旅立ち
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1
小室村の自宅は、綺麗に整頓されていた。自室の一角に、身支度の整い、細身ながら鍛え抜かれた体躯のもちぬしで、部屋に刺し込む朝日が、照らしだす顔は、二十九歳より若々しく見え、二十代前半と言われても、納得いく顔付きであった。
辺りからは朝餉の匂いがただよってきている。彼は、旅達に必要なもの以外売り払い、その身一つで旅立とうとしていた。
この者の名を天原和也という。
和也は、この地に来てから、医療や法術による治療等で、小室村の人々と、接してきたのである。この家にも、十人ばかりの人間が、住み込みで働いていた。八人の弟子と二人の女中である。和也が、旅立つ事を、告げたのは、三ヶ月前の事である。
その時から和也は、寝る間も惜しんで、弟子たちに伝えるべき物事を、書に書き記していた。その作業を、終えたのが、丁度、一週間前の事である。それからは、村人や、贔屓にしていた店への挨拶で、思ったより時間が、掛かったのは、予想外の事であった。
そして、本日旅立つ事と別れの挨拶に、村長宅へと向かうのだった。戸口を出た外には、弟子や女中が最後の挨拶をしようと、受けていた。皆口々に言葉を掛ける。
「行ってらっしゃいませ。和也先生。」
「道中御気をつけて。」
「この村の事は、我々に任せて下さい。御帰りを、御待ちしています。」
古参の弟子と女中の声である。
「後の事は、御前達に任せる。達者で暮らせよ。」
和也は、最後の言葉を全員に掛け、正門へと足を運ぶ。
朝日の、和やかな温かさを感じながら、村長宅へと足を運ぶ。門前の道から大通りに入り道を歩いていると、人々の声が聞こえる。
「生きの良い魚が安いよ。」「新鮮な野菜は要らんかね。」のような、客引きの声が聞こえる。
中には自分に向けた声も聞こえる。
「天原先生、新しい書物が入りましたよ。」
「悪いな、また今度にしてくれ。」
和也は、軽く返して、目的地へと歩を進める。
村長宅に付くと丁度村長の女房が顔を出す処であった。直ぐに声を掛けた。
「忠晴殿は居られますか。」
「和也先生、主人なら丁度、朝餉を終えた処ですよ。案内します。」
和也は、女房の後に付いて行く。案内され、一部屋の前で足を止め、中に要る旦那に声を掛ける。
「あなた。和也先生が御出でです。」
「入ってもらえ。」
襖を開け和也は、部屋へ入って行き、対面する様に座る。
「準備は、終わった様だな。和也。」
「ああ、竜都の知り合いを、尋ねようと思う。」
「相変わらず動くのが早いな。俺なんて、不穏な空気を感じたのは、一ヶ月前だ。」
「それでも常人よりは、早い物さ。」
「今度こそ、奴等との戦終わらせて来い、先の戦も奴らが噛んでいた。人同
士の戦はもう見たくねえ。」
「同感だ。今度こそ奴らの息の根を留める積もりだ。」
「何も餞別を送れなくて悪いが、気を付けて行ってくれ。」
「気にするな、ここでの十年の暮らし悪い物でなかった。それだけで十分さ。邪魔したな、そろそろ村を出る。」
徐に立ち上がり、和也は、退出しようと、襖に手を掛けた時忠晴から声が掛かる。
「和也、死ぬなよ、生きてまたこの村に帰って来いよ。」
「その時は、美味い酒を頼んだで、村長様。」
「任せろ、しこたま美味い酒を、準備しといてやるよ。」
軽く言葉を交わし、襖を開けて、部屋を出て行く。和也は、振り返ることなく、村長宅より出て行く。
村長宅の庭先に、居た女房に挨拶して、立ち去って行く。家を出ると、秋を感じる空を、仰ぎ見る。そして、和也は、村長の女房に、見送られながら立ち去る。
2
村の広場から、この村に似つかわしく無い、荒々しい声が上がっていた。
「この村に、天原和也と申す者が、要るはずだ。その者が持つ童子切りを、我等の若様に、献上して頂きたいのだ。褒美は、何でもする。」
集団の中にいる、高圧的に御願いする男が、和也の眼に入って来る。村人たちの反応が、悪い事を感じながらも、更に高圧的に言葉を荒げる。
「居場所を、教えるだけでも、褒美を取らす。」
やはり村人たちの反応が悪い。そんな中、一人の兵士が、その男に近付き話
し掛ける。
「岸崎様、天原和也成る男は、この村を、旅立とうとして要るようです。」
その声を聴き村人たちから声が漏れる。
「和也先生、やっぱり行っちまったか。」
「まだ、その辺に要るのかな。」
「一週間前に家に来て、別れの挨拶しに来たけどね。」
「一寸前に、西の入り口で姿を見た。」
と、色々な声が漏れていた。それも、全員和也が、近くに要る事を、知っていながら答えている事は、顔を知らない岸崎達にとっては、たちの悪い事だった。
「余計な事を言いおって。腕の一本でも貰うとするか。」
岸崎は、荒げた声で兵士に詰め寄る。その声に兵士は、平伏しながら声を上げる。
「御勘弁ください、岸崎様。必ず和也を、連れてきますので、お許しください。」
少し考えてから岸崎は、配下の兵士に合図してから答える。
「良い事を思いついた。この者を、引っ立てろ。」
二人の兵士が、平伏している兵士の両脇から腕を掴み無理やりに立たせる。それを見ていた岸崎は、隣にいる別の兵士に問う。
「右と左どっちが良いかな。御前はどう思う。」
聴かれた兵士は、声を震わせながら答える。
「右が良いと思います。」
それを聞き、答えが不満だった様で今度は声を荒げて言った。
「それは、俺の聞きたい答えと違うな。もう一度問うてあげよう。右と左どちらが良いかな。」
先程の兵士は、脅えながらも、声を震わせ再度答える。
「ひ、左が、い、良いと、思います。」
その答えに満足したのか、岸崎は、頷きながらその兵士に命令する。
「じゃあ君が、彼の左腕を引き延ばして、押さえてくれるかな。そしたら、俺がその腕を斬ってあげるから。」
そして、岸崎は、指を鳴らして、違う兵士に命令する。
「元来ならば、切れ味の悪い物を使うのが、一般的だが、俺は部下には、優しいから、俺の刀を持て。」
脅えながらも兵士が、刀を持ってくる。
岸崎は、刀を抜き、鞘を地面に突き刺す。徐に取り押さえられている、兵士に、近付いて行く。刀の切っ先を、捉えられている兵士の、鼻先に突き付け、声を掛ける。
「刀の、錆と成るが良い。」
岸崎が、刀を振り上げた瞬間声が掛かる。
「私に用が有るなら、村の中での、血を流すのは、勘弁してほしいものだ。これでも私は、医者なものでね。」
その言葉に、村人たちは、道を開けながらも口々に「やっぱり、出て来られたかと。」言葉を漏らす。和也は、その道を通り、岸崎の前へと歩み寄る。
「貴殿が、和也か。貴殿が持つ童子切りを我が主に献上して貰いたいのだよ。褒美は幾分にも致すつもりだ。」
和也は、岸崎の顔を見て少し考えてからこう答える。
「主殿に、御会いしたいのだが、出来ますかな、岸崎殿。」
岸崎は、直ぐに答えた。
「良いだろう付いて参れ。」
そして、取り押さえている二人の兵士に命令する。
「その男は取り押さえたまま連れて来い。処分は追って沙汰を出す。」
岸崎は、大和通じる、村の出口へ歩み始める。その集団は、村を出て、かなり離れた場所にある陣地まで歩くのだった。
3
広大な大地に布陣した陣地で和也は、岸崎の主を待っていた。和也は、兵士達が、気付かれないように、法術を、展開していく。術が、完成したころ、声が掛かる。周りが平伏すので、和也も、それに、倣う。
「秀衡様の御成り。一同面を上げよ。では、秀衡様後は、よしなに。」
岸崎は、そう伝えると、幼い主に任せて一歩下がり、控える。和也は、辺りに要る兵士からは、闇の気配を感知する事が、出来なかった事に、少し安心する。
『岸崎だけが、闇に見入られている者だな。それ以外いないのが、救いだな。』
その様な、考えをしている時に、秀衡から声が掛かる。
「そなたの持つ、童子切りに、魔を払う事が出来るとは本当ですか。我が母上の病魔を払ってほしいのです。」
その言葉に岸崎は、反応して秀衡に問いただす。
「秀衡様、何を仰います。童子切りを持ち帰れば、貴方様は、大和の支配者に、なる事が出来ます。母君の病魔を、払う事も出来るのですよ。その方が、母君もお喜びになられますよ。」
その言葉に、秀衡は、悲しい瞳をしながら聞き入っている。その表情を見て和也は、こう考えを纏めていた。
『成る程、その野心が、闇に捕らわれた理由の様だな。秀衡殿は有能だ、岸崎の言葉の意味を、良く読み取っている。どうやら手後れである、事も無意識に気付いているようだ。』
秀衡は、和也にこう問うた。
「和也殿、私に、童子切りを扱えると思いますか。そして、その理由をお教えください。」
秀衡の聡さに感心しながら問われたことに答える。
「無理だろうな。童子切りが、力を貸す事は、黄龍と、契約を交わす事に相違ない。黄龍は、四神の長たる者、その契約は、四神との契約の後に行われる。簡単に答えるなら、五体の神獣と闘い、勝たなければならない。」
秀衡は、その答えに満足したように頷き、話し出す。
「始めの話に戻りますが、母上の病魔を払う事は出来ますか。」
「病魔を払うに、童子切りは必要ない。小室村に私が、興した医院が有る、八人の我が弟子が、要る彼らを頼るが良い。」
和也は、秀衡の問いに答えて徐に立ち上り、声を掛ける。
「旅路を急ぐ故に、立ち去って宜しいかな。」
「良い旅を和也殿。御会い出来て良かったです。母上の病魔の事も大丈夫なようですし。」
秀衡は、微笑みながら和也を送り出そうとする。それに、異を唱える者あり。
「まて、まだ話は、終わっていない。秀衡様が、御当主と成る為に、童子切りが必要なのだ、そうすれば、俺も、当主補佐の座が眼前に有る物をみすみす逃すものか。」
岸崎が、和也に掴みかかろうとした時、和也とは違う声が零れ落ちる。
「君は、和也様の掌の上で、踊らされていた、哀れな踊り子に過ぎない。事の始まりから、和也様の掌の上さ、僕と、君に物申した兵士は、和也様の式神だよ。」
その言葉が終わった時、秀衡の見えない所で、押さえ付けられていた、男が形代へと姿を変える。そして、和也の姿をしていた式神も童へと姿を変える。驚く周囲は気にせず童は、秀衡に話し掛ける。
「今の汝では、主様は、認めはしないであろう。何故なら、主様が求めるは、共に歩む事が出来る者のみ。」
童は、天に掛かる雲を仰ぎ見る。そして、思い出したかのように、秀衡の下に歩み寄り、耳元で何かを囁く。次の瞬間童の体が光に包まれ霧消していく。秀衡は、童と同じように天を仰ぎ見て兵士に伝える。
「我は、これより大和へと帰還する。この命に不服の者は、好きにするが良い。我はその者を処罰する気はない。」
岸崎はその言葉を聞き兵士に声を掛ける。
「ならば我等は、和也を追わせて頂きます。我こそはと思う者は俺に続け。」
その声に答えたのは二人だけであったが、岸崎は気にせず村の方へ引き返して行く。
残った兵士に秀衡は、声を掛ける。
「我等は、これより、大和に帰還し、母上に今日起きた事を伝え、後日、数人で、小室村へと赴く、それまで、我を支えてくれ。」
兵士たちは、その言葉に、二つ返事で答え、祖国へと帰還し始める。秀衡と兵士たちの顔に不安に歪む事無く真っ直ぐ前を向き強く歩み始める。その後に兵士たちも続く。
4
本物の和也は、陣で待っている間に式神と入れ替わり、村から出て一つ目の峠に、差し掛かったところに、居たので御座います。丁度その頃こちら側では、時雨が零れ始めておりました。紅葉を楽しむ遊山の客が、茶店に入る者や、足早に帰路に付く者もおります。急ぐ旅でも無いので雨脚が、弱まるまで、雨に彩られる紅葉を、楽しむのも悪くないと思い、一軒の茶屋に入り、雨のしのげる道沿いの席に腰を下ろす。
御茶と茶菓子を頼み、山の背に至るまで、深紅に染まる紅葉を、彩る露の艶やかさを、感じながら、頼んだ品が来るまでの間を、時雨に濡れる紅葉を、楽しみながら待つのも、趣があって良い物だと、感じている時に、女性の給仕が、御茶と茶菓子を、持ってきました。
茶菓子を食し景色を楽しみながら、御茶を啜り口中の甘味を、茶の渋さで洗い流す。その平穏な時の流れを、楽しむ至福を感じていた。丁度その時、自分の放っていた式神たちが、返って来るのを感じる。二つの式神が子細を和也に伝え、報告を聞き和也は二つの式神に彼らだけの世界に話し掛ける。
『御苦労だった二人とも。やはり私が、予想した展開になったか。それに、鳳雛。秀衡は、そなたの貸し与えた力を正しく使える者の様だな。何時かは生身の私に会える事だろう。そして、影よ。護衛の任、御苦労であった。莫迦共は、芙蓉の陣に惑わされている頃か。沙汰は、芙蓉に伝えさせる。』
その言葉に鳳雛と呼ばれた童の式神は喜びながら頷いている様に和也は感じ、影からは、何時も通りの気配を感じていた。それから和也は、式神との繋がりを切る。
和也は、辺りの景色へと目を移した。その風景を楽しみ始め、茶菓子を口に運び、時間の流れを楽しみ始める。雨が、上がったのは、それから半時後の事でした。雲の隙間から、日の光が籠れ、落ちるのを感じながら、残りの茶を啜る。丁度その時、他の客を席へと案内した店主が和也の前を横切ったので声を掛ける。
「すまないが、これに、酒を入れては貰えぬか。」
店主に徳利を差出す。
「少しお待ちください。」
店主は、それを受け取り店の奥へ姿を隠す。程無くして店主は、奥より戻り徳利を和也に渡し、代金を受け取り仕事へと戻る。和也は、受け取った徳利の紐の端に付く、趣のある龍の根付を、帯に挟み立ちあがる。旅に思いを馳せながら、茶店を出て行く。
空には、雲の隙間より日の光が、辺りを照らし始めて、紅葉に纏う雫を、美しく彩る姿を見ながら、旅路に付くので御座います。
木々の紅葉が時雨により葉が濡れ、葉先から零れ落ちる雨水が木漏れ日の光を浴び、光の水雫が大地に落ち弾ける世界を物見遊山や旅人に紛れながら旅路に付く和也の姿が御座いました。