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満島橙子の後悔 2

「……やっぱり、橙子ちゃんは最初から知っていたんだね」


抱き抱えていた橙子ちゃんを下ろすと、少し恥ずかしそうにスカートを直していた。

やっぱり恥ずかしかったんじゃないか……。

でも、彼女にはそこまでする理由があったんだろう。

わざわざ、人を試すようなことをしたわけだしな。


「うん。あなたが、わたしを真っ先に見つけて弔ってくれたって。案内人からすぐに聞かされたんだ」

「別に、そこまでの事をしたわけじゃ―――」

「それでも、わたしはうれしかった。だってあのままだったら、家族にすら供養されなかっただろうから」

「それは……」


一体どういう事なんだ?

確かにあんな状態だと、遺体の確認は難しいかもしれない。

でも、それだけで供養されないなんて言えないはず。

捜索願いだって出ていたんだし。


「ねぇ、気にならなかった? わたしが平日の昼間に繁華街にいたこと」

「あの頃は気が動転していたから、気づいていなかったけど、今考えれば確かにおかしいよね」

「そうでしょ?」


7月13日だと、この付近の中学はまだ夏休みに入っていない。

だったら、サボり?

いや、あんな雨の日に、学校をさぼって繁華街に行こうとは思わない……と思う。


「一体何していたんだい?」

「やるのはとっても簡単で……でも、難しいこと」

「……?」

「あれ、分からなかった?」


そうやって、茶化したように俺の事を笑う。


「わたしね、自殺できる場所を探していたの」

「―――え?」


耳を疑った。

もしかして、何かの聞き間違えただけじゃ―――。

……いや、認めよう。橙子ちゃんは確かに自殺と口に出していた。

少しも悲しげな表情を見せないどころか満面の笑みで。


「自殺、なんて……」

「わかってる。でも、わたしには居場所がなかった」

「居場所? ……いじめに遭ってたのか?」

「それに近いかな。家出は暴力をふるわれるし、学校ではみんなの機嫌を取れるような生徒を演じなきゃいけなかったの。それに、先生たちは物覚えが悪い私を目の敵にしていたし、そんな私の事を助けてくれる友達なんて、いるはずもなかったしね」


……想像できない。

目の前で、屈託のない笑みを浮かべているこの子が、孤独に苛まれていただなんて。

でも、そう考えると、あの時怒っていたのも、あんな言葉を口にしたのも理解できなくはない。

―――彼女には縋る相手がいなかったんだ。

たった一人で、あらゆる出来事に立ち向かわなきゃいけなかった。

それはきっと、『苦しい』なんて言葉じゃ言い表せられないと思う。

そして、行き着いた先に自殺を考えてしまうのは、おかしくもないかもしれない。


俺はやっぱり、自分の事しか考えられていなかった。

命が尊いものだと、決して同じものが一つとない大切なものだと考えている俺には、この子の気持ちなんて一生かけてもわからないかもしれない。

独りぼっちの孤独に苦しんだ橙子ちゃん。

みんなに囲まれて幸せだった俺。

橙子ちゃんとは境遇が全く違う俺が、この子を非難できるのか?


「……辛かったな」


だから、こんな言葉しかかけてあげられない。

彼女より倍近く長い月日を生きてきたのに、俺はなんて不甲斐ないんだ。


「うん、死ぬほど辛かった。だから、わたしには生きている価値が無い。生まれてきた意味だって―――」

「それは違う!」

「違わないよ。―――とは、もう言えなくなっちゃったけどね」


橙子ちゃんは地面に視線を落とす。

未だ俺は、彼女を励ましてやれる言葉が思いつかない。

どんな言葉を投げかけたとしても、それがとても陳腐になってしまうに違いないから。


「結局、わたしは横転したトラックに挟まれて死んじゃった。その事に気付いたのだって、死んだ後だったし、願いが叶ったんだって喜んだんだよ」

「……でも『黄泉還り』することを望んだんだね」

「何でだろうね。死んだってわかったら、なんだか悲しくなっちゃったんだ。もう戻れないんだって考えるとどうしてもね」


そう言って橙子ちゃんはうなだれてしまった。

長い髪が顔を隠しているせいで、どんな表情をしているのか、俺には見えない。

けど、心から悲しんでいるというよりは、仕方がないと言わんばかりの態度に見える。


「でも、そこであなたの事を案内人から聞いた」

「―――君の案内人はなんて言っていた?」

「死んだわたしを弔ってくれる人がいた。それも、見ず知らずの他人なのに、心から悲しんでくれていたんだって。何も出来なくてごめんと謝ってくれたって」

「……」

「だから、赤の他人なのに私の事を思ってくれたその人に、最後でいいから、一度だけでも会いたいなって思ったんだ」


つまり橙子ちゃんは、『黄泉還り』の本命に俺を選んだということになる。

そして、死んでしまった俺は、

―――なんて酷い結末だ。


「それなのに、ようやく会えたと思ったら、わたしと同じように死んでいて『黄泉帰り』中だったから、正直、心底ガッカリしたの」

「まあ、普通そうなるよな」


当たり前だ。

俺は、橙子ちゃんをそのままにして立ち去っただけでなく、自分の命すらなげうったようなやつだし。

失望されたって仕方がないよな。


「でも、それは間違いだった」

「え……?」

「あなたは溺れていた男の子を助けて、そのせいで死んでしまったんでしょ?」

「そう、だけど……」

「わたしだったらそんなことは出来ない。だって、なんだかんだ言いながら、わたしはあの日まで生きていたんだから」

「……」

「自らの命をなげうってでも、他の人の命を助けるなんて、普通考えないよ。だから、命の重みが分かるんだよね。……わたしよりもずっと、あなたの方が素晴らしい人だった」

「そんなことない。橙子ちゃんだって、みんなの事を考えていたから、嫌われないようなキャラを演じていたんだろ?」

「……うん。あーもう! 人の機嫌ばかり気にして本当にわたしってバカ。結局、死んでしまった後でクラスメイト達に会っても、わたしの事なんて考えていてすらくれてなかったし、本当、散々な目に遭ってばっかり。本当にあなたに会えなかったら、すぐに還りたいって言ってたところだったよ」

「還りたい……か」

「うん。ここじゃなくて、みんなの魂が還る場所に」


橙子ちゃんは怖くないのかな。

自分という存在が消えてなくなる事が。

……もしかしたら、その感覚はもうないのかもしれない。

辛い世界に居続けるなら、死んだ方がマシだと、そう言ってしまうほどだったから。


「あーあ、ワガママに生きれたらなぁ。きっといろんな人たちに迷惑をかけて、思いっきり叱られて……そして、誰かに愛されていたかな」

「それは……」


それはどうだろう。

この子が自分をさらけ出して、ワガママでいられたのなら、きっとここにはいない。

夏休みだから、友人たちと遊んでいるかもしれない。

家族と一緒に旅行している可能性だってある。

……でも、彼女にそれは許されなかった。


「ワガママでいることが幸せじゃないってわかっているよ。案内人にも散々怒られたもん……でも、もっとワガママで居たかった、もっっっっとワガママに生きたかった!」

「それが橙子ちゃんの本音なんだね」

「うん。これが、わたしの本心で、最後まで叶えられなかったこと……」


そう言って、彼女は俯いていた頭を上げた。

その顔は、吹っ切れたかのような満面の笑みで―――。


「それでも、最期の最後で、あなたに会えてよかった」

「おい! 体が……!」


橙子ちゃんの体が透けていた。

いや、足元から徐々に消えていっているように見える。


「大丈夫。もうそろそろ時間ってだけだから」

「時間……一日が経つのか」

「続けるね。命の大切さをしっかりと教えてくれたあなたに、できたら生きているうちに会いたかった。けど、いまさら言ってもどうしようもないよね。いつもいいときに限って、タイミング悪くなるわたいがほんと嫌い。来世はタイミングいい人になりたいなぁ」

「タイミングが良い人、か」

「うん。きっと、全然いい人生を送れただろうし、あなたに会えて、もう少し頑張って生きてみようって、自分を変える機会になったとも思うんだよね」


自分を変える機会、か。

それさえあったなら、橙子ちゃんは変われたのかな。

俺だって、自分がどうしてこんな性格になったのか。

どうして誰かの為に働こうと思うようになったのか、いまいち覚えてない。

……それでも―――。


「もし、生きているうちに俺と会っていたって、きっと君は変わっていなかったと思う」

「どうして?」

「だって、今君がそう思わなかったなら、俺の言葉なんて何の意味もないんだ。誰が何と言っても、変わる機会があったとしても、自分を変えられるのは自分だけなんだから」

「そっか……。うん、そうだよね」


あ、しまった。

今の言葉は失言だった。

明らかにしょんぼりと

……だけど、彼女が変わろうとしない限り、きっと誰に言葉を投げかけられたとしても、伝わらないと思ったのは本当だ。

だからこそ、俺に出来ることを、彼女にしてあげたい。

もう死んでしまっている身だけど、それでも、出来ることはきっとあるはずだ。


「橙子ちゃんはやりたいこと、されたいことはないのかい?」


案内人は黙っていてくれているけど、内心では怒っているだろうな。

「また、余計に口出ししてるじゃん。時間は限られているって言ったでしょ!」って。

でも、辛い目に遭ってばかりの彼女に、何か一つだけでも願いを叶えてあげるぐらいいいだろ?


「……」

「ん?」


……あれ? どうしたんだろう。

なぜか、橙子ちゃんは申し訳なさそうな顔をしていた。


「―――あのね、もうされたかった事は叶っちゃってるんだ」

「……それって、もしかして―――」

「うん、お姫様抱っこされることだよ」


いや、薄々そうじゃないかとは思ったけどさ。

けど、成り行きでいいのか?

ただ、背中から落ちてきたから、両手で抱きかかえただけだぞ?

某アニメ映画みたいなアレと同じだぞ……?


「ちょっとドキッとしちゃった。こんな風に誰かに抱きかかえられたかったなぁって、ずっと思ってたから」

「あんなので、よかったのか?」

「いいよ、これで。もう十分に、悔いなくむこうに行くことができるから」

「……」


やっぱり、理解できない。

こうやって、頑張って笑顔を作っているけどさ。

君は、本当にそれでいいのかよ。

それに―――。


「……ごめん、俺にはやっぱりわからないよ。どうして君は俺に会いたかったのか」

「そんなの、一言で言えますよ?」

「え?」

「あなたに会いたかったから。それが、会いたかった理由だよ」

「……それは理由になっていないよね」

「理由なんてなくていいじゃん。あなたが男の子を救ったように、私もあなたに救われたんだから」


嬉しそうにそう言っているけれど、橙子ちゃんは泣いていた。

やっぱり、辛いんだ。

この世界からいなくなってしまうことが。

自分がもうすぐ消えてしまうことが。


「本当にありがとう! 晃さんっ!!」

「……うん。おやすみ、橙子ちゃん」


だったら、俺は笑顔で送り出そう。

悲しい顔をしていたら、きっと橙子ちゃんも悲しくなる。

せめて、今だけは幸せだと、彼女にそう思ってほしいから。


「おやすみ、なさいっ!!」


ぽろぽろと涙をこぼしながらも、満面の笑みを浮かべたまま―――。

橙子ちゃんは空に吸い込まれるように、その場から姿を消した。





「……」


ついさっきまで彼女が立っていた場所を……消えていった空を、俺はじっと見つめていた。

せめて、彼女が苦しむことなくあの世に旅立てたのならいいな。

そう思いながら振り向くと、少し離れた所で案内人が立っていた。

その顔に涙はない。

……あいつにしては珍しいな。


「なあ」

「どうかした?」

「……俺が知らないだけで、橙子ちゃんみたいな人もいるんだよな」

「また凹んでない?」

「いや、まあ……」


凹まないわけがないだろ。

俺は人の為に頑張っていると、そう勘違いしていただけなんだから。


「それで、そんな俺の顔を見てクスクス笑っている、お前はどうなんだよ。」

「私? ―――私は、橙子ちゃんの気持ちが分かるような気がするなぁ」

「……もしかして、不遇な人生だったのか?」

「いや、そっちじゃなくてお姫様抱っこの方」

「まあ、性格的に不幸事を経験してなさそうだしな」

「酷くない!?」


俺の言葉が癪に障ったのか、ふくれっ面をしている。

いや、先にバカにしてきたくせに、よくもまあ怒れるよな。


「……まあ、いいけど」

「いいのかよ」

「だって、橙子ちゃんはもっと悲惨な人生を歩んできたんだし」

「……」

「もちろん、あの子はあなたのおかげで幸せに眠れたと思うよ。だから―――」

「わかってる、わかってるさ。……けど、やっぱり俺は不甲斐ないなって」


自然と頬を伝っていた涙をぬぐう。

橙子ちゃんは俺に会ったことで救われたと

救われたのは俺だって同じだ。

俺がやったことが無意味じゃなかったって、言ってくれたようなものだから。


「……行こう」

「……ああ」


最後にもう一度、彼女がいた場所を振り返って手を合わせた。

来世なんてあるのかわからないけれど。

もし次があったら、橙子ちゃんには幸せになって欲しい。

俺に出来ることは、そう願う事だけだから。


ゆっくりと視線を前に戻す。

目的地はすぐそこだった。



 《『黄泉還り』終了まで あと18時間半》

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