未明の脱出 1
あと一ホル半ほどでクシャス市に到着します」
副操舵士の言葉に後座の男が頷く。顔を左後方の者に向ける。
「三式改の送受信圏に入ったな。よし公使館に暗号を打て」
「はっ」
了と返答をした者がすかさず、無線電信器の柄に手を置く。金銅色の板柄の先の、小さな円盤状の木製の握りの部分だ。発条によって柄は上に浅く開いている。
男は暗号表で電文内容を確認しながら一心に柄を叩いていく。しばし、その軽快な打電音が、けして静かとはいえない艇室に流れていく。
この場の筆頭らしき男は隣席の銀髪の異形者に向き直る。
「ラカリアーラ中尉、わたしはすぐにクシャス高官と接触を持つ。後ろのヌタザ傭兵どもを、けして街に出すな。酒を飲ませなどしたら、奴らは何をしでかすかわからん」
そう言った男は前釦を留めずに革の飛空外套を着ていた。大して高度が高くない為に寒さを感じていないらしい。ごく一部の酸素供給器や与圧室といった特殊な装置を持つ軍用艇や試験艇以外では、航行高度もそれほど高くなく、冬季以外の最南方の航路ならばこのようなものだった。
その飛空外套の下には、くすんだ緑色の簡素な襟の高い服が見える。地方の役所勤めの者が着そうな雰囲気の、ごくありふれた意匠である。どこの国の人間が着ていてもおかしくないだろう。
ただ、頭には行軍帽を短く刈り込んだ頭に被っていた。今では取り立てて珍しいものではないが、もともと兵士が戦闘時以外は邪魔になる重たい鉄帽の代わりに、行軍や兵站作業をするさいに被るものだ。
男の名はキシュマ・ギェンバといった。パラカン人である。角ばった顎と濃い眉に、その下の炯々(けいけい)と輝くどんぐり眼が特徴的な顔立ちである。東方人らしくその背は高くないが、彼らの人種に多く見られる華奢な感じは無く、がっしりとした骨格をもっている。
彼はパラカン帝国武装親衛隊の独立特務第二部隊に所属する准佐である。独立特務隊は親衛隊全国指導委員長の直轄で、第二部隊は主に外地での不正規任務についている秘密実戦部隊だ。表立っては外地防疫部隊の体裁となっている。
ちなみに独立特務第一部隊は、内地における不正規防諜作戦や治安維持作戦、それと反 同胞 思想掃討作戦を行う戦闘部隊である。こちらも任務内容はもちろん機密扱いだが、存在自体は一般にも知られている。鬼より怖い特務とは彼らを指している。国家秘密警察との違いは、彼らの任務が主に戦闘になっている事だ。
また、外地での間諜活動を行う情報部は、武装親衛隊の正規部隊にも第四師団として存在している。他にも国軍や内閣府も独自に持っていて、帝国全体としては一元化されずに錯綜していた。
キシュマ准佐がラカリアーラ中尉と呼び、指示を出した隣の異形者は、体にぴったりとした戦機人操士服を着用していた。こちらは飛行外套を着ていない。
その男はまさしく異形者であった。白い髪を称して銀髪などという事もあるが、そのようなものではなく、本当に頭髪が金属質の輝きを放っているのだ。直毛で毛量は少なく長さは肩まである。
彼の瞳の色は青である。しかし西方人やイスタール人、ナガン人のごとく、色素の欠乏によって青く見える明るい色ではない。青い色素による色の深みが虹彩に存在していた。まるでラピスラズリの粉を原料とした油絵具で描かれたような蒼だ。
そして、銀髪を割って突き出した上端の尖った耳がある。彼らの人種独特の身体的特徴で、他の人種や民族にはけして見られない形質だった。
すなわち彼はヘルター人である。ヘルタリアと呼ばれる極北に近い寒冷地に散在する異人であった。みずからは自身の人種をヘルタレンシスと称している。
繊細な骨相は個人的な差異や性差さえも少なく、キシュマ准佐は上官として一年近く行動を共にするが、今頃になって他のヘルター人との区別がつくようになった有様だった。
はっきりとした事は分からないが、人種自体の個体数が少ないらしく、ヘルタリア以外では彼らを目にする事はほとんどない。唯一の例外がパラカン帝国である。いかなる理由か、一般、武装を問わず親衛隊に少なからぬ人数が所属しているのだ。
また、彼らは一説によると数千人規模の人口しか存在してないという。他人種との交雑もしがたく、文化的にも孤立していて、近い将来に絶滅するのではないかとも言われている。
ただ、彼らは高い技術を有している。一例を上げると、古製代中製代の戦機人に使われている蛭型金属筋肉を作成できる技術を、現代に伝えているのである。これは豊富な古製代遺跡の資源を持ち、その研究も盛んであるテベル同盟諸国にもできないことだ。
「了解」
指示に対し、最低限の短い応えだ。相変わらずの部下の愛想の無さだが、キシュマ准佐は気にした風も無く、前方の艇窓から見える雲の無い空を睨む。ラカリアーラ中尉なら、ヌタザ傭兵が街に出ることを、必ず防いでくれるだろうと彼は信頼していた。
彼らが乗っているのは、西方列強の一角であるロンバルドの飛空艇製造会社コールタ・ルミネスティが販売している、モアという形式名称の大型の汎用輸送艇である。主に交易艇として使われる世界的な人気機種で、どこの国の飛空艇港でも見かけるくらいだ。
キシュマ准佐らは難民を偽装するため、イスタール国籍のものを徴発し、今任務の作戦艇として使用している。
そういった交易艇である為、外装などは羽布に防水塗料を塗っただけの代物でしかない。拳銃弾さえ容易に通してしまう貧弱なものだが、貿易の利益に直接つながる積載量自体は、約十万リコ・ムラグとかなりのものである。小型ながら至源炉と浮揚器も装備しているための積載量だ。
また、本来なら先ほど使用した高性能無線電信機などは、このような民間の艇には設置されていない高価な装置である。おそらく後付で搭載したのであろう。
その艇の中後部の大部分を占める貨物槽には、ラカリアーラ中尉の高性能で知られるヘルタリア製の中製代型構造を持つ現代戦機人と、ヌタザ人傭兵たちを積載していた。
モアは民間艇らしく操舵座にさえ計器類が少ない。大気圧高度計と対気流圧速度計、羽刃回転数計、発生電流量計、三連モーター温度計、至源炉エーテル流量計、船体重量比浮揚率計、燃素残量計、後は水平儀くらいしかない具合だ。旋回計も昇降計、舵角計、油圧計、蓄電池電圧計、外気温度計さえも無い。
その各種計器類のメーターも、長い茎の先に咲いた花よろしく、軍用艇を見慣れた目には酷く頼りない外見をしている。
床は使い込まれた軽金属の格子造りだった。その下の巨大な双車輪をもった折り畳まれた前脚が、薄暗闇にぼんやり見えている。また高機動が出来ない商用構造のため、全ての座椅子が簡素で華奢な造りをしていて、軍用艇以上に座り心地が悪い。交易艇の操舵手はみな痔持ちだと揶揄される所以である。
ここからは見えないが、一日遅れの後続に、軍用に準じた高性能輸送艇が二艇航行しているはずである。こちらはパラカン帝国製で、これには残りのヌタザ傭兵たちと、彼らの戦機人が四領積載されている。すべて新製代の戦機人ではあるが、帝国製ではなくイェニシパーヒ社というイスタールでの製造である。
イェニシパーヒ社はイスタール皇国の国策で起業された半官半民の工廠関連会社だったが、今回の敗戦でパラカン帝国に接収されている。同社は対帝国のために西方列強の指導で最新技術が導入されているが、工作機械の作成技術などに劣る帝国に、それの一端をもたらしてしまう皮肉な結果となっていた。
特に戦機人関係では、同じ厚さでも装甲板の強度が一割から二割弱も帝国製は劣る有様なので、連日にわたって帝国技術者が装甲成型工程を詳細に分析していた。そもそも帝国製は品質のばらつきが大きく、強度以前に精度からして甘いのだ。
今任務で採用しているヌタザ人の傭兵は、先のイスタール戦役では皇国に雇われていたマーヤ族の一派である。マーヤ本国が他のヌタザ五ヶ国と同様にパラカン帝国へ服属した後も、イスタール側に雇われていたのだが、皇国の完全敗北で帝国に帰順の意思を示してきた者たちだ。
今作戦の成功のあかつきには帰順が認められ、新設された武装親衛隊第二十師団の第十外国人連隊のヌタザ人部隊への編入が、その忠誠心を示したものとして約束されていた。国軍正規部隊にはパラカン本国人しか入隊できないため、外地人の軍務希望者は選別こそあるものの全て武装親衛隊が受け入れているのだ。もっとも国軍も外国人傭兵部隊は存在しているので、使い潰される覚悟のある者は給金の高いそちらに入っている。
ヌタザはろくな産業も無い山岳国家群ゆえ、出稼ぎとして故国に親兄弟を残す彼らには、帰郷と故郷に錦を飾る千載一遇の好機とも言えることだった。
「一応は奴らにも直接釘を刺しておくか」
キシュマ准佐はそう言って座を立つ。そのまま後部貨物槽の仕切りへと向かう。それから隔壁とよべるほど上等でないそれにある扉の取っ手をつかむ。
扉を引いて開けた途端、新製代の戦機人乗りの体に染み着いた悪臭と、汗臭い体臭が入り混じった、何とも形容しがたい酷い臭いが押し寄せてきた。
キシュマ准佐は軽く眉を顰めただけで足を進める。その彼の元に近づく男があった。ヌタザ人らしく背は高くなく、キシュマ准佐とほとんど同じくらいだが、真横に走る額の刀傷が目立つ顔といい、屈強を絵に描いたような姿である。
「キシュマ准佐殿、何んぞ御用でござるか?」
「ジマーリ隊長、もうしばらくすれば当該作戦地であるクシャス市へ到着する」
「あい、そうでござるか」
「分かっていると思うが、作戦開始まで当艇から誰一人、離れないようにしてくれ。酒も飲むな。隠密性が今作戦の成否の鍵を握っているからな。くれぐれも部下をちゃんと管理するように。これは厳命だ」
「もちろんでござる、准佐殿。野郎どもには、きちんと言ってきかしぇてござる。もちろん、成功のあかつきには……」
「わかっている。親衛隊全国委員会も武装親衛隊軍政部も、それは確約している」
「ははっ」
キシュマ准佐は彼の俗物ぶりに内心では辟易していた。彼らヌタザ傭兵は戦場では先鋒に回されて侵入偵察をしたり、後方を撹乱したりする。また奴隷狩りでは情け容赦なく女子供を狩りたて、民草の大量殺戮も命じられれば厭わず行うことで知られる。まさにイスタール人や西方人の走狗なのである。
ただ彼らもイスタール人や西方人に蔑まれていて、ごく低額で雇い入れられ、損失を大して気にせずに使える二束三文の消耗品として扱われている。そういった同情すべき点もある。
しかし、それでも先だってまで戦火を交えていたパラカン武装親衛隊に、矜持をあっさりと捨てて媚びへつらってまでも、入隊したいのかとキシュマ准佐は思うのだった。
傭兵団の作戦の採用にあたり、事前調査ではヌタザ傭兵としては異例ともいえる旅団規模の傭兵団を率い、戦機人も十領を保有する優秀な男が率いていると聞いていた。イスタール戦役で人員は大きく損なわれ、戦機人も全数失われているが、少なくない戦果も上げているとあった。
今の時代に、後ろ盾も無くこれほどのものを一代で築き上げた男とは、いったいどのような人物かとキシュマ准佐は興味を覚えていたのだが、所詮は戦場を這い回るヌタザの走狗だったとかと落胆を禁じえなかった。
むろん、それらの事は彼もおくびにも出さない。
「武装親衛隊となる時は貴君も大尉となり、中隊を預かる将校となろう。我々パラカン帝国は人種による差別を行わない。貴君らの忠誠心と能力のみを必要としている。関係者みなが期待しているぞ」
「われらマーヤ、パラカンの旗の下、存分に務めて見せるでごじゃる」




