丹山徹の挑戦 2
「辞めたって……どうしてですか? 頑張って昇進してやるって、あれほど……」
「もちろん、会社自体は悪くねぇよ。頑張って昇進して、多くのことに挑戦したいとも本気で思ってた」
「ならどうして……」
「人間関係だ。職場の環境が毒を吐く人ばかりで、やっていられなくなったんだ」
「人間関係、ですか……」
確かに、俺が生きていたころはニュースでよく聞いたりしていた。
古い考えにとらわれて、今の状況に納得しない上司。
自分のことを持ち出して、それを相手に押し付ける上司。
そういった人たちに、徹先輩は苦しめられてきたのだろうか。
「それに気づいたのは、皮肉なことに、あの雨の日だったんだよな」
「……あの雨の日、ですか」
「ああ、お互いに大変だったな。お前が流されそうになっていた小学生を助けたのは、今でも噂になってるぞ」
「あれは、体が勝手に動いただけなので、そこまで褒められるようなことじゃないです」
俺が生きていたら、きっとそうなっていたんだろうな。
無謀に濁流へと入っていった青年、見事、小学生を無事救出!
だなんて、ニュースで小さく流れてもおかしくなかったかもしれない。
別に、それが嬉しいとは思わないし、ニュースで流してほしいから男の子を助けたんじゃないけれど。
それでも、誇らしい出来事として、俺の記憶に残っていたことだろう。
そしたら、もしかするとそうやって驕ってしまって、初心を忘れてしまうかもしれない。
……こうなってしまったのは、必然的だったのかもしれない。
『私のようになったら、絶対にダメだからね……!』
「……っ!」
また、あの声が聞こえてきた。
女性の声が耳元で聞こえて、思わず振り向く。
この場で、俺の近くにいる女性はただ一人。
ぽかんとした表情をしている案内人を睨んだ。
「な、なに!? 何も言ってないし、なにもしてないんだけど!?」
(ホントかよ……?)
「本当だって!」
ねめつけるように睨み続けるけれど、心外だと言わんばかりに、案内人は手と首を横に振り続ける。
後でしっかりと問い詰めてやるからな……!
「どうかしたか?」
「いや、何でもないです」
「そうか? じゃあ、話をつづけるぞ」
急に振り返り始めた俺に戸惑っていたのか、徹先輩は話を途中でやめてくれていた。
邪魔が入らなかったら、俺だってしっかり聞いていたっての。
「えーと……そう、雨の日の話だったな。俺もその日は勤務があったから、一人で外回りをしていたんだよ」
「警報が出ているのにですか!?」
「『これくらい大丈夫だろ』……なんて思っていた人が多かったからな。それに、おれもそう思っていたうちの一人だったし」
「その考えは良くないですね」
「ああ、今になったらバカな事をしていたと思う。それで、気づいたら膝下まで水が街に流れ込んでいてな。こりゃあマズイと思って足早に進んでいたんだ。……それが失敗だった」
「失敗?」
「足元が見えなかったせいで、小川に足を突っ込んだ」
「……! 本当ですか!」
「嘘吐く必要なんて無いだろ。で、がむしゃらに泳いで、どうにか浮上したんだが、一歩間違えれば死んでいてもおかしくはなかった。……足から落ちただけにな」
聞く機会が無かったから、仕方がないのかもしれないけど……。
徹先輩が死にかけるなんて、到底信じられない。
スポーツ万能の秀才であることを、サークル内で公言されていたから、なおさら考えられなかった。
「で、水も飲んでいたし、服もずぶぬれ。こんな状態で勤務できるはずなんてないわけだ」
「そうでしょうね。そもそも避難勧告も出ていたので、避難しないといけなかったんですけれど」
「まあ、それは置いとくとして、現状を報告したら、会社の上司はなんていったと思う?」
「……なんて言ったんですか?」
「溺れかけた程度で仕事を休むなんて、根性が無いんじゃないかってな」
「そんな……!」
「そこでやっと気付いたんだ、おれの事をただの労働力としてしか扱っていないことに」
「そんなことがあるんですか……?」
「普通にあるぞ。勤務状況は改善に向かっているけれど、未だに古い考えの人や頭が固い奴が、上の役職に座っていることなんてよくある。おれの上司もそのうちの一人だな。……だが、それだけじゃない」
「まだあるんですか!?」
「まだあるぞ。悪いのは上司だけじゃない、同僚にも、嫌な奴はいた。俺の悪いところだけ周りに言いふらして、自分はおりこうさんのようにふるまう奴や、上司でも何でもないくせに、逐一おれの進捗を聞いてくる奴、そんな同期ばかりだった」
「それは……」
「自分が可愛いのはわかる、おれがバカだってのも重々承知しているさ。けどそれが……お前らが、他人を貶していい理由にはならねぇだろうが!!」
その言葉は、先輩の心からの叫びだったんだろう。
テーブルに右拳を叩きつけ、大声を出した。
それはまるで、獣が苦しみのあまり咆哮しているように見えた。
……でも、場所が悪い。
談話で少し騒がしくなっていた『Oasis』内の空気がしんと静まり返った。
「……っと、悪いな大声出して」
「いえ……」
「あ、それと……皆様、大変失礼致しました!」
いきなり立ち上がって、深く頭を下げる。
その綺麗なお辞儀を見る限り、ビジネスマナーを相当勉強したんだと思う。
それでも、先輩は仕事を辞めた。
……職場の人間関係に、嫌気が差して。
「だから、辞めたんですね……」
「そういう事だ。そこまでいろいろと言われるだけなら、アルバイトの方が気軽でいいと思ってな」
「それはそうかもしれませんが……」
「もちろん仕事を辞めたのは、それだけが理由じゃないぞ。むしろ、今のはついでだ」
「ついで……?」
「ああ。今、俺が大学にいる理由。それは、長年の夢を叶えるためだ」
「それって、前に言っていた、ジムインストラクターの夢ですか?」
「お、覚えていたか。今は過去の研究を読ませてもらいながら、独学で勉強している。もしかしたら、もう一度大学に入学するかもしれないな」
「え!?」
再入学するだって!?
たしか徹先輩はスポーツ推薦で入学していたはず。
それなのに、一から勉強しなおして、再入学しようと考えていることに驚いた。
「まあ、あの雨の日、おれが溺れかけなかったら……そして、大事な後輩を亡くしていなければ、夢を諦めないなんて選択を考えなかっただろうな」
「大事な後輩……」
「ああ。あの雨で亡くなったやつがいるんだ。そいつは、俺よりもよっぽど幹事に向いていて、晴れが似合うような男だった」
誰の事だろう?
先輩から見てそれほど頼りがいがあって、
もしかしたら、俺のことを言っているのか?
……いや、流石に俺じゃないだろう。
俺はカリスマ性も人を引っ張っていける気概がない。
そんな人間が幹事なんかになれるはずがないのだから。
「どれほど悔やんでも、あいつは帰ってこない。でも、そのおかげで命の尊さを改めて思い知った。人生はどう足掻こうが、たった一度っきり。あの日それを学んだからこそ、オレは大学で学びなおすことにしたんだ」
「そうだったんですね」
「ああ。それにな、どんなに手が届きそうにない夢でも、追いかける方がお得だぞ」
「……?」
「人間死ぬときは死ぬ。それがいつになるかわからないし、後悔のない生き方は出来ないだろうとわかっている。でも……いや、だからこそ、おれはここにいる。ここで夢を叶えることを諦めない。けれどそれは、おれだけじゃなくて、晃にも言えることだからな?」
「……俺も、ですか?」
「おう、今には今しかできないことがあるんだから、自分が正しいと思ったことをやること。俺はそうしたからな」
「……はい」
俺がそう言うと、先輩は満足げに笑みを浮かべる。
神妙そうな顔つきだった顔が、もとの暑苦しい笑みに戻っていた。
「おし、おれのつまらない身の上話はここまでにしとくとして……晃はレスキュー隊になって、今は首都圏に住んでいるんだよな」
「は、はい、そうですけど……?」
どうやら俺が生きていたら、今ごろ首都圏に配属されているようだった。
と、いう事は甚大災害に駆り出される可能性は高そうだな。
きっと、命の危険を伴う仕事をいくつもやる事だろう。
そして、その度に家族に心配をかける。
そう考えると、他の職業を選択するのもありだったかもしれない。
―――そもそも、どうして俺は高度救助隊に入ろうとしていたっけ。
「どんな感じだ? こっちよりも住みやすいのか?」
「い、いえ、そんなことはないですよ。住むとしたらこっちの方がいいですね」
「なるほどな……」
いや、今になってそんな事を考えたって、どうしようもないだろ。
俺はもう死んでいる。
これから先の事なんて考えたところで、何も出来ないんだから。
「そういえば、いつからこっちに帰って来たんだ?」
「今朝方ですね」
「だったら、知り合いと全然会えていないんじゃないか? それに、用がある時しか連絡してないだろ」
「確かに、そうですね……」
会話することに奥手だったわけではないけれど、あまりチャット会話に積極的でなかったのは確かだ。
もっと、みんなと関わっておくべきだった。
……なんて、今思ったところで、俺にはもうどうしようもないのだけど。
「よし! それならいいところに連れてってやるよ!」
「え……」
「なんだ? 大学に来たってことは暇だってことだろ?」
「いや、まあ、暇じゃないと言えばうそになります。けれど、忙しいといえば忙しいのですが……」
「なんだそれ? いいから来いよ。大丈夫、絶対に後悔させないからよ!」
「はあ……」
いいところに連れていく……ねぇ。
正直に言わせてもらうと、少し気が乗らない。
徹先輩が悪い人じゃないのは確かなんだけれど、こういったサプライズ系の誘いはやめてほしい。
俺には、使える時間が限られているんだから。
……でも、そこまで言われてしまうと気になるのも確かだ。
「……わかりました。一時間ほどなら大丈夫です」
「よし、なら行くぞ! 一時間じゃ足りないってなっても知らないからな!」
「……? はい」
こうして俺は、先輩から無理矢理に近い状態で、郊外へと連れ去られたのであった。
《『黄泉還り』終了まで あと20時間》




