柴田克正と麻衣舞の宝物 3
「ちょっと待て、いつから結実が俺の彼女になったんだ?」
「あら、違ったかしら。結構仲がいいからそう思っていたんだけれど」
「いやいや、アイツとはただ高校からの同級生なだけだ。そんな関係じゃない」
「ふうん……」
「な、何だよその顔」
「ただいまー」
「あ、帰って来た。おかえりなさい」
「あー疲れた。何か嫌な予感がしたから、すぐ帰って来たけど、特に何もなさそうだな」
どうやら走って戻って来たらしい。
額には汗がにじみ出ていた。
……嫌な予感、ねぇ。
これが、夫婦の……いや、家族の絆って言うのだろうか。
「オルゴール……また腹痛か」
「そんなに心配しなくていいからね。まだまだ出産には時間がかかるわけだし」
「そうも言ってられないだろ。辛いときはいつでも言ってくれよ」
「……もう、心配性なんだから」
少し恥ずかしそうに舞が答えるけど、克正はえらく真剣そうな表情で彼女の事を見つめている。
……ちょっと待て、おかしいだろ。
大学生にもなって、ガキのようなバカばっかやって、留年すらしかけたあの克正だぞ?
今と昔では、全くと言っていいほど明らかに人となりが違う。
ここまでくると、本人かどうか怪しく感じてしまうんだが……。
「……お前、本当にあの克正か? ここまで人を思いやるなんて信じられないな」
「何だそれ! ……いや、確かに昔は自分の事ばっか考えてたけどさ」
「ふふっ、この半年で全然変わったものね」
「当然だろ! だって、俺はもう父親になるんだぞ? それに、俺にとって舞が隣にいる今こそ、かけがえのない宝物だから」
「―――ちょっと、急に恥ずかしいこと言わないでよ……。わ、私だって、あなたと息子がそばにいることが宝物だけど……」
唐突に変な事を言われたからか、舞は顔を覆う。
指の隙間から、トマトみたいに真っ赤になっている顔が見えた。
そんな舞の姿と返事に、見ている俺も恥ずかしくなってくる。
……なんだこれ?
いや、本当に何だこのムード!?
「そ、そういえば、「もう『まいまい』って呼べないね」って結実は言っていたけれど、そんな事は気にしないでよね」
「あぁ、結実は細かいことを気にする奴だったもんな」
顔の赤みが引かないまま、舞は唐突に結実の話題を持ち出してくる。
流石に、こんな話は人前でしたくないらしい。
クールなイメージがあったけれど、結構恥ずかしがり屋だったりしたんだな。
……ほんと、俺の知らない事ばかり聞いている気がする。
せめて、もっと早く聞けたらよかったんだけどな―――。
「それにしても、私たちと久々に会うってことは、結実にも会っていないんでしょ?」
「え、そうなのか?」
「あ、ああ。お恥ずかしながら、そのとおりだ」
「それは良くないぞ、晃。お前から連絡が全然来ないって、結実はずっと心配していたんだから」
「……そうか、そうだよな」
率先的に人と関わろうとしていたアイツの事だ。
俺が生きていたなら、きっといつまでも連絡を寄こさないことに呆れて、度々連絡でもしてきそうなものだが……。
そんな事を思いながら、ズボンのポケットからスマホを取り出す。
「そうそう。あの子、最近になって機種変更したから繋がらないわよ」
「え、そうなのか」
「呆れた、それくらい知ってなさいよ……っても言えないわよね。高度救助隊って何もない日は訓練しているんでしょ? よく連絡無効になっていたし、忙しくて連絡できないのもわからなくはないわ」
「連絡は俺たちの方でしておくから、お前はもう少し近所巡りをして来いよ。こんな調子じゃ、他の人にも会ってなさそうだしな」
「……悪い、恩に着る」
『黄泉還り』をしてから、俺は与えられてばかりだ。
みんなにさよならを告げるために、戻ってきたはずなのに。
俺を大切にしてくれたお返しをするために、帰って来たはずなのに……。
「なに、気にすんな。またいつか会えるんだしな」
「あ! 一応言っておいたほうがいいかしらね」
「ん? 何の話だ?」
「あ、そうそう。俺たちな、今は金がないから出来ないけど、いつか披露宴を開く予定なんだ。だから、その時は絶対に参加しろよ!」
「晃君が居るか居ないかで、その場の雰囲気が全然変わってくるんだから。絶対来てよね!」
「―――ああ、絶対に参加するよ!」
大丈夫。きっと自然に笑えた。
幸せそうな二人に、涙なんて見せられない。
だから、今だけは泣くわけにはいかないんだ。
……でも、俺はバカだ。
こうやって、叶うこと無い約束ばかりしている。
ああくそっ、なんで……何で俺は―――!
「じ、じゃあ、俺はそろそろ行こうかな」
「あ、もうこんな時間か。俺も仕事の準備をしなきゃな……」
「そういえば、晃君はもう休みなのね。あなたももう少ししたら休みなんだから、頑張りなさいよ」
「おう! 今日も一輝のために頑張ってくるからな!」
二人の幸せそうな笑みを、忘れないようにしっかりと視界に焼き付ける。
そして、そのまま廊下を少し足早に通り過ぎ、玄関に立つ。
靴を履こうと手を伸ばして……。
「(落ち着け……落ち着け……!)」
震えている手を隠しながら、靴を履いて振り返る。
いつの間にか、二人はすぐそばまで来ていた。
決して話さないと言わんばかりに、指を絡め、手を繋いで。
「……それじゃあ、二人ともお元気で。特に舞は妊婦さんだしな。おなかの一輝君が元気に生まれてくることを願ってるよ」
「ありがと。晃君も無理したら駄目だからね」
「舞に会ったら、たまにはみんなでまた会おうぜって言っといてくれよ!」
「ああ。……またな」
「おう」
「じゃあね」
手を振る二人に軽く手を挙げて、ゆっくりと玄関の扉を閉めた。
「―――くっ!!」
そして、堪えきれずに、俺は駆け出した。
とにかく、この場からすぐに立ち去らないと!
俺の泣き顔を、咽ぶ声を、頬を伝う涙をもし悟られたら……!
―――それだけ、それだけは……!
「ねぇ! もう走らなくていいよ! あの人たちは追いかけてきてないから」
「はあ、はあ、そうか……」
息を切らしていない、案内人の大きな声が聞こえた。
そういえばあいつ、運動神経がいいんだったか。
……いや、違った。あの人は案内人とは別の人だ。
でも、どうやら何回か俺に声を掛けていてくれたようだった。
とりあえず、ここはひとけが無くてよかった。
だいの大人がこんな街中で号泣しているなんて、ちょっとした話題になってしまう。
そんなのは、まっぴらごめんだ。
「……大丈夫?」
「いや、大丈夫じゃない。俺は何しているんだろうな」
心配そうな顔をして、俺を覗き込んでくる案内人に笑って見せた。
そうすると、やっぱりこいつは俺と同じように、泣きそうになるんだよな。
本当に涙腺が緩いヤツだ。
……人の事は言えないけどな。
「どうせなかったことになるかもしれないけど、やっぱり、あんなに幸せそうな二人の前で泣くことは出来ない」
「……そっか」
「にしても、本当に笑えてくるよな。さっきからずっと、嘘ついてばっかだ。さよならを言うなんて言っていたのに、少しも出来てない」
「……」
俯いたまま、後ろを振り返って涙を拭っている。
そりゃあ、そうだよな。
誰だってこんな暗い表情なんか―――。
「それでいいよ」
「え……」
突然、案内人は振り向きざまにそう言った。
その顔は、パッと花が咲いたような笑顔だった。
「それでいいんだって。無理に別れを告げる必要なんて、きっとないんだから」
「……そんな適当で、いいのかよ」
「適当でいいんだよ。一期一会って言うじゃん」
「それは……ちょっと意味合いが違うぞ」
「……えっ?」
「ふっ……まあ、いいや」
「あ! 今笑ったよね!?」
「笑ってない」
「笑ったでしょ!!」
ふくれっ面をする案内人を無視して先に進もうとする。
……なんて、ちょっと前だったらそうしていたんだろうけど。
「ありがとう、励ましてくれて」
「ど、どういてしまして……!」
「ぶふっ!」
「わ、笑わないでよ!!」
やっぱりこいつは俺の事を励ましてくれていたんだ。
同じ死者として、先に死んだ先輩として。
そして、俺の行き先を導いてくれる案内人として、そばに居てくれた。
それなら、俺は感謝しなきゃな。
……まあ、ちょっとだけからかい甲斐もあるし。
そうやって、二人して思いっきり貶し合う。
でも、俺も、案内人も笑顔だった。
たとえ彼女が、周りの人には見えていなかったとしても、もう構わない。
人目なんか気にせず、案内人と笑い合った。
「ねえ、そこの人!」
「……?」
「そこのあなただって!」
「……俺?」
おっと、うるさくし過ぎたか?
近くのベンチに座って、スマホをいじっていた少女が声を掛けてきた。
年齢は中学生くらいだろうか?
夏休みだからここにいてもおかしくないとは思うけど、女の子一人でいるのは珍しい。
待ち合わせだったなら何の問題もないけれど、少し心配になるな……。
それにしても、会った覚えはないのに、彼女をどこかで見た覚えがあるような気がする。
……そうだ、その指先―――!
「そうそう! あなたも、私と同じで『黄泉還り』している最中なんでしょ?」
《『黄泉還り』終了まで あと19時間》




