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浅野満秀の遺言 2

 視界が戻り始めると、そこは懐かしい爺ちゃん宅の居間だった。

 あの時……光に包まれたあの瞬間。

 どこかで似たようなような感覚がしたけれど……。

 ああ、そうだ、案内人に映像を見せられたような感じに似ているんだ。


「そして、俺の目の前で遊んでいるのが、昔の俺ってことか」


 ミニカーを両手で持って遊んでいる四歳くらいの小さな子供は、間違いなく昔の俺だった。

 この頃の記憶なんて全然ないけど、写真で見た幼い日の俺は確かこんな子供だったはず。


 それに、両親や兄貴は途中で帰ってしまっていたけれど、俺だけよく爺ちゃん宅に泊まっていた事だけは覚えがある。

 あれだけ苦手だったはずなのに、不思議なものだ。

 もしかしたら、婆ちゃんに会いに来てたのかもな……。


「おうい晃、ちょっとこっちに来て話さんか?」

「うん、わかった!」


 外から掛けられた懐かしい声に、元気よく返事をして幼い俺は駆け出していく。

 ――――俺の体をすり抜けながら。

 やっぱり過去の記憶を垣間見ているんだから、俺の姿が見えることも触れることもないんだろう。

 それでも、その事実を突きつけられるたびに苦しくなる。

 もう死んでしまっているというのに、なんて情けないのやら……。


「考えてもどうしようもないってのにな」


 誰に向けたわけでもない悪態を口に出しながら、俺も爺ちゃんの元へと向かった。


「どうだ、最近楽しい事あったか?」

「うん! あのね……!」


 爺ちゃんと幼い俺は、縁側に腰かけて談笑に花を咲かせていた。

 まだ死を知らない者と、死の恐ろしさを誰よりも知っている者。

 ……そして、既に死んでしまっている者。

 なんとも、多種多様な考え方の人が揃ったものだ。

 まあ、そのうち二人は俺だけど。


「でもね、きらいな子がいるんだ」

「ふむ、どういった子なんだ?」

「いつもぼうりょくをふるってくるんだ。だから、みんなから嫌われてる」

「そうかそうか。確かに、暴力は駄目だよなぁ」


 そういえばそんなことを話していた気がする。

 あの頃の幼稚園では、一人だけ体格が大きくてみんなにちょっかいばかりしていた男の子がいた。

 確か最終的に家の事情で引っ越したはず。

 あの後どうなったんだっけな……。


 そういえば、幼児からしてみると、目の前の老人は怒っているのではと思っても仕方がないくらい、爺ちゃんの顔は険しかった覚えがある。

 でも、今見るとそんなことはなくて……。

 どちらかと言えば嬉しそうに微笑んでいるようにも見えた。


「もしかしたらその子は、みんなと仲良くなりたいけれど、話すのが苦手だからちょっかいを出してしまうのかもなぁ」

「えーっ、そうかなぁ」

「爺ちゃんがそんな子供だったから、そうじゃないかと思うぞ」

「うーん……。じゃあ、どうしたらいいの?」

「そんなのは簡単だ。()()()()()()()()()()()

『――――っ』


 ……そうだ、あの時爺ちゃんは確かにそう言ったんだ。


「ぼくが? どうやって?」

「それは自分で考えるんだ。爺ちゃんじゃあその子は助けられない。けど晃ならきっと助けられるし、お友達にだってなれるさ」

「そうかなぁ……」

「そうだとも。晃は優しい子だからな」


 幼い俺にはあまりにも難しい話かもしれない。誰かに助言を受けてその通りに動くならまだしも、自分で考えて行動するというのは。

 ……けど、今ならわかる。

 爺ちゃんは俺を甘やかすことなく助言を与え、俺自身がどうするべきかを考えさせてくれていたんだと。


「うん。ぼく、がんばってみる」

「いい返事だ! よし、いいか晃、爺ちゃんと一つだけ約束だ。みんなが幸せになれるように頑張る人になるんだぞ。そうしたら、みんな笑顔でいられるからな。そして、決してみんなを悲しませるような人になってはいかんぞ」

「うん! ぼく、みんなのお助けマンになる!!」

「よく言った! 偉いぞ!」


 骨ばった腕が、男の子の頭を力強くなでくり回す。

 爺ちゃんの顔は、もう悔いはないとばかりの、満面の笑みだった。


『そっか、俺がみんなの事を助けたいって思うのは……』

「あきらー? 帰るわよー?」

「あ! お母さんだ! 爺ちゃん、バイバイ!」

「おう。元気で頑張るんだぞ!」


 俺が感傷に浸っている間に母さんが迎えに来たらしい。

 幼い俺は背負っていたリュックにミニカーを突っ込んで、止められていたうちの車へとトコトコと駆け出していく。


「行ってしまいましたね」

「少し寂しくなるな」

「あら、わたしだけじゃ不満ですか?」

「そ、そんなことはない」

『あれ、いつの間に……』


 幼い俺の後姿に気を取られすぎていたらしく、婆ちゃんが爺ちゃんのすぐ隣まで来ていた事に気づかなかった。

 そりゃあそうか、帰るときにさよならの挨拶をしないわけないもんな。


 そして、車が見えなくなった頃、爺ちゃんと婆ちゃんはゆっくりと縁側に腰を下ろした。


『そういえば、こうやって爺ちゃんと婆ちゃんが話しているのをみるのは初めてだな』


 爺ちゃんはいつも縁側の座椅子に座って、難しそうな顔つきで本を読んでいたし、婆ちゃんは家事以外だと編み物や墨絵に没頭していた覚えがある。

 だから、こうやって二人が並んで話している姿を見るのは珍しい。


「あとどれくらい晃の顔を見られるだろうか」

「あら、急に弱気な発言してますが、何か言われたのかしら? もしかして、死ぬのが怖いとか?」

「いや、そんなことはない。この命、早々に尽きようが構わんさ。娘家族やおまえが元気でいてくれたなら、わしはそれだけで充分だからな」

「相変わらず家族思いですね」

「それはそうだ。身近な人ほど不幸になってほしくない。それにな……幸福こそ世代を超えて受け継ぐべきものだろう。不幸事など、その場限りで結構だ」


 やっぱりそうだ。確信した。

 俺が抱いていた正義感や誰かのためを思う心は爺ちゃんに影響を受けていたんだ。

 なのに、その事を理解出来ずにちゃんとした別れの言葉を伝えることができなかった。

 幼かったとはいえ、あの頃の俺は爺ちゃんにどんな別れを告げたっけな……。


「正直言うとな、儂みたいな元兵士が、赤子を抱いていい物かと思ってしまう時もある」

『あっ……。だから、あまり自分から寄ってこなかったのか……』


 どこかぶっきらぼうだったのも、恐る恐る手を伸ばしていたのも、それが原因だったのか。

 そんなこと、誰も気にしないのに。

 少なくとも俺の家族にそんな考えを持っている人なんていないはずだ。


「気にしているのはあなただけですよ」

「それは重々承知しておる」

「そのうち晃にも話してあげないといけませんねぇ。誰かを傷つける人にはならないようにって」

「大丈夫だ。みんなを助けられる人間になると約束したからな」

「あら、いつの間にそんな約束したんです?」

「ついさっきな」


 爺ちゃんはそう言って顔を綻ばせた。

 ……なんだ、婆ちゃんの前ではそんな顔もできたんだな。少し安心した。

 ずっとあんな仏頂面だったら絶対気疲れするに違いない。


「それにしても、不思議なものだな。さっき死ぬのは怖くないと言ったが、年を取るにつれて、死ぬことは人生最後の行事としか思わなくなってしまった」

「それは、ただ図太くなっただけでしょう?」

「ああ、そうかもしれんな」

「また来年生きていれば、旅行でも行きましょうか」

「ははっ、そうするか」

『爺ちゃん……』


 爺ちゃんに来年は訪れないことを俺は知っている。

 この半年後に脳梗塞で亡くなるから。


『ありがとな、爺ちゃん。おかげで俺はいろんな人を助けることが出来たよ』


 二度と見ることはないだろうと思っていた爺ちゃんの笑顔を瞳に焼き付ける。

 俺はもう死んでしまっているけれど、その屈託もない笑みと俺に託した願いを忘れないように。


『じゃあな……』


 そうぽつりと呟くと、だんだんと二人の言葉が遠のいていき、視界も白く染まっていった。


 *


「おかえり」

「……ただいま」


 目が覚めると、少し日が昇った墓前の前で案内人は俺の手を握って静かに待ってくれていた。


「いいことでもあったの? 随分と笑顔だけど」

「……ああ、とびっきりいいことがな」


 俺はとんだ勘違いをしていた。

 いつも怖くて、何を考えているかわからない人だと、ずっと思い込んでいた。

 けど実際のところ、爺ちゃんは俺のことをしっかりと考えてくれていて。

 それでいて、今の俺を作り上げてくれたそんな人だった。


 ……そして、その期待に応えられなかった俺が憎い。

 きっと、誰も傷つけないなんて事は不可能だ。

 でも、こんなところで……志半ばでこうして墓前に報告しなければならないことが、どうしようもなく、苦しい。


「やっぱり悲しい?」

「……あぁ、ほんの少しな」

「じゃあ、今だけ胸を貸してあげる! 思い切り私の懐で泣きなさい!」

「(胸を張ってその程度だからなぁ)」

「――――ちょいと待て、今の言葉は聞き捨てならんな。セクハラ罪として貴殿を訴えてやる」

「急にキャラ変わってない?」


 ノリが年相応なのはいくらか気が楽だが、流石に見ず知らずの男性にフランクすぎる気がするんだが……。

 まあ、案内人なんて辛い事を引き受けているやつで、俺の内心を見透かしたかのようにボケてくれるあたり、こいつもきっといいやつなんだろうなぁ。


「あ、そうだ。悪いけど、もう一つ寄りたい暮石があるんだ」

「ん? お友達で亡くなっている人がいるなんて聞いてないけど……?」

「いや、友達じゃなくて、従姉のものなんだ」

「あ、従姉ね。なるほど……」

「随分と前に交通事故で亡くなってしまっていたんだ。機会が無いからって、ずっと会いに行けてなかった。死んだ身である俺が言えることじゃないが、せめて一言だけ挨拶したい」


 俺が父さんの親戚宅に遊びに行った時は、よくいじり倒されていた事を覚えている。

 散々イタズラされ度々流されたけど、それでも嫌いにならなかったのだから、俺は既にこの時からだいぶ爺ちゃんの言葉通りに成長していたんだな。


 それで、確か俺が小学校に入学する時に、彼女はこの世を去っている。

 飲酒運転の車から友人を庇って亡くなったと聞かされているが、その状況があまりにも凄惨だったのか、それ以上のことは深く聞かされていない。


 そういえば、彼女の家族は今どうしているのだろう……。

 昔は隣町に住んでいたはずだけど、引っ越したことを聞いてから一度も会っていない気がする。


「どうする? 彼女の記憶も見てみる!?」

「どうしてそんなにノリノリなんだよ……。見ないからな」

「えぇ!? どうしてよ!」


 そんなこと言われてもな……。

 むしろ俺の方がどうしてって言いたいんだが。


「そりゃあ、女性の墓だし……」

「呆れた! 何でお爺さんの墓を選んだのかなと思ったら、そんな理由だなんて!」

「さっきから変な期待ばかりするの止めてくれない?」


 男というものを何だと思っているのやら。

 さっきから変な事ばかり聞いてくるものだから、俺の方がほとほと呆れているんだが。

 ……まあ、嫌いとまではいかなくなったけど。


「それに呆れることなんてないだろ。死者だったとしても女性は女性だ」

「……へぇ、紳士的な発想してんじゃん」

「茶化すな。言うなら俺より健治に言った方がいいぞ。言い出したのはあいつだからな」

「あ、そうなんだ。イケメンだねぇ」

「当たり前だ。俺の親友だからな」


 とはいえ、健治に恋人がいるという話は全然聞かない。

 巧妙に隠しているのか、はたまた本当にいないのか……。

 アイツほど誰かのことを思いやれる奴なんていないってのに、周りの人は見る目が無いな。


 ――――さて、あまりにも話が脱線したが、いい加減に本題に入る事にしよう。


「それに、また記憶を覗き見る事に時間をかけるなら、それよりも前にあっておきたい人がいる」

「へぇ、誰?」

「生前、俺が家庭教師をしていた時の生徒、西村文乃だ」


《『黄泉還り』終了まで あと17時間》

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