第2話 『淡く幽かに』―1
ガヤガヤと朝から街の喧騒。ムリもない。ここは、イタリアの繁華街なのだから。
完全に経済都市として成り立っているこの街は、まさしく、ビルが犇めきあっているぐらいだ。
その犇めきあうビルの一つへと欠伸をしながら入れば、任務帰りであろう人たちが、くたびれた様子でオフィスを抜けていく。
みんなお疲れ様と心の中で呟きながらエスカレーターに乗ると、先の方に綺麗な金髪の後ろ姿があった。
「善さん」
声を掛けると、ダルそうに振り向いて降りた所で待ってくれた。
善さんの隣にいる毛先の白いやつはディークだ。数少ない若者勢の一人として仲が良いから軽く挨拶するが、もう一人、知らない人がこの場にいた。
そいつはディークの上着を着ている。
「善さん、任務お疲れ様です。その人は誰さ?」
「ああ、こいつ野良なんだよ。捕まえてきたところだから、メンバー登録がてら力の使い方云々やらを教えてやらにゃいけなくてよ」
「野良って動物みたいさ……あ、暇なんでオレも着いていっていいですか?」
「物好きなやつ…」
見ていても面白いものなどないだろうに、と呆れ顔の善。
「トレーニングも今日は無いんで」
「好きにすりゃあいい。こいつ、オルグレイトってんだ」
「オルグレイト…だ。よろしく」
少し寡黙な感じで短く挨拶した新人は、どこか野性動物っぽい雰囲気だ。なるほど、野良っぽい。
「オレ、五十嵐 燿綺。よろしくさ」
少し目に痛そうにしながら、オルグレイトは金髪の善と橙髪の燿綺の頭を見つつ頷いた。
自己紹介も終わった事だし、と四人は移動を開始する。
途中、ディークは食堂に消えていき、残る三人が到着したのは2階の受付だった。
「新規加入、名前はオルグレイト。とりあえず、ウチの事と力に関するレクチャーをする」
「かしこまりました。登録手続きが終了次第、団服を支給致します。採寸の為、5分程あちらの部屋へよろしいですか?」
「オーケー」
サッと登録終了し、採寸を済ませたオルグレイトが疑問だらけの表情で口を開いた。
「善。団服ってなんだ?」
「団の服だよ」
「何の一団なのか」
「ああ、そういうこと…」
再度、移動を開始した一行は、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーターの知識が無いためか、不思議そうに周りを見回すオルグレイト。その様子を無視して善は話し出す。
「俺達は皆、普通の人間とは違う。俺は“円魔法”。ちなみに燿綺は武器を出す。お前も武器を使うだろ?武器と言っても、自分の異常が形になったものだと考えていい。まぁ、武器を出すにしても形を想像して投影しないといけないけどな。んで、この一団はそんな特殊な能力をもったビックリ人間たちの集まりみたいなもんだ。何百年も前は、魔女狩り魔物狩りとかの被害に遭っていたそうだが…」
「異能集団?」
「異能ってより、異常だな」
「その異常集団がなぜ?」
「まあ待て、1から説明するからよ」
目標の階に着いてすぐの部屋へ入ると、応接室のようにソファがローテーブルを挟んで対面に置いてあり、シーリングファンが静かに回っていた。
促されるまま座ると、善は煙草に火を着けながら話を続けた。
「お前の武器についてから……基本的に武器として形がある“異常”は、呼称解放で異常を発動させることが出来る。呼称は、自身の異常の名前だ。異常が発症した時に脳内にインプットされるらしい」
「アギト…か?」
「お前の場合はそうだ。ただ、武器を出すには、自身の武器を想像する必要がある。でなければ、武器が顕現することはない」
勝手知ったるといったように人数分の珈琲を持ってきた橙色の髪の少年―燿綺が、それを配りながら尋ねる。
「ちなみにどんな武器さ?」
「ギロチンの刃の部分って感じだったな…キズを着けた所が猛獣の顎のように標的を噛み砕こうとする異常ってのが表現としてベストだな」
「…エグいさぁ」
うわぁ、と表情を歪ませて燿綺は言う。身に覚えがある善も苦笑いだ。
「そういえば、さっきディークから聞いたけど、オルグレイトはジャングル育ちなんでしょ?言葉はどこで覚えたんさ?」
「遺跡の研究に来た人たちから教わった。遺跡の中に入ったけど出られないと言うから共に暮らしてた」
「監禁してた訳じゃないんだ。てか、遺跡から出られないってどんな作りの遺跡なんさ」
「それについては、こいつの固有結界の所為だ」
燿綺の疑問に善が答える。それについて、新たにオルグレイトが問う。
「逢った時も言っていた。結界がなんとかって」
「お前がいた場所、あれが固有結界…固有結界ってのは、文字通り固有の結界だ。お前のお前だけの結界。空間が限定されて発動者の支援になる空間」
「発動出来るのは、得意不得意があるみたいさ。オレは不得意だけど。んで、固有結界は外からは簡単に入れるけど、出るのは難しくって、結界の発動者が出る許可を認識するか気絶させるとかしないと出れないんさ」
オルグレイトは補足説明する燿綺をチラリと見て自身の前に置かれたカップを啜る。若干、眉根を寄せたオルグレイトを燿綺が微笑した。
「まあ、追々分かるだろう。暫くはトレーニングだからな」
短くなった煙草を灰皿に押し付け、善は脚を組む。偉そうな座り方だが、美麗な容姿のおかげか雰囲気のおかげか、様になったそのポーズで善が言った。
「ようこそ、"薔薇十字団"へ」
決まった。とばかりにふんぞり返る善の達成感をぶち壊すかのようなタイミングでドアが勢いよく開いた。
「ここか、燿綺!!」
凛とした芯のある女の声が室内に響く。
空になったカップを回収し終え、今まさに片付けようとした燿綺がビックリと同時にカップを手から滑らせた。
床にぶつかる直前でなんとかキャッチした燿綺が見上げた先には、大胆にも脚の付け根辺りまでスリットの入った服装の女がいた。
一見、少女のようにも見えるが大人の雰囲気がある。
「エア…今日、トレーニングも任務もないのにどうしたんさ?」
エアと呼ばれた女は、燿綺の質問を無視し、床に這いつくばるような体勢の燿綺を不思議そうに見る。
「どうした、お前にはそのような趣味でもあったのか?」
「いや、エアがもうちょっと優しく入ってきたらいいんじゃないかな?」
「質問を質問で返すな!」
「理不尽!!」
恐る恐る言った燿綺に怒鳴りながら拳骨を振るう姿は、まるで姉と弟の関係のように見える。エアは目尻に涙を溜める燿綺を無視するように、ソファに座る善へと視線を移す。
「善、貴様もメンバーだ」
「俺、帰ってきたばかりなんだが」
「貴様と私たちはサポートだ。メインはLiriが勤める」
「ってことは…」
「固有結界:幽霊屋敷。標的は、ビクター・ゼル……元団員だ」
「…………分かった」
伏し目がちに灰皿を眺め、間を置いてから善は低く頷いた。
「悪いなオルグレイト。そういうわけで、俺は用事ができたみたいだから、あとは他の団員の指示にでも従っておいてくれ」
*
静かに、静かに恐怖が降りてくる。
意識が浮上した脳裏に何かの存在を朧気に感じた。
黒くて、曖昧なそれが何なのか分からずにいる。
そんな、不確かなものに恐怖を感じているのが腹立たしくて、終わらない悪夢に嘆息したくなるだけだった。
*
金髪金瞳の男は不機嫌を露にした表情だ。
目の前には廃墟となった屋敷。
一般人は好き好んで入ろうとは思わないだろう雰囲気である。なにせ、人の気配どころか動物の気配もせず、背の高い木々によって真昼でも暗い林の中だ。
おまけに廃墟となった屋敷は重い空気が外にいても感じられる。
「こんな所、わざわざ夜に来る理由があんのかよ…昼にすればいいのによぉ…。」
「Liriが指定した時間だ。理由を知りたければ本人に聞くことだな。そもそも、昼に来たところで霊的なものが苦手な貴様が今回の任務を遂行など出来るものか。」
「分かってんなら俺をメンバーに加えんなよ、エア」
金髪金瞳の男―善は、ゲンナリしながら廃墟となった屋敷から視線を隣の朱髪へと向ける。
「図体ばかり大きくなりおって…幽霊が怖いとは情けない」
「俺の幼少期知らねぇだろ」
「燿綺、お前はどうだ?」
「無視かよ」
エアは善とは反対側にいる隣の少年に視線を移す。
朱髪越しに怒りの表情の善を見ながら燿綺は陽気に答えた。
「オレは全然怖くないさぁ。エアに比べたら」
一瞬の間。
ゴリッという鈍い音が響いた。
*
三人は廃墟となった屋敷を見ながら無言の時間を過ごす。
風が不気味に木々を揺らし、肌寒さを感じた善が二の腕を擦りながら愚痴を溢す。ぶつぶつと呟きながら煙草を取り出そうとして落とした善が固まった。
落ちた煙草に釣られて視線を下に向けた善の目に映ったのは、落とした煙草を手のひらに乗せた青白い女の手だった。
「落とした…よ」
か細い声が耳元で言い、善が驚きの声を上げるよりも先にエアが口を開いた。
「Liri、遅かったではないか」
その台詞に驚いた表情のままの善が隣を見れば、腰まである黒髪に闇のように深い黒い瞳。血色の薄い肌。まるで、夜の暗闇に溶け込んでしまいそうに儚い少女が立っていた。
「ごめん」
Liriは遅れたことを申し訳なさそうにあやまった
「いや、気にするほどでもない。それより、着いていくのが善でもいいのか?」
そう答えたエアだが、ポンコツ呼ばわりされた善は未だにLiriの登場に驚いたまま固まってしまい、聞いていなかった
「いい。彼は臆病だから」
「なら、私たちは外で待機だな」
「えー!暇すぎさ!!」
二人の会話を聞いていた燿綺が頭の上にできたばかりのたんこぶをさすりながら子供のように言うが、エアとLiriはチラリと見ただけで話を続ける。
「既にこの屋敷が固有結界なのだろう?」
「そう。固有結界:幽霊屋敷」
「さほど広くは無さそうだが…」
「それは、ただの外観。中は彼の心による…の」
「ふむ、固有結界のことはよく分からないからなんとも言えんな………よし」
少し考えて頷いたエアが未だに固まっている善の尻を蹴り、ようやく我に帰った善は、ゆっくりとLiriの手から煙草を取った。どうやら煙草を吸う気が萎えたらしく、ポケットにしまいながら口を開いた。
「Liriも到着したことだし、早く終わらせようぜ」
「よろしく…ね」
挨拶を終え、Liriが先に屋敷に入っていき、嫌々そうに後から善が屋敷に足を踏み入れたところで屋敷の玄関扉が勢いよく閉まった。
*
屋敷の中へと進入した善が最初に感じたのは冷たい空気だった。
長い廊下は飲み込まれそうなほど先が真っ暗で、今にも消え入りそうで頼り無い蝋燭がちらほらと燭台に灯っているぐらいだ。カツカツと二人の足音だけが谺する廊下は狭さも感じる。
漆黒の髪を揺らしながら先導するLiriの後ろ姿に善は黙って着いていく。
外観からは想定できない程、廊下は長かった。10分くらい歩いただろうか、ようやく突き当たりに到着した。T字路になっているわけではなく、突き当たりは塗装の剥がれ落ちた扉があった。
錆の目立つドアノブを気にするでもなく、Liriは扉を開く。
「なんか……不気味だな」
「そう……」
壁に掛けられた鹿の頭の剥製が不気味に照らされ、誇り被った床やテーブルには人の手形だけが残っている。こうも暗いと分かりづらいが、暖炉の上に唯一ある蝋燭の明かりを頼りに目を凝らすと壁一面に夥しい量の血が飛び散った跡があった。
「本物の血なのか、固有結界の景色としての血なのか分かんねぇな」
「本物」
「マジか」
善は壁一面を彩る紅色に眉をひそめる
「ビクターは、自分の家族を殺した。これは、その時の結界」
「犯行現場ってことね」
頷いたLiriは、明かりの届かない部屋の隅を見て指を差す。
「あそこ。扉の先に彼がいる」
暖炉の上にある蝋燭を持ち、言われた所に近づけていくと、少し小さめだが確かに扉があった。
ドアノブは血がベットリと着き、掴むのが躊躇われた善はハンカチを取り出してノブを捻った。
*
Liriと善が固有結界:幽霊屋敷に進入してから周囲をぐるりと回ってみたが、特に異変はなかった。強いて言えば、全部の窓に板が打ち付けられていたぐらいだ。
燿綺は屋敷の周りを一周してエアの所に戻って様子を聞いてみたのだが、こちらも変化無し。
完全に結界の外見と中身は違うらしい。
「ところで、今回の標的の元団員ってどんな人だったんさ?」
「ビクターか…奴は、臆病者だったな。常に周囲を気にしていた」
屋敷を眺め、エアは昔話でもするかのように話し出した。
「奴の異常が発症したのは、15歳の時らしい。日常を絵に描いたように普通の家庭で育ったビクターは突然、不幸に見舞われた」
「家族が死んだとか?」
燿綺は眉を寄せて首を捻りながらそう問うと
「いや、ビクター・ゼルが死んだのだ」
「え!?え、ちょっ…ぶっ飛びすぎさ!」
驚きのあまり燿綺は目を大きく見開き、パチパチと瞬きをする
エアは燿綺のその反応を気にすることもなく続けた
「本当の事だ。病院で死亡が確認されているし、役所にも届け出があった。それに、奴が一度死んだのが納得できる異常だったよ」
「………どんな?」
一度死んだのが納得できる異常だったと言われて気になったから聞いてみれば、エアは目を細めて言った。
*
血塗れの部屋や荒れ果てた部屋ならどんなによかったことか、壁と言うよりも柵といった表現の方が正しく感じる程に一面には無造作に板が打ち付けられていた。
まるで、何かから身を守るように幾重にも打ち付けられた板は、形や大きさもバラバラで、その必死さが狂気を物語っている。
そんな部屋の中央には、天井からぶら下がるものがあった。
「……ビクター・ゼル」
それを見て言ったのは善だった。見るに耐えない姿だが、容姿と名前は覚えている。
若いが、精神的ショックによって白髪となった頭髪。
少食だった彼は、肉付きが人より悪かった。
「死んでるな」
「違う。これは、彼の異常」
Liriが言うと同時にズルズルと這いずる音が室内に響いた。まるで、ボロボロの布が擦れるような音だ。その音から、成人男性程の質量が把握できる。
ズルズル…ズルズル…
壁際を這い廻っているようだ。
肉食動物がするように獲物の様子を窺っているのか、脅えて距離を取っているのか分からないが、蝋燭一本の明かりでは、その不快な音が恐怖感を生み出す手伝いをしているようなものだ。
「Liri」
「彼の異常……“レムレス”」
背筋に強烈な悪寒が走り、咄嗟に振り向いた善の目の前にドロドロの黒い何かが大きく口を開けていた。 僅かながらの明かりなど飲み込んでしまいそうに大きく開いた空洞の縁には、不気味な程に白さの目立つ牙が生えている。
それを認識してから善が行動を起こす前に、暗く発光する影がドロドロとの間に立ち塞がった。それと同時に、ドチャッとぶつかる音がする。
「サンキュー、Liri」
「光を…」
そのつもりだったと言わんばかりの反応の早さで善が指を鳴らすと、善を中心に光の円が一気に広がり辺りを照らした。
明るくなった部屋の様子がどうとか考えるよりも先に、ドロドロが影を回り込んで善の目の前に再び現れた事に対処する方法に脳を使っていた。逡巡など、ほぼ無く、善は腕を振る。途端に光の円が複数現れてドロドロを拘束した。
「捕まえた!」
「それじゃダメ」
拘束したと思われたが、Liriが言うようにドロドロが霧のように散った。そして、すぐにドロドロとした姿で現れる
その動きは遅いようで、距離を取るのは簡単だった。
「隙間無く覆わないといけないのか」
「それでも…ダメ」
「俺の円魔法ならいけるだろ」
「無駄遣い」
「なら、俺が来る必要あったのか?」
「彼は暗いと広くなる…の。善、光で弱らせて。私の手で覆う…から」
「オーケー」
納得したようで、善は長く息を吐いて手を前に出して指を鳴らした。途端に光の円がドロドロの下に現れて光を爆発させる。僅かに打ち上がったドロドロを2つの円が囲み、そして、発光した。例えるならば、閃 光爆弾のように視覚を麻痺させる程、強力だった。
白む視界の中、見えるものがあった。
黒く、とても黒く、吸い込まれそう。ドロドロが影や霧のようなものだとすれば、それは“闇”と言える。
光に満ちて真っ白な視界の中、その闇は人の手の形をしてドロドロを包み込んだ。