第6話 『煌めき瞬く』―3★
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神龍は足下に広がる黒白の世界を見下ろし、深く唸る。
黒白の世界の中は黒い剣が犇めき、その切っ先を空へと向けていた。
アルトリウスが何か叫んだ途端に無数の黒い剣が飛び出す。神龍は空いている手を振った。
煌めきが軌跡を辿り、降り注ぐ。
無数の黒い剣よりもその数は夥しく、黒白の世界を押し潰した。
「アル、くん…!!」
絞り出すようにステファニーが名を呼ぶと、砂煙の中からボロボロの姿で現れた。
奇跡と言ってもいい。あの光の雨に結界と共に潰されて尚、アルトリウスは生きていたのだ。
肩の傷を押さえながらアルトリウスは口を開く。
「…あんたは、そんな乱暴な人ではないだろ?」
迷っているかのように神龍が唸る。
アルトリウスの言葉に明らかに反応していた。
「なあ……親父…」
唸り声が咆哮へと変わる。
腕を振り、ステファニーを投げ捨てた。
「ステファニー!!」
「大、丈夫!!」
言うが、ステファニーの先には直下立つ崖がある。神龍の攻撃によって削られた大地が作ったものだろう。
荒々しい崖の表面は、その速度でぶつかれば死を免れない。
くるくると体を回転させ、体勢を整えたステファニーが叫んだ。
「圧して、グラーシーザ!!」
言い終えるやいなや、崖が衝撃に崩れ、大きく砂煙を上げた。直撃した。
そう思ったアルトリウスの目に飛び込んだのは、風に流れる薔薇色の髪。
大きな斧。
それが崖を崩し、食い込んでいた。
「ふい~…危なかったー」
大きな斧の柄にぶら下がるステファニーが、間の抜けたようにぼやく。アルトリウスも止まっていた息を吐き、肩の力を抜く。
「今度は捕まらないよー」
「当たり前だ」
よっ、と大きな斧の柄に乗り、ステファニーは腰に手を当てて神龍を見る。
改めて見ると、こんなものを相手にしているのかと驚く。
山よりも大きく、光を纏い、曇天も一瞬で晴天へと変えるほどの力。光の化身と言うべき存在である。
深く呼吸し、気合いを入れたステファニーは、大きな斧の柄の先を強く踏む。
崖から外れた大きな斧と共に落ち始め、巧みに脚で大きな斧を操り、神龍に向かって投げ飛ばした。
着地したステファニーは投げ飛ばした大きな斧を追いかけながら前方に見える黒いコートへと声を張る。
「アルくん、お願い!!」
「叩き落とせ」
両足を揃えて跳んだステファニーの足の裏に黒い剣を当てながら言い、アルトリウスは両腕で振り切った。
打ち出される勢いに合わせて高く跳躍したステファニーは、宙を舞う大きな斧に脚を掛ける。
「壱式―鬼哭!!」
回転。直後に慣性を忘れたかのように急降下した大きな斧は、空気を砕くような音を立てて刃を下ろした。
神龍の手の甲に食い込む。山を越える巨大さがある神龍の体が大きな斧の直撃に傾いた。
「グラーシーザァ――!!」
ステファニーの呼ぶ声に反応するように大きな斧が震え、更に神龍の手を地へと落とした。空に立つ神龍が大地に落ちた瞬間である。
手を地面へと打ち止められ、神龍は巨大な体を地に伏せた。
「よくやったな」
「グラーシーザの加重に負けてくれて助かったよ~」
駆け寄りながらアルトリウスが労う。ステファニーは緊張を解くように息を吐き出しながら応えた。
グググ、と神龍は隠る唸り声を上げている。
「遅い…臥龍寺は何をしてるんだ」
「善くんは何をしようとしてるの?」
「臥龍寺が戦闘で守りが強いのは知ってるよな」
「円魔法…だっけ?」
「ああ。あまり話さないが、あいつはオレたちのように大切なモノを失って異常が発症したわけではない。あいつの円魔法は生まれつきのものだ」
善が去っていった方角を向きながらアルトリウスは言う。ステファニーは、その事実に驚くでもなく、同じように遠くを見る。
「生まれつきの異常……異常の中でも更に異端とか」
「やるせない…か?」
「うーん。善くんからしてみたら普通だったんだろうなぁとか思うと、アタシたちって被害者面してるもんなのかなって思って…」
「お前は優しいんだな」
ボソッ、とアルトリウスが呟いた言葉を聞こえなかったかのようにステファニーは口を噤む。
風が吹き荒ぶ音を聞き、アルトリウスは違和感を覚えた。
やけに静かだ。
神龍の唸り声が聞こえない。
再び神龍の方へと視線を移したアルトリウスが叫んだ。
「離れろ、ステファニー!!」
神龍の体が光を放つ。
視界の全てを塗り潰し、衝撃が駆け抜けた。目を開けているはずなのに何も見えず、体で感じるのは衝撃に吹き飛ばされて宙を舞っているであろう状況だった。
上も下も分からないため、着地もままならずに体を地面に打ち付け、不格好に転がる。
「くそッ…!!」
膝を着いて空を見上げるが、何も状況が把握出来ずに苛立ちのままに地面を叩くと足音が聞こえた。
「アルくん!?」
「ステファニー、無事だったか」
「うん。吹き飛ばされちゃったけど大丈夫だよ」
「神龍が強烈な光を発しやがった。おかげで目が見えない」
「アタシは咄嗟に腕でガードしてたから目は見えるけど」
普段避ける癖をつけているせいで顔を防御することをしなかった自分に怒りを湧かすアルトリウスは、まずは二人共々視覚を奪われずに済んだ事に安堵する。
瞬きを何度か繰り返しても白む視界は変わらなかった。
「ステファニー、悪いが状況を教えてくれ」
「神龍がまた空に…それに、空全体が光ってる」
「……もう、無駄だな」
「そっか」
見えずとも、ステファニーが肩の力を抜いたのが分かった。声からして、言われるまでもなく終わりを感じていたのだろう。
只々、悔しくて歯を食い縛ることしか出来ない自分が情けない。
自分が臥龍寺であればどんなに良かった事か、あの力に嫉妬していた。
あの力を自分が持っていればトゥバンを救えたのに。
無力だ。
視覚を奪われ、何も見えない瞳を閉じてアルトリウスは頭を垂れた。自分を心の中で責めるアルトリウスに声が掛けられた。
「アルくんは、諦めるの?」
その声は、いつものように楽観的なステファニーのものだった。
「アタシは、トゥバンさんに帰ってきて欲しいな。そう思ってるのはアタシだけじゃないと思うんだけど」
「………オレも思ってる」
「よし、じゃあもう一回いくよ」
「ああ」
本当に情けない。
言い出した本人が一番最初にヘタレてるなんて、臥龍寺だけには絶対に見せられない醜態だ。
そう思いながら立ち上がり、再び目を凝らす。なんとかボヤけて見えるが、神龍はほぼ無傷であることは容易に分かった。
「ステファニー、武器はどうした」
「神龍の手に刺さったままだけど…」
「遠距離から加重掛けられるか?」
「出来るけど、アタシが触れてないからさっきみたいに神龍を落とせないよ絶対」
「体勢が少しでも崩れればいい」
何をしようとしてるのか分からないためか、少し渋るステファニー。しかし、説明してる暇はない。
「やれ」
「もぉ、信じるからね!」
「任せておけ」
地面から現れた黒い剣を掴むのを横目に、ステファニーは手を振り上げる。
「グラーシーザ!!」
勢いよく振り下ろされた手に連動しているかの如く、神龍の手が地面に引っ張られるように落ちた。
アルトリウスは黒い剣を翳し、唱える。
「煌めき瞬け、カリバーン!!」
*
重たいだの鎧が痛いだの本当は歩けるだろだのと不満の声を上げながら、金髪の男は神龍とやらから遠く離れた場所にオレを下ろした。
煙草を吹かし、腰を落とした金髪の男が見る先には空に立つ光を纏う神龍というものがいた。
地面に拳を打ち付けたり、咆哮したりとしている。アルトリウスたちが戦っているということなのだろうか。
「ゴー…なんだったっけ?」
金髪の男が言う。
「ゴーヴァン=ウィリディスだ」
「そうかそうか。で、ゴーヴァン…どう思うよ、あれ」
「あんなもの見たことがない。我が妻の命を奪った男が人ならざるものだったとは思いもよらなかった」
「人ならざるもの…ね。まるで自分たちが人であるかのような言い種だな」
淡々と言う金髪の男。やはり、こいつは特殊な存在だ。
「では、我らは人ではないと?」
「まあ、お前の中での人の定義によるけどな。俺の見立てでは、あれは人だ」
「光を纏い、空に立ち、山をも越える異形の姿…あれを人だと言うのは意味が分からん」
そう言えば、金髪の男は嘲笑うかのように体を震わせる。
「あんたも“人”だな」
「何を当たり前の事を…」
「自分達と形が違うから人じゃない…凄く人間らしい答えだ。だけど、俺たちはその身に異常を宿している。それでも自分を人と言うのであれば、あれも人ということになるんだよ」
紫煙を吐き出し、金髪の男は当たり前のように言った。理解し難かった。明らかにその枠を越えているあれが人であるならば、この世界は狂っているとしか思えない。
今も、あれが光を降らして山を削る姿を見ても金髪の男は驚きもしない。
「神龍ってのは、現象そのものだ。あれは、奇跡という現象が具現化したもの。いくら異常を持つやつらが力を合わせても、あれを倒すことは出来ない」
「ならば、このまま世界が滅ぶのを傍観するしかないのか」
「そのための俺なわけよ」
伸びをしながら立ち上がり、金髪の男は煙草の火を消した。
「お前に何が出来ると言うんだ。“どんな者たちを集めても倒せない”と言ったのはお前ではないか」
「補足しとくわ…“一部の存在を除く”ってな」
肩を竦めて、やれやれといった具合で金髪の男が指を鳴らす。途端に金髪の男の足下に光る円が現れた。
先程、大地を削った光の雨を防いだ円だ。集中しているのだろうか、伏し目がちにボソボソと何かを呟いている。次第に円が幾つも現れ、陣を作っていく。
足下に限らず、光る円は金髪の男の周囲に陣を張る。
今まで生きてきて、ここまで得体の知れないやつをオレは初めて見た。
こいつこそ、人ではないのかも知れないと思えた。
*
二匹の黄金の蛇が光を薙ぐ。
冷たさすら感じる刃が光を裂き、刀身に打ち出された黄金の蛇が煌めきを反射している。
アルトリウスが叫ぶのと神龍が集めた光を地に向けて放つのは同時だった。飛び出したアルトリウスは、黒が剥がれるように新たな姿を現す煌めく剣を振り抜く。
空気をも押し退ける光を一閃で消し去ったのだ。
まるで、アルトリウスの剣が光を喰らったかのようだった。
地へと引かれる神龍の体に迫り、刃を反す。
「零式―鵆!!」
紫電一閃。
振り抜く腕が見えないほどの速さで刃が神龍の鎧をなぞった。
眩い火花を散らして通り過ぎたアルトリウスは、神龍の鎧を斬りきれなかったことなど予測済みだと言わんばかりに次の行動に移るのが早かった。
神龍の背中を見下ろし、大きく唱える。
「栄光嶺城!!」
白黒の世界が広がる。球体状に広がる白黒の世界の中で、無数の黒い剣が切っ先を向ける。神龍は視線を寄越しはしたが、引かれる腕の所為で体を捻ることが出来ずにいた。
黄玉の瞳を細め、アルトリウスは号令を掛けるように腕を振り下ろす。
その合図に反応する黒い剣が次々と神龍の背中や腕へと落ちていく。無数に現れる黒い剣。その物量に、さすがの神龍も地へと縫い付けられてしまう。
「……スゴイ」
声を漏らしたステファニーから見て、現れ続ける黒い剣が頼もしい半面、恐ろしくもあった。
異常の中で生きていく道程で、色んなものを見て聞いてきた。
それこそ、何もないところから武器を出したり、固有結界、魔法といったファンタジーなものまで。
何より、固有結界の中から何かを出す行為が不気味であった。
吐き気を催しているかのような表情で見上げていたステファニーは、突如として光り出した足下に視線を落とした。
何か、文字のようなものを伴って光る線が地面を走っている。その先をなぞって見てみると曲線を描いているようだ。
「なに、これ…」
ドンッ、と強い衝撃の音がした。
どうやら、アルトリウスが煌めく剣を大きな斧が押さえ付けている方とは逆の手に突き立てた音らしい。あまりにも惨たらしい姿の神龍を背にアルトリウスが向かってくる。
「臥龍寺の準備が整った。離れるぞ」
「準備って? てか、神龍は!?」
「これだけやってもほんの時間稼ぎにしかならん。それよりも、巻き込まれないように戦線を離脱するのが最優先だ」
アルトリウスが言うように、あれだけの黒い剣を体中に突き立てられて神龍は変わらなかった。
一瞬だけ体勢を崩した時に追い打ちで転かされた程度に弱った様子もなく起き上がろうとする姿を見て、ステファニーは二の足を踏む。
そんな様子を若干、苛立たしげに見て担ぎ上げたアルトリウスは、軽々と走り出す。
落ちないように黒いコートの背中を掴みながらステファニーが見たものは、傷も、汚れすらもない神龍の姿と光る線が巨大な円を描いて神龍を囲む様子だった。
『畏敬すべき全天の雷霆』
善の声が響いた。
遠く離れたはずの善の声が、四方を壁に囲まれているかのように空間に響き渡り、光る円が呼応する。
文字列が鎖のように連なり、神龍の体を削るかのごとく纏いつく。あの強大な力を持つ神龍ですら抵抗も乏しく、みるみるうちに拘束されてしまう。
円が天へと昇り、神龍が晴らした空に瞬く間に七つの巨大な円が広がった。光が集い、解き放つ。
六つの光の柱が交差し、神龍の腕や脚を突き抜け、自由を更に奪った。まるで、天を仰ぐように打ち付けられている。
中央の円から轟音を伴って最後の光の柱が神龍の胸を貫いた。
苦しそうに声を上げる神龍が消えていく。
光となり、消えていく神龍の中から白銀の鎧の男が現れる。
その姿を見たアルトリウスが急かすようにステファニーを下ろし、再び来た道を戻り出す。
「トゥバン!!」
砂煙を上げ、地面に落ちた白銀の鎧の男を光の柱が照らしている。後を追って来たステファニーが膝に手を当てながら息を吐き、跪く黒いコートの背中を見やる。
「アルくん…」
「大丈夫だ。気を失っているだけだ」
静か過ぎて、一瞬だが死んでしまったのではと悪い予感がしたステファニーだったが、アルトリウスの安堵した声音に肩の力が抜けるのを感じた。
隣にしゃがみこみ、ステファニーもトゥバンの顔を覗く。
端正な顔だ。頭髪と同じように銀色の睫毛が影を落とすほどに長く、鼻もスッと高い。
「奇跡の神龍……か」
「この人は神龍の力によって人間の限界を越えてしまっている。だから、人の手によって死ぬことはない」
「アルくんは知ってたの?」
「ああ。旅の途中で避けている戦いがあると話をし出したことがある。その時にな…」
瞼を伏せ、アルトリウスは徐に立ち上がる。釣られて視線を上げたステファニーは、光の柱を見上げて感嘆の声を上げた。
✳︎
自分たちでは気を引くのがやっとだった。僅かながらの傷でさえ瞬く間に回復してしまうあの神龍を、動きを封じるのさえ一瞬しか出来ないあの神龍を、この光の柱はやってのけたのだ。
言葉も発することなく、それをただ見ていた二人の耳に足音が届いた。
「間に合ってよかったぜ」
ダルそうに言いながら現れたのは、金髪金瞳の男。背中には黄金の鎧の男を背負っている。
「少し遅い。危うく死ぬところだった」
「そうだそうだー。つか、なにこれ?」
アルトリウスの文句に同調しつつ、光の柱を指差しながらステファニーが訊ねる。
金髪の男─善は、背中のゴーヴァンを下ろし、煙草を咥える。
「これは、対神龍用に特化した円魔法だ。神龍を封印、又は抑えるために使うのを目的としている」
「そう言えばさぁ、神龍って何なの?いきなりすぎて聞けなかったんだけど」
「神龍は、現象が具現化した存在。その力は1体で世界を壊滅させるほどだ。さっき、身に沁みて分かったんじゃねぇか?」
「1体でってことは、他にもいるってことなの?」
驚きを隠せないステファニーは、似合わない眉間の皺を重ねる。
「世界には13柱の神龍がいるって話だ。俺も他の神龍を見たことはないから詳しくは知らねーけど。というか俺だって神龍を見たのは今日が初めてだぜ。」
「神龍は、世界を支える柱である。1体でも死んだりすれば均衡が崩れ、この世界は終わる。昔、トゥバンが話してくれたことがある。ゴーヴァン、お前のことと共にな…」
アルトリウスが黄金の鎧の男に視線を移しながら言う。
「お前とトゥバンは同じ国で騎士をしていた。妻と子を亡くし、異常を発症したお前は瞬く間に騎士長へと就任するほどの実力を得る。が、大切なモノを失った絶望感から生きる気力を失っていた。一度は自ら命を絶とうとした。それを止めたのはトゥバンだ」
「そうだ。オレはあの男に妻と子を想うのであれば生きろと説かれた。それからしばらくして、オレはラグネルに出会ったのだ。彼女は前妻の墓参りも嫌な顔ひとつせずに着いてきてくれるいい人だった。オレは彼女に救われていた」
優しく笑みながら俯くゴーヴァンは、その人を本当に愛していたのだと分かる。それと同時に、その人を殺された憎しみが深いのも納得出来た。
キッと目付きを変え、ゴーヴァンは気を失っている白銀の鎧の男を睨み付ける。
「そんな彼女を奴が殺した!!」
両手があれば、ゴーヴァンは気を失っているトゥバンを殺めていただろう。それだけ、彼の怒気は凄まじかった。
アルトリウスは話を続ける。
「お前の妻を殺した理由は言ったな。ラグネル自身からの頼みだと…」
「いったい、彼女が何のためにそんな頼みをするというのだ」
「お前の為だ…ゴーヴァン」
呆気にとられた表情のゴーヴァン。アルトリウスは、再び白銀の鎧に視線を戻しながら続ける。
「ラグネルは、お前の力が衰えているのを知った。どうすればいいか、トゥバンに訊ねると、返答はこうだった。“彼が失ったものよりも貴女を大切に思っているからだ”……トゥバンは後悔していた。その言葉を告げてしまったが故に、ラグネルは死ぬことを望んでしまったと」
「そんな…」
「この人は、ラグネルがいる所為でゴーヴァンが弱くなったと言いたかった訳ではなかった。ゴーヴァンが、人に戻っていると伝えたかったんだ」
トゥバンを見下ろすアルトリウスは悲哀に満ちた表情である。その話を聞くステファニーも又、辛そうに眉根を寄せている。
「……殺した理由はなんだ」
まだ納得していないゴーヴァンは、怒りを我慢するように問う。
「彼を死なせたくはない。あなたに辛い思いをさせてしまうけれど、私を殺して彼の憎しみを引き受けて欲しい。そうすれば、彼は異常を取り戻せる。でも、私が自ら命を絶てば、彼は必ず私の後を追って死んでしまうでしょう」
アルトリウスの声ではなかった。
その台詞を紡いだ艶やかな声は、白銀の鎧の男から発せられた。
遠く空を見上げて、トゥバンは言う。
「彼女は私の存在に気づいていたのかも知れない。奇跡を実現する神龍の力に…」
ゆっくりと上体を起こし、トゥバンは自分を睨む碧眼と視線を合わせた。
「私を殺すまでは死ねないと望む君を生かし続ける奇跡だ。私自身、人の手で死なないために、1000年。こんなにも長い間過ごしてしまったがね」
「……そんなもの」
視線を逸らして、ゴーヴァンは呟く。
「そんなもの、呪いだ」
ハハハッ、と自嘲気味に笑うトゥバン。
トゥバン自身が人の手で死なないというのを、そのように思っているために出た笑いなのかもしれない。
斬られたはずの首は一切の傷は無く、そこを擦りながらトゥバンは胡座を組む。
「私が君の相手をしたくない理由は分かってくれたかな?」
「我が妻の頼みを守っていてくれたということか………オレは、何も知らずに1000年も生きていたのか」
「真実を話せば、君は復讐を忘れてしまうのではと言えなかった。彼女の願いは、君に生きてもらうこと…」
「……そうだな…だが、キサマを許すことは出来ない、ランスロット」
「それでいい」
トゥバンの微笑みは、許されたかったわけではないことを暗に示していた。
真実を知り、それで憎しみを失ってしまっては、ゴーヴァンが今まで生きてきたことを無にしてしまうからだ。ラグネルの頼みを承けたトゥバンは、憎しみを負う覚悟を決めていた。
だからこそ、それでいいと言ったのだ。
フッ、とゴーヴァンは笑い、深く息を吸い、憎しみとは程遠い表情を浮かべた顔を上げる。まるで、詰まっていたものが取れたかのように解放的だ。
「許せはしないが、殺意はもうない。もう、充分に生きた」
「随分と付き合わせてしまったね」
「ああ…」
ゴーヴァンの体が薄れていく。光へと乖離していくように徐々に消えていく。
立ち上がったトゥバンは、その様子を寂しそうに見る。
会話はせず、消えるゴーヴァンを見送り、トゥバンは胸に手を当てて深く礼をした。
「すまなかった」
ずっと、言いたかったのであろう。ラグネルを袈裟切りしたあの時から言いたかったはずのその一言は、とても重く、積年の思いを感じ取れるものだった。
光の柱も消え去り、雲一つない空が広がる。
「アルトリウス、迷惑かけたね」
「帰ってから説教だ」
「ハハハ」
やれやれと言ったように肩を竦めるアルトリウスを見て、トゥバンは爽やかに笑う。彼も又、一つ解放されたのかもしれない。
「さて、帰るか」
日の光を浴びた白銀の鎧が煌めき瞬く。