第5話 『煌めき瞬く』―2
繰り広げられる剣劇の中、ゴーヴァンは走り去って行く二人を余裕といった具合に見ながら言う。
「オレを止めるとは大きく出たな」
斬り上げに弾かれ、体勢を崩したアルトリウスはよろめきながら下がる。
数歩下がったところで止まり、構えを解いたアルトリウスは対峙する碧眼と視線を合わせて淡々と言った。
「止めるぐらいは出来る」
「キサマ、死ぬつもりか?」
「…………」
ゴーヴァンの台詞に黙り込み、割れた窓を眺めたアルトリウスは目を細める。
「……あの人の為に命を使えるのなら、それもいいな」
「そんな価値がヤツにあるとでも?」
「オレにとっては…な」
ゆらりと体を揺らしたかと思えば、反応するのも遅れるほどに自然にゴーヴァンの懐へとアルトリウスは潜り込んでいた。
振り上げるように斬り上げた黒い剣が僅かに反応が遅れたゴーヴァンの鎧の上を走る。火花が散り、剣先がブロンドを数本切った。
突然で驚きはしたが、ゴーヴァンはすぐさま攻撃に転ずる。
大振りの剣を振り下ろし、剣と剣が当たる直前に足を一歩引いたゴーヴァンは腰を下げた。
黒が舞う。
豪華絢爛な大広間の中をその場にそぐわない黒が舞い、黄玉の瞳は驚きの色みを備えて美しい碧眼を見下ろした。
「邪魔だ」
短く言い、ゴーヴァンが体勢を戻すように剣を振り上げるのとアルトリウスが飛び退くのは、ほぼ同時だった。
しかし、僅かに遅かったのか、アルトリウスの胸の辺りの被服が裂け、少しばかりの血が飛び散っていた。
「キサマの剣は折った。もう、オレを止める術はない」
「…………」
離れたところの床にキンキンと甲高い音を立てて転がる黒い刀身。それは、アルトリウスの手に握られているはずの剣だ。
「今退けば見逃してやる。オレが殺したいのはランスロットだけだ」
「……お前、勘違いしてるぞ」
「なに?」
柄だけとなった黒一色の剣を眺めながら、アルトリウスは言う。
「お前に、あの人を殺すことは出来ない。お前が弱いというわけではない。傷を付けることは可能だろうが、あの人を死に追いやるのは不可能だからだ」
「何をバカなことを…」
「確かに身体的にもダメージを負っているのは分かる。それでも、あの人は死なない」
「死なない人間などいるものか!!」
吐き捨てるように言い、ゴーヴァンが大振りの剣を構える。それを見ると、アルトリウスは柄だけとなってしまった黒一色の剣を後ろに投げ捨てた。
「お前の勘違いは他にもあるな」
「ガキが何を言うか!」
「あの人を殺せると思っていること…それと、もうオレに止める術が残っていないと思っていることだ」
ゴーヴァンの威喝を聞こえていないかのように話を続け、アルトリウスは黄玉の瞳を据える。
「固有結界:栄光嶺城」
途端にアルトリウスの足下から景色が変わり出す。キラキラと豪華な輝きを放つ床や壁が、輝きを失っていく。
黒と白。
モノクロの世界に閉じ込められていく錯覚。
天井から下がるシャンデリアや窓から差し込む明かりが、ただの白さでしか感じ取れなくなっていた。
「オレの剣は、まだあるぞ」
床から黒一色の剣が現れる。
それは、1本だけに止まらなかった。その数は無数に次々と床から現れ、黒一色の見た目の所為でモノクロの世界の中だと十字架のように見えてくる。
目の前に現れた黒一色の剣を握り、アルトリウスはゴーヴァンに切っ先を向けた。
*
アルトリウスに促され、善とステファニーの二人は窓から飛び降りた。
散らばる硝子片の先には、荒れた芝生の上にボロボロに汚れた白銀の鎧が転がっていた。
すぐさま駆け寄り、白銀の鎧の男に声を掛ける。
「おい、トゥバン……トゥバン!」
「死んでないよね?」
「この人は死なねぇよ。それよりも、何故トゥバンが奴を倒さないのかが気になる」
「いや~、見た感じだとあの人も結構強そうだったよ」
「この人が本気で戦えばゴーヴァンとやらが太刀打ちできるはずねえんだ。なのにどうして…」
白銀の鎧の腹部に視線を落とした善の耳に、か細く息を吸い込む音が届く。驚いた善が顔を見ると、僅かに開いた瞼の合間から蒼い瞳が虚ろに覗いていた。
「トゥバン!!」
「………善か…」
「今、アルトリウスがゴーヴァンと戦っている。あんたを連れ戻すってな」
「……そうか」
体を起こしたトゥバンは割れた窓を見上げ、深く息を吸い込む。
「あの子がそんな事を…」
「あんた、少しは人の気持ちってのを理解した方がいい」
「君は相変わらず相手の事を分かっているね。しかし、あの子が私の子供だからこそ、こんな事になってしまったのだと思うのだ、善よ」
「あ、おい…」
ボロボロの体をふらつかせながら立ち上がったトゥバンは、傍観していたステファニーに視線を移す。
「ステフ…君まで来てくれて嬉しいよ」
「トゥバンさん」
心配そうにステファニーが名前を呼ぶ。
微笑んだトゥバンは薔薇色の頭を優しく撫でる。それを気持ち良さそうに目を瞑って受け入れていたステファニーが薄く瞼を上げると、白銀の鎧が透き通るような輝きを放っていた。
「えっ…?」
驚きを隠せないステファニーは、目を見開く。
「トゥバンさん、綺麗になってる!」
「騎士のすごいとこだよ」
「冗談はいいよ!なんで!?」
ハハハ、と笑って誤魔化すトゥバン。あまりにも理解出来ずにあたふたするステファニーをよそに善は眉根を寄せていた。
「善、その違和感は結界を張る人間が特に感じるものだ」
ふと、トゥバンが言った。
「この違和感の正体を知っているのか?」
「結界が発動したときに感じるものと似ているだろう?これは、結界と結界が重なった時に感じるものさ」
「アルトリウスが固有結界を発動した…ということか」
「そう、私の結界の中で発動したから君は感じたのだ」
顎に手を当てながら下を向く善。
「……もしかしたら……」
「どうしたんだい?」
「いや、帰ってから話す」
「連れて帰るのは決定事項らしいね」
苦笑いしながら言い、トゥバンは先程までのフラフラとした様子が幻でも見ていたかのように、しっかりと地を踏み締めるように歩き出した。
*
黒い剣が無数に突き立つ床。
見た目に麗しい騎士は剣を携え、白と黒の中でも華美であった。
まるで、古い絵画の中のよう。
黒い服がはためき、十字架のような黒い剣を支えにする男は息を切らしながらも騎士を強く見据えている。
「アイツの息子だけあって、流石の動きだな…アルトリウス」
対して、騎士は息一つ切らしていない。
「……どうも」
「恨みは無いが、これ以上邪魔をするというのなら殺す」
「悪いが、殺されるつもりはないんだ。殺せないってことなら、話は別だがな」
「図に乗るなよ。キサマごとき、すぐにでも殺められる。そうしないのは、キサマに対して殺意がないからだ…」
無傷のゴーヴァンは白黒の中でも眩いと分かる大振りの剣を前に構え、その美しい瞳を細める。
「しかし、殺してほしいなら話は別だ」
大きく踏み出た。
予測よりも早く、その剣の攻撃範囲にアルトリウスを捉えた。後は振り下ろすだけ。それを読んで、アルトリウスは避けるよりも防ぐ方を選択する。
持っている剣に加え、すぐ傍らの黒い剣を引き抜いて、二振りで振り下ろされるゴーヴァンの剣を受けた。それと同時に衝撃が駆け抜け、床が振動する。
やはり、その力は強大なのだろう。
アルトリウスはゴーヴァンの剣を受けた途端に片膝を着いた。それはつまり、単純に力負けした証。
耐えられるはずもなく、二振りの黒い剣ごとアルトリウスの肩を大振りの剣が斬った。
床に血が飛び散る。倒れたアルトリウスを見下ろし、ゴーヴァンは再び大降りな剣を構える。
カツッ…
二人だけの大広間に足音が響いた。
足音の方向を見るゴーヴァンの視線が鋭く変わる。
白黒の世界に在ても、その輝きは分かる。
「……ランスロットォ」
「ゴーヴァン…うちの子を見逃してくれないか?」
「邪魔をしなければ、相手するつもりもない。キサマさえ殺せればな」
ゆっくり歩き出し、足並みを速くしながらトゥバンに向かって走る。ゴーヴァンの斬りかかりを受け止め、鍔競り合うトゥバンは至って普通の表情で話し出した。
「私を殺した後はどうするんだい?君は、私を殺すためだけに生きているようなものだろ」
「この手でキサマを殺す事しか考えていない。それ以外の思慮は邪魔でしかない!!」
「それは、君の愛する人も忘れてしまったと解釈しても良いのかな?」
「揚げ足を取るな!!」
力を込めたゴーヴァンが押し切ろうと体重を乗せる。弾かれるトゥバン。しかし、彼からは焦燥を感じることは出来ない。
「死ねぇッ!!」
弾かれ、がら空きとなったトゥバンの懐へとゴーヴァンが大振りな剣を横に振る。あの膂力に加えて大振りな剣の破壊力は床を容易く切り裂くもの。当たれば一堪りもないというのに、トゥバンはあろうことか両刃剣を鞘に納めた。
ゴーヴァンは床を見上げ、気付く。
素手でいなされ、飛ばされた。
反射的に体を捻り、膝を着きつつ着地したゴーヴァンは額に冷や汗を垂らしていた。
一瞬の出来事に、いなされたのを理解するのが後になったことに焦りを覚えたのだ。
いつの間にか白黒の景色は豪華絢爛な大広間へと戻っており、そんな空間に見劣りしない白銀の鎧がゆっくりと振り返り、冷たい視線を寄越す。
「復讐の亡霊に私は殺せんよ」
蒼い瞳が見下ろす。
穏和な雰囲気など、見る影もない。
「それとも、ラグネルの元に送って欲しいのかな?」
その言葉を聞いた瞬間、ゴーヴァンは激昂した。怒髪天を衝く勢いで怒りを露にしたゴーヴァンは、がむしゃらに駆け出す。
「キサマが! キサマが我が妻の名を口にするなァアア!!」
勢い良く振り下ろされる大振りの剣を見ながら、床に倒れるアルトリウスを担いで跳び下がる。
ゴーヴァンによって砕かれる床。
舞い上がる瓦礫の中を突進し、ゴーヴァンはトゥバンとの距離を詰めた。
「断ち斬れ、ガラティーン!!」
ただの大振り。軽々と躱したトゥバンだったが、白銀の鎧が裂ける。短く唸り、トゥバンは再度跳び退いた。
「確かに避けたはずなんだがね」
「どんなものだろうが断ち斬る。キサマの首もな……」
「…君が私を殺したとして、君の存在理由は無くなってしまうよね。君を今生かしているのは君の心なのだから」
「何が言いたい」
「私も約束があってね、出来れば君の相手はしたくないんだ」
肩に担いでいたアルトリウスをその場に下ろし、トゥバンは瞬きの間にゴーヴァンの目前に迫った。
碧眼がその姿を認識した時には、自分の左腕から血が吹き出していた。次いで、切り返しで右腕を両刃剣が通る。
ゴーヴァンの叫びと共に陽光を思わせる大振りな剣が広間に大きな音を響かせた。
「これで君は剣を振ることは出来ないだろう。失いたくないものも守れない腕など、必要ないだろ?」
仄かに光る両刃剣に着いた血を振り払い、鞘に納めたトゥバンは踵を返す。
「只々、私に対する憎しみを糧に無様に生きるがいいさ」
カツカツと歩くトゥバンの視線の先に、遅れて到着した二つの人影が向かってきていた。
「善、ステファニー……」
花の蕾のようなツインテールの少女が手を振りながら緩やかに歩き、煙草を咥える金髪の男は、ダルそうに首筋を掻きながらその後を歩いている。
「終わったの?」
「ああ」
大きな声で訊ねるステファニーの言葉に短く返し、トゥバンは微笑む。
「彼はもう剣を持てない。戦いは終わっ─」
横になっているアルトリウスからトゥバンへと目を移した善が、咥えていた煙草を落とし、瞠目する。
「後ろだ、トゥバン!!」
いきなり声を張った善に驚きつつも指示の通りに振り向いたトゥバン。
その蒼い瞳に映ったものは、大振りな剣を血が滲むほどに噛み締めた獰猛な男の姿だった。
脚を縺れさせて勢いのままに倒れるゴーヴァン。
白銀の鎧の男は振り向いた体勢のまま。
「なん……という…執念、だ」
首から噴き出す。赤く鉄の臭いを纏ったそれは、白銀の鎧を赤く濡らす。
「トゥバン!」
ドサッ、と膝を着き、トゥバンは項垂れた。
荒い息を吐くゴーヴァンが体を震えさせながら笑う。
「ハッ…ハハハ! やったぞ……遂に、ランスロットを殺した!! 仇を取ったぞ、ラグネル!!」
血を吐き散らしながら雄叫びを上げるゴーヴァンは、異様な雰囲気を感じ、笑う事を止める。体をもぞもぞと動かして見上げると、開いた口が塞がらないといった金髪金瞳の男がいた。男の隣にいる少女も目を見張っている。
体を無理矢理動かして後ろを見たゴーヴァンは言葉を失う。
光を纏う銀色の騎士。
血に塗れたはずの白銀の鎧は一切の汚れも無く、首の傷口から噴き出していたのは血ではなく光であった。
「なん…なんだ……」
「言って…いなかったな」
狼狽えるゴーヴァンに声を掛けたのは、倒れた体をゆっくりと起こすアルトリウスだった。
肩の傷を押さえながら立ち上がり、アルトリウスは言う。
「お前が勘違いしていること……トゥバン=ランスロットは、人ではない」
*
アルトリウスの吐いた言葉は耳を疑うものだった。そもそも、【殺せないから人間ではない】など、考える筈もない。
しかし、奴が人ではないと言われてバカらしいと感じるのとは裏腹に、納得してしまう自分もいた。
あの男に妻が殺されたのは遥か昔。1000年以上前のことだ。
復讐することだけを考えて今まで生きてきた。永い年月を過ごしたが、先刻の言葉で自分が異常な存在だと気付かされた。
「哀れだな」
そう言ったのは、憎き男の息子。
初めに出逢ったのは、コイツがまだ少年の頃だった。あの男を殺させまいと何度も目の前に立ちはだかったのを覚えている。
「ゴーヴァン、お前は知らないことが多すぎる」
「ランスロットが人間ではないことか? 誰がそんなもの予想できる」
「それは、勘違いの方だ。知らないこととは、あの人がお前の妻を手に掛けた理由」
「理由はなんであれ、我が妻を殺したのは事実だ」
「それが、お前の妻ラグネルの頼みであってもか?」
淡々と言うアルトリウスの顔を見れば、悲痛な面持ちで眩い光を見ていた。
「それは、どういう…」
「話は後だ。来るぞ」
アルトリウスの台詞とほぼ同時に光が爆発した。
豪華絢爛な城が崩れ去り、広大な山々が本来の姿を見せる。
それも束の間、直ぐに光の柱が天へと伸び、厚い雲の中から光る何かが現れた。
「なになに!?トゥバンさん、どうなっちゃったの?」
「人間の時に致死量のダメージを受けると、普段使わない力が暴走する」
「え、本当は人間じゃないの?」
「これがなんなのか、臥龍寺には分かるはずだ…」
薔薇色の髪の少女が疑問だらけといった様子でいるのが当たり前だと言わんばかりに、アルトリウスも金髪金瞳の男も空を見上げている。
「解放の報せ…“奇跡の神龍コスモス”」
ふと、金髪金瞳の男が言った。
暗い空が白むほどの光を見上げる金の瞳は、畏怖よりも喜色に満ちていた。
「龍って…ド、ドラゴンのこと?」
「お前の想像してるようなもんとは違ぇよ、ステファニー。龍って言ってるが、それは強大な力に対して付けられた名称だ」
不安といった様子の薔薇色の髪の少女に金髪の男は説明するが、視線は空の強烈な光から離れない。
この男は、善は特殊だ。
この状況で嬉々としているのを見れば誰しもが感じるはずだ。
金髪の男の隣で頼りなさげに立っているアルトリウスは、光を辛そうに見上げている。
「形を成すぞ」
アルトリウスが言う。
再び空に視線を移し、目に映ったのは翼を広げる光だった。キラキラと光が飛び散り、両翼を広げた光は、まるで、人が膝を抱いて眠っているかのような姿をしていた。
ゆっくりと腕が伸び、次に脚が伸ばされる。その肢体には白銀の鎧が纏われており、竜の頭を模した兜を被っていた。
神秘的。その姿、雰囲気、存在を伝えるならば、その言葉以外有り得ないだろう。
「臥龍寺、防げ」
その姿を認識した直後にアルトリウスが短く言う。金髪の男は不満の声を上げながらも腕を振った。
光る円が頭上に突如として現れ、光の膜となった。
何をしたのか分からなかったが、次の瞬間に理解する出来事が起きた。
神龍と呼ばれたものが瞼を開けた途端に翼から光が溢れだし、地上に降り注ぎ出したのだ。まるで隕石の落下のように山が抉れ、標高を削っていく。その様子を光る円の守りの中から見る自分が矮小な存在に感じた。
「溢れた光でこの惨状…流石、神龍といったところか」
「善くん…そんなこと言ってる場合じゃなくない?これ、どうすんの?」
「止める」
「どうやって?」
「俺なら止められる」
「だから、どうやってなの?」
「企業秘密☆」
降り注ぐ光が止み、円を閉じた金髪の男は少女の質問に茶化すように言い、こちらに近付いて来る。
「動けるか?」
「動こうにも出血が多すぎる……どのみち、こんな状態では動けたところで何も出来ないがな」
金髪の男の問いにそう答えれば、男は溜め息を吐き、煙草を取り出した。
「俺が言ってんのは、邪魔ってことだ。お前に何かしてもらおうとは思ってねぇよ」
煙草を咥え、火を着けた金髪の男は地面に横たわるオレの体を面倒臭そうに背負う。先程、体力を使い果たした所為で抵抗しようにも何もできずにいると、アルトリウスが横を通り過ぎながら呟いた。
「これが終われば真実を話す」
オレはただ、何も言えずに地面を見ることしか出来なかった。
*
離れていく背中をチラリと見たアルトリウスは、ゆっくりと瞬きをしてからステファニーに視線を移す。
「おい、お前とオレの仕事は神龍の気を引き付けておくことだ。死ぬかもしれない…怖ければホームに帰ってもいいぞ」
「………怖いよねぇ。でもね、失う事ってもっと怖いと思うの」
ニヒヒ、と笑うステファニー。
それを、強がりな笑顔だとアルトリウスは思った。おちゃらけた仕草が普段のステファニーだというのに、見せた笑顔はなんだか堅く見えた。
自分のようにトゥバンがこのようなものになるなど知らなかったのだから恐怖するのは当たり前だ。だから、逃げてもいいと思った。
「お前、凄いな」
「アルくんが誉めるなんて、矢が降ってくるかも!」
「光が降ってくるから強ち間違いでもないだろうけどな」
冗談を呆れたように返し、地面から現れた黒い剣を握る。
「行くぞ」
走り出した二人を神龍の瞳が捉えた。
広大な山を足下に空に立つ巨大な神龍にとって、人間が蟻を見下ろすのと同じようなものだが、二人に対して兜の下から覗く歯を食い縛る。
それは、怒りとも憎しみとも、若しくは恐怖とも取れた。
その様子を怪訝そうに見ながらもアルトリウスは颯爽と大地を駆ける。
ただ普通に拳を振り下ろす。山にめり込むのは、神龍が普通に振り下ろした拳だった。
大地が大きく揺れる。
神龍の巨大さをもってすれば、大地を穿つ事など雑作もないことだ。
為す術もなく散ったかと思われた二人。
しかし、黒いコートはヒラリと宙を舞い、蕾のようなツインテールは神龍の拳の上を走っていた。
「白椿!!」
黒い剣が腕に沿って等間隔に現れ、一気に甲冑の間へと突き刺さる。
痛みからか神龍が咆哮し、まるで嵐のようなそれは宙に舞うアルトリウスを吹き飛ばした。
「アルくん!!」
「バカ、避けろ!!」
飛ばされながらも声を張ったアルトリウスの台詞にステファニーが見たものは、迫り来る神龍の掌。
認識しても避けきれるものではなく、ステファニーは神龍に意図も容易く捕らえられてしまった。
あまりの圧力に苦しみの声が漏れる。今にも潰れそうなステファニーを見上げ、舌打ちしつつアルトリウスは汚れも気にせず再び走り出す。
「栄光嶺城!!」
黒白の世界が広がる。
神龍の拳によって剥き出しになった広大な山の地肌が侵食されていく。
空に立つ神龍の足に届かずとも、山を半分ほど覆えるぐらいまで広く展開された黒白の中は黒い剣が無数に地面に突き刺さっていた。