丹山徹の挑戦
雨? 大嫌いに決まってるだろ。
ジメジメして蒸し暑いのもそうだが、雨が降った時に碌な事なんてなかったからからだ。
車から泥水を跳ね上げられたり、部活動ではろくに活動が出来なかったり……。
それに、あの日は最悪だった。
多くの人が苦しんで、俺もいろいろとヤバかった。
―――けど、あの日があったからこそ、俺はこうして生きている。
だから、おれはいつか、雨の日が好きになれるんじゃないかと思う。
……なんて、お前に伝えてやりたかったんだけどな。
「え! 徹先輩!? どうしてここに……!?」
「寺田こそ! なんでこんな平日に、学校に来ているんだ?」
「えっ!? あ、それは、その……。ゆ、有休を消化しろと言われまして……!」
「お、おう、そうなのか」
声を掛けてきたのは、大学時代に所属していたサークルの部長、丹山徹先輩だった。
スポーツ選手かと思ってしまう人がいるほど、徹先輩は背が高くて、体もデカい。
だから、いきなり声をかけられると、気が動転してしまう。
……咄嗟に吐いた嘘だったけど、どうにか信じてくれたようだ。
それにしても身長のせいでもあるだろうけど、相変わらず威圧感が凄いよなぁ。
「先輩はどうしてここに? ビジネスマンとしてバリバリ働いているって言っていませんでしたっけ?」
「あぁ、そのことか。だが……話すと長くなるぞ?」
「構いませんよ。聞いておきたいですから」
「……いや、ちょっと待て、ここじゃ少し話し辛い。『Oasis』で話してもいいか?」
「別にいいですけど……」
「悪い、助かる。先に行っててくれ、おれもすぐに向かうから」
「わかりました」
悪いな……と再度言いながら、先輩は出てきた研究室に戻っていった。
と、同時に後ろから「ねぇ」と声を掛けられる。
そういえば、案内人の事をすっかり忘れていた。
安室教授と話していた時、研究室をウロウロして目障りだったのに、案外影が薄い。
「いいの? 会いたい人リストには入ってなかったけど」
「いいんだよ。久々に会えたのに、さよならを言わないで去るなんて、できないから」
「そっか」
それに、先輩に何があったのか。
どうして平日の午前中に、大学のキャンパス内にいるのか。
ここで聞いておかないと、二度と話すことは出来ないんだから。
*
「へぇ、ここが『Oasis』なんだ。なるほどね」
「何だと思っていたんだよ」
「え? うーん……喫煙所?」
「まあ、喫煙所も喫煙者にとってはオアシスだろうけど……」
ところ変わって、俺たちは先輩を待つために、『Oasis』に来ていた。
『Oasis』は大学内にある喫茶店の名前だ。
名前の由来は、学生たちや教員たちの憩いの場になるようにとのこと。
その願い通り、多くの利用者がいる『Oasis』は、今では大学に欠かせない存在となっている。
俺がここを利用するのは、試験勉強と就活でエントリーシートを書くとき以来か。
その時は、席が埋まるほど人であふれかえっていた覚えがあるけれど、今はほとんど人気が無い。
それもそうか、まだ朝だし講義だって始まっているんだし。
辺りに漂う焼けたパンのいい香りを楽しみながら、徹先輩が来るのを待つことにしよう。
「そういえば、食事とかはどうなるんだ? コーヒーが飲めたってことは、飲食できるってことか?」
「うん、普通にできるよ。家族の手料理を食べるために、『黄泉還り』した人もいるんだし」
「そうか、そういう人もいるよな……」
愛する人の手料理を、もう一度だけ味わってからあの世に行きたい。
そう考える人だっているだろう。
俺の場合は、それがさよならを告げることだっただけ。
そう考えると、他の選択肢も考えられなくはない。
「『黄泉還り』って結構自由なんだよ。よっぽど変なことしない限り、強制終了することはないし」
「そう言ってさっきはやろうとしてなかったか?」
「あれは本筋から離れていこうとしたから言っただけ。もし、誰かを助けたいと思っても、あなたには何もできない。そんな無駄なことするくらいならって感じかな」
「安心しろ、もう誰かれ構わずに助けに行こうとは思わないから」
俺一人だけじゃ、苦しんでいる人の手助けにはならない。
その人が本当に苦しんでいて、助けを求めている時に、助けてあげるべきなんだ。
そう考えると、今日だけは、自分の好きなようにやっていこうと思う。
本当に安室教授に会ってよかった。おかげで荒んでいた心が、だいぶ楽になった。
「あ、でも『黄泉還り』には、ちょっとだけ問題があって―――」
「しっ! 来たからあとでな」
「はーい」
小さく口元に人差し指を当てて、案内人の言葉を遮る。
入り口には、誰か分かるほど大きな影が映っていた。
扉が開かれると、そこにいたのは、案の定徹先輩だった。
「すまん、待たせてしまったな」
「いえいえ、俺もついさっき着いたばかりですから」
「そうか? ならいいんだが……」
徹先輩はそう言いながら、よっこいせと椅子に座り込んだ。
体が大きいせいで、座っている椅子すら小さく見えてしまう。
……けれど、どこかおかしく感じる。
いつも不安な事なんてないとばかりに、堂々としているはずなのに。
さっき会った時も、違和感なんて少しも感じなかったのに。
ここに座って、話をし始めようとするときになると、どこか縮こまっているように見えた。
―――嫌な予感がする。
「さて、どうしてここにいるか、だったな」
「ええ、そうですが……。まさか……ですよね?」
「そのまさかだ」
徹先輩は一瞬だけ口をつぐみ、重たい腰を上げるように言葉を続けた。
「おれは会社を辞めた。丁度一年ほど前にな」




