遠雷と空虚のあいだに 2
角螺子に囲まれた円形の小窓の厚い硝子の向こうには、荒涼たる漠土の風景が広がっていた。
その窺っていた外の景色に、散開して遠巻きに艇を包囲する帝国兵と、茶褐色に塗装された戦機人が現れた。ステュン国の宰相であるマーガス・コルネリウス・アギン右書記官長が、窓外から目を離し、隣の男に緊張にこわばった顔で視線をやる。
「ショアル姫は至源炉の法術結界を張り終えたか?」
艇の側面、そこにある昇降口につめている艇員の一人が、首を横に振った。
「いえ、まだのようですが」
何か言おうと開けられたアギン右書記官長の口がそのまま閉じられる。包囲する帝国兵の方から勧告の声音が彼の耳に届いてきたのだ。
「我々はパラカン帝国南路方面軍、第八独立飛甲機動部隊、第一空挺装甲小隊である。貴殿らに速やかなる投降を勧告する。繰り返す貴殿らに……」
アギン右書記官長は眉をしかめると艇員に指示した。
「蓋扉を少し開けてくれ。何とか少しでも時間を稼ぐ」
艇員が蓋扉に取り付き、取手を回して扉の固定を解きはじめる。
「それからフォリドフォルの出撃準備を急がせてくれ。すぐにも戦闘になるかもしれん」
アギン右書記官長は背中にその指示を伝達する声を聞きながら、少し開いた扉の隙間の前に立ち、帝国の小隊指揮官に対して大声を張り上げて応えを返す。
「私はステュン国右書記官長マーガス・コルネリウス・アギンである。当テベル同盟使節団の副使でもある。貴公らはまず指揮官の名をきちんと正式に名乗られよ。しかる後、いかなる理由をもってこのような交戦国でもない我々に、襲い掛かるなどという行為に及んだのか述べられよ」
「指揮官はカラグキ・ロブトゥラ帝国軍少佐、当小隊指揮は自分ホニツゥク・ルフィコ少尉である。貴殿らはイスタール周辺の通商封鎖区域を飛行していたことが判明している。したがって、パラカン帝国の臨検を受けなければいけない。しかし、警告を無視して逃走および同行飛空艇による攻撃の意図を見せた。パラカン帝国軍はイスタール皇国の援助者を見逃すことは無い」
「我々は使節団だ! 外交使節の臨検など第三国に許されるはずもない。国際慣例を無視した暴挙だ。そもそも飛行禁止区域を主権国以外が決めるなどおかしいではないか!」
「我々パラカン帝国軍は、いかなる交渉にも応じるつもりはない。速やかなる投降を勧告する」
「貴公らは国際秩序を踏みにじるのか!」
「我々東方人を虐げる貴様らに都合のいい国際秩序など、パラカン帝国は認めない! 勧告に従わない場合、攻撃を始めるものとする。決断は十秒以内にせよ」
「無茶苦茶だ! 貴公らはわかっているのか、我々にも戦機人があるのだぞ。古製代の装神甲だ! 陸戦でかなうと思っているのか!!」
「すでに、十秒を経過した」
嘲るような響きを帯びた帝国軍小隊指揮官の声に、アギン右書記官長は絶句した。しかし次の瞬間、届いてきた艇員の声に彼は胸内を燃え上がらせたのか、怒声じみた迫力で指示を口にする。
「アギン卿、フォリドフォルの出撃準備整いました」
「よし! フォリドフォルを出撃させろ。やつらを叩き潰せ!!」
アギン卿が交渉とも呼べないような言い合いを始める少し前、白い飛空艇アクロフォカの貨物槽の中である。そこには空間のいっぱいを占領する仰向けに寝た金属の巨人があった。
飛空艇の積荷である巨人は器具や鋼縄の類で固定されているのだが、それを艇員が幾名も取りついて外そうとしている。むろん帝国軍部隊の地上展開に備えるためである。すでに戦闘は避けられないものという認識が彼らにはあった。
その作業がなかなか捗らないでいる。アクロフォカは元来、戦機人を積むようには造られていない飛空艇だったので、そういった作業も不便な構造になっている。その上、不時着の混乱と焦りが艇員たちに色濃く表出しているためだった。
花弁のように前面装甲が開いた巨人の胸甲殻の中では、この戦機人の操騎士であるアッレ・ペレストテレス・カラッカが出撃準備を急いでいた。彼は艇員の一人に手伝ってもらいながら、全身を操鞍に固定していく。
操鞍腔の内部は自在独楽を複雑にしたような形で、成人男子の両手足が伸ばせるほどの広さがあった。仰向けに寝かされたカラッカの今の格好では、彼がいつもしているほどには起動作業が上手くできていなかった。だが、それでもカラッカと艇員たちはかなりの素早さで手順を進めていく。
最初にカラッカが尻を鞍に乗せ、それぞれの金属の小板同士を合わせる。すると微かな金属音を発てて彼の腰周りが固定され、鞍と一体化した。次に同じようにして腰、背中、肩、それぞれ後背から突き出た対応する箇所に接続していく。最後に両手足を甲冑のような操作縛に突っ込んで、戦機人操作の事前準備は終わりだった。
それからしばらくの間、カラッカはそのままの姿勢で待機していた。彼にとっても重苦しい時間が流れていく。
それは唐突だった。否、そうなる事は予想できたのに、カラッカには覚悟ができていなかったのだ。
艇員がフォリドフォルの固定解除を報告し、つづいてアギン副使の指示を大声で伝える声が操鞍腔の外から彼の耳に聞こえた。
カラッカは心臓が早鐘のように脈打つのを感じた。彼は意識して呼吸を深くする。
蓋の開いた操鞍腔のそばに居た艇員が、伝えられた指示を繰り返した。
「決裂しました。カラッカ殿、出撃です」
「わかった。出る!」
「ご武運を」
「ははっ、馬糞に手足などにやられるものか!」
馬糞に手足とは、悪臭のする新製代の戦機人を揶揄する表現である。カラッカは護衛飛空艇の被撃墜と初めての実戦からくる緊張に苛立ちを感じていた。その心理の過剰が言わせた戯言めいた言葉だが、それすら平常心との違いを彼に意識させ、焦燥感をぬぐえないままでいた。
しかし彼の言葉を聞いた艇員が、張りつめた表情を崩して少し笑う。
それを見るとカラッカは少しだけ救われた気持ちになり、自身の戦意が高揚するのを感じる。撃墜された護衛飛空艇の搭乗員の仇を討つ、そう改めて決意することができた。
付いていた艇員が離れるのを見てから、カラッカは低く言葉を発した。
「目覚めよ、フォリドフォル」
赤く警告灯らしきものが点滅し、上の方から電磁機で作ったような音が、何かの不備を操士であるカラッカに知らせてきた。正面の画像盤に服の形が赤い線で輝いている。戦機人が接続された操士服が異常だと伝えているのだ。
だが、どこが不備なのか、カラッカには正確なところが分からなかった。正面画像盤には異常内容を報せる古代文字も表れているのだが、その中にある解読できない特殊な物質らしき単語と、どうやって構築したのか彼らの想像外の機構概念のためである。
現在の技術で模造された操士服では、古製代戦機人の要求する性能を満たせないし、人体の血液を戦機人の動きに合わせて制御するなど、言葉自体は分かっても意味がまったく不明だった。
おそらくは衝撃から操士を保護する機能だろう、とはいわれている。戦機人自体には傷一つ無いにもかかわらず、操鞍腔内部の操士が脳や内臓などに重傷を負うことや、それによって死亡に至ることがままある。それを防ぐ機能が神古代の操士服には有り、操鞍腔にはその機構が備わっているのであろう、という研究者の推測だ。
重ねてカラッカは覚醒命令を出した。すると戦機人の花弁のように開いていた前面の装甲がひとりでに閉まり、彼の頭を兜のようなものが両側から挟んできて完全に覆う。
カラッカの耳に空気の流れ込む音がした。彼は手足と頭部に軽い圧迫感を覚え、続いて操鞍冑の内側に艇内の天井壁が映し出されたのを目にする。視界が戦機人のそれになったのだ。
身体が足側に動いていく感覚をカラッカはおぼえる。目前の天井壁が上へ流れていく。すぐに青空が現われる。
カラッカはすばやく起き上がった。漠土の風景が前面に広がっている。
そして醜悪な姿をした茶褐色の新製代の戦機人が三領。
古製代装神甲の覚醒世界が始まり、カラッカの体は戦機人と一つになったような感覚になった。
そして雷光のごとき何かが、フォリドフォルから空に向かって走り、大気を叩いて激しい音を轟かせる。
導恩現象である。世界に満ちる恩寵の聖霊気に装神甲が界合したのだ。
近づいてくる足音を聞いてアギン右書記官長は振り向いた。狭い通路の奥から現れたのが、飛空艇アクロフォカ艇長のアルベル・デュバンと、この使節団の正使であるナガン神王家が二位の巫女姫ショアル・マリ・シィスティ内親王であるのを彼は認める。
デュバン艇長は四十代半ばの柔和な顔立ちの男で、背は高くないが飛空艇乗りらしく機敏な所作をしていた。いつも艇長帽を斜めに被り、今はないが時々無精ひげを生やしている。どことなく冗談好きの印象がした。
ショアル巫女姫の方だが、彼女は若い娘には珍しく髪を伸ばしていない。青藍という奇妙な色の髪は肩までの長さも無く、運動が得意そうな体つきとあいまって、十七歳という年齢にしては未だ女らしさをあまり感じさせないでいた。
彼女の容姿は不思議な雰囲気を放っている。ナガン神王族という血のためなのか、普通の人間とは差異を感じさせる特徴が見た目にはあるのだ。その不自然な髪の色もそうだが、他にも対峙する者の目を引くのは翠眼である。盛夏の照葉樹の葉のごとき深い緑といった、髪の色と同様に普通の人間には有り得ない色合いをしていた。
そのショアル巫女姫の美しくも奇妙な色合いの翠眼は、極度の不安に捕らわれているらしく、濁ったように曇っていた。楽しそうにしている時には水に濡れた玉のような輝きであろうと思わせたが、今は鬱屈とした暗く鈍い輝きしかない。
デュバン艇長は飛空艇乗りらしく皮の飛空服を着ていた。ショアル内親王は腰下まで裾のある筒袖の上着を幅広の三色帯で結わえ、脛半ばの長さの襞スカートに鞣革の長靴を履いている。ナガン人女性の民族服である。
「法術結界はどうでしたか?」
アギン右書記官長の問いかけに、ショアル内親王が少し顔をゆがめながら首を振り、デュバン艇長は無念さを隠さなかった。
「やはり駄目でした。姫はまだ神霊至源炉へ入神の儀を済ませていません。今の段階ではやはり至源炉が応えてくれないようです」
「なんとかやってみたのだけれど」
ショアル内親王の声は、デュバンらの知る本来の軽やかな薫風の質感を失って、表情と同様に低く澱んでいた。
アギン右書記官長は、視線をショアル内親王の苦しげな顔から外す。彼は口の中で『敵の飛空艇からの砲撃が厄介だな』と呟いた後、顔を上げなおしてショアルの瞳を見据えた。何か固いものが彼の体に満ちていた。
「ご安心ください、我々には蒼のフォリドフォルがあります。新製代の戦機人がたったの三体ではどうなるはずもありません。必ず姫をナガンの地へ連れ帰って見せましょう」
デュバン艇長も同意らしく、彼に目を向けてきたショアル内親王を強い視線と微笑で見つめ返し、軽く頷いた。
その表情が急に厳しくなった。デュバン艇長の視線が小窓の外へと転じる。
「どうやら始まるな」
失われた神古代文明の遺物である古製代の戦機人フォリドフォルは、パラカン帝国の戦機人キョウカクとは見るものに与える印象がまるで違っていた。
この白と蒼の戦機人は、帝国の戦機人に比べると人間の姿かたちに近く、一見すると華奢な体つきで頼りなく見える。
しかし、装甲の継ぎ目などは極端に少なく、関節や胸甲殻の蓋扉に見られるくらいである。リベットの頭などにいたっては影も形も見当たりはしない。フォリドフォルは装甲ひとつとっても、現代の文明ではとうてい造り得ない高度な技術で出来ていたのである。
唯一、現代的なものを感じさせるのは、左肩の装甲にあしらったバレル聖王国の紋章である。青い円の中に白い花を挟んで金色の月と太陽は、そこだけ稚拙な線で描かれていた。
帝国の戦機人キョウカクが怪物的な印象だとすると、蒼のフォリドフォルは夢幻的である。神古代超技術の具象体であり、現代的な構造物のあり方に対する違和感の塊である。
この戦機人は世界のほとんどを焦土となさしめた破滅の世界の存在なのだ。
傲慢で自信にあふれた帝国操士たちも、さすがに慎重に間合いを詰める。
フォリドフォルは飛空艇の中から、急いで長く分厚い戦機人用の剣を引き抜いた。
キョウカクは左手のくぼみで右手内側の操作棹を動かし、右腕の甲側の先から剣を突き出して固定する。腕の装甲から直接、剣が突き出てきたのだ。
「あれでは手指をひしゃげさせる戦技が使えない。動きの鈍い新製代戦機人にはかなり有効なのだが……」
デュバン艇長の言葉は隠されていた不吉の予兆を垣間見させる。
飛空艇から距離をとろうと前へ前へと進んだフォリドフォルが、天を指すかのごとく高く剣を掲げた。ナガン人たちに正義の幻影を見させるがごとく美しい所作だ。
古製代装神甲に信仰にも似た思いを抱く彼らの誰もが、醜い帝国の戦機人に鉄槌が下される事を確信した。
フォリドフォルは飛び込むように、さらに歩を進め、真っ向から中央の敵戦機人に打ち下ろす。
速い。
しかし、棍棒のようなキョウカクの腕が、意想外の素早さで剣の軌道に割り込んでくる。その様子に飛空艇の中で戦いを見守っていた人々は、嫌な予感を多分にふくんだ戦慄を覚える。
耳障りな激突音と火花が散った。キョウカクの腕は剣の勢いに押され、自らの頭部に激しく打ちつけられていた。だが、極端に分厚い腕の装甲は一撃を支えきっていた。
「そんな馬鹿な」
艇員の誰かが思わずそう叫んでいた。
左右から迫る二領の戦機人に、挟まれるのを嫌ったらしいフォリドフォルが後退しようとした。しかし、再びキョウカクの素早い動きに、その動作は阻まれてしまう。
フォリドフォル正面のキョウカクが、身体ごと白と青の戦機人にぶつかってきた。二領はもつれ合うように倒れこむ。
ショアル内親王が「ああっ」と悲鳴じみた声を漏らした。
間を割るように転がったフォリドフォルとキョウカクに、残りのキョウカク二領が覆いかぶさるように詰め寄る。