西村文乃の厭世
天気なんてどうでもよかった。
晴れていたって、雨が降っていたって。
風が強くても、雪が降っていても、少しも興味なかった。
でも、そんなときにあなたに会えた。
あなたに会えて、この目に映っていた視界は嘘のように晴れたんだ。
だから、あたしは前を向く。
あなたとの約束を果たすために。
まだ世界は嫌いだけど、雨の日だともっと嫌になってしまうけど。
絶対にあたしは負けない。負けてたまるもんか。
世界で一番、晴れが似合う人になってやる。
「やっぱり、お前のこと大嫌いだ……!」
「なんでよ!? 」
などと罵り合いながら、俺たちは大急ぎで登ってきた坂を駆け下りていた。
そうなってしまったのも、全部こいつの言葉が悪い。
あのタイミングであんなことを言いやがって、後でひたすら無視してやるからな……!
*
――――話はほんの数分前に遡る。
「で、結局、女の子に会いたいだけなんじゃないの?」
従姉の墓前で合わせていた手を下ろした途端に、これだ。
案内人は俺に対する煽りスキルがどうも高いらしい。
「結局ってなんだよ。それに、ちゃんとした理由があるからな」
「それってさ、やましい理由じゃないよねぇ?」
「はぁ……」
これだから嫌になってくる。
従姉の墓まで移動している間にもなんやかんや質問責めされたし、やはり女性の話を持ち出すのはよろしくなかったなと、今更になって思う。
こいつは男女関係の事を聞くと、脳内がピンク一色と化す奴だ。
「別に、ただの教え子だ。……えらく厭世家で引きこもりのな」
「―――あ、うん……。変な風に考えてゴメン」
「……あー、まあ、その、次から気をつけてくれればいい」
相変わらず、すぐに泣きだしそうになりやがって。
機嫌を取らずに放置したってかまわないけれど、女性相手にそんな事をするのはいかがなものかと思ってしまう。
やっぱり、俺はお人好しなんだろうな。
「でも、その子今どうなっているのかな?」
「何だよその言い方」
「だって、外に出たがらないほどの厭世家だったんでしょ? 唯一心を許せていたあなたが死んだって知ったら、首を吊っちゃっててもおかしくないよね?」
「――――まさか!」
「ち、ちょっと!?」
居ても立っても居られなくなり、思わず駆け出していた。
勿論、墓地で走るなど普通は許されるべきじゃないが、今はそんな余裕もない。
もし本当に文乃が自殺していたなら……。
それは間違いなく、俺の責任だ。
*
「はぁ、はぁ……。つ、ついた……」
こうして今に至る。
案内人の不穏な口車に乗せられた俺は、全速力で文乃の家へと向かい、つい先ほど、ようやくたどり着いた。
死んでいるくせに走ったら疲れるし、こけたら普通に痛いのはどうにかならないのかよ……。
「仮初めの肉体があるだけ感謝してほしいんだけど! そりゃあ、ただの霊体だったら疲れたりしないと思うけど、触れ合うことすら出来ないんだからね」
「そう言われたらぐうの音も出ないな」
勝手に人の心を読んだことはさておき、案内人の言う通り、肉体がなかったら相手から俺の姿は見えないだろう。そうなってしまったら何の意味もないのは確かだ。
「それより、あの後、文乃はどうなったんだ……?」
西村宅は比較的新しい住宅街の西に位置している。
大雨による影響が最も小さかった箇所の一部だからか、昔と違っているところも特には見当たらない。
そして、俺が立つ家の庭で、伸びきった雑草を黙々と切り捨てていく女性の姿も、あの頃と一切変わりなかった。
「あら……! 晃先生じゃない!」
「お久しぶりです、千恵さん。ちょっと近くに寄ったものですから、久々に来てしまいました」
俺に気づいたのか、西村千恵さんは気さくに声をかけてくれる。
彼女は文乃の母親で、家庭教師として俺を雇った張本人だ。
確か文乃と三倍近く離れている年齢だとお聞きしたことがあるが、文乃並みかそれ以上に若々しい見た目を維持しているもの凄いお方なのだが、それは今でも健在のようだ。
そして、千恵さんの溌剌とした厚顔を見て確信した。
――――文乃は何事もなく平和に過ごしていると。
「まあまあ、そうでしたか。あっ、文乃ですよね? 相変わらず自室でごろごろしてると思うので、どうぞ上がっていってください」
「え……、あ、はあ。それでは、お言葉に甘えて……」
こうもやすやすと家庭教師ですらなくなった俺を、家の中に招くのはどうかとは思う。
年頃の娘に気を使う必要はないと割り切っているのか、はたまた俺だから何の心配もいらないと思われているのかは知らないが。
とはいえ、久しぶりに会いたいと思ったのは事実だ。
今の俺が文乃に何を語ってやれるかはわからないが、たまには世間話に話を咲かせるのもありかもしれない。
……だが、気になっていることがもう一つある。
その要因にちらっと目を向けると、なぜか嬉々とした笑みを浮かべて俺を見返してきた。
こいつ……、何か企んでやがるな。
文乃の無事を確認できたから焦りや不安は無くなったが、代わりに案内人への不信感が募るばかりだった。
「お邪魔します」
「どうぞどうぞ。あら……? 文乃ー? 晃先生が久しぶりに来たわよー?」
「えっ、嘘!? ち、ちょっと待って! すぐに降りるから」
二階からバタバタと慌ただしい音が聞こえてくると同時に、これは時間がかかりそうね……、と千恵さんが小言をこぼし始めた。
おそらく部屋着から着替えているのだろうけど、今更になって羞恥心を覚えたのだろうか? ……いや、無いよりはあった方が全然マシだけど。
それこそ、人に関心を示さなかったあの頃に比べると、成長したんだなぁ、としみじみと思ってしまう。
……きっと、俺も母さんたちからそうやって見られる時があったんだろうな。
「走ったかいはなかったけど、とりあえず無事で良かったね」
「(人が思い出に浸っているときに話しかけてくるなよ。それと、確かあんたは前もって俺が会いに行きたい人のことを知っていたんだよな?)」
「……そ、そうだけど。それが何?」
「(俺の会いたい人の中には文乃も含まれている。だとしたら、あんたは文乃が今どうしているかぐらい、知っていておかしくないと思ったんだが?)」
「そ、それは……あ、降りてきたみたいだよ!!」
くそ、話を逸らしやがって……!
そこまでして俺を急がせたかった理由はよくわからないが、こうも口車に乗せられてばかりだと流石にムカつくんだが。
……よし、こいつは後で強制帰還にならない程度に貶してやることにしよう。
「ごめん、先生っ! ちょっと時間かかっちゃった」
「いや、そんなに待ってないから問題な――――」
そう、気兼ねなく声をかけて、俺は硬直することになった。
案内人に抱いていた苛立ちが一瞬にして吹き飛ばされてしまう。それほどまでに文乃の姿は衝撃的な変貌を遂げていた。
「……文乃? 本当にあの文乃か!?」
「えー、久しぶりに会ったのにその反応酷くない? それに、私以外に教え子はいないって言ってたよね?」
あの頃よりもだいぶ打ち解けた雰囲気と口調で、嬉しそうに服を見せびらかしてくる。
いや、そこまでアピールしなくても見ればわかるって。
階段から駆け下りてきた文乃は、まさに今時の高校生のような格好で……、引きこもりで厭世家だった頃の気配は跡形もなく消え去っていた。
「まあ、そうだけど……。それにしても珍しいな、文乃がそんな服着ているなんて」
「ふふん、オシャレだよ、オシャレ。先生が「文乃はもっと自分を磨いた方がいい」って前に言ってたじゃん」
「そういえば、確かにそう言ったけど……」
まさか、ここまで様変わりするとは思っていなかった。
普段から化粧をするどころか寝癖を直すこともせずに、寝間着の状態で接していたものだから、いつの間にか女性としてみていなかった節もあった。
けど、オシャレに目覚めた文乃は……正直言って可愛い。
これはモテるだろうなとも思うし、自分が何気なく言った一言でこうも自己改革してくれていることがなぜか誇らしい。
「そうそう、聞いてくださいよ寺田さん。この子ってば、寺田さんが家庭教師のアルバイトを辞めてから、急にオシャレに目覚めたんですよ! ほんっと、態度がわかりやすくて困ってしまいますよね」
「ちょっと、お母さん!? 余計な事は言わなくていいから!」
「最近は掃除に洗濯、料理まで自分でやり始めちゃって……。助かるのはいいんですが、下心が見え見えなんですよ」
「もう! いい加減にしてよ! 私が急に何始めたっていいじゃん!」
「うふふ、恥ずかしがらなくてもいいのに」
「ほ、ほら、先生だって困惑してるじゃん!」
「ああ、いや……俺はあまり気にしてないから、大丈夫だぞ」
――――何が、大丈夫だぞ、だ。殆ど聞いていなかったくせに。
本当に失礼だけど、さっきから二人の話があまり耳に入ってこなかった。
こうやってちょっとしたことで軽い口喧嘩が出来る。
それだけでも幸せなんだと、どうしてあの頃の俺は気づけなかったんだろう。
……もう、兄貴とは一生仲直りすることが出来ないかもしれない。
そんな例えようのない焦りが胸中に溢れかえっていた。
「あらいけない、草むしりの途中だったわ。あたしはまだ続けておくから、文乃はちゃんと先生に話しておきなさいよ?」
「もう! 変なこと言わないでって!」
突如、千恵さんは慌てた様子で外へと戻っていった。
もしかしたら、鎌を置いてきたことを思い出したのかもしれない。
今日は晴天、日差しも強い。金属類を数分外に置いているだけでも、表面は火傷するほどの高温になってしまう。
鎌の劣化を防ぐために急いで戻ったならいい判断だと思う。
そういえば、そんな猛暑の中全力疾走でここまで来たから、さっきから汗が凄い。
すでに死んでいる以上、脱水症状などに気をつける必要はないとは思うが、見た目はともかく匂いは大丈夫か……?
オシャレになった文乃の前だから、なおのこと気になってくるが、顔や言葉に出すのは流石にマズい。
あとでしっかり拭き取ることにするか……。
「ご、ごめん。お母さんったら、年甲斐もなくはしゃいじゃって」
「いや、そんな時もあるさ。俺が顔を出すのも久々だからな」
「もしかして、今日は顔を出しに来ただけ?」
「まぁ、そんなところだが、何か困っていることがあるなら話し相手になるぞ」
しまった……! ただの世間話をするつもりだったのに、焦って年甲斐の少女のお悩み解決なんて、全く向いてないことを口走ってしまった!
自分の悩みを解決できていないってのに、何を言っているんだ、俺……。
これには文乃も困った顔をしてって――――ちょっと待て、なんでそんなに嬉しそうな顔で俺を見るんだ……?
「じゃあさ、久々に会ったし遊園地でデートでもしようよ!」
「で、デート?」
「そうそう、家庭教師のバイト中は遊びに行くことなんてなかったじゃん。せっかく久々に会えたんだし、いいでしょ?」
「いや、でもな……」
「今日を逃したら行く機会なんてないでしょ! お願い! 一生のお願い!」
「一生のお願いをここで使うなよ……」
デート、という言葉に心弾まないわけではない。
だが、俺は死者で文乃は生者という明確な違いが存在している。
この出来事がたとえなかったことにされるのだとしても、何かしらの拍子で思い出してしまったら、今一度厭世のしがらみにとらわれるどころか、案内人が言っていたように、自殺の道を選びかねない。
それだけは絶対に駄目だ。
……でも、あくまで家庭教師と生徒という枠組みのままでいられたら、思い出したとしても乗り越えられる記憶になるんじゃないだろうか。
――――なんて。わかってる、ただ、俺が文乃と一緒に遊園地を楽しみたいだけだってことぐらい。
けど、今だけは……この機会だけは逃したくない。
「そうだな……。他にも寄る場所があったりしてあまり時間が取れないかもしれない。それでもいいなら遊びに行こうか。それと、デートは好きな相手と――――」
「やったっ! じゃあ早く行こ? のんびりしてたら日が暮れちゃうよ!」
「わかった、わかったから……!」
胸を当てるように腕を体に抱き寄せてくる。
こんなのどこで学んだんだ……?
――――ああ、そうだ。見た目が変わりすぎてすっかり忘れていたが、文乃は選り好みのない根っからのゲーマーだったっけ。
もしかしたら、今の文乃はギャルゲーのヒロインを演じているような感じなのかもな……。
などと惚けて考えていたからか、あっという間に外へと連れ出されていた。
「あら、出かけるの?」
「先生とデートに行ってくる!」
「だから、デートじゃないって……」
ちょっと待て、今思えば遊園地って、最も別れを切り出しにくいシチュエーションじゃないか!?
ああもう、俺は馬鹿か! 自分で自分の首を締めてどうする!
――――わかってる。俺はとうにこの世から消え去った存在だということくらい。
けど、別れを告げるなんてこと、辛すぎてとてもじゃないが切り出せない。
今までだって、俺の口から発する事なんて出来ていないってのに、隣ではしゃいでいる文乃にはっきりと告白することなんて……。
――――いや、やらなきゃ駄目だ。そのために俺はこの世に還ってきたんだから。
でも、少しぐらい、成長した文乃の姿を目に焼き付けてもいいよな?
けど、まあ、できれば夕方までには別れを告げなきゃな。




