柴田克正と麻衣舞の宝物
雨はあまり好きじゃない。
私は癖っ毛だから、湿気が多いと髪のセットが大変なの。
そもそも、雨が好きな人なんているのかしら。
湿度が上がるだけじゃなく、外に出たら濡れるし、服も汚れてしまう。
昨年、多くの人が亡くなったのも豪雨の影響だった。
……それに、その豪雨であの人も亡くなった。
それでも、私たち二人……ううん、三人なら嫌いもきっと好きになれる。
だから、雨はあまり好きじゃないけれど、きっとそのうち好きになる。
「ここ、ですか?」
「ああ。ここの103号室だ」
「……帰っていいですか?」
「いやいや! どうしてそうなる!?」
どうしてもこうしても、目の前の光景を見る限り、いいところだと思えるような部分が、少しもないからに決まってるでしょう!?
と、文句を言いたくなるが、流石に失礼なので口には出さない。
先輩に連れられてやってきた場所は、大学近くの賃貸アパートだった。
後悔させないからと言われたけれど、古ぼけた外壁を見るだけで、少しでも期待した自分がバカだったと思ってしまう。
「安心しろ、少なくとも悪い事ではないはずだ」
「……先輩がそういう時って。ろくな事が無かった思い出があるんですけど」
「おれはそんなことないと思うんだがなぁ」
いや、そんなことがあるから言っているんですけど。
『徹先輩が「安心しろ」って言う時は、大体悪いことばかりあるから注意しとけ』
と、サークル内で語り継がれてしまっているんですよ?
……なんてことは言わないけれど。
「あ……悪い、研究室で人を待たせていたんだった。さっさと戻らないと怒られるどころじゃすまないから、俺はここで―――」
「……」
「そんな目で見るなよ! 騙されたと思ってインターフォンを鳴らしてみろ! 大丈夫だ、お前の知り合いが住んでいるだけだから! じゃあ、俺はここで失礼するぞ!!」
「え、あっ! ちょっと……!!」
言うが早いか、先輩はあっという間にその場から駆け出して行ってしまった。
嘘を吐く人じゃないから、多分本当のことを言っているんだろうけど。
……一時間半近く人を待たせているんだったら、それこそ怒られるだけじゃ済まないだろうなぁ。
「はあ、ようやく話せる」
「あのなぁ……話している時に急に喋りかけてくるなって言っただろ」
「喋ってないし! 聞き間違いとか幻聴とかじゃないの!?」
ずっと黙っていたかのように、案内人はふくれっ面で訴えてくる。
だが、そんなわけがない。
あの時聞こえた声は、確かに彼女と同じ声だった。
それも、最初に聞いた言葉と、一言一句たがわない、謎の一言。
私のようにならないで……?
一体何が言いたいんだか。
「もう! そんなに信じないなら、私も中にいる人たちの事を教えてあげないから!」
「中にいる人たちの事……? つまり、俺が会いたい人リストに入っていて、二人以上の人がいるってことだな」
「あっ……」
ハッとした表情で口元を抑えるが、もう遅い。
今の言葉だけで中にいる人の事が大体理解できた。
思わず、ニヤリと笑ってしまう。
「バカだなぁ、口は禍の門っていうのに。やっぱり喋らない方がいいんじゃないか?」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
管理人は俺にバカにされたからか、顔を真っ赤にして涙目になっていた。
いや、相当の泣き虫なのは知っているが、これだけで泣かれるのは流石に考えてない。
「ひ、酷い! 口が滑っただけで、そんなこと言われるなんて……!」
「い、いや、ちょっと待て。言い方が悪かった」
「もう知らない。勝手にすれば?」
そう言って顔を隠して俯いてしまった。
ちょっとばかり言い過ぎたか……。
やむを得ず謝ろうと手を伸ばして―――。
「……なーんちゃって!」
「は?」
「あー、面白かった。やっぱり、あなたをからかうのは甲斐がある!」
「そうかよ、どこも面白くないけどな」
けらけらと笑う案内人の顔が忌々しい。
まったく、言い過ぎたんじゃないかと心配して損した。
やっぱり、こいつは嫌いだ。
どうしても人を茶化しているようにしか思えない。
「まあまあ、そんなに怒らないでよ」
「自分だけ良しとするその根性は凄いと思うぞ」
「少しぐらい許してって。私だって、たまに誰かをからかいたくなる時があったりするんだから」
「あ……。そうか、そうだよな……」
そういえば、彼女も死者だった。
それも、俺に会うまであの場所にいたことになる。
一体どれくらいの時間、あの真っ白な空間で過ごしていたのだろう。
いつ次の死者がやってくるのか、一切わからないままその時まで待ち続けるのは、どれほど辛いことなのだろうか……。
「あんたの事を何も知らないまま怒って悪かった」
「謝る必要なんて無いよ!? 私も言葉足らずだったかなと反省してるから」
「でも……」
「私の事を思ってくれるのは凄く嬉しい。けどそれは、あなたの事を終わらせてからでいいからね」
「……やっぱり、寂しかったのか?」
「うーん。私が暇なときはずっと寝ていたから、あまりそんな事考えていなかったけど……。うん、少し寂しかったかな」
「……そうか」
考え事をして外していた視線を俺に合わせ、案内人は儚げに笑う。
人の事を考えながら、ここまで話を合わせてくれたり、気持ちを切り替えさせてくれる辺り、やっぱりこいつはいいやつだ。
まあ、気に喰わないところもあるが。
きっと、周りから好かれる人気者だったに違いない。
―――なのに、どうして彼女はこの年齢で亡くなったんだろうか。
「ほらほら、暗い顔しない! 今から知り合いに会うのにそんな顔してどうするの!」
「ああ。今は、とにかくやれることをやるしかないよな」
パンパンと両頬を叩いて、辛気臭くなっていた思考を一旦リセットする。
辛いこと、悲しいことはたくさんあるけれど、今だけは立ち止まっていられないんだ。
「よし! 行くぞ!」
「おー!」
よくよく見ると柴田と書かれていた、かすれた立て札が掛けられている扉の前に立つ。
インターフォンを鳴らすと、どたどたと足音が近づいてきて……。
「―――あっぶね!」
勢いよくドアが開く。
そのままの場所に居たら激突していた所だった。
大雑把な性格はこんなところまで出るか……。
「うお! 誰かと思ったら晃じゃねぇか! 久々だな、おい!」
「……よ、よう克正」
「なんだ、丹山先輩から急に連絡がきたと思ったら、連れてこられたのはお前だったんだな」
「俺もびっくりしてる。こんな所に住んでいたんだな」
「おう。……って、立ち話もアレだな、とりあえず中入れよ。さらにびっくりして、腰を抜かしても知らないけどな!」
「なんだそれ……。でもまあ、お言葉に甘えて……」
想像していた通り、アパートに住んでいたのは克正だった。
ということは、もう一人は必然的にあいつになるわけで。
廊下を進み、克正がリビングルームの扉を開けると……。
「あら、お久しぶりね晃君。相変わらず無茶してないわよね? 結実が心配していたわよ?」
「舞!? いや、いるだろうとは思っていたけど、そのおなか……!」
「そうそう、晃には言っていなかったからな」
やはり、婚約者の麻衣舞がワンピース姿でソファーに座っている。
克正は俺に話しかけながら、ゆっくりと舞のすぐ隣に座った。
そして、彼女の大きく膨らんだおなかを撫でながら答える。
「舞のおなかの中には、俺たちの子供がいるんだ」




