな」


 精一杯の努力を実現し続けてきた文乃だからこそ、こうして勇気を振り絞ることが出来たんだと思う。

 教師として、そして愛される者として、これ以上嬉しいことは他にない。


 ――――だからこそ、俺も本心を伝える気になった。


「でも、駄目だ。絶対に出来ない」

「……どうして?」

「ここでキスしたら、俺から離れられなくなるだろ」


 口説き文句とも受け取れそうな言い方になってしまったが、実際に文乃は俺へと依存し続けると思う。

 家庭教師のバイト中、文乃は休憩時にいつもスマホをいじっていた。

 けど、今日に限っては触ってすらもいない。普段なら「スタミナが溢れちゃうー!」と言って時折スマホを触り続けているにもかかわらず、だ。


 それはきっと、俺と会える機会がなかったこともあるとは思う。

 でも、今になってよくよく思い返すと、舞が克正を見ている時と同じように、文乃も俺のことを見つめていた。

 そんな文乃の気持ちに応えてしまったら、きっとゲーム以上に俺へと依存する。たとえ、なかったことにされるとしても、教師……いや、男としてそれだけはさせられない。


「何で? 離れなくてもいいじゃん……!」

「たしかに、俺は文乃の人生を大きく変える人間になったのかもしれない。でも、俺は文乃のそばにいつまでもいてやることはできない。これから先は支えてあげられないんだ」

「だったら、なおさら――――っ!」

「それに、思い残すようなことをするのは駄目だ。今ここであの頃に戻りたいと思ってしまったら、また昔に逆戻りするだけだぞ?」

「…………」

「文乃はもっと幸せになれるって俺が保証する。だから、俺に構わず先に進むんだ。俺のしかばねを超えていけってな」

「……ゲームみたいなこと言わないでよ」

「好きだろ、ゲーム」

「もうっ! 先生のバカぁ!!」

「ああ、自覚してるよ。俺は大馬鹿者だってことくらいな」


 怒った文乃から、またもや握り拳でポカポカ殴りつけられ始めるが、今度は流石に止めない。

 ゴンドラが揺れるほど激しくはないし、……それに、到着まで1分もない。

 文乃の願いを叶えてやれない以上、こうして殴られるしかなかった。


 *


「じゃあ、元気でな! あんまり無理せず、自分を労わりながら頑張れよ」

「……うん。先生も、元気でね」


 小さく手を振った文乃は俺から背を向けて歩き出した。

 しょんぼりと小さく背を丸めている後姿は少しばかり不安も感じるけど、一年でここまで変わることが出来たのなら、きっと大丈夫だと思う。


 あの後、ゴンドラから降りた俺たちは、終始無言のまま園の出入口まで戻ってきていた。

 正確には文乃が全く喋らず、俺が声をかけても頷く程度まで落ち込んでいるいたから自然と話さなくなったと言うべきか。


 言葉が出なくなるのも無理はないと思う。むしろ、泣かなかったことを褒めてやりたいくらいだ。

 ……けど、その干渉すら、今の俺には出来ない。

 干渉することで、文乃だけじゃなく、俺もきっと愛おしさを抑えられなくなる。


 だから、これでいい。

 多少淡白な別れになってしまったが、これが文乃に出来る俺の精一杯だと思うしかない。


「……さて、俺も行くか」


 文乃が向かう出入口から背を向けて、反対側にある展望台方面の出入口へと足を踏み出して――――。


「先生!」

「文乃? どうし――――」


 突然、後ろから文乃の声が聞こえた。

 後ろを振り返ろうとすると文乃から、とん、とぶつかられ、服を強くつかまれると、ほどなくして背中に、温かく湿った触感が伝わってくる。


「行かないで……。あたしをおいて、()()いかないでくださいよ……!」

「――――っ!」


 文乃の口調があの頃に戻っていた。

 世の中の不条理と先の見えない不安に押しつぶされそうになって、助けを求めていた昔の文乃に。

 そして、俺がいなくなると気付いているかのようなその言葉。

 そういえば、文乃はなぜか察しがよくて、厭世家のくせに他人思いの子だったなあ……。


 思い返すと、溢れ出しそうになる記憶の奔流に感情が流されそうになる。

 けど、それを必死にこらえる。記憶は引き継がれないと聞いてはいるけれど、ここで泣いてしまったら、文乃はきっと、ずっとこのことを引きずり続けるに違いない。

 それだけは、絶対に……。


「お願いします、行かないでください! 先生が行ってしまったら、あたしっ――――!!」

「文乃……」


 悲しみに溺れる文乃を慰めたくて、思わず振り返ってしまいそうになる。

 けれど、その気配を察したのか、はたまたちょうどタイミングが一致したのか定かではないが……。

 文乃は服から手を離し、一歩後ろへと下がった。


「なんて……冗談だって、冗談。また時間があるときに会えるんだから、ね……」

「……ああ、きっと会いにいく」

「だったら大丈夫。……本当に大丈夫ですよ? 先生と交わした約束、絶対に忘れません。先生に誇れるような、立派な生徒で、あり続けますから……っ!」

「…………」

「じゃあ、ね、先生。――――さよなら」


 涙声になった文乃の別れの言葉を聞いてすぐ、後ろから駆け出していく音が聞こえた。

 後ろを振り返りたくて、でも、それが許されないとわかっているから、その場に立ち尽くしたまま、戻って来ていた案内人へと目を向ける。


「やっぱり、文乃ちゃんのことをフったんだね」

「当然だろ、既に死んでいる俺が、文乃を幸せにしてやれるはずがない。むしろ、俺が側に居続けると文乃はこれ以上前へと歩めなくなってしまう。それだけは絶対にさせちゃ駄目だからな」


 そっけない返事をして、止めていた足を進める。

 もう何度かわからない熱い雫が、左頬をゆっくりと滑り落ちた。


「……胸、貸そうか?」

「大丈夫だ。今は時間が惜しい」

「強がらなくていいんだよ……?」

「強がってなんかないさ。……それに、走りながらでも泣くことはできるからな」

「――――やっぱり、強がってるじゃん」


 うるせぇ、なんて言葉すら詰まってしまうから、後を追う案内人に無言を返し、俺は走り出す。

 文乃が幸せになれるように全身全霊の祈りを捧げながら、消したくない思い出がたくさん増えた遊園地から逃げ出すように、展望台へと急いだ。


《『黄泉還り』終了まで あと12時間半》

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