未明の脱出 3
「配置に着いたか」
キシュマ准佐の落ち着いた声色の問いかけに、こちらも落ち着いた様子でヌタザ人マーヤ族傭兵の隊長、ジマーリが頷く。
「着いたでござる」
前方に見えるバレル商館の周りの街路は、すべてヌタザ傭兵たちで固められていた。日の出まではまだ間がある未明のことである。
さらに少し離れた場所には、彼らのイスタール製の戦機人が待機している。突入の時には先頭に立てるつもりだが、今はバレル商館から目につかないよう建物の陰にある。
また、クシャス市政府とは話がついているので、市の警邏隊が出張ってくることもない。
キシュマ准佐もジマーリ傭兵隊長も昨日とほぼ同じ格好だった。ただ隊長はそれに追加して頭に鉢鉄を巻き、薄手の外套の上から革帯を締め、大型の自動装填式拳銃が入った銃嚢をそれに付けている。足元は巻きゲートルに短軍靴である。額に走った傷跡と強い口ひげにあごひげは、いっそどごぞの山賊かといった風情でもある。
部下達も基本は似たような雰囲気の格好だが、手に長銃などを持っていた。
「状況を開始してくれ」
「全員、銃に弾込め」
キシュマ准佐から作戦開始を告げられたジマーリ傭兵隊長は、かたわらに控えていた彼の副官に指示する。彼は合図の手信号を大きな身振りで出す。
彼らの周りにいる十数名のヌタザ傭兵たちが、一斉にダローザ九式歩兵銃の槓桿を引き押しして初弾を薬室に装填する。ダローザ九式は五発入りの箱型弾倉を持つ、イスタール銃砲工廠製の同軍制式採用の歩兵銃だった。
暗闇の街路に装填の金属音が流れ、一瞬で消えていった。気温の高い沿海州の夜の石畳を冷徹に撫でていく。その響きは硬く寒々しく、そして残酷である。
街路の建物の陰に潜んでいた、手に盾と棍棒を持った四領の戦機人が、バレル商館に続く街路に出て前進を開始する。
イスタール中央工廠の関連企業であるイェニシパーヒ社、その新型の新製代戦機人であるスミロドンは、大柄で装甲の厚い重戦機人である。今作戦にあたり、親衛隊がヌタザ傭兵のために急遽調達したものだ。
スミロドンは新製代の重戦機人としては高性能で、わずか三十領という生産数ながら、イスタール戦役ではそれなりに活躍もしていた。むろん、帝国軍の現主力戦機人であるキョウカクあたりと比べると、運動性能は格段に落ち、装甲に頼った耐久力のみが突出する仕様となってはいた。
それでも、その装甲は脅威で、それなりの帝国軍戦機人の撃破に成功している。西方列強の最新技術の導入のおかげであるが、イスタールの誇りとまで言われていたのだ。もしも至源炉の購入が上手くいき、もう少し生産数が多ければ、パラカン帝国にこうも易々と敗北することは無かった、そう評されている戦機人でもある。
この戦機人が無償提供されるとジマーリ隊長から聞いたヌタザ傭兵たちは、その場で狂喜したほどだった。戦役で失った年代物の新製代戦機人を補って余りある。ジマーリ隊長も惚れ惚れとその巨体を見上げている。
特徴的なのは上半身だ。押し潰されたような台形をした頭部と胸部装甲が一体となった造りは、傾斜の多用で被弾経始に優れた装甲となっている。むろん他の部分の装甲も傾斜している部分ばかりである。
事実、パラカン帝国の対戦機人砲でもっとも一般的な五十五リミ・メルト口径の、六式野戦砲の徹甲榴弾を至近距離から弾くだけの強固さを持っている。
この高度な溶接成型による装甲は、対砲弾の堅牢性では現在世界一と称されているほどである。当然、未だ完全溶接成型ですら生産が軌道に乗らない帝国製戦機人の、その多く見られる補強リベットなどは、影も形も見られない。
また、スミロドンは膂力に優れ、その棘付き棍棒から繰り出される一撃は、いかなる戦機人でも操鞍腔内の操士を失神せしめると言われている。まさに新世代の戦機人だ。
むろん良い事ばかりではない。傾斜のために活用されない装甲の内部空間が多めで、重心外縁の重量増も運動性にかなりの悪影響を及ぼしている。
また機動力を何とか実戦域に引き上げるために、培養キメラ筋肉の構成量を増加している関係で、蟲骸泥の消費量も一般的な新製代戦機人に比べてかなり多い。
何より、至源炉が要求される瞬間出力が大きく、その定格出力を満たす至源炉の確保が難しかった。これが生産領数の低迷を招ねく最大の要因となっていた。
ヌタザ傭兵たちは突き進む。確かな未来をつかむため、その意気を両足に込め。
彼らはバレル商館に四方向の街路から小隊規模で接近する。それぞれ戦機人スミロドンを前面に押し立て、その後ろを徒歩のヌタザ傭兵が歩兵銃を構え、散開しながら漸進する。ごく一般的な戦闘隊形だ。
正面が主攻である。この小隊のすぐ後続にある密集した一個小隊六十名が、戦機人の正門破壊と同時に商館に突入し、本作戦の目的であるショアル姫の拉致と、イスタールとテベル間の条約批准書を入手する手はずになっている。
残りの三方向それぞれ一個小隊は、ナガン人の逃走に対する警戒だ。展開している兵数はけして多くないが、不審者の侵入を防ぐための商館敷地を囲む高い壁が、皮肉なことに彼らの逃走を妨げることになるだろう。裏門も外から障害物で封鎖している。
ジマーリ傭兵隊長やキシュマ准佐は、さらにその後方で予備戦力三個小隊とともにあり、そこで指揮を取る形だ。
その時、バレル商館の建物の陰から、前庭に導恩現象を引き起こしながら戦機人が現われた。
地鳴りのような音が轟き、風がごうごうと渦巻く。その黒い戦機人の周りが薄く球形に発光している。雷光のごとき輝きが四方八方に向かって放たれた。直後、激しい破裂音が衝撃波となり、ヌタザ傭兵たちに叩きつけられてくる。
『何だこの導恩現象は!?』
キシュマ准佐はその内心の驚きの直後、思わず眉を顰めていた。現われた戦機人が、禍々しい姿かたちをした異形の戦機人だと、夜の遠目にもかかわらずわかったからだ。
黒い戦機人は、古製代のそれをさらに華奢にした身体の線をしている。人体がそのまま巨大化したようで気味が悪い。戦士の誉れを頭から無視したように、意匠もいっさい飾り気がない。
そして関節の構造は驚くことに、筋肉の類を外面から一切見えなくしている。蕾のごとき肩覆甲からのぞく肩などは、大小の二重球体らしく、知られているどんな戦機人とも構造が異なっていた。顔面の半分ほどだけが洗われた骨のように白い。その黒との境目の輪郭はいびつに歪んでいる。
不吉な予感を覚えつつ、キシュマ准佐は隣に立つジマーリ傭兵隊長に訊く。
「相手は一領だが、いけるか?」
傭兵隊長はあごひげを撫でる。すぐには彼の問いかけに答えなかった。わずかな間の後、猛禽のように鋭い視線を前方の新参戦機人に向けたまま、おもむろに口を開く。
「わからぬでござる」
「なに!?」
キシュマ准佐は思わず顔を振り向け、傭兵隊長を凝視した。
「あれは、ヒルコ小僧の黒い戦機人でごじゃる。イスタールの戦いで他の傭兵部隊にいた奴で、宿営地で数日間、ともに過ごしたこともござった。小耳に挟んだ話しでは、かなりの戦機人と操士だとも聞きもうした。戦神と呼んでいた者もいるでござる」
「ヒルコ小僧?」
「わしも間近に見もうしたぎゃ、確かに白髪に赤目でござった」
「それで、あの戦機人に勝てないと?」
「スミロドン四領ならあるいは……」
先だって、行方不明だった帝国軍戦列砲艦ハツヤビがミド漠土で破壊された姿で発見された。ただ一人の生存者である艦長のカラグキ・ロブトゥラ少佐が、瘴壊被爆の影響による意識不明に陥る前に残した言葉がある。
短く『死神だ』という一言である。
イスタール戦役において、数十領もの帝国軍戦機人を撃破した〈アバドンの死神〉を連想させる言葉である。
しかしカラグキ少佐のいた南路方面軍と、死神の噂をもつ戦機人がいた第三イスタール軍と交戦した中央方面軍は、侵攻行程が重ならないのである。その為に彼の言及の報告は国軍から上がっていたものの、関連性が確信されず、親衛隊全国指導委員会にある総合情報部も保留あつかいにしていた。
ただ、ハツヤビが何によって撃破されていたのかが分からないのは実際だ。
同地で確認された、九領あるテベル同盟の高性能古製代戦機人の残骸が、後背部の至源炉をハツヤビ搭載の十式砲で破壊されていた為、戦列砲艦の破壊が当戦機人によって行われたものでない事は確定している。
それに戦列砲艦は状態から見て、地上で破壊されていると判っている。空戦による被撃墜ではない。
事故なのか、何かに撃破されたのか。
もし後者だとすると、ならば何がハツヤビを撃破したのか、という疑問がでてくる。
カラグキ・ロブトゥラ少佐は、情報統制の敷かれている〈アバドンの死神〉の存在を、どうしてか知っていたのだ。つまりハツヤビを撃破したのは、アバドンの死神であるということだ。
そうキシュマ准佐は確信する。
それと同時に情報に接していながらも、それに思い至らなかった自身に歯噛みする。ショアル姫の確保に気が急くあまり、その情報が保留されているという事で、意識外に置いてしまっていたかもしれない。あるいは、国軍所属の馬鹿のいう事と軽視していたのかもしれない。
東方における神古代世界の再生と文化の復古および神代技術を探索する為の協会。
親衛隊の母体でもある同胞思想の中核といえる集団だ。親衛隊全国指導委員長がこの協会の長も務め、全議席を占める唯一政党の幹事長とともに天帝の腹心でもある。
この通称、神古代復古協会が、神古代の重要遺物の一つとして要調査指定する戦機人が、先のイスタール戦役で現われたとされる〈アバドンの死神〉である。
情報は親衛隊内部で隠匿されているが、この戦機人は唐突にヒルコ島に現われ、そこにおいて彼らの脱出にも関与している。これが親衛隊情報部の知る最初の目撃報告でもある。
普通、古製代戦機人の高性能機は、世界中の軍事関係者に知られていた。有名なところではナガン九聖装神甲などが代表だろう。そういった存在は、歴史を紐解けば戦乱の中にその活躍が散見されるほどである。古謡に勲を謳われている戦機人すらいるのだ。
こうなると、そこ辺りの年端も行かない少年ですら知っていて、絵姿やそれに似せた玩具すら売られているくらいだった。一番人気はナガン九聖装神甲の一つ、甲殻の紅王アノマロカリスである。
翻って〈アバドンの死神〉である。かの戦機人は信じ難いほどの高性能を持ちながら、今まで陋巷どころか軍関係者にも知られていない。まったくの来歴不明機といえる存在だった。
突如としてアス大大陸に出現したとしか思えないのである。
『〈アバドンの死神〉の無傷の鹵獲は難しいか……どうする?』
キシュマ准佐は頭を素早く回転させる。
『いや、今作戦の目的はそれじゃない。テベル、イスタール間条約の批准書の入手と、ナガン神王族の生体組織の確保だ。ただでさえ作戦目的が二つなどと馬鹿な指令なのだ、死神にかまけるわけにはいかん。その為にこんな偽装という茶番で、非交戦国で無茶な強襲までしている』
ちらりとキシュマ准佐は帯同しているゴンドゥワナ機関の人間を振り返る。二十代後半の優男と同じ年頃の眼鏡をかけた女医風の女だ。手にはショアル姫の身体の一部だけを入手となった際、それを保管するための道具類の入った鞄を持っている。
この時、死神への警戒感の他にも、キシュマ准佐は作戦立案時からの懸念事項が的中した事に苛立ってもいた。イスタール系民族の都市で、外見がまったく違うパラカン人やヌタザ人たちが、情報を漏らさずに完璧な隠密行動などできるはずがないのだ。案の定、作戦は察知され、こうして迎え撃たれた。
そういった敵への露見しやすさを見越し、市上層部への威圧による協力体制の確立だったが、それが完全に裏目に出ているとしかキシュマ准佐には思えないでいた。協力体制による情報の封鎖どころか、逆にクシャス市上層部への接触が露見を招いた気がするのだ。
テベル同盟特別使節団のクシャス市への来着情報がもたらされてから、キシュマ准佐は即日に任務を受領したが、急遽立案された作戦はどうしても粗が目立つものだった。
兵は拙速を尊ぶ。そうは言うものの、事前準備もままならない中、遠隔地での作戦状況はさすがに難しいものがある。せめてもの救いは、ヌタザ傭兵の中でも精強で知られるジマーリ傭兵隊長が率いる〈雪心銃友団〉が、帝国への帰順を打診してきて親衛隊預かりとなり、イスタールの中堅都市に留め置かれたことである。
外見の異なる人種である関係上、作戦は結局のところ力押しとなり、絶対的な兵数が必要だったのだ。連隊を超える規模の雪心銃友団の存在が無ければ、作戦の成算は目も当てられないほど酷いものとなっただろう。もっとも今作戦に動員されたのは傭兵団の半数でしかないのだが。
『上層部はいったい何を焦っている? 荒事に向かないゴンドゥワナの連中までつけてまで、ナガン神王族の強襲を繰り返すなど何をしようとしている』
彼は、状況の悪さから焦りに心を浸食されそうだったが、それを表に出さないだけの分別があった。若くして准佐位にまで昇進したのはおまけではない。
キシュマ准佐は決断する。まずは神王族の生体組織の確保だ。これが実行し成功できる可能性では一番高いはずであると考える。批准書は処分されているかもしれないし、アバドンの死神の鹵獲は予定に無かったことであるから考慮外でもよい。
「ジマーリ隊長! 信号弾を上げてラカリアーラ中尉の戦機人を呼べ。それと隊を裂いてくれ、飛空艇港へ走るぞ。襲撃の情報が漏れていたのなら逃走手段を用意しているはずだ」
「今からでござるか?」
「間に合うかどうかは分からんが、奴らの戦機人がここにいるのなら、まだ脱出していないかもしれん。クシャスから出さなければ機会はある。飛空艇港に置いてきた人数だけでは、奴らの脱出阻止は心もとない」
数瞬でキシュマ准佐は判断して指示を出したのだが、その時にはすでに黒い戦機人と戦機人スミロドンの戦闘が始まっていた。




