浅野満秀の遺言
雨といったら、様々な日の事を思い出す。
傘を忘れ、雨宿りをしていた所に、同じ学舎の女生徒が駆けてきたこと。
彼女に告白し、交際をし始めたこと。
婚姻した日も、長男が生まれた日も雨。
徴兵され、戦地へと向かったのも雨の日だった。
……ああ、そして今日も雨だ。
こうやって、妻に手を握られて旅立つことが出来るのだ。
それだけで、十分に幸せだと感じられる。
だから、俺は雨の日が好きなんだ。
「幽霊が墓参りって、色々とおかしいよね」
「おかしいかもしれないが、これも必要な事なんだ。それに『黄泉還り』は訪れる場所の指定なんてないだろ」
「そうだけどさぁ……。死んでまで墓地に行く気には、普通なれないって……」
不貞腐れたような顔をしたまま、案内人は俺のすぐ隣を歩く。
なんだかんだ、グチグチと言いながらもしっかり付いてくる辺り、コイツも悪いヤツではないんだろうな。
というわけで、あの後俺たちは、坤陵寺に来ていた。
なんでも、千年近く前からある由緒正しきお寺で、この付近の人たちは、何かあったらこのお寺に頼りに来るらしい。
山の中腹付近に建てられているおかげか、未曾有の豪雨災害の影響をあまり受けていないようだった。
「で、誰のお墓を参りに来たの?」
「俺の母方の祖父の満秀さんだ。なかなか来る機会が無かったから、最期に一度だけでも……と思ってな」
「あーね」
「それで、お爺さんのお墓はどこにあるの?」
「いや、その前にちょっとな」
「え? 他にも用があるの?」
「ああ。……俺の墓もここにあるはずだから」
「―――よくわかったね」
「当たり前だろ、うちの家系はいつもこのお寺に世話になっているからな」
そう、何を隠そう我が家も、坤陵寺にはお世話になっている。
確か、母さんのひいお爺さんが、当時の住職と仲が良かったらしく、そこから今に至るまで付き合いが続いているそうだ。
それにしても、自分の墓石を探すことになるとは。
生前の俺だったら、考えもしなかっただろうな。
「……ここか」
「綺麗だね」
「掃除してくれているみたいだな」
段々に連なっている墓の奥、森との境目付近にあった自分の墓は、他の墓石と比べると、まるで作られたばかりではないかと思うほど綺麗だった。
花立に色とりどりの花が飾らせているだけでなく、しゃがみ込んで香炉の中を確認すると、まだ線香の匂いがする。
きっと、母さんが磨きに来てくれているんだ。
そう悟ったら悲しみと共に、さっき押し殺した不甲斐なさがまた込み上げてきて、思わず顔を背けた。
「……さて」
「あれ、もういいの?」
「ああ、俺の墓を見に来たのはついでだからな」
「じゃあ、お爺さんのお墓だね。場所は覚えてるの?」
「ああ、こっちだ」
「ちょっと、置いてかないでよ」
案内人の言葉を無視しながら、逃げ出すようにその場から移動する。
―――いや、現に逃げ出しているんだ。
きっと「自分から墓石を見に行ったくせに」なんて、こいつは言わないだろう。
けど、わざわざ気をかけさせるのも良くない。
気づかないふりをしていたけど……あの時、案内人は俺の後ろで合掌していた。
とても悲しそうな表情で……死んでいる俺が言うのもアレだが、居たたまれなくなってしまったんだ。
「さて、着いたぞ」
「ここも随分と前からあるにしては、だいぶ綺麗だね」
「そうだな」
なんだかんだ考えながら先に進むと、結構早くに爺ちゃんの墓までたどり着いた。
キョロキョロと視線をさまよわせている案内人を無視して、墓前に立つ。
亡くなった爺ちゃんの面影を朧げに思い出しながら、静かに手を合わせた。
「ごめん爺ちゃん。久々に来たと思ったら花や菓子折りの一つもないどころか、こんな若い歳で死んでしまって」
爺ちゃんは凄い人だったと、母さんから聞いた事がある。
容姿端麗で文武両道、おまけにその時代で爺ちゃんの家はとても裕福な家庭だったらしい。
……でも、そんな生活が嫌だったのか、爺ちゃんは不真面目で性格が悪かった。
学校をサボるのは当たり前、それに大きな暴力沙汰があったらいつもその中心にいたそうだ。
そんな爺ちゃんだけど、とある事があって改心することになる。
―――それは、婆ちゃんに出会ったことだった。
改心した後に猛アピールして、どうにか婚約まで漕ぎ着けたのもつかの間、爺ちゃんは戦争に駆り出されてしまう。
……でも、爺ちゃんは無傷で帰ってきた。
家族のために、必死で生きながらえたんだ。
それに比べて俺はどうだ?
誰かのためだと言い訳をして、自分が助けたい人を無我夢中で助けた結果が、こんな有様だ。
情けなさ過ぎて乾いた笑いが口元に浮かんでしまう。
本当に申し訳なさすぎて、爺ちゃんに顔向け出来そうにない。
―――それでも、俺はここに来ないといけない理由があったんだ。
「ねえ」
「どうかしたか?」
「お爺さんって、あなたにとって一体どんな人だったの?」
「―――わからない」
「……え?」
「実はあまり覚えていないんだ。子供のころの印象だと、ずっと仏頂面で怖いってイメージがあったけど」
「それなのに来たの? わざわざあんな長い坂を上って!?」
「確かめたいことがあったんだ、けど、結局確かめられそうにないから、こうやって謝りに来た」
「……?」
「まあ、これだけじゃわかんないよな」
いかにも戸惑っている表情の案内人が面白くて、ついおちょくってしまった。
こんな性格になった覚えはないんだけどな……?
「一度だけ爺ちゃんと二人きりになったことがあってな。その時、とある約束をしたんだ」
「約束……」
「ああ、大切な約束をした。そして、その時爺ちゃんは、珍しいくらいの笑顔で俺の頭を撫でてくれてさ。あの時、爺ちゃんは一体どんなことを考えていたんだろうって、ずっと考えてた。……結局このありさまだから、分からないままだけどな」
そう、俺は確かに、爺ちゃんと大切な約束を指切りで結んだはず。
なのに、どうしても思い出せない。
とても大事だから、意識にしなくても実行できるように、癖にしておこうとしたせいかもしれない。
理由はさておいて、せめて、どんな約束をしたかだけでも、わかればいいんだけどな……。
「そうだなぁ。……あ、そうだ」
何かを思いついたかのように、案内人は両手を軽く合わせていた。
……嫌な予感がする。
「お爺さんの記憶でも覗いてみる?」
「覗く? 一体どうやって……」
「骨に触れたら自然と覗けるけど」
「えぇ……?」
「まあ、魂の破片みたいなものが残っていたらだけどね」
なんだそれ?
故人の遺骨に触ったら、記憶を覗けるだなんて聞いたことが無い。
いや、普通に聞かないだろうけど。
もしかしたら、これも『黄泉還り』の恩恵なんだろうか……?
―――ん? そういえば……。
「いや待て。そもそも、どうやって拝み石の下にある遺骨に触るんだ? 流石に動かすわけにはいかないだろ」
「え、簡単じゃん。思い出してもみてよ、わたしたちは幽霊みたいなものでしょ?」
「あ……」
そうだ、墓の前に立っているからすっかり失念していた。
俺だって、もうこの世界に存在しないんだってことに。
さっきまで忘れないよう口に出していたのにな……。
やっぱり、死んでいることを認めたくない。
「それに、一時的になら幽体化だってできるし―――って聞いてる?」
「……」
「もう、すぐ凹むんだから。今だったらどんなものでもすり抜けられるんだよ。女子更衣室に忍び込んだってバレないし!」
「いや、女子更衣室に用なんてないし。そもそも、行く必要ないだろ」
「うんうん、普通忍び込むよね。健全、健全―――じゃないなぁ!?」
「俺を何だと思ってんだよ……。てか、犯罪行為は強制終了だろ!」
「ちっ、気付いてしまったか」
「あのなぁ……」
今どき女子更衣室に忍び込むなんて、フィクションでも書かれないぞ。
犯罪的思考の助長になるからだろうけれどな。
こいつ、一体いつの時代の人なんだ……?
まあ、こんな的外れな会話をしてくれるおかげで、少しは落ち着けるが……。
いや、立ち直れるのは嘘じゃないし、気を使ってくれているのはわかるぞ。
だとしても、いかんせん色々とずれている気がする。
もしかしたら、あえてそんな話題を振っているのか……?
「―――いや、無いな」
「急に何? 凄く失礼な事考えてなかった?」
「気のせいだろ」
「……じゃあ、手を出して」
「こうか?」
「はい、ぎゅーっ」
「ちょっ……!」
不満そうな顔をしたままの案内人に、出した右手を強く握られたから、慌てて振りほどく。
急になんだよ……!
いきなりそんな事されると驚くだろ!
なんて言おうとしたら、彼女の顔はますます厳しくなっていた。
「ちょっと……?」
「急に手を握るな! びっくりしただろ!」
「おやおやぁ……? もしかしてあなたって相当にうぶだったり?」
「冗談はよせ。ただ驚いただけだ」
「ふふふ、そういう事にしといてあげる」
「……」
ケラケラと笑われる。
……やっぱり、こいつは不機嫌でいさせるぐらいが丁度いいな。
一度調子に乗ると、相手をするのがめんどくせえ。
―――その笑顔が可愛らしいのも、なおさらムカつく。
「それで、何がやりたかったんだ?」
「あ、ごめんごめん、あなたを『半幽体離脱』状態にさせようと思ってね」
「なんだそれ?」
「文字通りだよ。幽体化したら、なんだってすり抜けられるのはさっき言ったでしょ?」
「確かに言ってた気がするが……」
本当にそんなことが出来るのか?
他人の記憶を覗くことが出来るなんて……。
いや、さほどおかしくないか。
俺の会いたい人を前もって調べられているんだ、それくらい出来ても不思議じゃない。
「いい? 少ししたらあなたは、この体から魂が抜ける。そしたらすぐに納骨堂に入って、遺骨に触れてね」
「……ああ、わかった」
「それと、魂だけ抜けているってことを決して忘れないで。戻れなくなっちゃうから」
「戻れないって、肉体に?」
「この世とあの世に」
「……ふーん」
「真面目に聞いて。魂だけ抜けていると、そのうち自分が何者かわからなくなるの。そういった者がそのうち怨霊になるわけ」
「自分が何者かわからなくなる……怨霊……」
「それだけは嫌でしょ?」
「確かに、それは嫌だな……」
「だったらちゃんと手を握って。自分がここにいることを忘れないこと。わかった?」
「肝に銘じておくよ」
冗談じゃない。
死んでいるだけでもここまでつらいのに、さらに怨念になる可能性もある?
どうしてそんな危険な真似をしなきゃならないんだ!
……なんて、言うことは出来ないよな。
こいつは、俺のためを思ってこうしてくれているんだから。
彼女に手を差し出すと、先ほどとは違って今度は優しく握られた。
肉体なんてもうないはずなのに、なぜかその手はとても暖かくて―――。
『私みたいになっちゃダメだからね!』
また、幻聴か。
……いや、それだけじゃなかった。
どこかで感じたことがあるような、不思議な感覚に襲われる。
「……集中して」
「わかってる」
そうだ、今はそんな事より、爺ちゃんの記憶を見る事に集中しないと。
昔、約束した大切な何がを思い出すために。
あの時、嬉しそうに笑った爺ちゃんの本心を探るために―――。
『うわっ!』
トン、と誰かに背中を押された気がして、足を前に踏み出す。
……ことは出来なかった。
『え? どうなっているんだ?』
ふわっとした感覚と共に、体が前に出たような気がしたけれど、足は地面についたままで……。
いや、足が無い。
慌てて後ろを振り返ってみると、目をつぶって手を握りしめている俺と案内人が立っていた。
そして、肝心の足は、体につながっている。
『なるほど、一部は繋がっているのか……って、あまりじっとしている暇はないんだった』
上半身を動かしてみると、意識した方向に進むことが出来た。
後は、本当に拝み石をすり抜けられるかどうかだが……。
『……お、いけるな』
案外スムーズに通り抜けられた。
そして、すり抜けた先には、白い陶器が置かれているた。
あれが、爺ちゃんの骨壷だろう。
『―――よし!』
両手て頬を叩くことは出来そうになかったから、とにかく意識を集中して、骨壺に手を触れる。
その途端、強い光が俺を包み込んだ。




