表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/37

満島橙子の後悔

雨は大好き。

思いっきり泣いたって、誰にも気付かれやしないから。

私が一人でいることを、少しだけ忘れさせてくれるから。

醜く穢れたこの体を、洗い流してくれるような気がするから。


なのに、どうしてかな。

心臓が張り裂けそうなくらい痛いんだ。

ズキズキ、チクチク、あたしの心を傷つけてくるの。


今日が雨だったら、どれだけよかっただろう。

見たくなかったものを、一つたりとも見ずに済んだのに。


でも、あなたに会えた。

そのことだけは、日差し射すこの天気に感謝してもいいかもしれない。

「初めまして! わたし、満島橙子って言います。さっき言ったように、あなたと同じ『黄泉帰り』中の、中学生でーす!」

「初めまして。俺は寺田晃。見ての通り……って言ってもわからないか。元大学生なんだ」

「へえ、大学生! けっこう年上の人だったんだ。 だからかな、あまり驚いているように見えないけど」

「いや、本当に驚いたよ……。同じ『黄泉帰り』の人と会うとは、微塵(みじん)も思っていなかったから」


 でも、本当はそのことで驚いたわけじゃない。

 俺が『黄泉帰り』できているんだ。

 他の人だってきっと、例外じゃないとは思ってた。

 本当に驚いたのは彼女が爪に塗っているマニキュア。

 鮮やかなピンクの色も、小さくて細い腕の特徴も、あの日見た時と同じ―――。

 多分……いや、間違いなく彼女は、トラックとビルに挟まれていた、あの少女だ。


「……? どうかしたの?」

「い、いや、何でもない」

「あ、驚きすぎて声も出せなくなってた、的な?」

「まあ、そんな感じかな」


 彼女……橙子ちゃんは、体の後ろで手を組んで、にひひ…と得意げに笑っている。

 けれど、どうも腑に落ちない。

 いや、笑顔でいるのは凄くいいと思う。

 同じ境遇の人に会って、ほっとしているなら尚更だ。

 でも、なぜだろう。

 どうしてこうも、この子の笑みに違和感を感じてしまうんだ……?


「そういえば、さ」

「ん?」


 ……まあ、そんな些細な事は気にしないでおこう。

『黄泉還り』の人同士だったとしても、彼女にとって俺は見知らぬ人に変わりない。

 少し警戒していてもおかしくはないしな。

 せめて、心許せるように立ち回る事にしよう。

 そう思って彼女の話に耳を傾ける。


「あなたは会いたい人に会えた?」

「数人には。連絡待ちと、今手が離せない人には会えてないかな」

「じゃあ、少し話さない?」

「話さないって……」


 さっきの笑顔もそうだったけど、やっぱり橙子ちゃんは少しおかしい気がする。

『自分はもうこの世にいない』

 その事実だけで、俺はめちゃくちゃ苦しんでいる。

 なのに、彼女は笑顔のままだ。

 いや、まあ……未練が吹っ切れたのかもしれないけれど。

 それに、せっかく『黄泉還り』をしていたのに、たった一人でベンチに座っていたことも解せない。

『黄泉還り』に使える時間は、たった一日しかないんだぞ?

 それなのに、あんな場所で暇をつぶしていたり、見ず知らずの他人である俺なんかに割いていいのか?


「あ、そんな事に時間を使っていいのかって思ったでしょ?」

「か、勘が鋭いんだね。ちょうど、そう思っていたところだよ」

「それなら全然問題なしだね!」

「え、問題ないのかい?」

「うん。あたし、もう会おうとしていた人全員に会って、さよならって言ってるから」

「えっ……!」

「だから、時間が余ってどうしようかなぁって思っていたんだよね。途中で帰れないから、暇で仕方がなかったし」


 ゆらゆらと体を揺らしながら、当たり前のように彼女は呟くけれど……。

 とても、普通だとは思えなかった。

 たとえ同じ時間にこっちに来たわけではないとしても、流石に早すぎるんじゃないか?

 それに、会う人が少なかったら、その分、会いたかった人との時間を増やしたらいいのに。

 どうしてそんなことをしなかった……?

 ……そういえば。


「きみの案内人の姿が見えないけど……」

「ああ、他の人に見えないからじゃない?」

「あれって生きている人以外もそうなのか」


 なら、俺の案内人も橙子ちゃんには見えていないのか。

 あいつは俺の言いつけ通り、誰かと話している時だから話しかけてきていない。

 視界に居ないと、俺一人だけで帰って来たように錯覚してしまう。

 ―――いや、あのおしゃべりが黙っていたら、そもそも存在を忘れそうになるけど。


「ねぇ、さっきの話だけど……。移動しながらでいいからさ! 一生のお願い!!」

「……はぁ。まあ、いいよ」

「やったー!」


 ……一生のお願い、か。

 お互いもう死んでいるわけだから、全く意味が無いんだけどな。

 でも、こうやって話し相手になってあげるだけで、気が済むのならそれでいいや。

 それに、死んでいる状態で初めて頼られた気がする。

 こんな状態の俺でも役に立てるのなら、彼女の助けになれるのなら。

 そのささいな願いを、叶えてあげたって罰は当たらないだろ。


「……」

「……」


 ……というわけで、一緒に次の目的地まで移動しているんだが。

 橙子ちゃんは歩き始めた途端に喋らなくなった。

 いや、確かにずっと崖に面した上り道だから、疲れるのは疲れるんだろうけど。

 案内人曰く、そういったもの全てが、認識の齟齬によるものらしいから、実際には疲れなんてないはず。

 まあ、それに気付いていないなら、疲れていると思っていてもおかしくないけど。


 とにかく、彼女は口を開くことなく、俺の方を見てニコニコしているだけ……。

 これは、本当にただの暇つぶし相手にされているだけっぽいな。

 ―――だったら、俺から話しかけるしかないか。


「一つ聞いてもいいかい?」

「何ー?」

「案内人が見えないのに、どうして『黄泉還り』をしている人だってわかったんだい?」

「だって、見えない人と楽しそうに話していたじゃん」

「……確かに」

『あっははははははは!! そんなのもわかってなかったの? バッカじゃん!』

「(うるせぇな……)」


 いや、確かに橙子ちゃんが言ったその通りなんだが。

 案内人、一緒に談話していたお前だけには言われたくない。

 ……前言撤回、コイツは自分が思ったとおりに動いてくれたら満足する、下世話なヤツだ

 やっぱり好きになれない。


「……いいですね、楽しそうで」

「どこも楽しくないけどね」

「そう? わたしから見ると楽しそうだったけど」


 突然、橙子ちゃんが不満げな表情になっていて戸惑う。

 いや、何も楽しくないけど。

 ただ馬鹿にされたから、イラっとして文句を言っただけなんだけど。


「よっと。あーもう、ホント嫌になっちゃう。どうしてこんな気持ちになっちゃうかなぁ」


 いつの間にか、彼女は塀の上によじ登っていた。

 そのまま両手を水平にして、バランスを取りながら、ゆっくり前に進んでいる。

 風が強いからか、短く畳んでいるスカートがバタバタと揺れていた。

 ……いやいや、ちょっと待て!


「そんなところ歩くと危ないぞ! それにパンツ見えてる!」

「別にいいじゃん、あなたにしか見えていないし。それに、どうせ、もうすぐこの世界からもおさらばですし」

「どうせ、って……」

「いや、だってそうでしょ。わたしはもう死んでいるんだから、今更どうなったっていいし」

「それは……」

「ホント、命って馬鹿馬鹿しい。あーあ、どうせ死ぬならもっっと早く死んでおけば―――」


 ―――今、なんて言った?

 命が……なんだって?


「ふざけたことを言うな!」

「え……?」

「もっと早く死んでおけば? どうせ死ぬ? 命を何だと思っているんだ!」


 今の言葉だけは聞き捨てならない。

 命が馬鹿馬鹿しい?

 もっと早く死んでおけば?

 ―――ふざけたことを言いやがって。


 生きていたら、幸せな未来を歩けたかもしれない人たちがいるんだ!

 両親に愛されながら、もうすぐ生まれる新しい命だってあるんだ!

 俺が死ななければ、もっともっと、多くの人を救えたかもしれない。

 君が死ななかったら、君の事を大切に思ってくれた人が悲しまずに済んだかもしれない!

 ―――命はかけがえのない、たった一度しかない大切な物なんだ!

 それを愚弄する人が誰だったとしても、俺はそいつを許さない!


「命は命でしょ。それ以外になんともない」

「命を馬鹿にするな。誰にだってある大切なものを、貶すことが許される人なんていない」

「はぁ!? ねぇ、さっきから偉そうにしてるけど、あなたに、私の何が分かるってわけ!?」

「君の事は分からないけど―――っ!」


 言葉を続けようとしたその時、何かが目の前を通り過ぎたような気がして、思わず右腕で顔を隠す。

 すぐに手を戻すが、そこにはもちろん何もいない。

 一体何だったんだ……。

 ―――なんて、考える暇はなかった。


「あわわっ!?」

「! 危ない!!」


 俺が見ていない間に、高い塀の上で橙子ちゃんはふらふらとしている。

 今にもバランスを崩して落ちそうだ。


「あ―――!」


 ついに足を踏み外した橙子ちゃんは、こちら側へと落ちてくる。

 2メートル以上ある壁の上に乗っていたんだ。

 頭から落ちたら、笑い事では済まない!


 ―――普通の人間なら。


 彼女はもう死んでいる。

 今ここで怪我をしたとしても、すぐにあの世に行ってしまうだろう。

 それなら、このまま、助けなくていいかもしれない。


 ……なんて、思ってたまるか!


「橙子ちゃん!!」


 俺は無我夢中で駆けだした。

 あの時……男の子を助けるために、濁流へと踏み込んだように。

 クソッ……! 間に合え……!


 ―――背中から、誰かに押されたような気がした。



「あっ……!」

「ふう……ギリギリセーフだな」


 危ない危ない……。

 どうにか、すんでのところで受け止められた。

 そのままだったら、地面に叩きつけられているところだった。


「だから言ったじゃないか、危ないから止めとけって」

「……何で助けたの? 落ちたってもう怪我をすることすらないし、もしかしたら痛みだってないかも―――」

「助けたかったから助けた。それ以外に理由なんてない」

「何、それ」

「俺からも言わせてもらうぞ」


 この子がやりたかったことが、ようやくわかった気がする。

 どうして、俺なんかに、話し相手になって欲しいなんて言ったのか。

 歩き始めてから何も言わず、俺の事を見ていたのか。

 挨拶はもう終えたなんて言っていたけど、それなら、なぜ途中帰還しなかったのか。

 そもそも、どうしてあんなところで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のか。

 理由はきっと―――。


「君は……()()()()()()()()()()()()()だろ」

「! 何を根拠に―――」

「顔に出やすいタイプって言われたことないか?」

「う……!」


 橙子ちゃんはハッとした表情をしたけど、そのままみるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく。

 いや、めちゃくちゃわかりやすいよ、きみ。

 身振り手振りも大きいしね。


「いや、表情がコロコロと変わるから、見ていて面白いなあと思ってね」

「だからって、わたしの事を弄んだの!?」

「いや、流石に命を罵倒することは許さない」

「……そう」

「まあ、それは置いておこう。とにかく、その分かりやすい表情で、君が俺をはめようとしていると考えた」

「はめようとって―――!」

「だってそうだろ。唐突に怒りだしたかと思ったら、わざとらしくこっちに落ちてくるし」

「別に、わざとじゃないし!」

「だったらどうして、俺が受け止めた時、心底ほっとしていた表情をしていたんだ? 普通は苛立って怒るはずなのに、安心することはないだろ?」

「それは―――。なんて、もう気付かれたから仕方がないか」


 困ったような顔をして、橙子ちゃんは微笑んだ。

 その表情はさっきの笑顔と比べて、彼女にしっくりと馴染んでいた。

 ……きっと、これが彼女の本当の笑顔なんだ。


「ごめんなさい! 試すようなことをしてしまって!」

「いや、わかってくれたらいいんだ」

「……ごめんなさい」


 大きく頭を下げて、謝る橙子ちゃんに声を掛けると、ゆっくりと頭を上げて小さく呟く。

 憂鬱げな顔をしていたけれど、その表情はどこか吹っ切れているようにみえた。

 あの発言をしたのは、悪いと思ってくれたかな。

 でも、あの時の顔は本心のようだった。

 もしかしたら、この子は……。


「あーあ、死んでも怒られてばっかり。やっぱり、『黄泉還り』するのは止めておくべきだったかなぁ」

「怒られて、ばっかり……?」

「それでも、本当に良かった。わたしの選択は間違えてなかった」

「何を言って―――」

「わたしね、最後に会いたいと思ったのは、『私の死体を見つけてくれた人』なの」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ